049 フリトトの呪い

■時間経過

■ヴァシラ帝国

■見晴らしの丘


 だいぶ陽が傾きはじめている。空は澄み渡る水色から、深海のような群青へゆるやかに遷移していき、見事なグラデーションで燃えるような朱色へと連なっていく。


 赤い屋根瓦の建造物が多い帝都ヴァンシアの景観は、この夕焼けの頃合いが一番美しいとラースは思っている。

 実際に行ったことはないが、イタリアやクロアチアをはじめとするヨーロッパの古い都市の街並みも、これくらい美しいのだろう。


「いつか、行ってみたいもんだな」とラースは手すりにもたれながら言った。


「どこへ行きたいのですか?」

 バーナデットの声が背後から聞こえた。


「いや……この街の景色によく似た場所が、現実の世界にもある気がしてね。一度でいいから見比べてみたいな、と思ったんだ」


「そうなんですか? ヴァンシアに似ている場所があるのですね」

 バーナデットがラースの隣で同じように眼下の美しい街並みを眺める。


「俺が住んでいるところからは、とても遠いけどね。気軽に行けるような場所じゃないんだけど、いつか行けたらいいなってさ」


「……いいですね」とバーナデットも微笑む。


「その……」と照れ隠しに頬を指で掻きながらラースは続ける。「ひ、久しぶりだね。元気だった?」


「はい。今日はミアとトラコさんと一緒にクエストをしてきましたよ」


「そっか。<狂女王の試練場>で?」


「はい」


「なんだか、凄いことになってるね」とラースが街並みとバーナデットを交互に眺めながら言う。「みんながバーナデットのことを『癒やしの天使』って呼んでいるんだって?」


「それは……そうなんですが」とバーナデットも困惑したように視線を泳がせる。「そんな通り名で自己紹介をしたことはないんです。ただ、名前は伏せておいたほうがいいかな、と思って秘匿マスキングしてパーティを組んでいたら、いつの間にかそう呼ばれるようになってしまいました……」


「名前を隠していたのは正解だと思うよ」とラースは苦笑する。「ただ、思わぬ副反応だよね。掲示板ではちょっとした有名人扱いだ」


「……ごめんなさい。目立つようなことをしてしまって……」


「い、いや! 謝ることじゃないよ!」とラースが慌てて首を振る。「凄いことだよ。ほんの数日で冒険者達の話題になるほど、たくさんの人達を手助けしたんだから」


「そうでしょうか……」

 バーナデットの声はそのまま夕焼けの空に消えていく。


 しばらく彼女が話し出すのを待ってみたが、どうやら続く言葉が見つからないようだ。


「バーナデット」

「はい」

「ゲームは楽しい?」

「……よく分からなくなってきました」


「そうか……」


「いろいろな人たちと接して、一緒にクエストをクリアして、たくさん感謝もされました。それは確かに嬉しいんです。でも、そんな冒険者プレイヤーたちと別れるたびに、自分は何者なんだろうって思うんです。どうして、こんな形で存在しているのだろうって……」


 バーナデットはラースへ近づき、自分の額をラースの肩へ押し当てる。

「バ、バーナデット?」

 いきなりの密着に狼狽するラース。


「彼らには帰る場所がある。帰るべき別の世界が存在する。それは貴方も同じです、ラース」とバーナデットは話し続ける。「ここは……アストラリアは楽しむための世界。遊ぶための世界。現実リアルと呼ばれる世界から、心の安らぎや好奇心を満たすために訪れる場所。貴方たちには別の世界があり、別の名前がある」


 バーナデットはラースの肩へもたれ掛かり、首を振るように顔を埋める。


「ここは仮初めの世界なんです。では、この仮初めの世界がすべてである私という存在は何者なんでしょうか? どうして私には現実の世界へ行くための、別の肉体がないのでしょう? 私は待つのが怖いのです……。今日ログアウトしたラースが、明日また戻ってきてくれるという保証がどこにありますか? 明日もしラースがいなくて、いくら待っていても、その先もずっといなくなってしまったら……」


