051 集積回路(サーキット)の支配者
■同時刻
■ヴァシラ帝国 帝都ヴァンシア
■
ヴァンシアの街を取り囲む屈強な城壁。
西側に面している大きな門をくぐり抜けたラースとバーナデットはその惨状に息を呑んだ。
逃げ惑う大勢のプレイヤーたち。山道で対峙した灰色の人型モンスター『フリトトの呪い』が路地という路地から溢れ出してきて、プレイヤーだろうがアストラリアンだろうが無差別に襲いかかっている。
「ラース! あそこに冒険者たちが防衛線を張っています!」
バーナデットが指差す先。<
山道での戦闘で得た経験から、ラースは極力『フリトトの呪い』との戦闘を避けるようにしていた。『潜伏』のアビリティを装備し、可能な限り敵からの視認性を下げて囲まれないよう移動する。
「ここはまだ大丈夫なんですか?」
<獅子の誇り亭>にたどり着いたラースは、リーダー格らしい長髪の剣士に声をかける。
「ああ。外から来たのか?」
「はい。フィールドはまだ比較的ゾンビもどきは少ないです」
「だろうな。どうやら街中でとつぜん湧いてきたらしい」
重装備の戦士が盾で四方を防御し、魔導術師や狩人が遠距離から攻撃して、なるべくこの宿屋へ敵を近づけないようにししていた。
「ここはまだ奴らが少ない方だ。中央に行けば行くほど、通りを埋め尽くすほどの数で押し寄せてくる。俺らもジリ貧で後退してきて、現在がここって感じだ」
……そんなに数がいるのか。はたして港湾地区まで行けるだろうか。
ラースは首を伸ばして大通りの先を見ようとするが、周囲に舞う黒煙と砂埃のせいで見通しは悪い。
「奴らについて知っていることは?」と長髪の剣士が聞いてくる。
「恐ろしくヒットポイントが高いということは戦ってみてわかりました。おそらくレイドボスに近い体力があると思う」
「そうだな。こちらも向かってきた『フリトトの呪い』に何度か高ダメージを与えているが、一向にゲージが減らない。ただ、攻撃そのものは単調だ。防げないわけではない」
「そうですね」
「だが、運悪く奴らに捕まってダメージを受けた場合、プレイヤーであれば麻痺させられた挙げ句に猛毒状態になる。装備やレベルが貧弱なプレイヤーには危険な相手だ」
「なるほど……確かにそれは厄介ですね」
麻痺状態だけであれば、アイテムの『
「……アストラリアンが襲われるところを見ましたか?」とラースが訊く。
「遠目にしか見ていないから、もしかしたら見間違いかもしれないが」と長髪の剣士が険しい顔をする。「襲われた時点で身体がバラバラに分解されていたよ。しかも、そのパーツごとが新たな『フリトトの呪い』として自己再生されていた……悪夢ってのはああいうのを言うんだろうな」
そういって剣士が首を振る。
「攻撃力そのものは低い。知能も決して高くない。だが、あの圧倒的な物量は……とてもじゃないが対処なんてできない。こんなのゲームとは言えない。なんで『
矢を放っていた狩人が叫ぶ。
誰もがこの事態をイレギュラーだと思っている。
だが、運営からはなんの通達もない。違法行為を取り締まる無敵のNPCである『執行者』も出てこない。
「ログアウトした方が賢明かもしれない」とラースが言う。「特に留まる理由がないのであれば、事が収まるまではゲームの外にいたほうがいい」
