034 悪い癖

■時間経過

■ヴァシラ帝国 帝都ヴァンシア

■老狐の隠れ家亭


 陽が傾きつつあった。

 カムナの、真紅の鎧で覆われた背中を見るともなしに眺めながら、無言で歩いていく。

 バーナデットと話さなければいけないという焦りはあるが、カムナ騎士団の真意というものも確認しておきたいところであった。


 ……団長やタチアナさんが敵だとは思わないが。


 彼らがヴァシラ帝国の公式騎士団として認められているということは、多かれ少なかれ元老院の息が掛かっているということだ。


 せめてバーナデットを監視していた理由だけでも判明すれば……。


 雑多な南西エリアの<職人通りスミス・ストリート>から、大通りを抜けて東側にある高級品を取り揃えている豪奢な店が立ち並ぶ<貴賓街通りアップタウン・ストリート>へ。


 さらに路地へと入っていく。


「ここだ」とカムナは振り向きもせずに呟く。

 目的地である建物はテラコッタ風の白い壁で突起の少ないデザインで構成されていた。

 小さな丸窓が所々にはめ込まれているが、磨りガラスになっていて内部を見ることはできない。

 入り口は引き戸。洋風の佇まいであるにも関わらず、引き戸の前には白く染められた麻の暖簾が掛けられている。その暖簾を潜ると表札のような小さな御影石のプレートがあり<老狐の隠れ家亭>と掘られていた。


「ラース」と、奥からカムナの呼ぶ声がする。

「は、はいっ」

 店名が掘られていたプレートを見ていたラースは慌てて玄関へと入っていく。


 純白の建物とは打って変わって、店内は黒曜石と黒漆の木材で統一されていて、落ち着きのある静謐な空間となっていた。

 照明も最低限しかなく薄暗い。いかにもプライバシーを気にする高級ラウンジといった趣だ。


 仮想経済圏メタバースの世界において、商人プレイヤーや各業種の有力者が秘密裏に取引や商談をするための場所なのだろう。おそらく会員制であり、料理や飲物の値段も<かささぎ亭>とは桁が一つ違うくらいの料金設定のはずだ。


 ……カムナ騎士団……やっぱり凄いな。こんな店に顔パスで入れるなんて。


 まるで執事のような寡黙な店員が丁寧に個室へと誘導していく。


「こちらでございます」と執事のような店員がドアを開ける。


「……タチアナさん?」

「ご無沙汰しています。ラースさん」


 先に到着していたタチアナが席を立つ。


「ここで話す分には目立たないだろ。少なくともお前の行きつけの酒場よりはな」

 カムナが身振りで座るように促す。


「そうですね」とラースは座りながら言った。「以前、団長が<かささぎ亭>に来たときは、それだけで掲示板にスレッドが立ちましたからね」


「まあ、ゲームの範疇を超えない笑い話のレベルならそれでもいいんだがな」

 カムナが執事風の店員に片手で合図する。

「ペール・エール酒を二つ」

「かしこまりました」


 店員は音もなく部屋から出ていく。


「ヴァシラの商人ギルドを取り仕切っているモーゼルって奴を知っているか?」

「……ええ、まあ、名前くらいは」


 ……確かモーゼル・アルカザールだったか。


「ちょっとした知り合いでな。この店もモーゼル商会が取り仕切っている。清廉潔白な聖人ってわけじゃないが、金の絡む取引では絶対に裏切りや抜け駆けはしないタイプの男だ。その分けどな」

「……はあ」


 話の真意が分からず、ラースは曖昧に返事をする。


「つまり何が言いたいかというと、規定の契約料を払ってこの部屋で会話をする限り、その内容がどんなものであれ、運営にさえ探ることのできない鉄壁のセキュリティで守られているってことだ」


 商人。


 物品の売買から、対外交易、不動産取引まで、およそ『商売』と名のつくあらゆる行為が可能なこの世界アストラリアにおいて、彼らの存在は冒険者と同じくらい大きなウェイトを占めている。


