038 あなたに祝福を授けます

 人気のない山道に響き渡る激しい金属音。

 鋼鉄製の剣と盾が衝突したときのような激しい金切り音が、夕闇の空にこだました。


「……金属音?」


 その疑問を口に出したのは青騎士だった。


 確かに直撃するはずだった青魔合銀ブルーミスリルの鋭利な刃が、見えない鋼鉄の壁に激突したかのような轟音を立てて弾かれた。


「……バーナデット」


 驚愕のラースをを背に、バーナデットは青騎士を遠ざけるように左手を前に突き出していた。


「トラコとのときに使った固有ユニークスキルか……」

「はい」とバーナデットが微笑を浮かべる。


 ――私の持っている固有ユニークスキルは、どんな攻撃であれ一撃だけ――あるいは一連のモーションがスキルとしてワンセットになっている連撃に対して、一切のダメージを負わない、というものです――


 トラコとの決闘に勝利したあと、彼女はそう言っていた。


「――ですが、実はあのときの説明は嘘です」


「なんだって?」


「あまり知られたくはなかったのですが、ラースには伝えておきます」


 突き出していた左手を下げると、バーナデットは両手の指を絡ませて祈るように目を閉じる。

 大気が優しく震えるように流れると、彼女を包む透明な防御膜が半透明な殻となって可視化された。


「私のスキル『女神の加護・破邪封陣ディータ・アブソリュート・シェル』は、固有スキルではなく、パッシブ・スキルなんです」


 常態技術パッシブ・スキル。つまり、技能アビリティとして装備する『警戒』や『潜伏』のようにクールタイムを必要としない常時発動しているスキルということだ。


「……それって、つまり……」


「……はい。私は……現在の条件下においては


「――ほんとに?」


 にわかには信じられない話である。


 どんな攻撃でも一撃だけ無効にできるというスキルですら希少だというのに、それが常時発動している? そんな無敵モードがあっていいのか?


 さらに技術スキルである以上、スキルポイントを消費するはずだ。常時発動できる完全無欠のバリアともなれば、そのポイント使用量はとんでもない数値になるのではないだろうか。


「なにをイチャイチャ話しているんだい? 攻撃を一回防いだだけで余裕をかませる状況かな?」


 弾かれた勢いで間合いを取った青騎士に、今のバーナデットの発言は聞こえていなかったようだ。


「それにしても」と青騎士が自分の弾かれた剣を確認しながら言う。「私の攻撃を弾くとは……凄いじゃないか。ビギナー丸出しの女神神官だと思っていたが、やっぱり君は何か怪しいことをしているなあ……あのときの勘は正しかったじゃあないか!」


 ……あのときの?


 ラースが眉根を寄せる。


 おそらく、この青騎士は俺たちと以前に接触している。

 遭遇してからずっと、自分がどれだけ優位なのかを誇示するかのような振る舞いもそうだが、なにより今の言葉が過去に出会っていることを物語っている。


 ……そして、どうやらその邂逅は互いにとってあまり喜ばしいものではなかったようだ。


 でなければ、これほどまでに陰湿な憎悪をむき出しに挑発するわけがない。


 無言の殺人機械キリングマシーンである、これまでの『青騎士』とは根本的に違っている。


 ……では、こいつは誰で、なんの目的で襲ってきているのだろう。


「あのときの、なにが正しかったって?」

 ラースが青騎士へ問う。


 青騎士は吐き捨てるように短く笑った。

「はっ! もういいんだ……。そんなことはもう、どうでもいい。……捨てる神がいれば、拾う神がいるということだ」


 己の優位は揺るがないと見てとった青騎士がさらに語りだす。


「おかげでこの世界で最強の『力』を手に入れたんだからな。この仕事が終われば、俺は晴れて世界最強の騎士団長になれる。そしてを目の前に跪かせてやる!」


 ……私怨。誰に対して? 少なくとも今の言葉は俺やバーナデットに向けられてはいない。


「ああ、すまないな。君たちには関係のない話だった。追い剥ぎハイウェイマンなんてチンケな仕事はさっさと終わらせて、とっとと騎士団ギルドを立ち上げたくてね」


「騎士団だと? ヴァシラでか?」


「当たり前だろ」と青騎士は続ける。「カムナ騎士団なんぞ目じゃない、最強の騎士団だ。俺のこの『力』があれば、恐れることなど何もない」


 青騎士は自身の鎧を愛でるように、その鋼鉄の甲冑を撫でる。


「カムナ騎士団を超える……つまりカムナ団長を超えるということか?」


「まあ、そうなるなあ」と青騎士は嘲るような高い声で言う。「俺は、自分より弱い奴に従う気なんてないからなあ」


「……その装備、いったいどうやって手に入れた?」


「んん? この気高き青騎士の鎧ブルーアーマーのことか? それを知ってどうする? どうせ君には手の届かないSRを軽く凌ぐ最上級の代物だ。これはな、選ばれた者しか与えられない栄誉そのものなのだよ!」


