043 マルクト君の長い話

■二〇五二年四月二十六日 朝

■ヴァシラ帝国・紅月城

■元老院・執務室


 <凱旋通りトライアンフ・ブルバード>。

 ヴァシラ帝国の象徴である<紅月城>の正門が起点となっているその大通りに爽やかな朝の陽光が降り注ぎ、道行く冒険者たちを健やかに照らしていた。


 そんな晴天の城下町とは対照的に<紅月城>の中にある元老院の執務室は、分厚いカーテンが引かれ真夜中のように暗い。


 その暗がりの中、豪奢な執務机の上に置かれた大きな水晶球が、青白い光でぼんやりと周囲を浮かび上がらせる。

 水晶の中には映像が浮かび上がっており、その映像はそのままアバターの網膜システムが自分の眼前へと自動的に拡大表示してくれる。


 古来より存在するファンタジーにおける水晶球の役割を見事に再現している……と、それを見つめるこの部屋の主、マルクトは満足げに笑っているように見えた。


 しかし、そこに映し出されている映像は、決して幻想世界へ気持ちよく没入トリップさせてくれるような微笑ましい光景ではなかった。


 もともと細い目元のせいで、その表情が本当に笑顔なのか、ただの素の表情なのかは他者に判別できない。

 その曖昧な表情を常時キープできているというのが、マルクトにとって自分のアバターのデザインを気に入っている理由でもあった。


 ……まったく、こんなに素敵な水晶球で社内会議とはね。


 マルクトは笑顔を崩さないアバターの裏で、遠慮することなくため息をつく。


 映し出されているのは色彩を欠いた灰色の会議室。

 皆で申し合わせたかのようにダーク系のスーツで身を固め、テーブル越しにこちらを睨みつけている面々。


 白髪交じりの男性が中央に座っている。几帳面に撫でつけられた硬そうな髪質と、神経質そうな目元。この男の周囲に漂う空気は、常に何かに対して不満を抱いているかのようにピリピリしている。


 両脇にずらりと並んでいる彼の取り巻きたちの表情をみれば、その空気感は否が応でも伝わってくる。


 第一印象からして好ましからざる感じであるが、じっさいには耐え難いほど好ましくない人物であることをマルクトは自分の身を持って経験している。


 ……とはいえ、もう少しなんとかならなかったものだろうか。


 笑顔を崩すことのない自分のアバターが、今ほどありがたいと感じたことはない。

 マルクトは、もし現実の世界で彼と同じ会議室にいたとしたら、うっかり嫌な顔を隠そうともせずに大きなため息をついてしまいそうだと、冗談抜きで思った。


 もともとは小さなソフトウェア会社として立ち上がったFour Tuneフォーチューン社が、今や世界に数十万人の従業員を抱える一大ネットインフラ企業へと成り上がるまでに一〇年とはかからなかった。


 創業者である四人の天才エンジニアたちは、まるで巨大に成長することを見越していたかのように、あらゆる下準備を整えていた。


 指数関数的に業績が伸びると同時に、会社に必要な人材を各業種からヘッドハンティングし、抜群の待遇で希望のポストへと配属する。


 与えられた好条件によって社員のモチベーションは上がり、それはそのまま企業そのもののブランディングとなって注目を浴びることになる。気がつけば、憧れの企業として名を馳せるまでになっていた。

 今では世界各地の主要都市における一等地に自社ビルが立ち並ぶほどまでに急成長を遂げ、その勢いはいまだに留まるところを知らないかのように伸び続けていた。


 すべてが計算通りに運営されているシステムを組んだのも、伝説の四人の創業者たちだ。

 社外秘である人材採用システム――詳しくは知らないがAIBSのシステムを転用しているのだろう――の有用性は知っている。なので画面の向こう側で仏頂面のまま鎮座しているこの初老の男にしても、事務処理という能力だけをみれば、おそらく優秀なのだろう。


