第四章 ヴァンシアの騒乱

046 リソースの問題

■2052年4月27日 昼

■ヴァシラ帝国 帝都ヴァンシア

■かささぎ亭


「なんだかお前とサシで店にいるってのも久しぶりのような気がするな」

 ヨハンがエール酒の入った木製のジョッキを掲げる。


 昼下がりの<かささぎ亭>。平日であれば、人もまばらで落ち着いた雰囲気なのだが、今日は土曜日のせいか、普段より人が多い。


「そうだな。今週は目まぐるしい勢いで過ぎていった気がするよ」

 ラースはそう言って、ヨハンが掲げたジョッキに自分の杯を軽くぶつける。


 二人は同時に淡く発泡している琥珀色の液体を喉に流し込んで、一息ついた。


「青騎士との戦いから二日経ったか? あれ以来、とくに何も起きないな」とヨハンが窓の外を眺めながら言った。


「そうだな……」とラースもつられて窓へ顔を向ける。「相手の目的がなんであれ『フリトト』の力を完全に制御できる今となっては、うかつに手を出しても意味がないと思っているんじゃないかな。絶対無敵のチート装備だった青騎士というアドバンテージは消滅したわけだし」


 チート対チートの勝負なんて面白くもなんともないけどな、とラースは心の中で付け加える。


「自動追尾させていた自動人形オートマータとしての青騎士は、お前が『フリトト』の力を制御できないまま発動させていた魔導術を目印に追跡していた」

 とヨハンは独り言のように続ける。

「それだけでは対処できないと思った敵さんは、プレイヤーがを投入して、半ば強引にお前の中にある『フリトト』を奪おうとした。これはつまり、もともと『フリトト』を所持していたバーナデットから持ち主がラースに変わったということを相手が確信した時点で、自動人形オートマータの総当たり的な捜索方法から強奪へとシフトしたってことだよな」


「そうだな」とラースは言った。「俺がまだ『フリトト』の使い方を理解していないと踏んで、強硬手段に出たような動きだったと思うよ。今思い返せばね。あるいは、青騎士側でも『フリトト』がじっさいにどういった代物なのかは把握できていなかったのかもしれない」


「ちゃんと知ってりゃ、もうちょい上手いやりようはいくらでもあった……か」


「だね」とラースは肩をすくめる。「だから、次に相手がアクションを起こすときは、これまでのような直接的な方法ではなく、もっと間接的で、それとは解りにくい方法で接触してくるような気がするよ」


「たとえば?」


「……まったく想像できない」とラースは即答する。「でもまあ、気付いたときには蜘蛛の糸にがんじがらめにされていた……ってことにならないよう気をつけて過ごす必要がありそうだ」


「平穏とは程遠いな、ラースくん」

「まったくだよ、ヨハンくん」

 二人はまた同じタイミングでジョッキを傾ける。


「そんなラースの予想が正しければ、すぐさま次のトラブルはやってこないと思っていいのかね。相手が用意周到に準備を整えている間くらいは、せめて呑気にエール酒を飲みたいもんだ」

 ヨハンは空になったジョッキを指先でぶらぶらさせて、給仕の子を見つけておかわりを身振りで注文する。


「そうだといいんだが……」


「そんな暗い顔しなさんな」とヨハンが気楽に言う。「何が起きたところで、別に死ぬわけじゃあるまいし。所詮はゲームの中だぜ」


「……でも、彼女にとってこの世界はゲームじゃないんだ」


「あ……いや、まあ、それはそうなんだけども……」とヨハンもバツが悪そうに頬を掻く。


 ラースは窓の外を眺める。いつもの活気溢れる<職人通り>は行き交う人々で混雑していた。プレイヤーだけではない。それぞれにやることをプログラムされているアストラリアンたちが物を運んだり、店頭で客引きをしたりしている。


「アストラリアンが生活をしているなんて、考えたこともなかったな」とラースは呟く。「この窓から見えるアストラリアンたちや、給仕の女の子……。みんなそれぞれに俺らが知らない生活をしているということなんだろうか」


「そいつはちょっとリソース的に無理があるんじゃないか?」とヨハンが受けて答える。「バーナデットは特別なプログラムだと思った方がいい……いや、睨むなよ。言い方が悪かったな。バーナデットは特別なそ・ん・ざ・い……ね」