「そりゃそうだな」と剣士も同意する。「なんかのサプライズ・イベントかもしれないと思って粘ってみたが、こいつは単なるシステムの暴走だ」
「そうですね。無理して教会送りになるリスクを犯す必要はないと思いますよ」とラースが言った。「色々と情報をありがとうございました。行こう、バーナデット」
「はい」
「お、おいおい! ちょっと待てって! あんたらはどこに行くつもりだ」
二人がエントランスから出ていこうとするのを呼び止める剣士。
「仲間が待っているんです。東の港湾地区で」
「港湾地区って……ここから正反対の真東の城壁まで行こうってのか? 中央を突っ切ることになる。無茶だ!」
「かもしれない」とラースは言った。「でも、やりようはあるはずです。この世界がまだゲームであるならね」
「うそだろ……。ここから先はあの灰色ゾンビ野郎どもしかいねえんだぞ」
ラースは笑顔で頷いてから、バーナデットと共に駆け出した。
……それにしても、街中がここまで混乱するなんて……『
『紛争』における街中や城内での戦闘は、いわばプレイヤー同士が了承の上で行っている戦いである。
誰もが戦闘態勢で構えているし、非戦闘職業でこのゲームを楽しんでいるプレイヤーには物の売買や情報のやり取りで一攫千金を狙えるチャンスが与えられる。
だが、今回の騒動は根本的に違っていた。
戦い、競い合う相手はプレイヤーではなく醜悪な灰色の亡者。それも桁外れなヒットポイントのせいで倒す前に次々と群がってくるという、質の悪い人海戦術で襲ってくる。
じりじりと詰め寄ってくる『フリトトの呪い』。その群れの間隙を縫って先へ進んでいくラースだったが、徐々に壁が塞がるかのように抜けきることのできる場所が少なくなっていく。
「くそっ! 数が多すぎる!」
分かっていたこととは言え、思わず焦りが言葉となって口をつく。
囲まれるのは時間の問題だった。自身の最大火力である魔導術『
……問題はバーナデットの安全性だ。
自分たちプレイヤーは、最悪この場でゲームオーバーとなったとしても、相応の対価を支払えば復活は可能だ。
だが、はたしてバーナデットはどうなのだろう?
『フリトト』が自分に渡った時点で、その力は固有スキルへと変化してしまい、無敵時間は一五秒間という制限が付いてしまった。
ここぞ、という場合に発動させることは当然として、もしその一五秒で防ぎきれなかったとき、彼女のゲームオーバーが意味することは……。
プレイヤーと同じ条件で教会において蘇生が可能なのか?
あるいは、襲われた他のアストラリアンと同じように、バラバラに分解され、増殖の糧となってしまうのだろうか。
……試すわけには行かない問題。
だからこそ、答えは「彼女を全力で守り通す」という結論に至る。
『フリトトの呪い』が、『
……間に合わなかったか。なら、取るべき道はひとつだけだ。
「バーナデット」とラースが後ろへ首を向ける。「この場で『フリトト』を解放させる! もし青騎士が周囲に現れたら教えてくれ!」
「わかりました」
バーナデットが自分の装備している杖を握りしめる。
足を引きずるように迫ってくる『フリトトの呪い』を睨みつつ、ラースはアイテム欄を開く。宙空に浮かぶウィンドウをスクロールさせ、空白の部分をタップする。
『????』の封印を解きますか?
