命の輝き

花鳥ヒカリ

命の輝き

 タバコは一本吸うごとに人間の命を五分吸い取るという。


人間がそれを吸っているというのに、それに命を吸い取られるというのはなんとも可笑しな話だ。


 俺はタバコを吸うという行為を肉体の機能をむしばみ、腐らせる悪き行為だと思っていた。


実際俺の父親はその悪き行為によって自身の体を壊し、肺がんにかかり死亡した。つい最近知ったことだが。


 俺はそんな父親のことが嫌いだった。よく母親に手をあげていた父親が。


 俺は父親からよく逃げていた。俺が小学二年生の時の時だ。三階建の一軒家の中で、俺の父親から。俺も暴力を振るわれるんじゃないかと恐れて。

 

だが、一度、扇風機を破壊した父親と、その激昂して家の中のものを吠えながら壊し尽くしている男と、二階で鉢合わせたときがあった。父親は俺にこう聞いた。「お母さんはどこだ?」と。俺は怖くて3階の俺の部屋で隠れている母親の居場所を教えた。


 言わなければ、俺に暴力を振るってきそうで怖かったから。父親は俺のその言葉を聞くと三階に上がっていった。俺は逆に一階に行き、家を出て、近所の公園に逃げた。


 夕方ぐらいまでそこにいただろうか。

 俺が父親に居場所を売った母親が俺を迎えにきた。

 

家に帰ると、普通の、いや仮初の団欒だんらんが待っていた。


 そんな仮初の団欒が続くはずもなく両親は間もなく離婚する。俺は母親について行き、彼女の実家のある田舎町に引っ越した。


 そこでも色々あった。俺の精神を蝕む出来事がたくさん。だが、話せば長くなるので割愛しようと思う。


 俺と母親は実家を出て、だが同じ田舎町のアパートに引っ越した。小学校六年生の時だ。

 その頃、俺は父親と似ていることに気づいていった。短気で怒りのまま動く。衝動的な人間だと。


 俺は母親に対して怒り狂ったことがあった。忘れもしない高校二年生の夏の夜だ。


 なぜ怒ったのかは、覚えていない。カネ、カネとうるさく俺のやることなすこと気分が悪い時には否定し、俺のことを何度も叩き(原因を作ったのは俺だが)、夜は新しく作った彼氏の元に行き朝に帰るという、彼女だけが現実逃避、いや、癒しを得ていたからだろうか。


 俺はそれにストレスを蓄積させていたのだろうか。


 それとも俺を生み出したことに対する、俺を無限の地獄に生み出したことに対する怒りか。


 俺はその時、家内のありとあらゆる家具を壊し、なぜか持っていた木刀を片手に、外に出た。裸足で。


 アスファルトに転がる石に自身の指を、足裏を傷付けながら、俺は歩いた。俺は蛍を見に行こうと、途中で思いつき河川に向かった。


 一種の心の癒しを求めていたのだろう。怒りが鎮まるほどの美しいそれを。


 事実、俺の頭の中には片手に持ったその木刀で、母親のその生真面目な頭蓋骨を叩き割ってやろう、としか考えることができなくなっていた。

 母親が玄関扉を開いた瞬間に、両手で振り上げ一発叩きこむ。そのイメージしか。


 それしか己の怒りを鎮める方法は無いと。


 小さな理性がそれをやめさせようとしたのか、それともその殺人、もしくは殺人未遂の行為をする前に当分見ることはできないであろう、美しく輝く蛍たちを見ておきたいと思ったのだろうか。


 だが、それは、蛍を見に行く計画すらも、道半ばで破綻した。理由は単純、お節介な母親の彼氏が俺を探し、見つけ出したからだ。

 俺はまた逃げた。車で猛スピードで追いかけてくる彼から、素足で走り逃げることなど、不可能だったが。


 ともかく俺は父親に似ていた。暴力的で、しかし、自分より上のものを恐れる、そんなちっぽけな男だった。


 そういえば、空気を吐くように嘘をつくところも似ていたっけ。


 俺に文才などは無い。だが、嘘を吐く才能はあった。分かりやすい嘘、他人からも自分からも容易く見破られるそれ。


 だが、それで俺は何度も他人を、己を騙し続けてきた。


 俺は筆を止めた。俺の計画を書き記すその行為を。取るに足りない伊藤先生の真似事を。

 不意に父親のことを、過去の出来事を思い出してしまったからだろう。


 頭がそれしか考えない。容量が埋まっていく。


 そんな時はタバコを吸うのが一番だ。


 俺はサンダルに足を通し、玄関から外に出る。玄関のすぐそばは広い駐車場になっており、周りにはポツンポツンと家が建っている。電灯などは田舎のためあるはずもなく、恐らく都会などと比べるまでもなく、深い闇に包まれている。


 俺はいつもここでタバコを吸う。


 嫌いな父親が吸っていたタバコを。


 どうして俺も吸い始めたのだろうか。ニコチンの依存性に脳がやられたのか、脳がこの現実から逃れたいと願うばかりに。


 タバコを吸う行為はいまだにあしき行為だと思っている。昼間吸う時も、夜の暗闇の恐怖から自身を逸らすためにワイヤレスイヤホンをつけて音楽を聞くという、脳に多量のドーパミンを放出させるという快楽のコンボをした時も。


 俺は今日もいつものように、ワイヤレスイヤホンを耳につけ、音楽を聴きながらタバコを吸おうとした。


 だが、ポケットにはワイヤレスイヤホンはおろか、スマホすら無かった。


 俺は一刻も早くタバコを吸って気を紛らわしたかったので、取りに行くことなど面倒なことはせず、タバコを一本取り出すと、口に咥え、火をつけた。


 いつもの様に吸うと、先端から灰になっていく。見慣れた光景だ。


 しかし、その時俺はその光景が幻想的に見えた。俺は思わず「美しい」と呟いてしまっていた。

 灰の中心で煌めく火。黒い灰の影からオレンジ色と赤色の太陽の様に光るそれ。


 まるで灯籠とうろうの様に灰の網目の奥で輝き、綺麗な模様を見せた。


 俺の命を吸って、その美しい光景を見せてくれるそれに俺は感動し、感慨深くなった。


 昼間には決して見ることのできないそれに。


 夜の暗闇の中でも、音楽を聴きながらでは気づくことのできなかったそれに。


 俺はあと何回、この美しい心躍る煌めきを見ることができるのだろうか。


 全ての悩みを忘れさせてくれるようなそのあかりを。


 俺の命の輝きを表したかのようなそれを。

 

 

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