 通りの露天商からはじめて、やがて店舗を持ち、スタッフ――アストラリアンでもプレイヤーでもよい――を雇って店舗を増やしていく。

 そういった育成ゲームの類が好きなプレイヤーに好まれる職業である。


 仮想経済圏メタバースを根幹にしているオープンワールドの特徴は、ゲームの世界で稼いだ仮想通貨を現実の主要な通貨へ換金できる点である。


 これにより大手企業が当たり前のようにゲーム内で店舗を出しているし、個人でアセット品を売っている小売業者のような者も多数いる。


 商人ギルドとは、そんな小売業者のプレイヤー(つまりゲーム内における個人事業主たち)を取りまとめ、無用なトラブルを抑えつつ商いのルール作りをしていく組織ともいえる。


 とうぜんそのギルド長ともなると、影響力を及ぼせる経済力と実績によって、他者が文句を言えないくらいの実力者が選定されているわけだから、モーゼルというプレイヤーはきっと、それなりに商人として成功している人物なのだろう、というくらいにしかラースは知らなかった。


 執事風の店員が飲み物をトレイに乗せて戻ってきた。


 静かにペール・エール酒をテーブルに置く。タチアナはすでに自分の飲み物を注文していたので、これで全員分のグラスが揃った。


「ごゆっくりお寛ぎくださいませ」

 抑揚のない声でそう言うと、執事風の店員はやはり音もなく出ていった。


「まあ無駄口はこのくらいにしておこうか」

 店員が出ていくと同時にカムナはそう言うと、タチアナへ目配せした。

 その意を汲んでタチアナが小さく肯く。


 カムナが杯を掲げる。ラースも慌ててそれに合わせるようにグラスを持ち上げて、同時にエール酒を口に含んだ。


 タチアナがその間に自分のメニュー画面を開いて、一つのアイテムをタップする。

 すると、テーブルの中央に一枚の画像が表示された。

 ラースはその画像を見た瞬間に、思わず口に含んだエール酒を吹き出しそうになって慌てて飲み込み、そのせいで激しくむせることになった。


「おいおい、大丈夫かよ」


 マンガのように文字通り「ゲホゲホ」とむせながら、ラースは片手を上げて心配ない、と意思表示をする。


 映し出されている画像は、一人の少年の姿。

 それは自分が<廃坑>で助けられた、あの生意気な少年の姿であることは間違いなかった。


「まったくもって分かりやすい奴だな。お前は」とラースが呆れる。

「いや……これは、まったくもって不意を突かれたという他ないですね」

 まだ喉に違和感があるように咳払いして調子を整える。今度は落ち着いて、ゆっくりとエール酒を一口飲む。

「どういうことです?」とラースが落ち着きを取り戻して訊く。

「それはこっちの台詞だよ」とカムナが憮然として言い返す。「? そしてお前はこいつとどういう関係なんだ?」


 カムナの鋭い眼光から逃れるようにタチアナをみる。しかし、彼女のその無表情からは何も読み取れない。

 しかし、彼女がこの画像を自分に提示しているということは、この少年と自分が何らかの接点を持っているということは、お見通しなのだろう。なんの根拠も、勝算もなく、いきなり少年の画像を見せてくるような女性ひとではない。


 ラースは先日読ませてもらったタチアナ・レポートを思い出す。

 あの調査力があるのだから、ここで白を切り通せるわけがない。よしんば今「なんの証拠があってそんなことを言ってるのか?」と問うたとして、おそらくすぐにその証拠を示してくるに違いない。


 それにしても……昨日の今日で、もうそんな情報が流れているというのが気になる。

 確かに、この少年の常軌を逸した実力は不正行為に近いものなのかもしれない。


 ――自分の存在を可能な限り不確定なものにする。


 確かそんなことを言っていたな。それはつまり、このように露見する事態を避けたいということなのだろうか。


「なぜ黙っている? 別にお前を咎めているわけじゃあないんだぜ」とカムナが言う。「俺らが知りたいのは、この小僧のことだけだ。お前がどこで何をしていたとしても、今はそれをとやかく言うつもりはない」