「バーナデット……」


「私は、自分がアストラリアンであり、人工知能であり、プログラムであるということも認識しています。だからこそ思うのです。どうしてこんなことで悩まなければいけないのかと……。どうして不安や恐怖なんていう感情を持っているのか……。この世界がもっと別の形で存在していれば、私はもっとラースに近しい存在として生まれ出ることができたのでしょうか……」


「この世界が……嫌いかい?」


 バーナデットはさらにラースの胸元に顔を埋める。


「……嫌いです。こんな世界……。こんな私を含めて……」


 バーナデットの肩が小刻みに震える。次いで、埋もれている顔も嗚咽をこらえるように揺れていた。

 泣いている。彼女は不安を感じ、怖れ、涙すら流しているのだ。


 ……関係ない。


 彼女がプログラムであろうと、現実には存在しないデータ上の人格であったとしても、バーナデットはバーナデットだ。


 ……俺にとって、それ以上の何が必要だというのか。


 ラースはバーナデットの髪を優しく撫でる。一瞬、怯えたように身を固くするバーナデットであるが、すぐにラースへ身をあずけるように弛緩させていく。


「バーナデット」


 彼女が顔を上げる。涙で瞳がきらめきながら揺らいでいる。


「一緒に行こう。俺は『アストラ・ブリンガー』を手に入れたいんだ」


「……本当、ですか?」

 バーナデットが信じられないというように、大きく目を見開く。

 目尻から溜まっていた涙が粒となって頬を伝い落ちてゆく。


 彼女を安心させるように、ラースはゆっくりと頷いてみせた。


「どうして?」とバーナデットが言った。


「叶えたい願いができたんだ」


「それはどんな願いですか?」


「なんでも願いが叶う神剣なんだろう? だったら、バーナデットが人間になれるようにお願いすればいい」


 一瞬、ラースの言っていることが理解できないかのようにフリーズするバーナデット。

 それからすぐにラースの提案を却下するかのように大きく首を振る。


「そんなこと……できるわけがありません。万能なのはこのアストラリアの世界だけです。ラースにとってはゲームなんですよ。そのゲームの中で通じる願いにおいてのみ、万能なだけです」


「そうかもしれない」とラースは落ち着いて言う。「でも、どんな無茶な願いであっても、リクエストしてみることは可能だろ?」


「ラースはもっと賢い人だと思っていました」

「買いかぶり過ぎだよ」とラースは笑った。


 ラースは笑顔のまま一息ついて、周囲を見回す。

 <狂女王の試練場>に訪れている冒険者たちを眺める。

 笑い合っている者たち、悔しそうにしている者をなだめている仲間たち、これからダンジョンへ入るための入念な打ち合わせをしている者たち。


 みんな、それぞれに、自分らしく楽しむために、この世界にやってきているのだ。


「この世界はさ……」とラースが彼らを眺めながら言う。

「え?」

「この世界は、たぶん俺が今感じているほど素敵な場所ではないのかもしれない……。だけど、バーナデットが思っているほど悪い世界でもないと思うんだ」


「どうしてそう思えるのですか?」


「んーと、あまりうまく言えないんだけど」とラースは言葉を選ぶ。「少なくとも、この世界に接続しているあいだは、俺もバーナデットも同じ人間として接することができる。俺は君がプログラムだとは思えないし、これからも思い改めるつもりもない」


 それで? というふうに小首を傾けるバーナデット。


「だ、だからさ……俺は君に会うために接続しているわけで……それってつまり……君と一緒にいたいという気持ちの表れなわけで……これからもずっと一緒にいるために『アストラ・ブリンガー』が必要なら、それを手に入れたい、という話なわけで……」


 途中から、自分が何を言いたいのかよく分からなくなってしまった。


 バーナデットが、支離滅裂な自分の言葉を一生懸命に理解しようとこちらに意識を集中させている。その純粋な瞳と目が合うたびに、ラースは言葉が喉に詰まってうまい形で出てきてくれないことにもどかしさを感じた。


