048 昭和の武士

■同時刻

■ヴァシラ帝国 帝都ヴァンシア

■かささぎ亭


「んで、じっさいどーすんの? これから」

 二杯目のエール酒を飲み干して、ヨハンがラースへ訊ねる。


「しばらくヴァシラ帝国からは離れようと思っている」とラースはヨハンとヴィノへ告げた。「ここの元老院はカムナ騎士団を通じてこちらの動向を常に探っているだろうし、敵の本体がどこにあるのか? それをはっきり捉えるためにも、この国とは少し距離を置いたほうがいいと思っている。それに……」


「それに?」


「もうバーナデットと約束しちゃったしな。『アストラ・ブリンガー』を探すって」


「どこへ向かうつもりなんだ?」とヴィノが問う。


「まずは、ムーラシア大陸へ渡って、デランド王国を目指そうと思っている」


「そうか……懐かしの場所ってやつだな」

 そう言うヨハンも少しバツが悪い表情をする。


 おそらく共に戦ったバージョン4『繚乱のレコンキスタ』のことを思い出しているのだろう。


「まあ、そんなところだ」とラースも苦笑する。「信用ができて、連絡の取れる人物がまだデランド王国で自警団をやっている。メールの返事はまだ来ていないけど、とりあえずあそこなら何か情報がありそうな気がするしね」


「いい選択だ」とヨハンが言う。「あの国は他国からの出入りが活発だし、アストラリア全土の情報を聴き込むにはうってつけのエリアもある。確かに情報収集には悪くない場所だ」


「ああ。それに協力してくれそうな知り合いにも心当たりがある。さすがに俺とバーナデットふたりきりじゃ、心許ないからな」


「俺もついていくぜ」

 ヴィノがリュートを軽く鳴らしながら言う。


「ヴィノが? どうして?」とラースが目を丸くする。


吟遊詩人バードは旅をするものだろう? それに異国のご婦人方ともたまにはお近づきになってみたいしな」


「そんな適当な理由で――」


「適当とは言い切れないぜラース」とヨハンが遮る。「お前のモテ期というかハーレム体質の効力が無くならないうちに、とりあえずコバンザメのようにひっついていって、出会いのおこぼれをいただくってのは、悪くない戦術だ」


「ヨハン、お前まで――」


「なあラース」とヨハンが真顔で続ける。「俺もヴィノも水臭いことは言いたくないし、聞きたくない。だけどな、バーナデットを助けてあげたいってのは、なにもお前の専売特許ってわけじゃないんだろ?」


