053 電卓人生

■時間経過

■ヴァシラ帝国 帝都ヴァンシア

東の大通りリバーサイド・ブルバード


 帝都の中心に位置する<紅月城>から東側に伸びている大通り<リバーサイド・ブルバード>は、ほぼ直線の広小路である。交易品を中心とした流通の要所でもあり、南へと一本筋をずらせば、高級品を取り扱う店が軒を並べる<貴賓通りアッパー・ストリート>とも直結している商業エリアとなっている。


 活気と気品を兼ね備えた、ヴァンシアの街並みで最も美しいとされているこのエリアも、今はどんよりとした灰色の亡者によって埋め尽くされ、見るものを絶望させるような陰鬱な光景となっていた。


『フリトトの呪い』の増殖は留まるところを知らず、いよいよ建築物の中にまで入り込み、溢れかえって窓やドアを破壊するように溢れ出してきていた。


 天空より来たれ 虚空の爪

 切り裂きたるは 現世うつしよはく

 抉り出したるは 虚ろなるこん

 風撃裂空ノウラ・ゼフィモス


 逐次変化する能力値パラメーターを確認しつつ、爆炎系と風撃系の魔導術を巧みに使い分けながら、ラースは先へと進んでいく。


 ……凄い。ラースは本当に強い人だったのですね。


 見渡す限り血の気の引いた亡者だらけの通りで、バーナデットは我知らずラースの戦いぶりに見惚れていた。


「ノックバックだけでみれば『風撃裂空ノウラ・ゼフィモス』の方が強いけど、炎系の術で延焼を狙った追加ダメージも捨てがたい……ってところだな」


 属性と発動時間キャストタイムを完璧に把握した幾多の魔導術を効果的に織り交ぜて、スキルポイントやアクティブゲージを視野に入れた完璧な戦闘管制アタック・コントロール

 状況判断から戦術を導き出して、すぐに対処法を確立していくという、迷いのない完成された戦闘スタイルには、美しささえ感じられた。


 その無駄のない動きは、とても普段はのんびりと座ってエール酒を飲んでいるだけの人物とは思えなかった。


 ……これが、ラースの本当の力。


『フリトト』の力に依存しない、本来ある自分の力を理解して、その能力を最大限に活用するにはどうすればいいか? それを日々延々と試行錯誤して身につけた技術。ゲームのアビリティとして取り外しのきく技術ではなく、魂に刻まれた、本能と直結している分かち難い技術がそこにあった。


「延焼ダメージで前列のゾンビが倒れれば、そいつが障害物になって後ろの奴らが迫ってくるのを多少は遅らせられる。ノックバックと併用して少しづつでもいいから前進していこう……って、どうしたのバーナデット? 大丈夫?」


 精悍な顔つきをしたラース。そんな彼に正面から見つめられる。たったそれだけのことで、バーナデットは自分の心肺機能に異変が起きているのを感じた。


 ……なにこれ? 心拍値が上昇してる? どうして……なにもダメージを受けていないし、精神的に慌てているわけでもないのに……。


「バーナデット?」


「な、な……なんでもないですよ! ラ、ラースこそ、なんですか!」

 思わず声が上擦る。顔の表面温度が上昇している。それを自覚すると、ますます熱くなっていく。


「ええ! なんで俺が怒られるの? なんかボーッとしていたから心配しただけなのに」


 ……ラースの綺麗な戦い方に見惚れていたなんて、恥ずかしくて言えない。


 なぜだろう、とバーナデットは自問する。

 普段なら自分が思っていることはどんな事柄であれ――つまり褒め言葉だろうと悪口だろうと――躊躇なく口にできていたのに……彼を手放しで称賛するのが、自分の気持を裸にして伝えているようで、なんだか恥ずかしい。 

 ……恥ずかしい? 恥ずかしいって何?