 ラースはタチアナへ視線を移す。

 彼女は無表情で無言であるが、それでも自分に対して「大丈夫」だと肯いてくれているような気がする。

 ……確かに、これは俺に対する尋問ではない。もしそうなら、カムナ騎士団本部で事が足りる。


 そこまで考えて、ラースはあることに気づいた。

 さっき、団長は自分に対してヒントを提示してくれたのだ。


 この場所であれば運営でさえ盗み聞くことができない――と。


 正直に語るしかないか、と思った。それに嘘をつく必要もない……とも思う。


 ……だが、喋る必要のないことをわざわざ話すこともない。

ラースはゆっくりと、慎重に言葉を選びながら話しはじめた。


「……関係というほどの間柄でもないんです。出会ったのは昨日が初めてですし、何も俺が会いたくて会ったわけでもない。コンタクトを取ってきたのは、むしろ向こうからという感じでした」


「……名前は?」


「聞く時間がありませんでした」


 これは本当のことだ。

 ……そういえば、彼に関して言えばプロフィール・ウィンドウすらなかったのではないか? あまりにも唐突で、ショッキングな内容だったので、そこまで思い至らなかった。


「その少年アバターは、何らかの不正行為を働いていると思いますか?」

 タチアナが切り込むように口を開く。


「……そうですね」とラースは少年の行為を振り返る。「正直に言えば、俺はこの少年に助けられました。彼がいなければ、かなり大きな損失を招く蘇生が必要だったでしょう。だから、彼が罰せられる程の悪質な不正行為をしているか? と訊かれれば、ノーと答えたいところです」


 カムナとタチアナは黙っている。


「――ですが、純然たるプレイヤーとして行動しているかと言われれば、それもまたノーです。この少年は青銀の騎士……もとい『青騎士』と呼ばれる不正改造されたキャラクターをも、いとも簡単に撃破できるほどの不思議な力を持っていました。さらに、空間を跳躍できるチート・スキルもあるようです」


「……『青騎士』ですか……」


「そう言っていました。誰が名付けたのかは知りませんが」


「……なるほど」とタチアナが口元に手を当てて、何かを得心したように肯く。


「その『青騎士』ってのは、お前がタチアナに言っていたストーカーみたいな奴らだろ?」


「そうです」


「不正改造されていると言われていた『青騎士』をいともたやすく葬ったあげく、伝説級の魔導術師じゃないと知ることすらできない『時空魔導術ホーフロウ』まで使いこなしている名も知らぬ少年アバターか」


 カムナが腕を組む。


「そんな凄腕なプレイヤーなら、名前くらい見当がつきそうなものなのに何もわからない……。一切の情報がないプレイヤーってのも、それはそれで不気味なんだよ。たとえそれが正義の味方であったとしてもな……。どう言い繕ったところで不正行為は正当化されちゃいけない。だろ?」


「確かに……自分が救われたからと言って、彼が善良であるという保証はありませんね」


「お前の悪い癖だぜ、ラース」とカムナが身を乗り出す。「もっと腹を割って話せよ。お前はまだ今のところ小僧の客観的な印象しか話していない。上っ面の状況報告じゃなく、お前がなにを体験し、目撃したのか? 俺はそれが知りたいんだ」


「団長……」


「言っただろ? なんで高い金払ってこの場所に連れてきたのか? 少なくとも、お前と社交辞令の応酬をするためじゃあねえんだ」


 ラースはカムナの視線を受け止める。その横に座っているタチアナが、今度ははっきりと大きく自分に向かって肯いてくれていた。


「俺は今でも、お前の戦友だと思っているんだぜ、ラース」


 ……そうだな。いつだってこの人は、俺のことを信用してくれていた。


 まだ自分やカムナがヴァシラ帝国で落ち着く前のこと。『アストラ・ブリンガー』における戦国時代とも揶揄されているヴァージョン4での大激戦。

 あの、裏切りと策謀が当たり前のひどい環境下のときでさえ、カムナは自分のことを信じて行動してくれていた。


 ……今度は、俺が団長を信じる番になったってことか。


「分かりました。全てをお話します」とラースは真正面からカムナに向き合う。「最初に言っておきます。はっきり言って俺は、現時点でこの帝国の元老院というものを信用していません」


「なるほど」とカムナが嬉しそうに言う。「奇遇だな。俺もだよ」


 その言葉を聞いて、ラースもほくそ笑む。

 ……そう。腹を割って話せば応えてくれる。この人はそういう人なんだ。


 ラースは昨日<廃坑>で起きたことを順を追って、できるだけ細部を思い出しながら語りはじめた。

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