044 クリアする気がない編成

 マルクトは水晶球を脇に押しやって、少し芝居かかるようにこめかみを指先で掻いてみた。

「――嫌な上司の手前かなり見栄を張って平静を装っていたんだけど、実際問題として『青騎士』を相手に渡しちゃうってのは、超大問題なんだよねえ……」


 重厚な机の向こうで土下座したまま動かない人物に対して、マルクトは冷たい声音で言う。


 土下座している男の顔は見えない。執務室のカーテンはまだ閉められたままで暗い。


「さっき部長が言っていただろう? 『青騎士』にはそれなりに大きな予算が組まれているんだ。君がリアルでどんな仕事に就いているかは知らないが、およそ一般的な給金サラリーでは、住宅ローンならぬ青騎士ローンでも組まないと返済できないくらいの金額なわけさ」


「す、すみませんでした」と額を床に擦り付けて男は言う。「この失態はなんとしても償わせていただきます」


「困ったもんだ」と溜息をつくマルクト。「しかし誤算があったのも確かだ。君だけが悪いとは言い切れないね。少なからず私の責任もある。まさか使とは思わなかったからね」


 土下座していた男が顔を上げる。だが、薄暗い室内ではその表情までは分からなかった。


「大きな期待は負担になるだろうから言いたくはないんだけど」とマルクトは続ける。「せめてカムナ騎士団を破門になった君を拾ってあげた恩義には、報いてもらいたいものだね」


「はい。この失敗は……どんなことをしても償います」


 ……追い剥ぎすらまともにできないクセになにができるというのか。


 マルクトの冷たい眼光が男に突き刺さる。


「まあいいさ。それはそれとして……だ」とマルクトは再びいつもの笑顔になって続ける。「君からのメールにあった奇妙な暗殺者アサシンについて訊きたいんだけど……?」


「はい……」

 男は自分の右手を握ったり開いたりして、その感触を確かめる。

「出血こそしませんが、あの痛みは本物でした」


「ログアウトした後はどうだい? 痛みは残っていた?」


「……ログアウトして意識が現実の世界へ戻ってくると同時に、やはり右手に鈍痛がありました。ですが傷や出血はありません。でも……三〇分は痛みが続いていた気がします」


「なるほど」とマルクトは考え込む。「……それで、今はなんともないんだね」


「はい。昨日のうちに痛みは薄れていって、今は普段どおりです」


「もし、さ……」


「はい?」


 マルクトは、自分が笑っていることに気づく。だが、その衝動は抑えようがなかった。


「もし、そのまま心臓なり首元なりに傷を負っていたら、君は今頃どうなっていたと思う?」


「そ、それは……」と男は寒気を覚えたように両腕を抱きしめる。「考えたくはないですが、たぶん――」



「ひぃっ!」

 昨夜のことを思い出したのか、男は短い悲鳴をあげて目を閉じた。


「……素晴らしいじゃないか」とマルクトは男に聞こえないほどの小さな声で呟いた。


 ……トラドペイナー。は、いよいよその製造に成功したということか。


「どうやら事態は大きく動いていきそうだ」


「は? はあ……」


 マルクトはその細い目で、扉の前で膝立ちのまま、状況をまったく理解できていない呆けた男を見つめる。


 ……手駒がこれだけでは、なかなか思うように動けないか。


 トラコ・ヤッハとかいうワギの女サムライをそそのかしたときのように、自分が青騎士を装備して暗躍するのも悪くはなかったが、それもラースの手に渡ってしまった以上、迂闊に手を出せない。