「本当に大丈夫? 休むといっても……この状況じゃ休める場所もないんだけど」


「だ、大丈夫です。ちょっと色々と考え事をしていただけです。さあ、ボーッとしてないで急ぎますよ」

「……ボーッとしていたのはバーナデットじゃないか」と恨めしそうに呟くラース。


「そういう細かいことを気にするところは、出会った頃とまったく変わりませんね」

 バーナデットはそう言ってラースが亡者を倒して広げた空間へと先に歩いて行ってしまった。


「……やっぱり観察されていたのは俺の方だったのね」とラースは肩をすくめる。「バーナデット! あまり前に行き過ぎちゃ危ないよ」


「分かっています!」


 ラースは小走りでバーナデットに追いつき、『並列遅延詠唱』のスキルを呼び出して『火球』と『烈風』を交互に五つセットしておく。セットした術の総詠唱時間キャストタイムの間、発動することはできないが、自分が別の術を詠唱できるメリットと、低位の術でも連続ヒットさせることでボーナス・ダメージを叩き出せる。

 しかし詠唱時間キャストタイム中に一度でもダメージを喰らえば、セットした分の術に必要なスキルポイントを消費され、且つ術式はすべてキャンセルされてしまう。


「――風撃裂空ノウラ・ゼフィモス!」

 詠唱を終えて繰り出す風属性の魔導術。


 ラースを中心とした半径数メートルに迫っていた『フリトトの呪い』を真空の刃が切り刻み、さらにその外周にいた亡者にも多段ヒットによるノックバックを誘発させて数歩分後退させる。


 すでに『フリトトの呪い』が発生してから三〇分以上が経過している。


 <東の大通りリバーサイド・ブルバード>から少し離れた位置にある建物の屋根にも『フリトトの呪い』が這い上がっているのが確認できる。細い路地で構成されているような奥まったエリアは亡者が溢れ出してしまい、路地だけでは収まりきらなくなっているのだろう。


「こいつは……下手したら万単位で増殖しているんじゃないのか……」


 どれだけ爆風と風圧で周囲の敵を吹き飛ばしても、押し寄せる勢いが衰える気配はない。


 ……こんなことなら『聖水』を爆買いしておけばよかった。


 あるいは、バーナデットのレベリングに付き合って『浄化』の法術が習得できるレベルまで上げておくべきだった。厳密に言えば『浄化』の術は攻撃ではない。おそらくバーナデットでも使用可能なはずだ。


 ……いや、待てよ。そもそも……は本当にアンデッド属性なのか?


 広大な面積を有する帝都ヴァンシアの中には、上級者の女神神官ディータ・プリーストだって何百人といるはずだ。もし、アンデッド属性のモンスターをレベルやステータスに関係なく確率で消滅させることのできる『浄化』が有効なのなら、もう少し数が減っていてもおかしくはない。


 アビリティや装備の特殊能力とうまく重ねることができれば、魔導術はかなり広範囲を対象とした一撃を放つことができるようになる。

 上級者であれば、連携できる人数分の効果範囲を得ることができる。最初から計画的に人を集めなければ大規模には広げられないが、数人程度でも連携すれば通りの一ブロックくらいは『浄化』で完全に『フリトトの呪い』を排除できるはずだ。


 なのに、数が減っていかないということは……やっぱりこいつらは亡者ではあるがアンデッド属性にカテゴライズされているわけではない、ということになる。


「やれやれ……地道にやっていくしかなさそうだな」


『並列遅延詠唱』のキャストタイムが終わる効果音が小気味よく鳴り響く。

 バーナデットの位置を確認するために振り向くと、一匹だけ突出している『フリトトの呪い』が彼女のすぐ後ろにまで迫っていた。


「バーナデット! 動かないで!」

 近づいてくる『フリトトの呪い』に狙いを定めて『並列遅延詠唱』にセットした『火球』と『烈風』を解放する。


「きゃあ!」

 まるで自分に向けて放たれたような魔導術の連続攻撃に、思わず声を上げるバーナデット。


 すでに他の冒険者プレイヤーによる攻撃を受けていたのか、倒すのは無理だと思っていた『フリトトの呪い』が一体、光の粒子となって砕け散った。


「え、うそ? 倒せ……た?」


「その前に、大丈夫かバーナデット? ――ではないのですか?」とバーナデットが頬を膨らます。「少しでも狙いがずれていたら私に全弾命中していたかもしれないんですよ」


「いや、それは大丈夫。そんなヘマは目を瞑っていても有り得ない」


「技術の問題ではありません」とバーナデットがラースへ詰め寄る。「女性に対する配慮の問題です」


「――⁉ そ、それは確かに仰る通りで……」

 ラースは慌てると同時に、彼女の言っている問題の本質について驚いていた。


 結果として、彼女には傷一つ付いていない。それどころか命の危機を救ってさえいるのだから何も問題はないではないか、とラースは当たり前のように考えていた。

 だが、本来、人間というものは、そういう事ではないのだ。


 合理的に考えて問題なければ誰が何をどう思っていても気にしないというのでは、それこそ自分の方が従来の人工知能に近い思考回路じゃないか。感情ではなく、合理を最大の目的として行動する機械と大差がない。自分よりも他人のことを気にかけるバーナデットの方が、よほど人間らしいのではないか。