YES/NO
――だめだ。ここで『フリトト』を解放させてはいけない。
どこからともなく声が聞こえる。いや、それはもしかしたら脳の中に響いていた声なのかもしれない。
ラースの指先が止まり、声の主を探そうと首を巡らす。
一陣の風が吹き荒れ、ラースの髪を乱していく。風の勢いに目を細めた瞬間、一〇〇体は優に超えている『フリトトの呪い』すべてに光の粒子によって形作られた長剣が高速で突き刺さっていく。
『フリトトの呪い』一体に対して数本の光剣が刺さり、刺された灰色の亡者は瞬時に消滅していく。
見覚えのある光剣。
<廃坑>で『青騎士』に対して絶大な攻撃力を誇った、ラースさえ知らない不可知の魔導術。
……ということは……。
ラースは周囲を見渡して、この術を放った人物を探した。
通りを埋め尽くしていた灰色の亡者が一掃されて、束の間の静寂が訪れる。
「ここで再び『フリトト』の力を使用すれば、この状況をさらに悪化させることになるだろう」
今度の声は、肉声としてしっかり聞き取れた。声のする左の路地へ視線を向ける。
「……やっぱり君か」
見た目は中世時代の貴族のお坊ちゃまとしか言いようがない、小綺麗な格好をした少年の姿。だが、その外見とは裏腹にこのゲームの裏側までも熟知しているであろう
命の恩人ではあるが、その目的が不明な以上、手放しに信用できる相手ではない。危機を救ってくれたことに関しては感謝しかないが……。
……そういえば名前を聞いていなかったな。
当然、プロフィール画面の情報はすべて隠されている。
「助けてもらったことには礼を言うけど」とラースが言う。「相変わらず、君の言葉は謎掛けにしか聞こえないな」
悠然と自分の前まできた少年は、視界に入るすべての『フリトトの呪い』を撃破したことにさしたる興味もなく、次の猛攻に備えるかのように表情を引き締めている。
「これは仮説だが」と通りへの警戒を怠らないまま少年は続ける。「おそらくこのゾンビ共は君が解放した『フリトト』の強い力に対する反作用として出現しているものだ」
「反作用?」
「本来、秘められたる技であったはずの『フリトト』をゲームの盤上にあげようとしているのさ」
「……誰が?」
「簡潔に話したいのだけど、そのための基礎知識がまだ君に足りていない。そしてそれを説明するには――」
「時間が足りないって言うんだろ。この前と一緒だな」とラースが肩をすくめる。
一掃したはずの通路の奥から、すでに新しい亡者共が幾重にも重なり合うようにしてこちらへ向かってきていた。
歩みこそ遅いものの、それに油断して行動を見誤ると一瞬で取り囲まれる。数手先の位置取りまで計算していかなければ麻痺と猛毒によってあっという間に
少年は再び左手で印を結び、薙ぎ払うように腕を振るう。
上空に光の剣が無数に出現し、回避不能な速さで敵にヒットし、消滅させていく。
「すごい……。この間より剣の数が多いし挙動が早い。それに、エフェクトが派手になっている」
「良い観察眼だ。君に地味と言われてから、少しばかり改良してみたんだ」
……あ、気にしてたんだ。
あまり感情が表に出ないタイプだな、とラースは思った。
「その術があれば全滅させることができるんじゃないのか?」
「残念ながらそれは無理だな」と少年は即答する。「こいつらの増殖スピードに追いつけるほどの攻撃力はない。そして『フリトトの呪い』の増殖回数は、理論上無限だ」
「な……無限だって?」
「そんなに驚くことじゃないだろう」と少年は笑顔を見せる。「こんなものは単なるデータの複製だ」
「だが、それじゃあどうやったらこの事態は収まるんだ? このままじゃゲームそのものが崩壊してしまうじゃないか」
「増殖回数は無限だが、奴らが活動を停止する条件はある」と少年はラースを見上げた。「こう言った方が早いな。つまり、増殖する条件が君たちとの距離に関係しているということだ」
「それって……つまり俺たちがここから居なくなれば解決するってことなのか?」
「そのとおり」
少年はそう言うと、再び左手を振るって近づいてくる『フリトトの呪い』を消滅させる。
「この亡者どもは『フリトト』の力を使用した君たちに影響されて増殖行動を開始している。『フリトト』の残滓……言うなれば『フリトト』の魔素とでも呼ぶべき見えない力の粒子が薄まれば、傷を負ったアストラリアンは元の状態に戻る。傷口が塞がれば感染は防げる。君たちが振り撒く『フリトト』の魔素が、傷口から入るバイ菌というわけだ」