 だが能力の有無と、個人的に好感が持てる人材であるかどうかは別問題である。


 ……上司しかり、騎士団長殿しかり……か。


 思わず失笑が漏れそうになり、ぐっと堪える。


「ずいぶんと、派手にやらかしてくれたものだな」と上司である男は咳払いのあとに言った。「にいるときはマルクトと呼ぶべきかな? それとも本名の――」


「マルクトで構いませんよ部長」


 自分の名前を呼ばれる前に牽制しておく。気安くこの男に自分の本名を呼ばれたくはない。


 ……本物の上司である、あの御方なら別ですけどね。

 マルクトは心の中でそう付け加える。


「君が主任として開発を担当していた『執行者エグゼキューター』の進化版とも言える次世代監視ボット……ええと、なんと言ったかな」

 部長と呼ばれた男は手元の紙の資料をめくる。


 マルクトは心の中で舌打ちをする。


 いまだに紙の資料で仕事をしているという無駄もさることながら、第二開発部の長たる者が、その開発コードネームすら覚えていないことに、嫌悪を覚える。


 ……この男にとってこの世界アストラリアはただの金儲けの手段にしか見えていない。だから、得する情報以外の記憶はほとんど残らない。


 大企業ともなれば、すべての人間がゲームの世界を理解する必要もないのだが、仮にも自分の上司であるなら、最低限の知識を持ってしかるべきだとマルクトは思っている。


 ……隠れ蓑としての部署とポジションでなければ、秒で辞表を出しているところだ。


 やれやれ、この上司の顔をみると悪態しか出てこない。


 マルクトは落ち着くために――相手にばれないように――ゆっくり息を吐き出す。


「……『青騎士』ですよ、部長。『執行者』よりはユーザーにフレンドリーでしょう?」


「ああ、その『青騎士』の件だ」と部長は厳つい表情をまったく崩すことなく言った。「その『青騎士』の装備一式が、一般ユーザーの手に渡った、と報告書には書かれているな」


「はい。そのとおりです」とマルクトは平然と言った。


「悪い冗談だ。これほどまでに笑えない報告書を読んだのは生まれてはじめてだよ」と部長は束ねられた紙の資料を放ってみせる。「この不始末をどうやってリカバリーするつもりだね? たとえば『この前落としてしまった開発途中の超機密装備一式を持っている人がいたら返してください』と公式ホームページで公表してみるか? 君の報告書よりは笑えるジョークだろう?」


 水晶球に映し出されている部長の横にいた取り巻きのひとりが、乾いた笑い声で部長の話に頷いてみせる。だが、当の部長はそんな取り巻きを冷ややかに一瞥しただけで黙らせた。


「そもそも運営側がプレイヤーのように『青騎士』を装備してトラブルの対処に当たるという方針が公になれば、自立拡張型演算装置――アイビスがすべてを管理しているという『アストラ・ブリンガー』のブランドイメージそのものに傷がつきかねない。この点に関してはどう釈明するつもりかね? マルクト君」


「公表する必要もありませんし、『アストラ・ブリンガー』にも傷なんてつきませんよ。たかが試作品サンプルをひとつ失っただけです。問題にもなりません」


 マルクトは涼しい顔でさらりと言ってのける。じっさいその笑っているような細い目は、真面目に言っているのかふざけているのかわからない。


「問題にならない、だと? ならば説明してみたまえ。なにが、どう、問題ではないのかね」

 部長は凄みをきかせてそう言うと、机に両肘をつき、組んだ指先に口元を乗せる。


「長くなりますよ?」


「構わんよ。この会議は、君がどんな言い訳でこの失態を切り抜けようとしているのかを聞きたい者だけが出席している。心ゆくまで話すといい」


 ……なるほど。嫌いなのはお互い様ってわけか。


 マルクトが目の前に映し出されている上司を気に入らないように、この男にとっても、まるで自分の部下ではないように好き勝手に動き回っている僕のような存在は、とっとと消えてほしいのだろう。


 ……とはいえ、この男に僕の人事権はない。精一杯の嫌がらせをして、こちらからいなくなるように仕向けたい、といったところか。


 マルクトは内心でほくそ笑む。

 残念だが、隠れ蓑が騒いだところで、僕のやることに口出しなどできはしない。せいぜい腹いせの時間つぶしを楽しんでいるといい。


 ……ま、その無駄な時間に付き合ってやる義理はないけどね。


 相手の真意が理解できたマルクトは、もはや自分のペースで事が運べることを確信して語りだす。


「いいですか部長。このゲームはそもそもMOD……つまりユーザーが独自に規定の範囲内でオブジェクトを改造することに対して寛容に設計されています。さらに言えば、商品として登録審査を通ったオブジェクト、つまりアセット品についても同様に自由度が高く設定されています。かくいう私が着ているこの長衣トーがも、有名なアセット職人に仕立ててもらった一点物でして、けっこう高かったんですよ」


