第42話

 ――セヴィ領主 ジャスパー・セヴィ・エバンズの日記より――

 

 今日は朝から良い天気だった。精強な騎士と並んで良く実る作物が自慢の我が領においては、雨も良く降ってもらわねば困るが、個人的にはやはり晴れた空の方が心地よい。

 そんな良き日に我が家へ帰り着いた俺は、久しぶりに姿絵ではない愛しい娘エリスの姿をこの目にした訳だが……何だあれは!

 

 心を落ち着かせるために、埃をかぶっていたこの日記を取り出してきたが、文字にしても一向に理解が追い付かん!

 喋る動物というだけでも理解できんのに、タヌキと自称したあれは尊大で、己のことを強大な存在だと信じて疑わぬ様子だった。あのゲイル副団長が苦戦するような強大な魔獣をあれが倒したなどというのは、なんとエリスの言だ。

 

 エリスが危ない目に遭っていたとはなんということだ! 俺は父としてやはり家まで送り届けてから視察を続けるべきだったのだ!

 

 ……いや、落ち着けジャスパー。今はそこじゃない。魔獣がどうのというのを確認するためにも、念のため……そう念のために、何人かから話を聞いておかねばならない。

 

 *****

 

 今日は一日中太陽を目にすることはできなかったが、小雨程度だったおかげで町中を歩くのに支障はなかった。せいぜい、父上が『関節が痛む』と愚痴をおっしゃっていた程度か。

 騎士団の早朝訓練に参加し、俺が出ている間に鈍っていないかを確認したあとで、ゲイルから話を聞いた。何のことはない、魔獣は彼の精霊術で仕留めたそうだ。その際に不可解なほどに威力が出たために、神霊術の使い手と一部の団員から持ち上げられて困っていると、真面目なゲイルは愚痴をこぼしていた。

 調子に乗るなと釘を刺しておいたが……、ゲイルの堅物は筋金入りだ。『困っている』というのは本心だろうな。普段より威力がでたのも、可愛らしいタヌキが後ろでぽこぽこと応援してくれたおかげだ、などと冗談を言っていたくらいだから、一時のまぐれで思い上がることなどないと安心した。

 

 驚かされたのはその後だ。騎士見習いのアイラが我々の話に割り込んできた。『師匠の力と見識は本物っす』と強弁していたあの目は真剣そのものだった。聞けば彼女が精霊術を使えるようになったのはあれのおかげらしい。

 確かに草族が風ではなく火精霊術を使えるなど前代未聞だし、事実として彼女の故郷にいた森族の老人ですら、そんなことは教えてくれなかったらしいのだから、その切っ掛けをあれがくれたというのであれば感謝するのはわからんでもない。ないが、『師匠』などと……、アイラは見習いとはいえ騎士団員だぞ。

 

 そしてなんと、驚きは身内だけでは終わらなかった。アイラから得た情報を元に、午後からは最高神ミティア様を祀る教会へと赴いた。そこで見たのは豹変したリット司祭。

 リット司祭は教会勢力内だけでなく貴族にも知られた神童で、幼い頃になんとミティア様からの神託を受けたそうだ。学術においても高い素質を持っていたリット司祭は、しかしミティア様への信仰の篤さが俗世においては仇となってしまう。

 司祭としては正しいことに神やその眷属のみを敬い、人間に対しては貴族であってもそれなりの敬意しか示さなかったことで、赴任先ではことごとくうまくいかなかったそうだ。そして流れ着いたのが“そういうこと”を気にしない気質の我が領であり、出会った頃には弱気で無気力な人物という印象だった。

 だが今日話したリット司祭は非常に情熱的で、饒舌な、あれの信奉者だった……。なんでもミティア様への信仰を蔑ろにしている訳ではなく、あれがミティア様の眷属たる神獣であるから、などと言っていた。場合によっては教会と揉めるかもしれない……、疲れておかしくなっているリット司祭のためにも、できる限りこの事実は伏せ、もし揉めた場合には擁護してやらねばな。何しろリット司祭にはエリスもよく懐いているのだから、我が娘を悲しませないことはあれがどうのを置いて最優先事項だ。

 

 極めつけは、山族の鍛冶師バルドゥルだ。職人として騎士団も世話になっているバルドゥルは我が領の農地のために実験農場の世話までしてくれている。草族よりは大地のことに親しい彼の知見は大いに助けとなっている。

 そんなバルドゥルも実験農場のことであれに救われたのだと、リット司祭から聞いたときは真に受けなかった。しかし気になった俺は世間話ついでという気持ちで、鍛冶屋を訪れた。

 バルドゥルはリット司祭のようにはなっていなかったが……、アイラと同じようなことになっていた。つまり、あれの口から聞かされた突飛な知識を信じてみたところ、目下の悩みであった作物の問題が解決したのだ、と。以前は削った木や骨が雑に積まれていた廃材置き場を示しながら、『ここは宝の山だったのだ』と語るバルドゥルの目は……本心からの感謝と尊敬を宿していた。

 

 ……とにかく、久しぶりで二日も続けて書いたこの日記は、おそらくまた部屋のすみに放置しておくことになるだろう。なにしろ、もはや何と言葉を記せば良いのかもわからなくなってしまったのだから。

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