「君は……本当にAIなの?」


「はい。そうですよ」とバーナデットが膨れっ面のまま言う。「なんですか急に改まって。AIだからって驚かないわけじゃないんですよ」


「そうだよな。君は生きているんだ」とラースが言った。「なんだか、俺のほうがよっぽど機械仕掛けみたいだ。眼の前の敵をどう効率よく倒せばいいのか……そんなことしか考えていない。君が何をどう感じているのか、そこにまで配慮できていない。君を人だと見ているはずなのに……いや、人と見ているからこそ、俺は無遠慮にこの世界をゲームとして戦ってしまうのだろうか」


「……ラース」


「ごめん。バーナデット」とラースは照れくさそうに頭を掻く。「今更だけど、その……怪我とかしてない?」


「……ぷっ」とバーナデットが笑いだす。


「笑うことないだろ」


「そうですね、ごめんなさい」とバーナデットが尚も笑いをこらえながら言う。「不器用ですねラースは」


「そうだね……否定はできない」と肩をすくめる。「自分が電卓だったらどんなに楽かと思うよ」


「なんですかそれ」と苦笑するバーナデット。


「自分ではなにも考えず、誰かが必要とする計算を淡々とこなしていく……悩みも迷いもない、理想的な環境だと思わない? 素晴らしき哉、電卓人生」


「ラース」

「なに?」


 バーナデットがそっと手を握ってくる。


「バ、バ、バーナデット?」


「ラース……もしアナタが電卓になることがあったら」とバーナデットは構わずに続ける。「私が『アストラ・ブリンガー』で人間になるようにお願いします」


「バーナデット……」

 呆気にとられるラース。バーナデットは面白そうに、クスクスと笑っている。


「やれやれ。バーナデットはもっと賢い人だと思っていたよ」


「ふふっ。買いかぶり過ぎです」


「さて」

 ラースはバーナデットの手を優しくほどいて、周囲を見回した。


 灰色の壁のように折り重なる『フリトトの呪い』の群れ。


「どこまで行けるかわからない。もしかしたら途中で力尽きてしまうかもしれない」


「はい」


「でも、誓うよバーナデット。どんなことがあろうと、俺は絶対に『アストラ・ブリンガー』を手に入れてみせる。絶対だ」


「はいっ!」


 ……この物量……一人では無理かもしれない。


 ラースは自身のステータスをチェックする。回復薬の分量も計算に入れて、もっとも効果的な魔導術の組み合わせを考える。


 ……さっき、偶然倒すことができた『フリトトの呪い』。経験値は一〇万ポイントを越えていた。ということは、一、二体倒すだけでもバーナデットのレベルなら何段階か上昇させることができる。


 だが、物理攻撃がほとんどできない彼女がアシスト以外で経験値を得る方法は限られている。女神神官ディーター・プリーストの筋力値で投擲とうてきできて、威力の高いものがあれば……いや、アシストによる経験値の山分けであっても数体倒せばレベルが一気に上る。


 ……いや、駄目だな。ダメージコントロールがシビアすぎる。


 常時攻撃を受ける距離で一〇〇体近い敵に囲まれながら、耐久力の高い敵のヒットポイントをギリギリまで削ってバーナデットに託すなんて芸当、一人では不可能だ。


「これは欲だな。判断を見誤るな」

 ラースは自分に言い聞かす。


 偶然倒せたからといって、そんな幸運が連続で起こるなんて発想が甘いのだ。


「ラース! 包囲の輪が縮まります!」


 ……迷うな! 進むんだ!