 ラースはヴィノを見る。なんでもなさそうにリュートを奏でている。特別なことはなにもない、というかのように。

 ヨハンを見る。空になった木製のジョッキを人差し指で回しながら、お替りを注文するべく給仕の子に手を上げている。


 当たり前の日常。

 その日常を崩すことを厭わないほどに、もうバーナデットはの仲間だということか。


 ……ありがとう。


 面と向かって言うタイミングを逸してしまったラースは、その言葉を胸中に秘めたまま別のことを口にした。

「ヨハンは本当にそれでいいのか? リンと会う機会が激減するぞ?」


「くっ! そうきたか……っ!」

 ヨハンは両手を組んで唸りだした。

「……いいっ! 大丈夫! 彼女のライブ配信のときに投げ銭して気を引き続ける!」


 沈思黙考の末に出た結論がそれかい、とラースは苦笑する。

「懲りない性格だな」


「お前こそだよ」とヨハンがふてくされたように言う。「今どき超弩級の奥手なうえに一度決めたら二人きりで逃避行も辞さない一途な想いとか……。昭和の武士か」


「昭和に武士いねえって」


 三人は肩を揺らしてひっそりと笑いあった。


「おかわりお持ちしましたぁ!」

 給仕の子が木製ジョッキを三つ、勢いよくテーブルに置いていく。


「バーナデットと話をしてくるよ」とラースが杯を持って掲げる。

「とっとと行ってこい」とヨハンが自分の杯をぶつける。

「<狂女王の試練場>だ。女子チームで集まってる」とヴィノが杯をぶつける。


 ……ほんと、そういう情報をどこで入手してくるんだろうな、この男は。


 ラースは未だ解明されえないヴィノの情報網に驚きつつ、窓の外を眺める。

 もうすぐ昼の時間が終わる。空は少し赤みを増しているようだった。



■同時刻

■ヴァシラ帝国

■狂女王の試練場


 荒れ果てた旧王都という設定の屋外型迷宮フィールド・ダンジョンである<狂女王の試練場>を進んでいくバーナデット一行。


 このダンジョンで出現するモンスターの大半は生けるしかばね――リビングデッドである。


 試練場に挑んだ騎士や兵士の成れの果て、という設定なのだろう。剣を持つもの、槍を持つものとバリエーションが豊富だが、攻撃方法は単調なものが多い。

 問題は出現数の多さであるが、囲まれないように常に自分の状況を確認しながら戦えれば、それほど恐ろしい驚異ではない。


 最高難易度のルートでは不死の魔導術士や、低級でも驚異となる魔族系のモンスターが出現するが、バーナデットのレベルに合わせている今のルートには、そこまで強力な敵はでてこない。


「ここまで回復をこまめにしてもらえると、遠慮なく戦えるな。感謝するぞバーナデット!」

 トラコが上機嫌でそう叫ぶと、群がる亡者に対して連撃を繰り出していく。


「ホントだよぉ! めっちゃ快適ぃっ!」

 同じく、ミアが喜びの声を上げながら燃える拳を振り上げて敵へと突進していく。


 ふたりの称賛に照れながらも、少し誇らしげに頬を染め、バーナデットは次の法術の聖句へと神経を集中させる。


「ミア! 気をつけろ! 雑魚の後ろにボスが控えている!」

「見えてますって! 囲まれる前に、叩きのめーす!」


 清廉なる破邪の指先をもって

 現世うつしよの汚れより

 守り導き給え


 聖句を唱えると、かざした杖の先から白い光がミアとトラコへ飛んでいく。

「これは……」

 トラコが光に包まれた自分の身体を確認する。


「『イルナスの守護法陣』です。物理防御とステータス異常の耐性が上がります」


「見違えたぞバーナデット。これではもはや我々の方が守られているではないか」

「いいね、いいねえ!」とミアが敵をなぎ倒しながら上機嫌で言う。「頼りにしてますよぉ! 天使さま!」


「もう! その言い方はやめて」とバーナデットが顔を真っ赤にして抗議する。「恥ずかしい……」


「ボスへの道を通す」とトラコが居合の構えを取る。「とどめは御主に譲るぞ、ミア」


「っしゃあ! 任されたぁ!」


「爪弾くは演指」

 トラコが柄頭の輪っかを人差し指で弾く。亡者の苦悶の叫びの中で、清涼な金属音が鳴り響く。

「振るえよかいなつらぬけ刃」


 トラコが前方を睨む。ぼろぼろの鎧と欠けた剣を持って襲いかかってくる亡者の群れの先、ひときわ巨大な風体で迫ってくるアンデッド『屍の騎士長リビングデッド・チーフ』に狙いを定める。


「奏剣流! 迅牙王砲じんがおうほう!」

 瞬速で抜き放たれた『退魔刀 叢雲むらくも』から、斬撃効果を有した強力な衝撃波が一直線に敵を跳ね飛ばしていく。


 このクエストの最終ボスである『屍の騎士長リビングデッド・チーフ』にもヒットするが、さすがに距離が遠く、大したダメージにはならなかった。


 だが、今の攻撃による目的は達成された。


「道を通したぞミア!」


 雑魚が吹き飛び、直線状にボスまでの道が切り開かれた。

「疾風跳躍!」

 すかさずミアが修道兵モンク技能アビリティによって一時的に移動速度を上昇させ、一気にボスまでの距離を詰めた。


 敵の大剣が大上段から振り下ろされる。ミアはサイドステップで回避。その動きを目で追っていた『屍の騎士長リビングデッド・チーフ』が口を大きく開き、禍々しい紫色の毒息を吐きかける。


「ミア!」とトラコが叫ぶ。

「大丈夫! バーナデットの術のおかげで」と大技を繰り出すためのチャージを開始する。「技を出すまでの時間くらいなら耐えられる!」


 バーナデットが『解毒』の術を準備しはじめる。


「空林寺拳法奥義! 空切朱雀七連撃からきりすざくしちれんげき!」

 毒の霧を跳躍で飛び越え、重々しい拳打と蹴撃が七発連続でヒットする。


 七発目の蹴りで吹っ飛んだ『屍の騎士長』は、廃墟の壁に激突すると同時に、光の粒子となって消し飛んだ。


「……っしゃあぁ!」とミアが勝利の雄叫びを上げる。


「毒は……大丈夫そうですね」とバーナデットが安堵して術式をとりやめる。


「うんうん。大丈夫って言ったでしょ。こう見えて、ちゃんと計算してんだから」


「ふむ。猪突猛進に見えて、きっちり攻撃と防御の耐性間隔を把握しているとは、さすがだ」と刀を鞘に収めて、トラコも感心して言った。「それにバーナデット。毒攻撃を受けたミアを見て瞬時に『解毒』のアクションを起こすところなどは、いっぱしの回復役ヒーラーのようだったぞ」


