第115話

 「あっ!」

 

 バルドゥルが明らかに驚いたという声を突然上げた。

 それは彼らが今いた場所に向かってくる人物に気付いたからだった。そしてその人物というのは正に問題となっていた人物であるから焦ったのだった。

 

 「なるほど、あれがそのト=ジャ・キュピィなる学者か」

 

 バルドゥルとの話の後で、ゲイルに案内されて領主であるジャスパーと面会する手筈であったために、これまでその顔を知らなかった。だがバルドゥルの態度を見て、ジャスパーはすぐにそれを察したのだった。

 バルドゥルとてト=ジャに対して思う所はある。しかし、この状況のこの場で彼が糾弾されるのを良しとしない程度にはお人好しでもあったのだった。

 

 「こんにちは、私はこの町の教会で司祭を務めている、リットです。さあト=ジャさん、こちらへどうぞ」

 

 だがバルドゥルが動くよりも、笑顔で表情が固められたリットが一歩前に進み出る方が早かった。結果として近づいてきたト=ジャはそのまま人の輪の中に招き入れられてしまう。

 

 「あの……バルドゥルさん……私は、その……」

 「あ、あぁ、ト=ジャさん、これは……」

 

 この中で一番見知ったバルドゥルに、ト=ジャは何事かを言おうとして、バルドゥルの方もなんとか状況だけでも伝えようとする。

 

 「では罪人も来たことですし、この場で神判による断罪を――」

 「いや待て、リット司祭!」

 

 表情は笑顔のままで不穏なことを言い出したリットを、ジャスパーは慌てて制止する。古い時代に教会主導で行われていたという神の名においての裁判である神判を口にしたのはともかく、罪人や断罪という言葉が既にリットの中で結論ありきであることは明らかだった。

 

 「そうです、まずは詰め所に連行して……」

 「ゲイル、お前も落ち着け! いきなり拘束しようとするな!」

 

 さらにその流れに続こうとしたゲイルのことは、隣に立っていたシエナが慌てて止めた。

 

 「つまり今こそ私の修行の成果を、師匠より授かった火の精霊術をぶちかます時っすね!」

 

 ここぞとばかりにアイラが魔力を高めて火精霊へと攻撃の意思を伝え始める。精霊術は使える人間が使うのであれば精霊の側では善悪や要・不要の判断などしない。この場に意思疎通できる存在がいないのであれば、発動しようと術者が思ったのであれば発動する、ということだった。

 それに比較的理性を保っていたジャスパーとシエナがそれぞれリットとゲイルに構っていたために、このアイラの暴走はそのまま実行されるかと思われた。

 

 「わ、わ、その、すみませんっ! けだ――タヌキさんのことですよね。私も夢中になってしまって申し訳なく――」

 

 そもそも混乱した場にあって、矛先を向けられて必死に謝るト=ジャ以外はアイラの暴走に気付いていない――と、思われた時だった。

 

 「だめっ!」

 

 甲高く舌っ足らずだが、父譲りの威厳の片りんがこもったエリスの声はアイラの動きを止め、割りと深刻な暴走行為寸前であった状況であることをその場の全員に気付かせた。

 

 「そのひと、あやまってるでしょー! あやまったら、ゆるすのっ!」

 「は、はいっす、その、私……頭が真っ白になっちゃって……ごめんなさい……」

 

 泣きそうになって謝るアイラを見て、ト=ジャはというと怒りはせず、戸惑っていた。

 

 「その……」

 「タヌキがあの後、町中にいないんだ……、温泉の管理人に聞いたら湯につかった後で町とは反対方向に歩いていったと言っていたから……」

 

 もの問いたそうにしていたト=ジャに対してバルドゥルが説明をした。ト=ジャからすると、失礼をして怒らせてしまっただけと思っていたために、ここでようやく彼らから“町の仲間”を奪ってしまったのかと反省し、顔を伏せる。

 

 「いまはみんなでタヌキさんさがさなきゃ、でしょ!」

 

 腰に手を当てて続けられたエリスの言葉に、その場の大人全員がハッとする。責任の所在を言い合ったり、うっ憤を晴らそうとしたりすることは、結局は自己中心的なことだったと気付いたのだった。

 この場で、幼いエリスだけがタヌキのことを考えて行動しようとしていた。

 

 「そうだな! シエナ、捜索隊には何人回せる?」

 「はっ! 当番で待機している者らであれば十人がすぐに。そうだな、ゲイル」

 「はいシエナ団長。自分がすぐに詰め所へ伝えにいきます」

 「あ、えと、ゲイル副団長、私もいくっす!」

 「……俺はもう一度町の中を探してみるか」

 「あ、私もバルドゥルさんを手伝います……」

 

 ジャスパー、シエナ、ゲイル、アイラ、バルドゥル、そしてト=ジャまでもが、エリスの言葉で動き出した。その表情には何としてもまんまるい毛玉の隣人を見つけ出すという決意や、頼りになる助言者へ恩を返したいという思い、さらには直接謝罪をせねばという罪悪感などがそれぞれに見て取れた。

 

 「あれぇ?」

 

 しかし、ちょうど皆が動き出したその時、今度はその動きに水を差したのもまたエリスの声だった。不思議そうな、そしてちょっと気まずいという感情が含まれて普段以上に年齢相応な声に聞こえた。

 

 「む、何をしているのだ、こんな町中で集まりおって。通行の邪魔ではないか」

 

 尊大で自信に満ちた口調に、幼い少女のような可愛らしい声音。そしてその言葉を発して首を傾げる四足歩行の茶色い毛玉は、今全員がそれぞれの思いを胸に探しに行こうとしていたタヌキに違いなかった。

 

 「た、たたた、タヌキ様……愚かな私たちを見限って出ていかれたのでは……?」

 「何を言っている。人間どもが愚かなのは元からであろう。何故今さら見限るのだ?」

 

 その場の全員を代表するようにリットが震える声で質問した。だが、聞かれたタヌキの方はというと先ほどとは逆方向に首を傾げるだけだった。

 

 「温泉を出た後に町の外の方へと歩いていったって……」

 「吾輩が風呂上がりの散歩をして風に当たってきてはいかんのか」

 

 さらにバルドゥルが質問を重ねるが、首を戻したタヌキは傲然とふんぞり返るのみだった。

 

 「「「「「「「…………」」」」」」」

 

 タヌキの言っていることもしていることも何もおかしくはない。だがどうにも勝手に盛り上がっていたバツの悪さから、その場を妙な沈黙が支配した。

 

 しかしいい意味で空気を読まないのはやはり子供だった。

 

 「タヌキさんっ、おかえりー!」

 「ぬおっ、どうしたエリスよ」

 

 駆け寄ったエリスがタヌキに全力で抱き着き、頬をすり寄せるのを見て、その場の全員がようやく本当に肩の力を抜いたのだった。

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