「私と一緒にいるため……?」


「そ、それと『アストラ・ブリンガー』がどこまで願いを聞き届けてくれるのか、ということにも純粋に興味があるよ、うん」


 思わず余計なことを付け足してしまう。


「しつこいようですが、本当にいいんですか? しばらくは<かささぎ亭>での平穏な生活はできなくなりますよ?」


「そうだね……。たぶん、俺は椅子を温めすぎたんだ」とラースは面白そうに言う。「本当は、君と出会ったときから、あの椅子を温める必要はなくなっていたのにね」


 バーナデットは、ますます意味が分からないというように眉間に皺をよせる。

 その仕草に、思わずラースは笑ってしまった。


「私の顔になにかついてましたか?」とバーナデットが少し膨れて言う。


「ああ。ラースは何を言ってるんだろう? って、オデコに文字が浮かび上がっているよ」

「えぇっ? そんなエフェクトがあるんですか⁉」とバーナデットが慌てて額を隠す。

「冗談だよ」

「え?」とバーナデットが額を擦る。「……もうっ! 意地悪です」


 そう言いつつも、バーナデットも自分の慌てぶりを思い出し、笑ってしまった。


 ……なんか久しぶりだな、二人で笑い合うの。


 バーナデットの笑い声が収まるのを見計らって、ラースは言った。

「とりあえず、手始めにデランド王国へ行こうと思っているんだ。向こうにちょっとした知り合いがいてね。何はともあれ情報は多い方がいい。あの国なら、きっと色々とヒントになりそうなネタが転がっている気がするんだ」

「デランド王国」とバーナデットが繰り返す。「遠いのですか?」


「別の大陸へ渡ることになるから、移動だけでもけっこう時間がかかるかな。ある程度計画的に進めていかないといけない。このゲームには、今のところ任意の場所に一瞬で飛べるような装置や術といったものがないからね」


 そう言った矢先に、ラースの視界にメールを受信したという表示が点灯する。


 差出人はナオミ・フロックハート。


「噂をすればなんとやら。デランドにいる知り合いからだ」


 ラースは宙空に浮かび上がったプライベート・ウィンドウを操作して届いたメールを開封する。


「えー、お久しぶりです。てか、もうちょっとマメに連絡くれてもばちは当たらないと思うんだけど……」

 ラースは小声でもごもごとメールを読み上げていく。


 バーナデットはなんとなくラースの声が聞こえるように近づこうとしたとき、ラースが大きく息を呑む。

「……なっ! これは……」

 ラースが文面に釘付けとなり、身を強張らせた。心なしか震えているようにもみえる。


「ラース? どうかしたのですか?」

 バーナデットが近づく。表示されたままのウィンドウは個人用プライベートなので、第三者が覗き込んでも内容はぼんやりと滲んでしまっていて読み取ることはできない。


「……フリトトの……呪い……」

 ラースが喉から絞り出すような声で囁く。


「いま、なんと言いましたか? フリトトの……呪い?」

 怪訝そうに眉根を寄せてラースを見上げる。


 ラースはバーナデットと視線を交わし、意を決してメールの内容を共有表示シェア・ビューへと変更した。



 親愛なるラースへ

 お久しぶりです。てか、もうちょっとマメに連絡くれてもばちは当たらないと思うんだけど、ホント、用事がないと音沙汰ないよね。たまにはデートのお誘いとか、デートのお願いとか、デートの提案とか、気軽にしてくれてもいいんですけど?


「……なんですか? このメールを私に見せて、自分はモテるんだぜ、というアピールでもしたいのですか?」

 バーナデットが蛮神をも石化させそうなほど鋭い眼光でラースを睨む。


「ち、違うって! そんなところ読んでないで、最後の方をちゃんと読んで!」

 バーナデットが口唇を尖らせて渋々続きに目を通す。


 ――ケテルさんも相変わらず飄々と元老院で元気にやってま

 ちょっと待って緊急事態

 ゾンビ

 増殖

『フリトトの呪い』

 街中で襲撃

 おかしい

 ヴァンシアはいまどうなってる?