 そう言って、服のデザインがよく見えるように両腕を広げて見せる。


「――それくらいは知っているよ。何が言いたいのかね?」


「常軌を逸した能力を付与したり、他のユーザーに迷惑や不快感を与えるようなオブジェクトに関しては警告したり、それこそ『執行者エグゼキューター』による対象物の破壊なども行いますが、基本的に所持しているだけでは迷惑行為とは認定されません」


「だから、それくらいは――」

 部長が苛立ちを隠そうともせずに口を開いたタイミングで被せるように続ける。


「結論から言えば現在『青騎士』の装備を所持している人物は、おそらく所持したままで何も行動アクションを起こさないであろう、ということです」


 部長は訝しげに眉根を寄せる。

「なぜそう言い切れるのかね? この後に及んで直感……などと簡単に片付けんでくれよ」


「私の直感はよく当たりますよ」とにこやかに応えるマルクト。


 部長はこれみよがしに溜息をついてみせる。

 いちいち動作が大げさなんだよな、とマルクトは辟易する。


「いいかね? 。『執行者』では対処できない不正の抜け穴を利用して違法行為を行う悪質なプレイヤーに対する切り札として発案された代物が『青騎士』ではないのかね? 人工知能だけでは判断できない事案に対して、あるいはきめ細かい配慮が必要な場合に、監視ボットとまったく同じデザインの『青騎士』を管理者が装備して、事態の収拾にあたる……。AIにおける不断の観察力と人間によるマニュアルオペレーションの二段構えで、今後の高度化する違法行為を厳重に取り締まるシステムを構築する。これは君が言い出したアイデアだろう」


「そうですね。私のアイデアです」とマルクトは笑顔で聞き続ける。


「言うなれば『執行者』とも同等、いやそれ以上の力がある。こんな装備を運営がゲームの進行に関係なく所持しているというだけでも大問題なのに、それを一般ユーザーが所持している状態なんだぞ。たとえ所持しているプレイヤーが何もしなかったとしても、このネタに飛びつくメディアがどれだけいると思っているんだ」


 部長は一呼吸置いて、なおも話を続ける。


「このゲームの最大のウリは、世界生成に関するだ。アストラリア各国に配属されている管理者は、あくまでプレイヤー同士のアナログなイベントやトラブルに関して対処するための存在、単なるFAQにすぎない。出しゃばった行為をしているという噂が表に出るのは困ることだとは思わんかね?」


「表に出ることはありませんよ」


「なぜそこまで自信を持って言える? まさか、君は『青騎士』を所持しているプレイヤーと組んでいるわけじゃあるまいな?」


「まさかっ」とマルクトは吐き捨てるように笑う。


 ……このジジイどもは、本当になにも分かっていない。


 マルクトはうんざりした気分になる。


 一番うんざりするのは、彼らが、自分たちはこの世界アストラリアへ入ろうとすらしないで、外側でコントロールできると信じ込んでいることだ。

 それもAIBSアイビスという万能コンピューターに絶対の信頼を置けず、疑心暗鬼に苛まれつつも、結局はそのシステムに依存していながら、だ。


 ……情けない連中だ。


「部長、最初に言っておきます。これもあくまで勘ですが」とマルクトは続ける。「おそらく『青騎士』を奪取した人物は、それが運営のものであるということに気付いています」


「なんだとっ! それなら尚のこと迅速に――」


 マルクトは水晶宮に手をかざして部長の話を遮る。


「たとえ運営が開発したものだと感付いたところで、彼らにはそれを証明する方法がありません。『青騎士』そのものはまだ三基の賢者アイビスにもお伺いを立てていない、完全なるプロトタイプです。鎧の首の後ろにわが社のタグを貼り付けているわけでもないし、非代替性証明NFTの登録をしているわけでもない。万が一、『青騎士』を持ち込んで我が社に直訴してきたとしても、こちらは知らぬ存ぜぬで押し通せます。お騒がせなスーパーハッカーが作成したMODであると突っぱねれば、それで終わりです」