「あ、ありがとうございます」


「いや、こちらこそだ。こんなにスムーズにクリアできたのもバーナデットのサポートが良かったからだ」


 ミアも「そうそう」と腕を組んで大きく頷く。


「そんな……褒めすぎですよ」と恥ずかしそうに肩を細めるバーナデット。


 ボスモンスターを倒したため、すべての雑魚モンスターが消え失せ、少し先にある出口の門の鍵が開く音がする。


「そんじゃまあ、スマート・アンド・エレガントにクリアしたお祝いに、広場で乾杯しますか」

 ミアが言うと、トラコとバーナデットも賛成の声をあげた。



■時間経過

■ヴァシラ帝国

■狂女王の試練場 広場


「えーっ! まだラース君とちゃんと話してないの?」


 <狂女王の試練場>の入口にある広場。ほぼ円形であるスペースの端には、プレイヤーたちが出発前の打ち合わせをしたり、ダンジョン内で手に入れたアイテムを分配するための、石でできた簡素なテーブルセットがある。


 ダンジョンをクリアしたバーナデットたちはそのテーブルセットのひとつに落ち着き、『ソーマ・ライト』と呼ばれるヒットポイントを微量に回復する携行飲料水で乾杯した。


「……はい」


『ソーマ・ライト』の瓶を指で弄りながら、消え入りそうな声でバーナデットが返事をする。


「連絡は取ってるの?」

「それも……ちょっと」とバーナデットは瓶いじりをさらに激しくする。「ラースからは何も連絡がきませんし……たぶんお互い、フレンドリストで生存確認しているような感じになってます……」

 そう言いながらどんどん落ち込んでいくバーナデット。石でできたテーブルに吐息とともに激しく額をぶつける。


「お、落ち着けバーナデット」とトラコがバーナデットの頭突きを優しくとめる。「ラースもラースで何やら色々と調べ物をしているようだし、彼奴きゃつも連絡したいが忙しいのだろう」


「……私……嫌われてしまったのでしょうか?」

 テーブルに片頬を付けたまま、バーナデットが呟く。


「なんでそうなるのよ」とミアが苦笑する。「会って話をする前に結論出してどうするの。それじゃあ、始まるものも始まらないじゃない」


「でも……」と上体を起こして再び『ソーマ・ライト』の瓶を弄ぶバーナデット。「怖いんです……。ラースに直接聞くのが……」


 ミアとトラコが顔を見合わせる。


 ……こんな悲しそうな表情までしているのに……本当に人工知能だって言うの? 信じられない。


 ミアは、怯えたような、それでいて拗ねてでもいるかのように振る舞うバーナデットの仕草を凝視して、それでもまだ彼女がこの仮想世界でしか存在していないということが信じられなかった。


 バーナデットはひとりの男性に好意を抱き、その好意が相手にとって負担となっていないかを心配しているのだ。


 ……そんなこと、ホントにプログラムでできることなの?


『ソーマ・ライト』を勢いよく喉に流し込み、深い溜め息をつくバーナデットをまじまじと観察するミア。


 ……まさか、だったなんてね。


 ミアは思わず空を見上げ、つられたように重苦しい吐息をつく。


「ミアまで……いったいどうしたというのだ?」

 連続して溜め息をつく仲間を怪訝そうに見つめるトラコ。


「ん? あ、いやいや、私のはなんでもないですぅー。ちょっと別件で」とお茶を濁すミア。


「考えてみれば、私は足を引っ張ってばかりです」とバーナデットはまるで酔ったように一人語りをはじめた。「あのとき……<廃坑>で私がトラップに引っ掛かったときも、私をかばってラースが落ちていきました。このあいだの『青騎士』との闘いだって、あの場を切り抜けるために仕方なく『アストラ・ブリンガー』を求めると言ったんじゃないでしょうか……。ラースは、本当は、旅なんかしたくないのではないでしょうか」


