035 愛の告白か?

■時間経過

■ヴァシラ帝国 帝都ヴァンシア

■老狐の隠れ家亭


「バーナデットを守れ……か」

 カムナはそう呟くと、杯に残っていたエール酒を飲み干した。

 ラースが伝えたのは三つ。

 自分の魔導術の異常なパワーアップ。

『青騎士』と呼ばれる存在に付け狙われていること。

 そして、謎の少年アバターに救われるも、その少年についての情報はなにもない、ということ。


 あえて言わなかったことはバーナデットについての情報。

 彼女には物理的な攻撃力がほとんどないということ、そして法術による攻撃は一切できないこと。この二つについては説明しなかった。


 なぜなら、その理由について何一つ――憶測ですら――説明ができなかったからだ。


 それに、理由の如何に関わらず『青騎士』に狙われている事実は変わらない。さらにカムナ騎士団を経由した元老院からの監視もある。


については言っておきたいことがある」とカムナが言う。「ついさっき、バーナデットの監視任務は終了した。元老院にしてみればある程度、彼女の行動範囲が把握できればそれでよかったみたいだからな」


「そうですか」とラースは考える。


「今のラースさんの話を踏まえて考えてみれば」とタチアナは再び少年の画像を表示させる。「この画像を撮影したのは、その『青騎士』ということになるでしょう。もちろん本当は動画のはずですが」


 ラースは肯くと同時に、リンが<廃坑>へ入る前に実況放送していたことを思い出す。

 普通のプレイヤーでさえ動画で撮影しながらダンジョンを攻略する時代に、わざわざ静止画だけを撮影するわけがない。


「ということは、マルクトが言っていた高性能監視ボットとは『青騎士』のことで間違いないでしょうね」


「……ですね。これでなんだか筋道が立ってきそうです」とラースが言った。


 まだ不可解な部分はある。たとえばトラコが出会ったという、喋る『青騎士』の存在。

 トラコは『青騎士』がプレイヤーだと信じて疑わなかった。その接し方になんの不審も抱いていなかったからこそ、ラースのように彼らに対してなんの探りも入れることをしなかったのだ。


 ラースにしても、最初に<かささぎ亭>で『青騎士』と遭遇したときに普通に話し掛けられていたら、わざわざ『解析アナリシス』を使ってまで相手の動向を探ったかどうかわからない。

 バーナデットの極度の緊張と、言葉を一切発しない『青騎士』の機械のような動き方。

 それらがあったればこその疑念だったように思う。


「なるほど……」とカムナが吐息混じりに言いながら頭の後ろで腕を組む。「大体のことは理解した」


「理解……できたのですか?」

 タチアナが目を丸くして聞き返す。

「まあな。とにかく情報がないから、この少年のことは分からない……ってことは理解できたぜ」


「……まったく」とタチアナが首を振る。


「それでいいんだ。元老院への報告はな」と口角を上げる。「マルクトが俺たちに知られたくない事実ってやつが、今ラースから聞かされた情報の中にあるはずだ。どれが本命なのかはまだわからないけどな。だからこそ、俺たちは今だ鋭意調査中ってことにしておくのが得策なんじゃねえか?」


 タチアナが目を丸くして驚いたようにカムナを見る。

「……なるほど」


「だろ?」とカムナが続ける。「マルクトの視点から考えてみれば、アイツは俺たちに『青騎士』や、ましてや襲っているラースについても、知られたくはないはずだ。そのための静止画だってことだろ。これらの事実が指し示していることは、運営がユーザーを襲っていることになるわけだからな」


 その目的が、バーナデットの『何か』であり、関連しているのが自分の『力』である。

 少年はそう仄めかしていたことになる。


 やはりバーナデットと直接話さないことには先に進まないようだ、とラースは思った。


「ありがとよ、ラース」とカムナが立ち上がる。


 つられるようにしてラースも席を立つ。


「とりあえず謎の少年が不正行為をしているのかどうかは黒寄りのグレーとして、問題はそれよりも元老院の動きの方にありそうだ」


「ちょっと気味が悪いですね」とラースは言った。「直接的な勧告を個別にしてくれれば、それで対処できそうなことなのに、どうしてこんな回りくどいことをしているのか? その真意がどこにあるのか……」


「もうひとりの当事者に聞いてみるしかねえだろうな」

 カムナはそう言うと、ラースの肩を軽く叩く。


「今度、その少年に会ったら伝えてくれ。カムナが会いたがっていたってな。騎士団としてではなく、あくまで個人的に」


「……分かりました。また会う機会がない方が平和な気がしますけど」

 ラースが苦笑すると、カムナは不敵な笑顔を作る。

「残念だが俺の直感が、お前は絶対にまた会うだろうと言っているよ」


「直感……ですか」とラースが肩を竦める。


「ああ。今は……

 そう言うと、カムナはそのまま個室のドアを開けて出ていった。

 その後ろにタチアナが続く。

「くれぐれも気をつけて」

 短くそう言い残して、タチアナも出ていった。


 ……バーナデット。


 ラースは最後に店を出ると、その足で<狂女王の試練場>へと向かった。



■時間経過

■帝都ヴァンシア 近郊

■狂女王の試練場


「よくもまあ、今のクエストをクリアできたものだ。だいぶ腕を上げたじゃないか」

 <狂女王の試練場>から出てきたトラコとバーナデットは、意気揚々と広場へ向かって歩いていた。


「トラコさんが的確にモンスターとの距離を保ってくれているからです。やっぱり熟練者と一緒に潜ると、詠唱時間に余裕ができますね。これまで当たり前のことのように思っていましたが、自分と同じレベルの人たちと潜ってみると、トラコさんやミアの凄さを実感します」