 ……なるほど、とラースは思った。


 少なくとも、どこかの宝箱やモンスターのドロップ・アイテムとして、偶然手にした物ではないようだ。

 与えられたということは、与えた者がいるということだ。


『青騎士』は最新鋭監視ボット。つまりその所有者は……。


 急に、目の前で勝ち誇っている青騎士が哀れに思えてきた。


「最強……ね」とラースがバーナデットの肩に手をやり、前へ出る。「けっきょくアンタは、その最強装備を渡すという条件で、飼い犬として働いているわけだ。ゲームの世界まで他人の言いなりになって動いているとは、ご苦労なことだ。そんなに他人に使われて生きるのが好きなのかい?」


「口を慎め! 薄汚い魔導術師ウィザードがっ!」


 激昂した青騎士が一瞬で距離を詰めて剣を振り下ろす。


「危ない!」

 バーナデットがすかさず前へ出てラースを『女神の加護・破邪封陣ディータ・アブソリュート・シェル』の効果範囲内へ入れる。


 青騎士の刃が弾かれ、空気が震えるような轟音を立てる。


「くそっ! 面倒なシールドを持ちやがって」


 青騎士は、バーナデットの防御膜シールドに弱点はないかと二人の周りをゆっくり旋回しはじめる。


「ラース、気をつけて下さい! 絶対防御とはいえ、範囲は狭いのです。本来このスキルは私一人を守るためだけのものなのですから」


「すまないバーナデット」

 じっさい、今の青騎士の一撃は大魔導術師アーク・ウィザードの回避速度を大きく上回っている。たとえどんな攻撃がくるか読めたとしても、これだけ距離が近ければ交わすこともできず一撃で倒されていただろう。


 ……だけど、気に入らないんだ。


 利用されていることを知っていて犬に成り下がるこの青騎士も、人の負の感情につけこんで非道な行いであることを承知で他人をそそのかしている黒幕の人間も。


 ……ゲームをなんだと思っていやがる。


 隙を探ろうと周囲をうろつく青騎士を目で追う。

「ひとつだけ忠告してやる」とラースが言った。「その装備を身に着けている限り、アンタは奴隷だよ。プレイヤーでも騎士団長でもない。その装備をくれた誰かさんに、今度はその装備を取り上げられることに怯えて暮らす奴隷になるんだ。今ならまだ間に合う。その装備を外すんだ。勝負はアンタの勝ちでいい」


 青騎士が立ち止まる。

「……俺が、奴隷だと?」


「違うのか? お前が着ているその鎧と剣は、本当にお前のものか? 雇われているということは、今はまだ借り物なんじゃないのか? 目を覚ませ。お前は利用されているだけだ」


「違う!」


 ラースの言葉が終わるより早く、青騎士は大声で言った。


「違う! 違う! ちっがあぁぁう! 利用されているんじゃない! 俺がっ! この……俺が! アイツを、利用してんだぁ!」


「アイツ? それは誰だ?」


「それはなあ!」と青騎士が近づく。「……って、言うわけねえだろうが! 馬鹿にしやがって!」


 ミスリルソードを力任せに振るう。

 コンビネーションとは呼べない、怒りの発露としての剣戟が目にも止まらない速さで何度も繰り出される。

 だが、そのどれもが半透明の強靭な羽のような形をした壁を前に、虚しく金属音を発するだけであった。


 ……まあ、そりゃ、言うわけないよな。


 ラースは冷静に、心の中で舌を出す。


 激昂の連撃が止む。戦闘アクションには、その威力や技能によってアクティブゲージの消費がある。連携攻撃コンボを狙うなら、アクティブゲージがゼロにならないよう気をつけながら、どれだけ効率の良い動きをするかが重要になる。


 だが、今の青騎士の攻撃は激情に駆られて強攻撃をデタラメに放っただけである。


 ゲージがゼロになるまで使用すると回復までに時間がかかる。誰でも知っている初歩的なルールだが、それを無視するほど気に障ったということだ。


 今頃、青騎士の視界に表示されているであろうアクティブゲージには『Over Workはりきりすぎ』という皮肉な表示が明滅し、ゆっくりと回復していくゲージの鈍さに苛立ちをいっそう募らせていることだろう。


「いつになったら効果が切れるんだ、このくそバリアはっ!」

 青騎士は悪態をつきながら、それでも反撃にそなえてゆっくりと距離を開けた。


 自分が絶対的に有利な状況でない限りオーバーワーク状態にすることなど自殺行為である。

 こちらの攻撃が一切通じないと思っているからこそできる暴挙である。


 油断。


 このチャンスを活かさなければ、状況は変わらない。

 挑まれたときは、ただ負けて、それでおしまいにするつもりだった。


 だが、気に入らない。


 この青騎士も、その黒幕も、ゲームを楽しむつもりのない人間が理不尽な『力』によって人を支配し、この世界を自分の思い通りにしようとしていることが、まったくもって気に入らない。


