033 計算が合わない

「アレレ? もしやもしや、その凛々しい出で立ちワ! ……えーと、トラさんでしたカナ?」

 聞き覚えのあるわざとらしいアニメ声。肌を見せることを目的としているかのような機能性皆無の鎧。


 ……鎧というよりは鉄板の貼り合わせだな。


 露出の多い鎧姿という、相反するコンセプトを見事に体現しているうつけ者。


 ……名はなんと言ったか……いや、その前に。


「私の名前はトラコだ」


「ニャニャッ! これはこれは申し訳ないのデス。ボクってば人の名前を覚えるのが苦手なのですヨ。スミマセン」


「気にするな」とトラコは涼しい顔で言う。「じつは私も御主おぬしの名前を思い出せなかったところでな。お互い様であるなら気も楽というものだ」


「ナントッ! それは困った問題でありマス。アイドルとして一度の自己紹介で覚えてもらえないというのは致命的なのデス!」


 トゥッ! と掛け声をかけると小気味よく跳躍してトラコの正面へと移動する。

 軽く土煙が舞うほどの勢いでつま先立ちでモデルのようなポーズを取る。


「アストラ・ブリンガー界に輝く可憐なるキラ星! 羽ばたく翼の折れた気まぐれ天使! 超絶美少女アイドル・ナイト! よろしくマジック! リン・ケージだよ☆」


 ワンフレーズごとに派手な身振り手振りで動き回り、最後の決めポーズをとったときに効果音がなった。自動で鳴るように衣装に細工が施されているのか「シャキーン。ピロピロー」という白けた音源がポーズと微妙にズレて鳴るという気持ち悪さを見る者に感じさせる。


 ……そうか。なぜこの娘の名が覚えられないか、いま理解した。前置きが長すぎて最後の名乗りまで意識を集中できないせいだ。


 キラ星なのか天使なのか、いまいちよくわからない。


 だがまあ、それを指摘する必要もあるまい。おそらく名前を忘れたと言えば、何度でも今の奇っ怪な自己紹介をやってくれるだろう。


「誰かと待ち合わせですカナ? トラコどのも隅に置けまセンナ~」

 リンが肘で突っついてくる。


「まあな」と意に介さずトラコは言う。「御主こそ一人とは珍しいではないか。いつぞやの有象無象な取り巻き共はどうした」


 <廃坑>で出会ったときに、必要以上に盛り上げていたうるさい連中のことを思い出す。


「アウゥ……ヒドイ言い様デスネ。今日はソロでトレーニングの日なのデスヨ。生配信のアイカメラが揺れすぎで気持ち悪くなるって視聴者様が言うのデ、どう動いたらモニター酔いしないか研究しようと思いマシテ」

 リンはそう言うと、照れくさそうに「テヘヘ」と舌を出して頭を掻く。


「ほお。意外にちゃんとしているのだな」

 トラコは素直に感心した。伊達や酔狂だけでアイドルなどと名乗っているわけではないようだ。ちゃんと応援してくれる者たちのために、より良い楽しみを提供しようと努力しているとは。


「そりゃーマァ、アイドルで糊口ここうをしのごうっていうんですカラネ! ただカワイイだけじゃあ誰もお捻りくれませんカラネ!」


「なるほど」

トラコは無意識に顔を綻ばせる。


 ……このゲームの楽しみ方もまた、人それぞれということか。


「オヤオヤ~? トラコしゃんのデート相手がご到着ではないですカナ?」

 リンが手のひらでひさしを作るようにして前方を眺める。

 トラコも釣られて視線を向ける。


 バーナデットが試練場の方からこちらへ向かってきていた。

 一緒に歩いているのは見覚えのないプレイヤー達だ。


「いやハヤ、なんとも精が出まスナー。


「……なんだって?」

 トラコはリンの言葉に驚く。

「今、二回目……と言ったか?」

「ウンウン」とリンが大きく頭を振る。「最初にチラ見したのがお昼過ぎくらいだったカナ。いま一緒にいるパーティとは編成が違うカラ、たぶん二回目のトライだと思うのデスヨ」


