036 不思議な縁

「……確かに、ふざけて言っているような表情ではないな」とラースが肩を竦める。「いったい何が起きたんだ? あまり良いニュースではなさそうだけど」


「そうだな……」

 トラコは赤く染まりはじめた空を見上げる。

「事と次第によっては、悪いニュースになるだろう。事実だけ語る。判断は自分でしてくれ」


 そう言うと、トラコは話し始めた。


 バーナデットの不自然な行動。ダンジョン内で一切の攻撃手段を取らず、回復ヒール強化法術エンチャントしか行わないこと。


 そして、なにより説明がつかない制限時間を超えている――と思われる――彼女のプレイ状況。

 だが、彼女がタイムリミットである六時間を超えるためのイカサマを仕組んでいるとは考えられない。

 その様子はまるで、かのような振る舞いであること。


 すべてを説明し終えるまで、ラースは口元に手を当てて何事かを考えているようであった。

 何か心当たりがあるのか、それとも制限時間を超える――あるいはリセットする――なんらかの方法があるのか、その可能性に思いを巡らせているのかもしれない。


 トラコは自分が言っておかなければならないことを一通り話し終え、ラースの表情を観察しつつ最後にどうしても聞いておかなければならない質問をした。


「彼女に自覚があろうとなかろうと、何者かにつけ狙われているのには、それなりの理由があるのだろう。ならばラース、貴様に問うておきたいことがある」


 ラースは声を出さず、トラコへ視軸を向ける。


「もしバーナデットが不正を行っているとしたなら、いったい御主はどうするのだ? それでも、彼女を仲間だと呼べるのか?」


 いつの時代においても、ゲームの世界の外側のことわりを持ち出して、自分に都合のいいようにキャラクターやパラメーターを調整し、さも無敵であるかのように振る舞う『いかさま師チーター』と呼ばれる存在は、忌み嫌われている。


いかさま師チーター』は、相手を騙す以外に他人に接触したりしない。また、どれだけプレイヤーに罵詈雑言を浴びせられたとしても、そんなことは歯牙にもかけない。

 彼らは単に仕事ビジネスとして、難関クエストをあっさりクリアし、貴重なアイテムや莫大な報奨金などを手に入れては、それを闇ルートで他人に売り渡すことによって報酬を得る。


 楽しむわけではなく、金を稼ぐためにだけプレイしている者たちだ。


『アストラ・ブリンガー』においても、どれだけ運営が監視を強め、制裁用の無敵モンスターである『執行者エグゼキューター』まで作り上げても、あるいはプレイヤー有志による自警団のようなギルドでもって警戒していたとしても『チーター』はハイエナのように現れては、ゲームの世界をかき乱して消えていく。


 バーナデットがそういった『チーター』として存在している可能性。


「ないな」とラースは自問に即答する。


「なに?」とトラコが聞き返す。


「いや、なんでもない」とラースは苦笑する。「……バーナデットがもし何らかの不正行為を行っているとして、それを彼女が自覚しているかどうかがまず問題だ」


「……ああ。そうだな」

 トラコは、バーナデットの笑顔を思い出す。彼女が意図的に不正行為をしているのなら、あんなに純粋な笑顔でいられるとは思えない。


「そして、どんな不正行為であれ、それについて運営側から正規の手続きでもって勧告がされないのであれば、俺としては不正行為に当たらないと思っている。まあつまり、今のところ、彼女が自分で意識して悪いことをやっているということはないんじゃないかな、ということだけど」


 いつの間にか周囲のプレイヤーを眺めていたラースは、再びトラコへ視線を戻す。


「それでも、もし万が一彼女が本当に『チーター』として不正行為を行っていて、それを意図的に隠しているのなら――」


「いるのなら?」


 ラースは両手を広げて首を振る。


「どうして隠しているのか? なぜ隠し続けないといけないのか? その理由をちゃんと説明してもらうしかない。俺は、何をするにも自分が納得できなければ一歩も前へ進むことはできないよ」