 青騎士の装備そのものはいくらでも複製が可能だが、あの格好で派手に動き回ると、今度は会社の方から目をつけられてしまうだろう。


 ……ラース同様、目立ち過ぎる行動は控えたほうが無難か。と、なると――。


「まあゲームとしては、不利な状況のほうが攻略しがいがある……ということにしておこう」


「そ、それはどういう――」


「こちらの話だ。気にしないでくれたまえ」とマルクトは続ける。「君も災難続きで疲れているだろう。少し休みたまえ」


「そ、それは……もう自分は用無しということでしょうか」


「いや……」とマルクトはしばし黙考する。


 ……能力不足だからこそ、動かし方次第で歩にも金にもなる、か。


「言葉通りの意味だよ。少し休養を取って、英気を養い、それでもまだ私のもとで仕事をしてもらえるのなら、やってもらいたいことがある」


 マルクトは<廃坑>に現れた少年の画像を思い出す。


 ……裏切り者をあぶり出し、我が主の前に引きずり出して断罪するのだ。それこそが、自分の役割。あの不愉快極まりない仮の上司についているのも、すべては極上の貢物をあの方に捧げるためだ。


「あの……いったい何をすれば……」


「――ん。そうだねえ」

 自身の本当の思惑を感じさせることなく、マルクトはにこやかに壁に貼ってあるアストラリアの世界地図を眺める。

「このさいセブンは後回しだ」


「はい?」


攻めていこうか……じっくりとね」

 マルクトは、話についていけない男にまったく興味を示さぬまま、世界地図を眺めてそう呟いた。



■二〇五二年四月二十六日 夜

■ヴァシラ帝国・帝都ヴァンシア

■かささぎ亭


 帝都ヴァンシアにおいて最もプレイヤーで賑わう<職人通りスミス・ストリート>。

 その一角にある冒険者のための大衆酒場<かささぎ亭>のいつものテーブル。

 ラースは定位置である窓際の席へ座り、正面にヨハン、隣にミア、斜め向かいにヴィノが座っている。

 四人で一緒にいるときの、定位置である。


 二四時間で日付が四回巡るアストラリアのタイムラインで、四月二十六日最後の夜を迎えようとしていた。明日が土曜日のせいか、夜になっても<かささぎ亭>の店内は冒険者でごった返すほどの混みようだった。


「――と、まあ、以上の理由から、成り行きで手に入ってしまった『青騎士』の装備一式はしばらく封印。口外無用で頼む」


 バーナデットとの長い話を要約し、小っ恥ずかしいキスをした件には触れず、それでも一番重要な問題である彼女の正体については皆に共有するべきだとして、ラースは事の顛末を説明し終えたところであった。


 ラースはエール酒を勢いよく喉に流し込んで一息つく。


「事情は了解したが……せっかくの超無敵装備を隠しておくってのも、勿体ないねえ」

 いつもの派手な衣装に身をまとった吟遊詩人バードのヴィノは、腕組みしてしみじみと呟く。


「でもさ、装備しようにもウチらの中でこれだけの重量ウェイトに耐えられる職業の人がいないじゃない」とミアが言う。


 ……確かにそうだ。


 バーナデットとトラコを含めたメンバーで考えたとしても、フルセットの西洋甲冑一式を装備できる職業はいない。このゲームにおけるサムライは重甲冑ヘビー・アーマーに指定されている防具の装備ができない代わりに戦士よりも素早く動ける機動性重視の戦闘職として設定されている。


