[27] 目撃

 街灯の下に女が立っていた。

 Qがその時、足を止めたのは言葉にして説明できるほどの明瞭な理由があったわけではない。

 感覚器官が拾い上げる情報はあまりに膨大で、人間はそのすべてを完全に認識してはいない。重要と思われるところだけつまみ食いして、それを現実として処理しているだけだ。


 失敗したなとQは思った。そのまま通りすぎるべきだった。

 彼我の距離はおよそ3M。こちらがあちらの存在に気づいたように、あちらもこちらの存在に気づいたろう。秋の夜、空気は冷たい、とっとと家に帰りたいのに。

 つまりはいつまでも膠着してはいられないということだ。


 女は真っ青なワンピースを着ている。首がほとんど地面と水平になっていてじっと路面を眺める。

 音はない。けれどもよく見れば始終口をむちゃむちゃと動かしている。時おり舌先を出しながら。

 2本の腕はだらんと力なく垂れる。指先までしっかり緩んで伸び切っている。


 結局のところやっていることは間違い探しだ。

 熟練の猟師は異様なものに遭遇した場合、その日の狩りをやめるそうだ。それが実際に存在したにしろ、何かを錯覚したにしろ、不吉な予兆であることに変わりがないと考えるのだという。

 その考えに則ればQは即時撤退するのが正解だった。けれどもそこは常人の悲しいところで何か変だというその何かをはっきりさせようとしてしまった。


 足が反対を向いていた。


 女のうつむいた先に本来爪先はあるべきである。しかしそれがそうはなっていなくてその視線は何もない場所に固定されていた。

 ゆっくりと下から上へと眺めまわす。やっぱりそうだ。緩いワンピースのせいでどこで捻じれているかはわからないが、女の体は確実に下半身と上半身の間で捻じれている。


 Qはその場から踵を返して走り出していた。女の口元の動きが止まっていることに気づいたからだ。

 自宅とは逆の方角へ全力で逃亡する。理屈に基づくものではない。その日から1週間、ネカフェで寝泊まりして家の周辺には近づかなかった。

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