「そうか」とトラコは言った。

 そうだな。私がラースに言ったように、ラースもまた自分の思いと、相手への信頼を込めて、聞かなければならないことがあるということだ。


 ……自分の思いと、相手への信頼。それはやはり――。


 トラコは短く笑い声を上げる。


「何かおかしいことを言ったか?」


「いや、なんでもない」


 ……それはつまり、この二人の間柄ならば愛の告白ではないか、と思ったが言うのはやめた。この朴念仁には今何を言っても無駄だろう。


 トラコは薄雲が広がる、暮れはじめた空を仰ぎ見る。

「ラース、貴様にバーナデットを守ってほしいと言われたとき、それは単にダンジョン内での護衛程度にしか考えてなかった」


「ああ。俺もそのつもりだったよ」とラースも同じように紅く焼けはじめた空を見る。


「だが今は違う。もしラースとバーナデットが進む道を違えたとしても、私は彼女に付き従い、彼女を守り通すことを、この刀に誓おう」

 そう言うと、トラコは相棒である『退魔刀・叢雲むらくも』を鞘ごと引き抜いてみせた。


「どうして?」とラースは問い返す。

 ……どうして、そこまで彼女を信じていられるんだ?


「……そうだな」

 トラコは『叢雲』を鞘に納める。

「こんな私の成りきり趣味に、少しも気後れせずに付き合ってくれる貴重な友人だ。手放すには惜しい逸材だと思わないか?」


「ははっ。確かにそりゃそうだ」と思わずラースも笑う。


「……すまないラース。貴様の本心を知りたくて、ずいぶんと意地の悪い言い方をした。謝罪しよう」


 トラコはラースへ向き直ると、武士らしく丁寧に頭を垂れる。


「いや、意地悪だなんて思ってないよ。それよりも――」


 トラコは顔を上げ、姿勢を戻す。


「――それよりも、そこまで本気でバーナデットのことを心配してくれて、守ってくれていることに感謝しているよ」


「そうか」

 トラコはそう言うと、安堵の笑みを浮かべた。

 自分もそうだが、バーナデットもラースたちからすれば新参者だ。ヨハンやヴィノ、ミアたちからすれば、わざわざ平穏な楽しい日常にトラブルを持ち込んできた厄介者でしかない。


 なのに、彼らは誰もバーナデットと離れようとしない。

 さらに言えば、バーナデットに襲いかかったという事実があるにも関わらず、見ず知らずの自分のような者までも、いつの間にか仲間として認めてくれている。


「……不思議なえにしだな」とトラコは呟く。

「え?」

「いや、なんでもない」と首を振る。


 トラコはこれまで、自分のこの性格が災いして、パーティを外されてきたことが何度もある。


 自分のキャラ設定を優先した戦闘スタイルが、協調性がないと責められたり、外部アプリを多用した合理的で作業的すぎるゲームプレイに嫌悪感を覚えて離脱したり……。


 せっかく別世界での冒険に没頭することを求めているのに、合理的なレベリング、作業として割り切ったクエスト攻略……というプレイヤーの多さにうんざりして、いつしか他人と関わることを遠ざけていた。


 やがて、いつしかホームの街では、腕は立つけど変わり者、というレッテルを貼られ、誰も近寄ってこなくなってしまった。


 そんな中、ラースたちのような集まりはむしろ珍しい部類に入るだろう。

 まともに潜ったのは<廃坑>の一度きりだったが、これだけ手練が揃っているのなら、はぐれたときなどは当たり前のように外部アプリで連絡を取り合うのが常套手段のはずだ。

 しかし、彼らはそうしない。


 もちろんやり方は知っているだずだ。道中ミアにも確認した。


 ラースとヨハンが落とし穴で落下したときだ。


「まあ、あの二人ならどっかで合流できるから大丈夫だよ」

 ミアはあっけらかんとそう言った。


 ……外部アプリで連携した方が早くないか?