「改めて思うけど、俺たちってクエストを前提としたパーティとして考えると、ずいぶん偏ってるな」

 ラースはこれまで気にもしていなかったことを口にする。


 そもそも、なにかのクエストを攻略するために集まっているわけではないから、誰がどんな職業だろうと大した問題ではなかった。


 ……西洋甲冑が着れないからといって困ることがあるとは思わなかったしな。


「これだけ軽装の職業ばかりがよく集まったもんだ。はっきり言ってゲームをクリアする気がない編成だよな」

 ヨハンはラースがテキストに起こした『青騎士』のスペック資料を眺めながら言った。


「普段はここで雑談しているだけの集まりだからな」とラースが苦笑する。「なんだか、懐かしい気がするな。この四人だけで集まるっていうのも」


「そうね。大して日が空いたわけでもないのに、いつのまにかバーナデットもトラコも一緒にいて当たり前になっちゃったもんね」


 バーナデット。


 その名前が出た途端に、テーブルの空気が少し停滞する。


 ラースが語った彼女の正体について、まだ誰も何も口にしていない。


 ……そりゃ、衝撃的だよな。言った本人である俺だってまだ信じられないんだから。


 ミアが椅子を軋ませてゆっくりと傾ける。両腕で後頭部を抱えて、ぼんやりと天井に設置されている大きな燭台を模した照明を眺める。


「……やっぱり、信じられないな……。バーナデットが人工知能で、リアルには存在していないなんてさ……」


「そうだな……」とヨハンがミアの独り言を引き継ぐように言った。「確かに変な挙動をしているところもあったが、それだって初心者ならそれくらいの勘違いはするだろう、って程度だったし、人間としておかしな所なんてなかったよな」


 ヨハンの視線が<かささぎ亭>で給仕をしているアストラリアンに向けられた。

 艶のある黒い髪は短く、小柄だが元気のよい女の子。薄茶色のワンピースに純白のエプロンをまとい、両手にジョッキを持って忙しそうに動いている。

 愛想よくプレイヤーに飲み物を提供している給仕の娘も、この店内にいる限りは人間のように見える。

 この限られた空間で必要な受け答えのレパートリー、モーションの数々、それらをすべて深層学習ディープラーニングによって獲得しているのだろう。


 だが、もし彼女が急にどこかの乱暴者の手によって外に出された場合、抑揚を欠いた警告メッセージを口から発し、出来損ないのアンドロイドのようなたどたどしさで元の場所である<かささぎ亭>へ戻るように動くだろう。

 給仕を担当し、それに特化している彼女には、路上の人混みを人間のように自然によけて動くという行動はプログラムされていないからだ。


 人間のすべての挙動を――感情を含めて――コンピューターに学習させることは難しい。

 アナログ的でファジーな行動や、いくつかの行動パターンをどう組み合わせて選ぶのが『自分らしい』のか、などの複雑な問題を処理するには、まだテクノロジーと理論が追いついていない。


 見せることはできるが、それはあくまで限定的な条件に限られる。

 それだけでも画期的ではあるのだが、だからこそなおさら信じられないのである。


 ……バーナデットがあの給仕の子と同じプログラムだと? そんなこと納得できるわけがない……。


「だが、彼女がこの世界の住人であるということを認めれば、ラースやトラコが抱いていた疑問はすべて解消してしまう、ということだな」

 ヴィノが顎髭をさすりながら言う。


「まあね」とラースが肩をすくめる。


 ……疑問は解消……しているのだろうか?


 以前カムナ騎士団の本部で話したことを思い出す。


 ……クリアを目指すならば『フリトトの祝福』は必須のイベントだという予想をタチアナさんから聞いたが……。


 それは、この世界アストラリアに数多あるガチ勢の探究系ギルドが導き出した仮定のひとつでもある。

『フリトトの祝福』という要素そのものが、ほとんど都市伝説に近い内容ではあるものの、正しい情報を記載している攻略指南サイトなどが提示していることを考慮に入れれば、それなりに高い確率で真実であると思える。


 ……だが、それならそれで問題は山積みだ。


 クリアを目指している者が、バーナデットのようなチート級のキャラクターとの出会いや、それ以上にデタラメな性能を誇る『フリトト』という欄外装備ブースト・ギミックを手に入れる確率なんてほとんどゼロに近い。


 当事者である自分でさえ、まだ釈然としないまま過ごしているのだ。


 そして、こんな偶然の出会いによってクリアへの道が開かれるというのなら、これまで真っ当にグランド・クエストを進めてきたマジメな冒険者達の苦労は何だったのだ。


 ……宝くじみたいな確率の問題になってしまう。そんな理不尽なことがあっていいわけがない。


 そもそも、これが正規の攻略ルートであるのならば、運営から『青騎士』という最強装備を携えた追い剥ぎハイウェイマンが刺客として送り込まれてくるはずがない。


 そういえば、とラースは思い出す。


 <廃坑>で出会ったあの少年アバターは今頃なにをしているのだろう。彼ともまた会って話をしなければならない。彼ならば、今なにが起きているのか、あるいは何が起きようとしているのか知っているはずだ。

