030 偽りの祝福

 ……なにを偉そうに。


 かなりの事情を知っているのだろうが、どうも子供のアバターで言われると腹が立つ。

 あるいはそこまで計算して、他人を煽ることを楽しみにしているのなら、なるほどそのアバターは大正解だ。


 しかし、少年はラースのそんな憤りをまったく無視して淡々と話し続けていた。

「さっきも言ったが、どれだけ威力が増大していようとも、そもそも攻撃のプログラム・コードを無効化されているのだから当たるわけがない」


「つまり君が言っていることを整理すると、こういうことか」とラースは自分が考えたことを口にする。「無効化されない攻撃方法は存在していて、さらに君は俺の不可思議な『力』の使い方を知っているということか?」


「知っている」と少年は言う。「だが、私が知っていても意味がないことだ。君が理解しなければいけない」


 ……できるのならとっくにやってるさ。


 ラースは思わず口を尖らせる。


 どうにも情報量が多すぎて頭の中の整理が追いつかない。この子供の言うことを整理するよりもまずは自分の思考をシンプルにするべきだ。


 この真っ白な空間がどこへ繋がっているのか分からないが、とにかく共同教会へ送られたわけではない。

 自分のステータスはいつの間にか全回復している。

 自分の居場所を示す表示は<廃坑>のままになっている。

 だが、プレイ時間を表示している部分は、時間が止まっている。


 ……いや、

 いま、ゆっくりと秒数を示すカウンターが一から二へと遷移した。

 つまりプレイ時間としてのゲーム内時間が引き伸ばされているということだ。


 そして、命の恩人である少年アバターからは、なぜか上から目線で説教されている。


 ……なんだ、この状況は。


「シンプルに考えるんだ。ラース・ウリエライト君」と少年は言った。「君が訊ねればいいのだ。『力』の使い方を。バーナデットに」


「バーナデット……」


 彼女の名を出されても、それほどの驚きはなかった。


 ……やはりそうなのか。


 バーナデットがまったくの無関係であるとは思っていなかった。むしろ、彼女と出会ってから立て続けに起こったトラブルの中の何かが、原因としてあるのだろう、くらいのことはなんとなく考えていた。


「……君は、バーナデットの知り合いなのか?」


「彼女は僕を知らないだろうが、僕は彼女を知っている。そういう関係だ」


「それってどういう――」

「時間がない。必要なことだけ言っておく」と少年が畳み掛ける。「バーナデットに『力』の使い方を学べ。そして、その『力』を持って彼女を守るのが君の役割となるだろう」


 ……守る? 役割?

 ラースは訝しむ。


「なにから守るんだ?」


「世界のすべてからさ」と少年は続ける。「彼女は、この世界――アストラリアにおいて法術による攻撃がいっさいできない」


「なんだって?」


「物理的な攻撃は可能だが、彼女の攻撃力は無いに等しい」


 ラースは、バーナデットとトラコの対決を思い出す。彼女の繰り出した一撃はトラコのヒットポイントを一ポイントしか削っていなかった。確かに、どれだけ能力差があろうとも、せめて二桁くらいのダメージがあって然るべき差のはずだ。


 あまりに滑稽な戦いだったために見落としていた。

 それに……確かに彼女はクエスト中に一度も法術による攻撃をしていない。


「いったい……それはなんの制約なんだ? 呪いのアイテムかなにかの影響なのか?」


 そんな現象は聞いたこともない。


「いずれ時間のあるときにすべて説明する。だが、今は時間が足りない。なので必要な情報だけ伝えておく。理解するのは後でいい」


「一方的だな」とラースは肩をすくめる。


「自分の存在を可能な限り不確定なものにするためには、同じ場所で同じ人間に必要以上に接触しないのが鉄則だ」


 この少年アバターが何を言っているのかはわからない。だが、少なくとも『青騎士』と呼んでいる、あの厄介な奴らと敵対関係であることは理解した。


 今はそれだけで納得しろ、ということなんだろう。


「まあいいさ。助けてもらったのは事実だしね」とラースは言った。「だが、バーナデットを守れと言われても、今は役に立てないよ。『力』の制御ができない以上、魔導術を使うたびに『青騎士』がやってくるんだろ? むしろトラブルを招き寄せていることになる。まさか、さっきの三体だけで終わりってわけじゃないんだろう?」