 ……昼過ぎ。私と別れた後、彼女はログアウトしていなかったのか……。


 トラコは無意識のうちに右手を口元に添えていた。考え込むときの癖だ。


 …… いや、有り得ない……はず。……いや、よくわからない。


「……どうかシマシタ? トラコしゃん」

 黙り込んだトラコを覗き込むリン。


「いや……」と否定してから、思い直して声をかける「……リン。ひとつ聞きたいことがある」

「なんでございまショウ?」


「バーナデットが一緒にいるパーティは、確かに二組目だと言えるか?」


「言えますヨ」とリンが即答する。「一組目のパーティにはボクのファンがいたようデ、大きな声でボクの名前を叫びながら手を振ってくれマシタ。だからよく覚えていマスヨ。そして、いま帰ってきているパーティにそのファンの人がイナイ。だから少なくとも二組目だと思ったのデス」


「なるほどな……」とトラコは口に手を添えたまま言った。「リン、御主は一組目とすれ違ってからずっとログインしているのか?」


「イイエ。美容と健康の維持もアイドルの努めですからネ。よほどの事情がない限り六時間連続のフルログインはしませんヨ」


「そうか」

 自分の存在に気づいたのだろう。一緒にいたパーティに別れを告げるように手を振ると、こちらに向かって小走りで駆けてくるバーナデット。


 午前中、バーナデットと二時間の特訓をした。その後に昼食と、リアルでの雑事を片付けるために一度解散した。

 再集合は四時間後の午後四時。


「……計算が合わない」


 彼女には<狂女王の試練場>について、その特徴を説明しておいた。

 個人、あるいはパーティの練度に合わせて、細かくレベル設定が可能な屋外型ダンジョンであり、いつでも誰とでもエントリーすることができる。


 試練場前の広場にはメンバーを募集している中級者のパーティやソロプレイヤーもいる。

 一人で行ったとしても、誰かしら一緒にダンジョンへ潜れる相手をみつけられる親切設計な場所だと。


 だから、おそらく一緒に歩いてきていたプレイヤーたちとバーナデットは先にダンジョンへ入ってみたのだろう。

 それもおそらくは複数回。


 それはまあ、別にいい。


 なにも抜け駆けしてはいけないというルールはないし、個人が誰と一緒にプレイしようが自由なのだ。それを責めるつもりはないし、


 問題なのは彼女がこの四時間、<狂女王の試練場>に居続けていることだ。

 ダンジョンをクリアしなければ、彼女が向こうから走ってくることはない。バーナデットが歩いてきた道の先には試練場への一本道なのだから。


 そう。だからこそ……計算が合わない。


 バーナデットが微笑みながら目の前で立ち止まる。無邪気と言えるほどの微笑。そこに悪意は微塵も感じられない。

「ごめんなさい。ちょっと時間があったから、あの人たちと一緒に簡単なレベルで挑戦してきちゃいました」と別れたプレイヤーたちに笑顔で手を振る。「……お待たせしちゃいましたか?」

 バーナデットが申し訳無さそうにまなじりを下げる。


「……いや、そんなことはないのだが……」


 きちんと確認するべきか?


 判断に迷っているトラコの視界にバーナデットのプロフィール・ウィンドウが映る。


 レベルが四〇になっている。


 決定的だった。


 昨日<廃坑>でレベルが上ったときの数値は三十六。

 これまでの経験上、『アストラ・ブリンガー』というゲームにおいて、短時間でそこまで急激にレベルを上げることは不可能なはずだ。


 しかし……。


「……どうかしましたか?」とバーナデットが不思議そうにトラコを見上げ、首を傾ける。


 もし、自分の試算が合っているのなら、彼女はもう強制ログアウトされる時間ではないのか? 少なくともログアウトの時間が迫っていることを知らせるアラームが鳴っているはずなのだが。