 だが、どうやってコンタクトすればいいのかは皆目見当もつかない。


「……疑問は増えるばかりだよ」とラースは頬杖をつく。


 呼吸を合わせたかのように、四人同時に溜息が出る。


「でさあ、バーナデットは今どこにいるの?」とミアが訊く。


「たぶん……トラコと一緒だろう」とラースはフレンドリストを開く。トラコがログインしているのを確認する。「<狂女王の試練場>でレベリングじゃないかな。二人で行くのが日課みたいになってるし」


「なにそれ、ノンキすぎーっ!」とミアがずっこける振りをする。


「そうだねえ」とラースは苦笑する。


 ……ノンキなのか、あるいは俺を避けているのか……。


 昨日<見晴らしの丘>で別れてから、まだバーナデットと顔を合わせていない。

 彼女からはなんの連絡もきていないし、自分も彼女にメッセージを送ったり、念話をコールするのを躊躇っている。


 ……距離を置いて考えたい、というのはお互い様かもしれないな。


 彼女と一緒に『アストラ・ブリンガー』を探す。

 本当にこの選択は正しいのだろうか?


「ところで名案を思いついたのだが」とヨハンが悪い顔をして言う。「あの『青騎士』の装備を貢物としてリン姫に渡すってのはどうだ? 激レアな装備プレゼントで俺の好感度が急上昇間違いなしだと思うんだが」


「お前ね、あのセクシー・ビキニ・アーマーが見れなくなっちゃうような装備贈ってなにがしたいんだよ」とヴィノが呆れる。


「うっ! 俺としたことがなんたる盲点! 超レアな装備で気を引こうとした浅はかさで、危うく目の保養をひとつ失うところだったぜ……」


「ていうか、あんな物騒なものプレゼントしたら彼女が運営に目をつけられちゃうでしょ! 応援どころか恨まれるわよ」


「重ねてショック! 二人の正論が俺のハートに突き刺さるっ!」


 ヴァシラ帝国の首都ヴァンシア。そして皆が集まる<かささぎ亭>。


 ここが自分の旅の終着点だと思っていた。


 楽しそうに会話をする三人を眺めながら、いつの間にか隣で微笑んでくれているバーナデットの顔がそこに重なる。


 ……どうやら、もうちょっとだけ冒険の続きをする必要があるようだ。


 二年前にも、自分はそんな思いを抱いていた場所があった。


 デランド王国。


 あのときもまた、そこが自分の終着点だと思っていた。

 共に戦った仲間たち。……そして別離。

 すべてが良い方向へ動き出すときの高揚感と、噛み合わない歯車が音を立てて崩れていった絶望感。

 そのすべてを味わった場所。


 ……みんなどうしているのだろう。


 このゲームのバージョン4『繚乱のレコンキスタ』で戦った記憶が蘇る。


 あの頃は純粋に夢中でプレイしていた。勝ち負けにこだわり、そのために全力を尽くして戦った。

 その結末はなんとも歯がゆく、苦々しい幕引きではあったものの、あれほどまでに熱くなれることはもうないだろうとも思う。


 ……似ているな、この感覚は。


 ここにいられるのも、それほど長くはないような気がする。


 バーナデットの言う通り、確かに自分は心のどこかで、この安らぎの中で過ごしていたいという未練があるのだろう。


 だからこそ、彼女との対話を先延ばしにしているのかもしれない。

 溜息を押し殺し、窓の外を眺める。


 魔光石を利用した街灯に照らされた夜の<職人通り>は、幻想的な美しさがある。


 ラースは昼間に送ったメールの返事が来ていないか通知を確認する。


 ……まだ返事はないか。


 であれば、もしかしてこちらの味方についてくれるかもしれない。

 そんな一縷の望みを託して、ある人物に送ったメール。


 ……は読んでくれただろうか。そしてあの人に取り次いでくれただろうか。


 夜空の星を眺めるラース。この世界に時差は存在しない。だから、遠く離れたムーラシア大陸に位置するデランド王国もまた、星の瞬きと、ふたつの月に照らされていることだろう。

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