 ラースは眼の前で自分を守ってくれているバーナデットの肩越しに青騎士を睨む。


 ……いま、聞くべきか。


 もっと他に色々と聞きたいことが増えてしまったが、まずはこの窮地を抜けるため、いや、この戦闘に勝利するため、もっとも大事なことを彼女に質問するべきだ。


 ……覚悟を決めろ。ラース・ウリエライト。


 自分にそう言い聞かせてから、ラースは一度だけゆっくりと息を吐く。

「バーナデット」


「は、はい!」

 背後から急に呼びかけられて驚くバーナデット。


「教えてくれ」とラースは言った。「俺は……俺のこの『力』は、どうやって使うんだ? 君は知っているんだろう? この『力』の本当の使い方を」


 無言。


 見えるのは彼女の背中だけ。だから、どんな顔をしているのかは分からない。それでもバーナデットが表情や態度を固くしているであろうことは、空気が張り詰めていくような気配で伝わってきた。


 ……知っているのだ。


「……望みますか?」


 彼女のくぐもった声が聞こえてきた。


「なに?」

 よく聞こえなかった。


 バーナデットがかざしていた手をゆっくりと下ろす。『女神の加護・破邪封陣ディータ・アブソリュート・シェル』が一時的に解除された。


 瞬時にラースは青騎士へ視線を移す。青騎士のゲージはまだ回復していないようだ。こちらへ向かってくる様子はない。


 バーナデットは青騎士のことなどまったく気にもせず、ゆっくりと振り向き、ラースへ対峙する。


 彼女の美しい顔。真剣な眼差し。

 ふと、その目元だけが優しく笑みを浮かべる。どこかしら悲しげにみえる、そんな微笑みだった。


「ラース・ウリエライト。あなたは望みますか? 『星々の担い手アストラ・ブリンガー』を」


 その質問と同時に、彼女の澄んだ蒼碧の瞳に吸い込まれるようにして、これまでの冒険の記憶プレイ・ログが走馬灯のように蘇る。


 はじめてログインしたときの晴れやかな気持ち。

 何度挑戦しても勝てないくらい強かったレイドボスを攻略したときの喜び。

 これまで出会ったプレイヤーとの冒険の数々。

 デランド王国での激戦。

 ヴァシラ帝国へ来てからのこと。

 <かささぎ亭>でのゆったりした時間と、気の合う仲間たち。


 ――そして、バーナデットとの出会い。


 彼女が『アストラ・ブリンガー』を望んでいるのではない。

 俺が望まなければいけないんだ。

 なぜなら、彼女と一緒にいたいのは俺であって、この状況に巻き込まれているわけではないからだ。


 このルートは――、

 俺が選択したルートなんだ。


「イエスだ」とラースは言った。「望むよバーナデット。俺は『アストラ・ブリンガー』をこの手にしたい」


「わかりました」


 バーナデットが一歩前に出る。

 間近に迫った彼女の顔。

 ラースはたじろぐが、彼女は意に返すことなくラースを見つめている。


「二人仲良くお祈りは終わったかい?」

 青騎士がゆっくりと剣を握り直す。もうすぐアクティブゲージのクールタイムが終わるのだろう。



 ハッとして、バーナデットへ意識を集中させる。

 バーナデットがゆっくりとまぶたを閉じる。

「声紋認証……確認。ラース・ウリエライト本人からのリクエストを正式に受諾しました」

 バーナデットが誰に告げるでもなく、そう呟いた。


「何を言っているんだ?」とラースが訊く。「俺が『アストラ・ブリンガー』を求めたら、何がどうなるんだ?」


 閉じていたまぶたを、ふたたびゆっくりと開いていくバーナデット。その瞳は、普段の蒼碧エメラルドではなく、黄金の光を帯びてまばゆく揺らめいていた。


 ……美しい、とラースは思った。


 普段の可憐な可愛さとは雰囲気が違う。そこには成熟した女性が持つ余裕のようなものが感じられる。


 何者にも屈することのない毅然とした黄金色の眼差し。口元は、誰にも崩すことの叶わぬ完璧な微笑みを浮かべていた。


 ――まるで、女神のように。


「あなたに祝福を授けます。ラース」


 バーナデットはそう言うと、両の手でラースの頬を優しく包み込んだ。


 ……え? え? なに? どうした?


 事態が飲み込めない。

 まるで『石化』の魔導術を掛けられたかのように、身じろぎひとつできなかった。


「ラース、あなたに『フリトトの祝福』を……」


 脳が痺れるような、甘い彼女のささやき声。


 思考が働かなくなったラース。


 バーナデットが踵を浮かせる。


 そして――。


 頬を包み込む両手をそのままに、ラースの口唇へ自身の口唇を重ねた。


女神の加護・破邪封陣ディータ・アブソリュート・シェル』とは違う、まばゆい黄金色の粒子が二人の周囲に舞い上がった。

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