挿話 タヌキのいない町

第111話

 ジャスパー・セヴィ・エバンズは艶のある金髪をオールバックに整えた美形といって差し支えない中年男性で、なにより精強な騎士団を擁するセヴィ領の領主として知られる。

 そのため武人の気風を備えた厳格な人物であり、また統治にも手抜かりないとして有名だった。……つまりは、セヴィの町において一番怖くて偉い人、と認識されている。

 

 であればなんであるかというと、町の人間からは尊敬と同時に畏怖を集めており、距離を置かれていると言い換えてもいい存在だ。もちろんそれは領主として当たり前のことではあるが。

 

 「ジャスパー様っ!」

 

 だから、このように名を叫びながら館に飛び込んでくる者がいるなど、非常に珍しいことだった。といっても、取り押さえられることもなく中へと入れている時点で、それは馴染みの顔であったということではある。

 

 入ってきた山族の男はバルドゥルだったが、彼は普段ジャスパーのことを「領主様」と呼ぶ。あるいは家名でエバンズ様、と。

 “様”をつけているとはいえ、名前を呼んでいたのはジャスパーが当主となる前までのことであり、昔の習慣が思わずでるくらいに動揺していることが察せられる事態なのだった。

 

 「バルドゥル……、騒々しいぞ」

 「びっくりしたー」

 

 そしてちょうど館に入ってすぐのホール内にいたジャスパーは、一緒にいた愛娘エリスが突然の音に肩を震わせたのを見て眉をひそめた。当のエリスはそれが馴染みの鍛冶屋であることに気付いて、もう笑顔をみせているが、小さな子供を驚かせたとあって余裕のないバルドゥルもさすがに少々動揺していた。

 

 「エリスお嬢様、申し訳ねぇ……」

 「あやまれてえらいー」

 

 ざっくばらんな態度ながら真摯に謝ったバルドゥルに、エリスはますます笑みを深める。

 

 「エリスも許せて偉いぞ!」

 

 そのさらに横から娘を全力で甘やかしにかかるジャスパーだったが、今は前領主でありジャスパーの父であるハリーが館に不在であるため、その様子に何かをいう者は誰もいない。

 

 「あ、と、それよりっ」

 

 そしてやり取りが一段落したことで、慌てていたことを思い出したらしいバルドゥルが、用件を切り出すべく大きく息を吸う。

 

 「タヌキが町をでていっちまったんですっ!」

 「む?」

 「えぇーっ!?」

 

 そして発せられたバルドゥルの言葉に、ジャスパーも驚くくらいにエリスが大きな声をだしたのだった。

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