[29] 壁

 足の向く方に歩いて行ったら壁にぶつかった。

 何の変哲もない住宅街を通っている公道上での話である。思ってもみなかったのでびっくりしたが、そこまで固くてしっかりした壁でもなかったから、痛くはなかった。


 目を細める。見えない。

 体を横にずらして光の加減を変えてみた。見えない。

 手を伸ばす。確かにそこに壁がある。生暖かいプラスチックのようなものでできている。


 壁に右手を触れたまま、道路の端から端まで歩いた。どこかで途切れているということはない。

 壁のこっち側も向こう側もいたって普通の住宅が立ち並んでいる。常に頻繁に、というわけではないが、それなりに人と車の出入りはあるはずだ。


 いったいぜんたい誰がこんなものを置いたのか?

 また付近の住民はこの壁の存在に気づいているのか?


 前者についてはわからない。

 後者についてはその辺の家を訪ねればわかるかもしれない。けれどもそんなことで知り合いでもない人に話を聞くのははばかられた。


 それより私はこれからどうするのかの方が大事だ。

 選択肢は2つあって、このまま突き進むか、それとも引き返すか。


 感触として力づくでぶつかれば難なく突破できるような気がする。

 といってわざわざそれを実行するほどに大した用事があるわけでもなかった。


 ありきたりな解釈をくわえるならば、この壁は実在する壁ではなくて、私の心の中にしか存在しないものだ。

 いわゆる心理的障壁、それが形となって現れた。


 進むことに対して私は何らかの抵抗を感じているらしい。

 けれども私はただ足の向く方に歩いていただけであって、抵抗を感じるほどの目的は持ち合わせていない。


 後ろから車の近づいてくる音が聞こえた。邪魔なので端に避ける。

 トラックはそのまま道路の真ん中を走り抜けていく。ぱしりと何かが砕ける音を聞いた。


 どうやらそこに本当に壁は存在していたようだった。

 足を動かしてみたところでその残骸は1つも見つからなかったけれども。


 そのまま私は壁のあった向こう側へ歩いていってぐるりとあたりをまわって家へと帰った。

 特に何事もなくてふとこうしてこんなことがあったなと思い出すぐらいの話になっている。

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