 ラースが<かささぎ亭>での平穏な日々を大切にしているのは皆が知っていることだ。

 ミアもトラコも、何も言えなかった。


「それに……」とバーナデットは緩やかに紅く染まりはじめた空を見上げる。「この世界はまだ、私の世界ではないのに……」

 最後の言葉は、まるで機械のように感情のない声音であった。


「なに? それはどういう意味だ?」とトラコが不思議そうに訊ねる。


「はい?」とバーナデットがびっくりしてトラコへ向き直る。「私、今なにか言いました?」


「え? いや……今なにか奇妙なことを言っただろう? なあ」とトラコがミアへ同意を求める。


「う、うん。ごめん、ぼんやりしてて私もちゃんと聞いてなかったけど、たしかになにかボソっと言ってたのは聞こえた」

 ミアは申し訳無さそうに頭を掻きながら言う。


「わかりません」とバーナデットが困ったように眦を下げる。「なにか言葉が出ていたのですか? もしかしたら考えすぎによるバグが発生しているのかもしれませんね」


 精一杯の笑顔をみせるバーナデット。


 ……やばい。なにこの儚さ。


 ミアは気丈に振る舞うバーナデットに、同性であるにも関わらず胸がときめいてしまうのを感じずにはいられなかった。


 ……人工知能だろうとプログラムだろうと、とにかくこの可愛さに勝てる気がしない。


 ミアは、はじめてラースと出会ったときのことを思い出す。

 偶然<廃坑>のクエストを同時にはじめてしまったのをきっかけに、共に行動してクリアを目指すことになった。

 友情の証としてもらった『エメラルドの腕輪』。確かにそれは今もなお友情の証として身につけている。そして、同じものをバーナデットも装備している。


 友情の証として。


 ……仕方がないか。私のほうが出会いが早かったからといって、なにもアクションを起こさなかった自分も悪い。


 <かささぎ亭>での、心地よい時間がいつまでも続くと思っていた。


 だが、そんなことはありえないのだ。時は流れていく。その時間のうねりの中で、新たな出会いや別れがあっても、なんの不思議もない。それを恨むのは筋が違う。


 ……応援するっきゃないかなぁ。


「あっ!」とバーナデットが弾かれたように声をあげる。「ラースからメールが届きました」


「そうか。彼奴きゃつもいよいよ腹を括ったか」とトラコが腕を組む。


 宙空に浮かぶウィンドウを操作して、バーナデットがメールを確認するのを見守るふたり。


「……<見晴らしの丘>で、話したいことがある……だそうです」

 バーナデットがウィンドウを閉じる。


「今からか?」とトラコが訊くと、バーナデットは無言で小さく頷いた。


「よしっ! じゃあ盛大に見送りますかっ!」

 ミアは悶々とした自身の感情を吹き飛ばすように、努めて明るく振る舞う。


 三人が席を立つ。


「バーナデット」

 トラコが真剣な口調になる。


「は、はいっ」

 その気配を察して、バーナデットも身を固くする。


「その、なんだ……」といきなり照れだしてわざとらしい咳払いをするトラコ。「うぉっほん……。いいか、一度しか言わないからよく聞いてくれ」


 バーナデットもミアもトラコを注視する。


「私は、何があろうとバーナデット、御主の味方だ。もしラースがヘタレ大王となっていて『アストラ・ブリンガー』の探索に及び腰になっていたら、そのときは私が一緒に探しに行ってやる。だから……そんなに気負うことはない。もう貴様には仲間が他にもいるのだからな」


「トラコさん……」


「そうそう。そんなに怖がることはないよ」とミアも言う。「でも<廃坑>ダンジョンの最下層までちゃんと行けたでしょ? どんな冒険だって私たちならなんとかなる」


「二人とも……それって……」


 ミアとトラコは互いに視線を交わし、笑みを浮かべる。


「誰が何と言おうと、バーナデットが旅に出るのなら、私たちも同行させてもらう」


「今さら、はいさよならって言うわけないでしょ」


「……ミア……トラコさん……」

 バーナデットは口を手で覆い隠す。自分の声が、指先が、震えているのがわかる。


「ば、馬鹿ねえ、なにも泣くことないでしょぉ」とミアがバーナデットの頭を撫でる。


「ありがとう……ありがとうございます」


「うんうん。とりあえず待ち合わせ場所に行ってきな。私たちは<かささぎ亭>で待ってるから」


 ミアとバーナデットの微笑ましい光景を眺めながら、トラコはふと思った。

 <廃坑>のクエストをしているとき、ヴィノも一緒にいたことを誰もが失念しているということを。


 ……だが、訂正するのは野暮というものだ。なにしろこれは『女子会』なのだからな!


 トラコは自分の女子的な配慮に満足して、ひとり別の意味で大きく頷いた。

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