 余計なことを考えずに、敵を押し返すことに集中する。


 地獄の闇を這う焔

 憤怒に歪みし灼熱の魂よ

 荒ぶる渦となりて顕現せよ

 我が敵は汝の敵なり

 逆巻き

 絡みとれ

 灰にせよ

 螺旋炎ファイロスフィア


 二人の周囲で地面から螺旋を描く炎が吹き出して亡者共に襲いかかる。火柱の持続ダメージと熱風によるノックバックで時間を稼ぐと同時に、ラースはすぐに次の魔導術へと準備をはじめる。


「見えたぞ! あの火柱だ!」


「ラース! 今の声は?」


 亡者の壁の先から聞こえた声。


「わからない……」


 耳を澄ましていると、徐々に戦闘による効果音が近づいてくる。

 魔導術による稲妻が大気を切り裂く音、戦士の大技スキルが炸裂する音、剣士の素早い連撃音。


 間違いなく冒険者のパーティが近づいてくる。


「こっちだぁ! 行くぞ! 使を助けるんだ!」

 大声で叫ぶ声に「了解!」と応じる複数の声。


「これは……」


 ラースの正面で亡者の壁が崩されていく。灰色の群衆を掻き分けるようにして姿を現したのは、見慣れない冒険者たちであった。


「……君たちは……」


「っ! 貴方たちはっ……」

 ラースの呟きと、バーナデットの驚きの声が重なる。


「見つけたぞ! 『癒やしの天使』だ!」

「わあ! ! 無事でなによりです」


 ラースが『螺旋炎ファイロスフィア』で広げた空間に五人編成の冒険者たちがなだれ込んでくる。


「貴方たちは……以前ダンジョンでご一緒した……」


「そうですよ! 覚えていてくれましたか」とリーダーらしき剣士の男が笑顔で言った。


 ラースもおぼろげだが、見覚えがあった。たしかバーナデットと待ち合わせをしていたときに遠くで手を振っていた一団だ。


「ダンジョンではお世話になったんで、助太刀に来ました!」と隣りにいた重装備の戦士が言う。「お連れの大魔導術士アーク・ウィザードさんもかなり強いようですが、この物量ではさすがに全方位を守るのは難しいでしょ」


 そう言うなり、冒険者たちは後方へ回り込む。


港湾地区ベイエリアへ行くんでしょ? 後方は俺らが引き付けます! お二人は前方だけに意識を集中させてください!」


「どうしてそれをご存知なのですか? というか、危ないですよ。せっかく育てたキャラを消失ロストするかもしれないんですよ」


「なんかさ、お祭りっぽくて嫌いじゃないんだよね、こういう大騒ぎ」と盗賊シーフの女性がウィンクしてみせる。「街中でバトルだなんて、そうそうないしね。それとさ、こいつら一体倒すだけでも超スゴイ経験値吐き出すんよ。粘るだけの価値はあるっしょ」


 すでに前衛職は戦闘を再開し、『フリトトの呪い』を近づけないよう、ノックバックの強い技で牽制をはじめた。


「……とはいえ、俺らの力量じゃそんなに長いこと持ちこたえられない! だから、急いでください!」


「みなさん……」とバーナデットが両手でわななく口を抑える。「……ありがとうございます」


「どういたしまして。大魔導術士アーク・ウィザードのお兄さんも、天使さんをよろしくです!」


「え⁉ あ、お、おう! 任されました」

 急に話を振られたラースが慌てて応じる。


 ……兎にも角にも、これで後方を気にする必要はないってことか。


 ラースは瞬時に状況を把握すると、正面へ向けて無詠唱で発動可能な魔導術を放つ。


烈風フルトナ』で前方のスペースを確保し、『火球ファイロクス』で前列の敵を足止めする。


「バーナデット!」


「はいっ!」とラースの後を追うバーナデット。「皆さん! ありがとうございます。このお礼はいずれ必ず!」


「いいってそんなの」と盗賊の女が言う。「あ、ひとつだけ! また会ったら一緒にクエストしようね!」


「……はい! 絶対に行きましょう!」


 女盗賊は満面の笑みを浮かべると、空に向かって『発光玉』を打ち上げた。

 まばゆい光が茜色の空に瞬きながら、ゆらゆらと落ちていく。


「……『発光玉』?」ラースは走りながら後ろを振り向く。「それにしても、意外なところでバーナデットの知り合いに助けられたね」


「はい。彼らも私の……戦友です」

 バーナデットが笑顔で言う。


 正面だけに火力を集中できるおかげで、進行速度が早くなった。


 助けてくれた冒険者たちの姿はもはや見えない。その戦いの音さえ聞こえない。


 ……彼らを守るためにも、一刻も早くこの地を離れないと。


 ラースは再び亡者で埋もれていく前方に向かい、攻撃準備をはじめた。

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