 一気にまくし立てるようにそこまで話すと、マルクトは相手の出方をみるために、口を閉じる。


「……なるほど。では、証拠にならないその装備を手放すという可能性はどうだ? 君が言うお騒がせなスーパーハッカーとやらに手渡されて、解析やら複製やらを作られたら? 計画そのものが頓挫する危険があるのではないか?」


「そうですね」とマルクトは真面目に考え込む振りをする。答えはすでにあるのだが、あまり即答しすぎると、さらに機嫌が悪くなり、この無駄な時間が伸びてしまう。


 ……多少の華は持たせてやらないとな。

 まったく無駄でめんどくさい手順だが、会社とはそういうものだと自分に言い聞かせる。


「部長の仰る危険性は大いにありますね」とマルクトも大げさに応える。「ですが、たとえ証拠となりうる決定打がないとしても、じっさいに一連の騒動における重要な手がかりであることには変わりません。故に、事情が明らかになるまでは手放すようなことはしないでしょう。誰かに解析を頼むとしても、その相手にも危険が及ぶ可能性を考えれば、慎重になるはずです」


 会議室にいる取り巻きたちが小声で話し始める。こちらに対する反論について議論しているようだが、気にせずに話を続ける。


「さらに極論として『青騎士』を街の商店で売り払うという暴挙にでるかもしれないと想定したとしても、さきほど申し上げたとおり『青騎士』はプロトタイプです。希少価値レアレティの数値は設定しておりません。つまり、店頭で査定されたとしても価値はゼロです。アストラリアンの商人ならそのまま0ドエルと提示するでしょう。プレイヤーの商人であっても、どれだけすごい装備だと力説したとしても、出所の分からないチート装備を引き取るリスクは避けるでしょう。自分が『執行者』の標的になるのは、誰だって嫌ですからね。つまり、売る価値はないし、買い手もいないということです。ならば証拠品として持っていたほうが無難でしょう。所持しているプレイヤーがどんな間抜けだったとしても、そう判断するでしょう」


「では『青騎士』の悪用はどうだ?」


「その点に関しても、可能性は低いでしょう。彼らの行動パターンを解析してみましたが、『青騎士』から逃れるような挙動をしています。言い換えれば、この先また悪目立ちをすれば別の『青騎士』に察知されて付け狙われるかもしれないという危惧があるはずです。すべてが解決しない限りは、周囲に『青騎士』を所持していることすら隠すでしょう。無駄に情報を広めて、こちら側が追跡しやすくなるような状況は避けたい。少なくとも私ならそう考えます。さらに付け加えるならば――」


「まだあるのかね……」と部長がこめかみを押さえはじめる。


 ……説明しろと言ったのはそっちだろう。

 マルクトは内心で呆れる。


「ラース……。プレイヤーの名前です。ラース・ウリエライト。現在『青騎士』を所持していると思われる人物です」


 部長が紙の資料を横目で確認している。


「このラースという人物は、なかなかに頭の回転が速い。ざっと調べてみても古くからこのゲームをプレイしている、いわゆるベテラン・プレイヤーです。彼のこれまでのプレイ記録ログをざっと調べてみましたが、は間違いなく『青騎士』というカードを温存するでしょう。適切なとき、適切な場所で、適切に使う。それを心得ている人間ですよ。……まったく、部下に欲しいくらいです」


「……本当に『青騎士』は沈黙を保つのだろうな?」

 熟考した部長が絞り出した質問はそれだけであった。


「私の進退を掛けて請け負います。彼は、こちらが尻尾をだすまでは動きません」


「……ふん」と部長は面白くもなさそうに資料を横にいた取り巻きに渡す。「では、尻尾を隠したまま、すみやかに『青騎士』の回収を行いたまえ。穏便に、目立たずな」


「承知しました」


「君は平然とプロトタイプだと言っているが、あれを開発するのに相当の予算を使っていることを忘れるな」


「もちろんです」


 お疲れ様、の一言もなく映像は唐突に途切れた。ヘマをして弱りきっている相手を執拗にいたぶるために設けた時間だというのに、当の生贄がいつまでたってもへこたれないので主催のほうが飽きてしまったようだ。


「やれやれ、愛想のない上司だ。それにしても……そんなに退屈だったかなあ? マルクト君の長い話は」


 マルクトはおどけて暗がりの向こうへ声をかける。


 執務室の扉の前で、これまでずっと息を殺して土下座をしていた人物が、びくりと身体を震わせた。

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