「いつの間にかバイ菌扱いとは……なんとも心外な話だ」
ラースは憎まれ口を叩きつつも、カムナと念話したときのことを思い出す。たしかに『フリトトの呪い』はアストラリアンの分解されたパーツから発生していたという報告があった。
「君は『フリトト』の力を全解放したままの状態で『
「……よくわからないが、とにかくこの国を出れば、この騒動も沈静化するということでいいんだな?」
「ああ。そのとおりだ……よくわからない、か」と少年が笑う。「それはアイビスとて同じ気持ちだろうな。だからこそこんな混乱が生じているのだ」
「アイビスの……混乱?」
「ああ。どうやら
「灰神教団って……よほどクエストを進めないと出会うことはないっていう敵じゃないのか?」
「そうとも」と少年は続ける。「なので、普通にクエストを進めている
「……やれやれだな」とラースは髪を掻き上げる。
……青騎士の件といい、灰神教団といい、どんどん面倒な話が増えていくな。
「
「なにをどう気をつければいいのかすら分からないよ」
ラースはそう言って、事の成り行きを見守っていたバーナデットへ顔を向ける。
「どうかしましたか?」とバーナデットが屈託のない笑みを浮かべる。
「いや……『
「そうですね……。あ、でも……」とバーナデットがラースの服を摘んで恥ずかしそうに言った。「いつになるか分からないけど、ずっと一緒にいてくれる……ということですよね?」
「えっ……あ、う、うん……。そ、そうなるね」
「だったら――」とバーナデットはラースを見上げて嬉しそうに微笑む。「私は楽しく過ごせる気がします」
「そ、そうなの? だったらいいんだけど……」
「楽しく、か……素晴らしい 回答だ」と少年は続ける。「
ラースは「ああ」と頷く。
「ゲームのことは、ゲームの盤上で処理をする。この世界がそう決めたのだ。だから君たちはこの混乱すらも楽しめばいい」
「なにを呑気なことを」
ラースは額に指を当てて軽く振る。この少年が言っていることを、どこまで信用してよいものか判断がつかない。
ラースが通りへ目をやると、確かに『フリトトの呪い』たちは際限なく増殖を繰り返し、またぞろ大通りを埋め尽くさんばかりに溢れ出している。
「せめてもの手向けだ」
少年はそう言うと、今度は両手を力強く前へ突き出して、さらに複雑な印を結ぶ。
こちらに向かってくる数百体の『フリトトの呪い』に、先刻とは比べ物にならない数の光剣が降り注ぎ、すべてを消滅させた。
亡者たちがうめき声すら上げる暇なく消え失せていった。
……本当にこれで全滅させられないのかよ……。
「デランド王国へ行くのだろう? 急ぎたまえ」
なんでそれを知っているんだ、という疑問が頭をよぎるが、ラースはその事について触れるのを避けた。
……詰問したところで適当にはぐらかされるに決まっている。
「君の目的が見えてこない以上、どれだけ助けられたとしても、すべてを信用することはできない」
「賢明な判断だ」と少年が言う。
ラースは先へ進むべく一歩を踏み出すが、思い出したように少年へ振り返る。
「だけど、ひとつだけ聞いておきたいことがある。時間は取らせない」
「なにかな?」
「君の名前は?」
少年の表情が一瞬、固まる。
それから、ラースの視線を越えて、その後ろに控えているバーナデットへ一瞥をくれると、すぐにラースへ向き直った。
「……クロン・ミューオン」
「クロン」とラースは確かめるように名前を呟く。「次にどこかで出会うことがあったら、そのときこそ本当に色々と聞かせてもらうぞ」
「ああ。そのときに、ゆっくりと語らえるほどの時間があればな」
嫌味な奴だ、とラースは思った。どうせ次に出てくるときも、混乱や危機の真っ只中のくせに。
「行こうバーナデット」
ラースはそのまま、別れの挨拶すらせずに小さく駆け出した。バーナデットは追随しながらも、振り向きざまにクロンへ会釈してからラースの後を追う。
「クロン・ミューオン……見覚えある?」
バーナデットが追いついてきて、横に並んで走っているのを確認してからラースが問いかける。
「いいえ。はじめて見る顔でした」とバーナデットは言った。「でも……なぜか声は知っているような気がします……なんだか、とても懐かしいような」
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