「だ……大丈夫なのか?」とトラコが訊く。


「それは私の台詞です」と苦笑するバーナデット。「さっきから変な調子なのはトラコさんですよ」


「いや、そういうことではなく――」


「それではボクはお先に失礼するデスヨ!」とリンが割って入る。「トラコしゃん、バーナトットしゃん、またお会いしまショウ!」


 そう言って<狂女王の試練場>へと駆け出して行く。


「バーナデットです!」

 リンの背中へ声を張り上げてバーナデットが言った。

「まったくもう……変な人ですね」


「ああ……そうだな……」


「トラコさん……」とバーナデットは彼女の手を優しく握る。


 トラコは不意をつかれて弾かれたように彼女を見つめる。

「体調がすぐれないのではないですか? 無理しないでください。日を改めましょう」


 バーナデットの双眸が不安そうに揺らいでいる。彼女は本当に自分のことを心配してくれているのだ。


 私がバーナデットを心配しているように、彼女も私のことを気遣ってくれているのだ。


 ……ならば、もう何も言うまい。


 彼女は確かに目の前にいる。ログイン時間についての心配もしていない。

 リンの証言にしても、バーナデットをずっと観察していたわけではない。あくまで推測だ。


 なにより、彼女が――この世界を楽しもうとしているバーナデットが、ログイン時間をごまかすような不正を行うわけもない。ましてや、初心者に近い知識でそんな芸当ができるわけもない。


「大丈夫だ。少し考え事をしていてな。それも解決した」


「本当ですか?」


 ……半分嘘で、半分は本当だ。


「気に病んでもしょうがないことを考え続けても埒が明かない、という話さ。もし問題が起きたのなら、そのときにまた考えればいい」


「トラコさんらしい考え方ですね」とバーナデットが微笑む。「本当に無理をしていませんか?」


「ああ。私は楽しみにしていたくらいだ」とトラコもようやく笑顔を取り戻す。「簡単なレベル設定で先行してきたと言ったな。では私と行くルートは少し厳し目に設定して挑もうではないか!」


「はい! 楽しみです」とバーナデットは自分のロッドを握りしめる。


 <狂女王の試練場>へと歩き出す。バーナデットは楽しそうにスキップしながらトラコの前を行く。


 ラースからの頼まれごとを思い出し、彼女の背中にその時の光景を重ねる。


「……任せておけ」


「……? トラコさん、なにか言いました?」と振り返るバーナデット。


「いや」とトラコが笑う。「落とし穴だけは気をつけてくれよ」


「もうっ! 意地悪!」



■時間経過

■ヴァシラ帝国 帝都ヴァンシア

■かささぎ亭


 自身の――現実での――仕事を終えたラースは、ログインするとまず<かささぎ亭>へと向かった。

 朝方、整理しようと思ってまったく整理できていない問題を、もう一度まとめてみようと思ってのことだったが……。


 ……自分に言い訳していれば世話はないな。


 こんなことをしていても埒が明かないことは百も承知している。本当ならバーナデットに直接聞くのが一番の近道なのだ。


 だが、その決断ができない。


 ……なぜか?


 おそらく、彼女に訊くことによって、その口から語られるであろう決定的で覆しようのない事実を知るのが、怖いのだ。


 その事実とはなんだ? 


 ……わからない。だから怖いのだ。まったくもって堂々巡りだ。


 テーブルに無造作に投げ出されている自分の手を見るともなしに眺める。

 そこにバーナデットの細くて白くて柔らかな手が重なったときのことを思い出す。

 彼女と初めて出会ったときのことだ。


 そのときの『青騎士』は彼女を探していた。

 そして<廃坑>の中ではモンスターとして攻撃してきた。


 平然とプレイヤーだけしか入ることのできない街の中で活動し、フィールドではモンスターのように振る舞う、この世界のルールを無視した存在。


 ……本当にそうなのだろうか?


 最初にみた『青騎士』と、<廃坑>で戦った『青騎士』。


 ……これらは本当に同一のものなのだろうか?