 これをみたら返事を


 後半の数行。それまでの、のんびりとした口調とは打って変わって、殴り書きの単語となっていた。


「……『フリトトの呪い』……」とバーナデットが読み上げる。


「なにか思い当たることはある?」


「いいえ」

 バーナデットがふるふると首を振る。


「どういうことだろう。なぜデランド王国で『フリトト』に絡んだ出来事が起こっているんだ? 街中で襲われているような書き方になっているし……」


 ラースは『青騎士』のことを思い浮かべる。非戦闘地域で襲ってくるということは、少なからず青騎士並の非正規行為のはずだ。『執行者エグゼキューター』は動いてくれないのだろうか。


 距離感というものに異様なほどこだわりのある『アストラ・ブリンガー』というゲームは、ボイスチャット機能である『念話』という機能も、同一国家内のダンジョンを除く地上部分に限られている。


 ……それにしても、この慌てよう。いままさに何かが起きているということか。


 ナオミが『フリトト』についてどこまで知っているのか。そしていま起きている脅威に対してどう動いているのか。詳しく聞きたいところだが、おそらくそんなことをしている暇はないだろう。


 ……とりあえず、こちらの現状を簡単に伝えておくか。


 ラースが返信ボタンを押して返事を書こうとしたとき、今度は『念話』のコール音が脳内に鳴り響く。


 ヨハンからであった。


「どうした?」

「大丈夫か?」

「え? なにが?」とラースが聞き返す。ヨハンの周囲が騒がしいのか、彼の声がよく聞き取れない。


「大丈夫なのか? いまどこにいる」とヨハンが落ち着いた声で言う。

「<狂女王の試練場>だよ。とくに問題はないけど、なにかあったのか?」


「ああ。こっちはトラブルなんて生易しいもんじゃねえな。大パニックだよ」

 ヨハンの声の後ろで叫び声や悲鳴が聞こえてくる。

「どうした? なにが起こってる⁉」

「街中にゾンビが現れた。しかもとんでもねえ物量だ。せまい通路はゾンビで埋め尽くされているほどだ。こいつはヤバい。なんかヤバいことが起きている気がするんだが――」


「ゾンビ……だと…」


 ナオミのメールと一緒じゃないか。


「――でな……おい、聞こえてるか?」

 途切れ途切れのヨハンの念話が、その緊迫感に拍車をかける。


「ああ、なんとか聞こえてる。それで?」

「そのゾンビの表示名が『フリトトの呪い』っていう表記になってるんだよ。どう考えても無関係じゃないだろ、こいつは」


「それが……呪いなのか」


「え? なんだって?」


「いや、なんでもない」と声を張って応えるラース。「そっちこそ大丈夫なのか?」


「ああ。今のところはな。ヴィノ、ミア、トラコと一緒に<かささぎ亭>の屋根に上がってる。どこもかしこもゾンビだらけだが、見た感じ倒せない相手じゃなさそうだ」


「そうか」と安堵の吐息をつくラース。


『青騎士』のような、手に負えない不正改造チートモンスターでないのなら、やりようはある。


「どこかで落ち合うか?」とヨハンが言った。


「そうだな」とラースは脳内であらゆるコースを計算してみる。「港湾地区ベイエリアに行きたい。この際だ、飛空艇でこの国を出よう」


「もうバーナデットには話したのか?」


 ラースはバーナデットを見る。彼女もラースを見つめ返し、優しく微笑む。


「ああ。ちゃんと話ができた」とラースは続ける。「ちょっと慌ただしいが、トラブル続きの俺たちにはぴったりの船出だ。行こう!」


 ラースはバーナデットに手を差し出す。バーナデットも躊躇ためらうことなく、その手を優しく握り返した。

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