「リソースか……」


「ああ。すべてのNPCにそれぞれの思考と生活をプログラムし、それを自立制御させて、予測不能なプレイヤーの挙動に合わせて人間のように振る舞わせる……。この世界にどれだけのアストラリアンがいるか分からないが、おそらくプレイヤーの一〇倍はくだらないだろう。そんな連中全部を自立させて動かすなんて、それだけで地球上の物理的な電算機器がパンクするだろうよ」


「じゃあ、彼女ひとりが、この世界で特別な存在として生まれてきたってことか?」


 ……それは……あまりにも孤独ではないだろうか。


「はいっ! お替りのペールエール酒でぇすっ!」

 元気のいい給仕の子がヨハンのお替りを運んでくる。ヨハンは笑顔で受け取り、彼女が立ち去るのを待ってから話を再開した。


「彼女ひとり……かどうかは、正直なところ分からない。たとえばお前を襲ってきた青騎士だって、プレイヤーのようでいて、本当は感情を与えられたプログラムなのかもしれない……。まあ、聞いた限りじゃあ、あまりに人間臭いんで、それはないと思うけどな」


 ……そうか。そうだな。可能性はゼロではない。

 どんなに卑屈でコンプレックスの塊のような奴ではあったが、そういうプログラムであるなら、自分に見分ける方法はない。


 特定の、必要最小限の、人間型思考回路を持ちうる存在。


「なるほど……。リソースの問題か」


「そゆこと」とヨハンはジョッキを呷る。「アストラリアン全員は物理的に無理だけど、数人、あるいは数十人規模で実行させることくらいは問題ないはずだ。このゲームと母体である企業の規模からすればね」


「そうか……」

 ラースは自分のジョッキに残っている琥珀色の液体を揺らす。

「……バーナデットの味方になってくれるような彼女の同胞がいれば、寂しい思いをしなくてすむのにな……」


 二日前、<見晴らしの丘>で別れたとき、彼女は確かに泣いていた。その涙の意味は分からない。だが、この世界で心を通わせる相手がいないまま生活し続けるというのは、もし人間の感情を持っているのなら、それは寂しいことなんじゃないだろうか。


 プレイヤーである人間は最大六時間しかアストラリアには滞在できない。六時間経過したら、インターバルとしてその後の六時間はログインできなくなってしまう。

 どれだけ頑張ったとしても、バーナデットと時間を共有できるのは一日に最大十二時間だ。


 残りの十二時間。彼女はひとりで何をしているのだろう?


 もちろん、ラース以外の人間と時間をずらして交互に会うことも可能だ。そもそも現実の世界にあっても、誰かとべったりずっと一緒にいることなんてない。


 ……結局、あれからまだ一度も会って話ができていない。


 <見晴らしの丘>で、明日また話そうと約束したにも関わらず、ラースは自分から連絡をとることに躊躇していた。


 聞きたいことはまだまだたくさんある。だが、聞けば聞くほど、自分の無力さが露呈しそうな気がして彼女と会うことをためらってしまう。


 バーナデットがプログラムだとして、そして『アストラ・ブリンガー』を探す旅に出るとして、本当に自分でいいのだろうか? という疑問が頭から離れない。

 もっと強くて逞しい……たとえばカムナ団長のような『英雄』に近い存在の方が適切なのではないか。


 自分にいったい何ができるのだろう。それを考え出すと、ラースはバーナデットへ連絡を取れなくなってしまう。


「彼女の同胞、ね」

 ヨハンの言葉で、ラースは我に返る。

「いやはや、すっかり惚れ込んでますなあ、ラース君」


「え?」

「いやさ、そういう素直な言葉がさらりと出てくるってのが、お前の良いところではあるんだが、思い込みが強すぎるのは悪い部分だ」


「なにも思い込みなんてしていな――」

「してるだろ」とヨハンはぴしゃりと言い放つ。「勝手に自分の妄想で納得させようとしてるから、いまだにバーナデットと会って話をしていないんじゃないのか?」


 ……鋭いところをついてくる。


 ラースは開きかけた口を閉ざして、黙り込む。


「今のお前に必要なのは、相手への思いやりより、これから先のことを語り合りあえる信頼関係だと思うけどな」


 ……なんだと……ヨハンが、まともなことを言っている……だと?。


「……お前、いま俺のことをディスる方向で感心していただろう?」とヨハンが言う。


「ど、どうしてわかる?」


「恋の虜となった男の顔は、すべてをさらけ出してしまうものさ」

 きざったらしいセリフと、聞き慣れた低い声。


「ヴィノ。いつの間に」


 リュートを脇に置いて、ヴィノがヨハンを押しやるように詰めて座る。

「ここ二日間、彼女は<狂女王の試練場>でソロ活動しているようだな。名前を伏せていることもあって、謎の美少女ヒーラー『癒やしの天使』なんていうあだ名まで広まってるぜ」