 見た目が同じだからといって、中身が一緒とは限らない。


 ルールを破っても咎められることのない存在。『執行者エグゼキューター』の監視網を掻い潜ることのできる存在。


 仮に『青騎士』がプレイヤーでもアストラリアンNPCでもなく、特殊なモンスターだと仮定した場合を考えてみる。


 はたして、そんなデタラメな存在が許される条件とはなんだ?


 カムナ団長との会話を思い出す。


 ヴァシラ帝国の元老院がバーナデットの監視を依頼している。


 タチアナさんは『青騎士』の存在を知らなかった。


 ……元老院が絡んでいるわけではない? いや……。


 ラースは思考を重ねる。


 逆じゃないのか? 『青騎士』だけの監視では充分ではなかった。

 現に<かささぎ亭>でも俺とバーナデットは


 ラースはそこでハッとする。


『青騎士』が対象――この場合はバーナデット――をデータとして参照しているに過ぎないのだとしたら。

 動きもしない、声も出さない……そして『力』もまるで使わないバーナデットを探すことができないのだとしたら……。


 そう考えると、バーナデットと関係している『力』を使った俺に対して反応して出現することも納得できる。


『青騎士』の監視が不十分であるのなら、それを補う方法が必要になってくる。


 そのためのカムナ騎士団。


「……なんてこった」とラースは額にかかる髪を掻き上げた。「辻褄が合ってくるな」


 この国の元老院……ヴァシラ帝国を維持管理している組織。

 つまり『アストラ・ブリンガー』というゲームを運営している企業そのものが絡んでいる可能性がある。


 ラースは一度、大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。

 エール酒を飲もうとして給仕の娘を探すが、別の席で注文を取っていたのでしばらく待つことにする。


 何気なく自分のメニュー画面を表示させて、友達情報フレンド・データを見る。


 現在ログインしているのはトラコとバーナデット。おまけにリン・ケージ。


 ……そういえば、バーナデットはいつ来ても先にログインしているな。


 偶然なのか。それとも、たとえば自分と似たような職種の人なのだろうか。


 ……ということは、なにかの研究職。あるいは大学関係……いや、何のヒントもなしに絞りきれるものでもないか。


 バーナデットとトラコのログインランプが点滅している。

 その表示はダンジョンに潜っているということであり、念話と呼ばれるゲーム内チャットができない状況ということである。


 昨日、二人が話していた<狂女王の試練場>だろう。


 トラコにはバーナデットを守ってほしいということをそれとなくお願いしてある。

 いきなり襲いかかった負い目があるのか、はたまた武士としてか弱き姫君を守る……という設定が気に入ったのか、彼女は快諾してくれた。


 頼もしい限りだ、とラースは点滅しているランプ表示を見たまま目を細める。


 ……仲間が少ないときの方がいいかもしれないな。


 ラースは、なんとも言いようのない焦燥感が湧き上がってくるのを感じる。


 荒唐無稽な仮説だったとしても、運営まで視野に入ってくるような大それた陰謀論にまで発展してしまったことに動揺しているのかもしれない。


 あれほど先延ばしにしようとしてたバーナデットとの対話。


 今はまず、何よりもそうしなければいけない……という気になっている。


 エール酒の注文を諦めて、ラースは席を立つ。


 足早に出入り口へ向かい、その扉を開ける。

 あわやぶつかるという勢いで、真紅の鎧が視界に飛び込んできた。


「……カムナ団長」と、慌てて後ろに下がるラース。

 自分より頭一つ分高い、その長身の騎士を見上げる。

 出会い頭の遭遇に、虚を突かれたような顔をしていた。おそらくお互いに、同じような顔をしていただろう。


「連れ出す手間が省けたな」とカムナが言った。「悪いがちょっと付き合ってくれ」


「今ですか?」とラースが言った。


 元老院の動きを探るという意味では、好都合でもある。

 だが、バーナデットと話をしようと意気込んでいた気持ちに水を差したくないという気持ちもある。


「どれくらいの時間かかりますか?」とラースは訊いた。


「そうだな……」とカムナがとぼけた顔で考える。「大した手間は取らせねえよ。精々せいぜいババ抜き一回分だ」

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