第145話

 吾輩から小銭を受け取ると、店主は串の一本の置く場所を変え、タレをさっとかける。最後の仕上げということだろうか。そしてその動作によってさらに芳醇で香ばしい匂いが辺りに立ち込める。

 ……うむ、これはたまらんな。

 

 「まだか? まだなのか?」

 「へっ、焦ってもいいことないぜ」

 

 吾輩が耐えられずに急かすと、店主はニッと口角を上げて目線は串から外さずに言った。

 なるほど、これが職人の姿というものか。

 

 「へい、お待ちどお!」

 「はぐっ、もぐ」

 

 焼き上がったカバ焼の串が吾輩の目の前に置かれた。皿代わりにされている簡単に編んだ葉からの匂いもまたうまく調和して食欲を刺激してくれる。

 その欲求のままに危うくこの店主の青い肌をした手ごと噛みつくような勢いでカバ焼にかぶりついたが、吾輩の中の野生が目を覚ますかのような感覚すらあったほどだ。……この様な凝った料理は野生にはないのだが、そこはまあ言葉の綾というものだ。

 焼けたタレの香ばしさは鼻を抜けて頭の中に充満し、その中からは脂がのったサバの身が徐々に主張して感触と味で舌を存分に楽しませる。

 

 「先ほどは秘伝のタレだからうまいといっていたが、そなたの腕もかなりのものではないか。もちろんタレはうまいがな」

 

 食べ終わって余韻を楽しみたい欲求はありつつも、言わずにはおれんと思わず誉め言葉を口にした。

 

 「そうかい? へへっ、うれしいねぇ」

 

 照れ笑いを浮かべる店主を見て、なるほどこの謙虚さが上達のコツというわけかと納得したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る