第110話

 こうまでして聞きたいこととは……、と訝しく思った吾輩だったが、それは少し思い違いをしていたらしい。

 というのも、トジャがこのような姿勢をとったのは、目的があってのことだったようだ。

 

 「そもそもっ! なぜ人ではないモノが人の言葉をっ!?」

 「あがっ、はへんかやめんかっ!」

 

 なんとこの人間、突然に吾輩の顔へと掴み掛かり、口の中を覗き込んでくるではないか。いくら愚かな人間であるといえども、その愚かさにも程がある。

 これで吾輩の寛容さを試す意図でもあるのなら――それでも許さんが――行動の意味はわかるが、本人のいうように言葉を話す理由を知りたいということなら吾輩の理解の及ぶところではない。己の知識欲を満たすためというのは、対面する相手を不快にさせる理由にはなりえんからな。

 

 「ト=ジャっ! 何をしている!」

 

 バルドゥルがトジャを羽交い絞めにして引きはがしてくれたおかげで、ようやく吾輩も人心地つける。色々と無遠慮な部分もあるバルドゥルも、この暴挙にはさすがに顔を真っ赤にして怒りを露わにしていた。

 

 「あぁ! 話せないはずなのに話せて、見えないはずのものが見える! タヌキさんのことがもっと知りたいのです!」

 

 首を何度か振って吾輩が掴まれた部分に問題ないことを確認しているあいだも、トジャのやつは熱のこもった言葉を吐き続けている。

 

 「そなたはまず、恥を知れ」

 

 高潔で勇猛なる吾輩としては、人間相手にあまり感情的になるようなことはしたくないが、人間は愚かであるが故に、時にその愚かさを指摘してやらねばならんこともある。このセヴィに来る前の住処では、今より頻繁にあったことだ。

 

 「そんなっ――」

 「すまん、タヌキ! 俺が同席を頼んだばっかりに……。またお詫びに甘い菓子を用意するから、今日のところはこの場を離れてくれ」

 

 それでも何かを言い募ろうとしたトジャを落ち着かせるのに時間が必要と判断したのか、バルドゥルはその立派な髭を申し訳なさそうにしおらせながら言ってきた。

 ……ふむ、吾輩がこれ以上に何かを言っても感情的な文句ということにしかならんか。では、ここはバルドゥルに任せておくとしよう。

 

 「わかった。……ではな」

 

 なので多くは語らず、とこぽこと鍛冶屋の一室を後にする。去り際にバルドゥルへと「菓子の話は忘れるなよ」という意図をこれでもかとこめた目線を送っておいた。

 さて、面倒なやつが己の愚行を反省するには時間が必要であろうし、温泉で気分を落ち着けた後で、たまには町の外を散歩でもしにいこうか。

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