[22] 鍛冶

 儀平は人間が嫌いだった。


 生まれた時点でそうなるように決定づけられていたわけではない。

 確かに彼は生まれついてそうなりやすいような要因を持っていた。けれども仮にもう一度彼の人生を最初からやり直させたとしても同じ結論に至るとは決まっていない。

 せいぜい言えるのは彼が人間を嫌うようになる確率は他と比べて高くはあったということぐらいだが、それでも突出していたほどではなかった。


 だったら後天的にその思考を形作るような事件があったかというとそういうことでもない。

 わりあい普通の村の普通の家に生まれて普通に育った。普通の定義については細かく立ち入れば面倒になるから、ここではまあ平均的ぐらいにとらえておいてくれればよい。

 彼自身あとになって振り返ったところで、自分の世界に対する感覚に衝撃を与える出来事が何かあったかよく思い出せなかった。あるいはそんなことはどうでもよかった。


 彼は孤独だった。それはつまり全体の利益をまるで考える必要がないということだった。

 孤独であればその結論に必ず行きつくとは限らないが、彼の場合はその結論に到着した。

 別段それによって彼を責めることはないだろう。集団に属する者が集団を尊重するのは当然だが、そこに属さない者にとってはそれはたいして価値のないものなのだから。


 だから儀平はその生涯において1000本を超える剣を打った。


 その剣でもって人間同士で存分に殺し合えばいいと思っていた。

 その思いは剣を鍛えるたびに強くなっていった。

 もしくは槌を振るうことで彼のその思考は強化されていったのかもしれない。

 どちらかまたはその中間が正しいのか、それは彼の思考の内部にまで立ち入ってみなければわからない。つまりは永遠に謎であるということだ。


 彼は凡愚であった。

 一生、剣を打って食っていくだけの腕には恵まれたがそれ以上でもそれ以下でもなかった。例えば歴史にその名を残すような華々しい才能というものを彼は持ち合わせてはいなかった。

 最初のうちは時間をかければかけただけ上手くなりはしたものの、すぐにその成長も打ち止めとなり、ただのよくいる鍛冶師の1人として埋もれていった。そういうものだ。

 特別でないことはそれ自体が特別でないのであってそれは決して特別にはなりえない。


 ただ儀平の生涯において彼の意志とはかけ離れたところですべてがぴったりとかみ合ったことがあった。


 確率は偏る。100個サイコロを投げてすべて1が出ることもあれば、猿がシェークスピアを叩きだすこともある。ありえないことはない。

 これはすでに起きてしまった物語であり、そんなこと起きるはずがないと言われても、こちらはただただ困惑するばかりだ。

 三流の鍛冶師は呪われた剣を一振り、作り上げた。


 それは彼の作ったものであったが、彼の作ったものでなくてもよかった。

 すなわちそれを作ったのが彼であると限定する必要はなくて、彼以外がそれを作ったとしてもその後の遍歴にたいして違いは生じてこない。いつ、どこで、だれが作ってもよかった。

 従って儀平という名前は忘れてしまって構わないということだ。


 もちろんその剣が特異な存在であることは作り手に気づかれることはなくて、他のたいして価値のない剣といっしょに二束三文で売り飛ばされた。

 もしかするとその時点において適切な処理がなされていれば、問題はさほど大きくならなかったのかもしれないが、そんなものは意味のない仮定である。

 呪剣はそれと知られることすらなしに人から人へと渡っていった。

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