 そう聞くと、ミアは「うーん」と考えながら独り言のようにつぶやいた。

「それだと、なんか雰囲気ぶち壊しじゃない? せっかく別の世界に来たのに、わざわざ夢から覚めるようなことをしなくてもいいんじゃないかな?」


 そのとおりだ、と思った。


 何のことはない。彼らが自分を受け入れてくれるのは、同じようにこの世界を楽しんでいる者同士だからなのだ。


「どうした? にやけたまんま固まって」

 ラースが怪訝そうに眉根を寄せる。


「いや……なんでもない」

 トラコは愛刀『叢雲』の柄をぽんぽんと叩く。

「では、私はこれで失礼する。彼女ならもうじき戻ってくるだろう」


「そうか」とラースも心なしか晴れ晴れした表情で応える。


 トラコは、そんなラースの自然な笑みを横目で見遣り、そのまま出口へ向かおうとする。


「トラコ!」

 ラースが声を張り上げて呼び止める。


 トラコは返事をせずに振り返る。


「ありがとう。これからもよろしくな」


「……ふっ」

 トラコは目を伏せて軽く手を振るだけに留める。


 ……こちらこそ。


 そう言いたかったが、照れくさくて言葉に出せなかった。



 ■時間経過

 ■帝都ヴァンシア 近郊

 ■狂女王の試練場 広場


 トラコが去った後、ラースは<狂女王の試練場>に隣接している広場の端っこに腰を下ろし、行き交う冒険者たちを見るともなしに眺めていた。


 思考は相変わらずの堂々巡り。

 トラコとの会話で知り得た新しい情報がさらに追加され、その分、無意識に漏れるため息の数も増えた。


 ……プレイ時間に制限がない……か。


 よりにもよって、メタゲ法がもっとも厳しく監視している部分じゃないか。

 トラコから聞いた話だけでは、バーナデットが六時間を越えるイカサマをしているかどうか、はっきりとしたことはわからない。


 あくまで、リンから聞いただけの状況証拠に過ぎない。

 細かくプレイ時間を節約してログイン、ログアウトをしていれば――それと幸運に恵まれてかなり短時間でダンジョンをクリアしていれば――不可能な時間ではない。


 ……と、思いたいところだが。


 そこまで考えて、ラースは肩を落として大きくため息を吐く。


 ……そもそも、そんな細かい調整をできるなら、とっくに熟練者として育っているはずなんだよな。


 彼女と出会って、まだ五日間しか経っていないが、どうみたって熟練者の振る舞いじゃない。

 どちらかと言えば初心者丸出しである。

『アストラ・ブリンガー』に対して初心者であるというよりも、そもそもゲーム自体が初めてなんじゃないか、と思えるような節がある。


 人との接し方、パーティでの立ち居振る舞い、どれをとってみても、ぎこちない部分がある。


 ……それも、この数日でだいぶ改善してきたようだけど。


 最初は人形めいた冷たさのあったバーナデットの表情や口調は、今では遠慮なく感情を表に出すまでになっている。これはミアやトラコのおかげだろう。


 仲睦まじく、腕を組んで歩いている恋人同士のような冒険者がラースの前を横切る。


 ……そう。まだたった五日しか経っていないのだ。


 トラコと決闘デュエルをしたのが、もうずいぶん昔のことのように感じられるが、それだって数日前のこと。


 バーナデットを狙っていたトラコが、今じゃ彼女を守る腕利きの護衛になっている。


 世の中には自分の予測なんて、鼻で笑われてしまうくらい不思議なことが起こる。


 そもそも今のこの状況が不思議なことだらけなのだから、これから先のことを考えるなんて行為に意味があるとも思えない。


 堂々巡りだ、と思った。


 バーナデット。謎のパワーアップ。青騎士。『女神隠し』。元老院の動き。謎の少年……。


 ――あなたも、彼女に問われています。


 タチアナに言われた言葉。


 ――「あなたはこのゲームをクリアしたいと望んでいますか?」