「なんだって?」とラースは驚く。


回復役ヒーラーが不足しているパーティを手伝っているうちに、いつの間にやらそんな呼び名で掲示板にスレッドが立つまでになっちまった。まあ、あれだけ可愛い子が回復に徹してサポートしてくれるんだ。名前が分からず、ダンジョンを出るとすぐに帰ってしまうから感謝する暇もないって連中が立てたスレッドだろう」


「そうか……バーナデットはこの世界を楽しもうと努力しているんだな……」


 ラースははじめて一緒に潜ったダンジョン<罪人窟>で楽しそうにしていたバーナデットの笑顔を思い出す。

 <廃坑>ではほとんど一緒にいることはなかったが、手に入れた『エメラルドの腕輪』を嬉しそうに装備している姿が目に焼き付いている。


「お前はどうなんだよ、ラース」とヨハンが言う。「楽しんでるか? 『アストラ・ブリンガー』を」


「……どうだろうな」と肩をすくめて天井を見上げる。「お前の言うとおりだよ、ヨハン。俺から話をしに行かなきゃな」


「ここで椅子を温めていたって、もうバーナデットは抱きついちゃくれないんだろ?」

 そう言ってヨハンは片目を瞑ってみせる。


 ラースも思わず笑みがこぼれる。

「そうだな……。しかし、それにしても『癒やしの天使』ってのはずいぶん持ち上げられたもんだな」

 ラースはヴィノに向かって言った。


「まあじっさいラースには勿体ないくらいの可愛い子ちゃんだからな」とヴィノは何でもなさそうに言う。「名前も告げずにヒーラーに徹してくれて、颯爽と去っていく。ミステリアスでいいじゃないか。まさに名もなき天使のように」


 そういえば、以前<狂女王の試練場>でバーナデットを待っていたときも、彼女は別のプレイヤーとダンジョンへ潜っていた。その後の青騎士の襲撃で忘れていたが、あのときも彼女は名前を秘匿マスキングして潜っていたはずだ。

 それでも、あれだけ笑顔でパーティと別れていたということは、彼女が誠実にゲームをプレイして、自分の担当すべき役割ロールを全うしているからに他ならない。


 ……おっちょこちょいのバーナデットしか知らない身としては、なんだか不思議な気持ちだ。それに……。


「ヴィノは相変わらず、そういう情報を入手するのが早いな」と素直に感心する。「いったいどこで仕入れてくるの?」


「噂話に長けているのが吟遊詩人バードというものだろ? ご婦人方にロマンチックな冒険譚を歌って聞かせ、彼女たちのゴシップをまた物語の糧にしていく……。やっていることは現実と大差ないな。ようは楽しく女性とお話していれば、自然と地場の事情には詳しくなっていくものさ」


 ……ほんと、すご。


 自分のコミュニケーション能力に不安しか感じられないラースにとって、ヴィノの社交性はヨハンの分析能力と同じくらい頼りになる。

 この二人が友人であることに感謝せずにはいられなかった。


 ……この二人とも、もしかしたらしばらく会えなくなるのか。


 自分がバーナデットと話をして、その結果しだいでは、しばらく<ヴァシラ帝国>から離れることになるだろう。


「たまにはそのご婦人方との語らいに連れて行ってくれ」とヨハンが言う。


「そうだな。冴えないジョークを言わないと約束するなら連れて行ってやらんでもないが。それと寒いギャグでご婦人方を凍りつかせることがないように充分気をつけてくれるのならな」


「それはなんだ? 俺には一言も喋るなと言っているのか?」


「そう聞こえているのなら、お前の耳はまだ正常だ」


 ……寂しくなるな。


 二人が話しているのを眺めながらラースはなんのてらいもなく、そう思った。

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