「ふふん」

 思わず鼻が高くなってしまう。


「また皆さんでダンジョンへ行きたいですね」

 バーナデットも上機嫌でロッドを振りながらトラコの前をスキップしていく。


 その楽しげな後ろ姿を眺めながら、トラコはバーナデットに気づかれないように表情を曇らせていた。


 ……これで七時間が経過したわけか。


 午前中に自分とプレイした二時間。破廉恥騎士のリンが見かけた四時間分のプレイ。

 そして、たった今二人でクリアした一時間。


 もし、バーナデットが――リンの見間違いなどではなく――ずっとこのアストラリアの世界に居続けているのだとしたら……。


 明らかに不正行為だ。


「――ん?」

 トラコの動揺を察知したかのようにバーナデットが振り返る。


「どうかしましたか? やっぱり今日のトラコさんは変ですよ」

 心配そうに自分を覗き込む美しい少女。

 この表情が演技だとは思えない。

 不正行為をしているという後ろめたい罪悪感も、他人を出し抜いてほくそ笑んでいるような優越感も彼女からは感じられない。


 ルールを故意に破っている者には、それなりの理由や信念のようなものがある。

 大半はねじ曲がっている信条だが、何にせよ、


 どれだけアバターを取り繕おうと、全身を鋼の甲冑で覆ったとしても、その立ち居振る舞いから、声の震わせ方から、なんとなく胡散臭い雰囲気というものは滲み出てくるものだ。


 だが、バーナデットからはそれら不穏な気配は微塵も感じられない。

 もしこれが、巧妙に隠されてている演技としての振る舞いだったとしたら、もはや自分にその真偽を確かめる術はないだろう。


 ……まあいい。


 トラコは微笑む。


「すまない。ログイン時間を確認していたんだ。私はもうすぐでタイムアウトだ」


 太陽は大きく西に傾き、ヴァシラ帝国――ひいてはカダレア大陸全土に夕暮れが迫っていた。

「<かささぎ亭>に顔を出そうと思っていたんだが、時間的に無理そうだな」とトラコは続ける。「今日はここでログアウトすることにしよう。バーナデットはどうする?」


「そうですねえ……」とバーナデットは眉を寄せて考える。「私はもうちょっとだけソロで練習していきます」


「ふっ……もうちょっと、か……」

 笑顔でそう言うバーナデットに、トラコは観念したように首を振る。

「トラコさん?」


 トラコは、バーナデットの頭を優しくポンポンと叩く。

「どうしたんですか?」と不思議そうな顔をするバーナデット。

「いや、なんでもないんだ。キレイな白銀の髪だな」

 バーナデットが照れたように笑う。


 もし彼女のプレイ時間におけるなんらかの不正行為があったとしたら、とっくに運営からの勧告が彼女の視界に表示されているはずだ。最悪の場合『執行者エグゼキューター』がこの場に出現してくるだろう。


 バーナデットが心配そうにこちらを窺っている。

 それはそうだ。これだけ無言で見つめられれば、誰だって不安になる。


 トラコは目をつむり、短く息を吐く。

「あまり根を詰めすぎるなよ、バーナデット。休息のタイミングを計れない冒険者は、いずれ自滅する者がほとんだ」


「わかりました」とバーナデットが言う。「あと一回潜ったら、ちゃんと休息をとります」


「ああ。そうしてくれ」

 トラコは去り際に手を上げながら付け加えた。

「寝不足は美容と健康に悪い、と破廉恥なアイドル騎士が言っていたぞ」


「分かりました」とバーナデットが笑いながら言う。「お疲れ様でしたトラコさん。また明日」


 トラコは上げている手をひらひらと動かして、そのまま振り向かずに広場へ向かって歩き続けた。



■時間経過

■帝都ヴァンシア 近郊

■狂女王の試練場 広場


 トラコが<狂女王の試練場>の入り口にある広場からヴァンシアへと至る街道へと向かっていると、前方からラースが向かってくるのが見えた。


 向こうもこちらに気づいて、少し早足で接近してきた。


「今日はもう終わりか」とラースが言った。「バーナデットは?」


 トラコは後ろを振り返り、思い出したように笑みを浮かべる。

「彼女は……まだ遊んでいるよ」


「そうか。もうクエストをはじめちゃったかな」

「どうだろうな」とトラコは言った。「今さっき別れたばかりだが、まだまだ広場にはたくさんのプレイヤーがいたからな。おそらくもう潜っているだろう」


「仕方ない……。少し待つか」

「どうかしたのか?」とトラコが訊く。


「ん? ああ……。ちょっと、彼女に大事な話があってね……」

「愛の告白か?」


「なっ! なんでそうなるっ! 普通にマジメな話だよ!」

「こちらもマジメな話のつもりなんだがな」

「どこがだよ」とラースが言う。


「彼女のことを本気で大事に考えているのなら、私は貴様に言っておかなければならないことがある」


 トラコはラースの正面へ立つ。

 差し出がましいことなのかもしれない。

 ラースとバーナデットの関係に亀裂が生じるかもしれない。


 だが――。


 自分を仲間だと言ってくれたバーナデット。

 その彼女を守ってくれと頼んできたラース。


 この二人から受けた信頼に応えるのならば、黙っていてはいけない。

 トラコはそう思った。

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