 バーナデットに言われた言葉。


 俺の望み……。

 彼女の望み……。


 その、先にあるものは……。


 恋人同士のような冒険者を眺めていた視線は、その二人が去っていったあとも広場の出入り口をみるともなく見つめたままになっていた。


 一点を無意識に見つめていたラースの視界を白と青の法衣が遮る。


「ラース?」

 バーナデットが怪訝そうに屈み込んでラースの顔を覗き見ていた。


「バ、バーナデットっ!……いつの間に」

 思考の世界に浸りきっていたラースは驚いて彼女を見上げる。


「けっこう手前から声をかけていましたよ」とバーナデットが笑いながら振り返る。


 そこには、おそらく彼女と一緒に潜っていたであろう冒険者たちが、思い思いにバーナデットへ手を振っていた。


 そんな彼らに笑って手を振り返すバーナデット。


 赤みを増した夕日を浴びる白金の髪が、そよ風に揺れるたびに小さな煌めきを宿す。


 ……綺麗だ。


 ラースは照れるよりもさきに、バーナデットに見惚れてしまう。


 ……っ! いかんいかん。


 我に返って、精神的な落ち着きを取り戻すべく咳払いをする。


 平静を装うために、ゆっくりと腰を上げる。

 目の前には、クエストを無事にやり終えて充実しているのか、瞳を輝かせているバーナデットがいる。


 ――愛の告白か?


 トラコの言葉。


「だから、違うって」


「え? 何が違うんですか?」


 思わず声に出てしまっていた。


「い、いやいや。何でもない。ちょっとした独り言」


「ふふっ。変なラース」


 大したことではないのに、よく笑う。

 なんだか、さっきまで身を強張らせていた自分がバカみたいに思えてしまうほど、屈託のない笑顔だ。


「楽しそうだね。無事にクリアできたんだ」


「はい。それはもうっ!」とドヤ顔で鼻を高くするバーナデット。「ラースたちと一緒に潜るダンジョンも面白いのですが、やはり自分のレベルにあった相手と一緒だと、緊張感と達成感が違います。一回一緒に潜っただけで仲良しになれるくらい、ハラハラドキドキの連続でした」


「それは良かった」

 彼女が楽しそうだと、自分までなんだか嬉しくなる。

 ラースの顔も自然に綻んでいく。


「どうしてここに?」


「え、ああ……そうだな……」

 なんだか、話し出すタイミングを逃した。


 ラースはしばらく周囲を見渡して次の言葉を探す。


「ま、まあ深い意味はないんだけど、良かったら少し一緒に散歩してから落ちようかなと思ってね」


 ……な、なんだこの言い訳。考えた挙げ句にこれか? 君が好きだから一緒に帰りたいって言ってるのと一緒じゃないか。


 口にしてから急に恥ずかしくなる。おそらく顔が真っ赤に紅潮しているだろう。

 夕日のおかげでなんとか誤魔化せている……か、どうだろうか?


「嬉しい。私もラースと話がしたいと思っていたんです」


 そんなラースの焦りも気にせず、バーナデットが意外にも誘いに食いついてきて、さらに驚く。


「え? あ、そ、そうなんだ。それは何より……」


「はいっ! 実はパーティ編成について、前衛職と後衛職のバランスが悪い編成で、どう振る舞うのが良いのかアレコレ聞きたかったんです」


 ……なんとまあ、色気のない話だこと……。


 ラースは自分の言葉が彼女の琴線にまったく触れていないことに安堵するとともに、なぜか分からないが幾ばくかの挫折感を味わいつつも、とりあえずこれで良かったんだと自分に言い聞かせる。


「じゃ、じゃあ帰りの道すがら色々と相談に乗ろうか」


「はいっ!」


 意気揚々と歩き出すバーナデットの少し後ろで、ラースは彼女にバレないように小さなため息をついた。

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