「そうだな。奴らは何度でも現れるだろう。命じられているコマンドが変更されない限り」


 そう言うと、少年は右手を広げてみせる。いくつかのウィンドウが宙空に浮かび上がり、次いで少年の手の平にひとつの腕輪が現出した。


 幾何学的な紋様が刻まれている表面が滑らかな銀色の腕輪。それは中世時代を模しているアストラリアの世界では近代的デザインすぎて異質に感じられた。


「それは?」とラースが問う。


「名前か……世界はなにかと名前を必要とするものだな」と少年は少し考えてから言った。「ブレッシング・イン・ディスガイズ……『偽りの祝福』」と言ったところだ。急ごしらえのアイテムだから、効力はせいぜい三十分程度だ」


 少年が腕輪をラースへ渡す。

 ラースは少年を一瞥し、思い直したように首を振ってから『偽りの祝福』と名付けられた腕輪を装備した。


 ……情報的にも実力的にも、圧倒的優位にいるこの少年が、今さら俺に罠を仕掛ける理由もない……か。


 腕輪を装着したラースは、習慣的にステータス画面を開いて、その性能をチェックする。


「……って、なにも変化してないんだけど」


「君の『力』を制限するためのものだ。およそ三十分の間、君の魔導術は普段通りの威力となるはずだ。その時間内にクエストを達成すればいい」


「……なんだか実感が湧かないけど……本当に元に戻ってるんだな?」


「間違いなく戻っているし、その腕輪の効力が発動している間は『青騎士』にも感知されずに済むはずだ」


「どうして時間制限がある? この腕輪の効力が永続できれば無用のトラブルを避けられるじゃないか」


」と少年が即答する。「バーナデットにすべてを聞けば、そもそもそんな腕輪は必要なくなるのだが……。まあ、彼女がクリアしたがっているクエストだ。ここを抜け出してからゆっくりと聞けばいい」


 ラースは腕輪をじっくりと観察してみる。威力が封じられた、と言われると確認してみたい欲求に駆られる。


 はたしてこの『渚』と言われている空間においても魔導術は発動できるのだろうか? 


「彼女にとって、条件付けが厳しすぎたのかも知れないな。だが……そうしなければ意味がないということも事実ではあるし……」

 少年は誰に聞かせるでもなく呟いていた。


「……『偽りの祝福』……ねえ」と腕輪を眺めながらラースも呟く。


「願わくば、バーナデットにとっても、この世界がそうであるように……」

 ラースの呟きに応えるように、少年が言った。


「何が起きようとしているんだ?」とラースは続ける。「俺はいったい、何に巻き込まれようとしているんだ?」


「巻き込まれる?」と少年は嘲るように言う。「君は本当に巻き込まれたのか? ラース・ウリエライト君。そこに、君の選んだ選択肢は、本当に無かったのかい?」


 ラースはハッとする。


 <見晴らしの丘>でバーナデットと交わした言葉を思い出す。


 ……これは……俺の選択なのか……。


 そう。彼女を助けたのは俺の意思だ。だから、このとんでもない状況も、バーナデットがいたから起きていることではない。自分の選択と行動による結果なのだ。


「……俺は……どうすればいい?」


 今起きていることが何一つ理解できない状況で、自分にできることがあるのだろうか?

 ラースは少年に訊ねるというよりも、それは自問自答に近い問い掛けであった。


「それも含めてバーナデットと話をすることだ」と少年が言った。「彼女がこの世界において――」

 そこまで言って、急に口をつぐむ。そして、はるか遠くのなにかへ意識を集中するようにラースから視線を外して目を細めていく。


「どうやらここまでのようだな」と少年が言った。


「え? どういうこと――」


「ラース! いるなら返事をしろ!」


 ヨハンの声がした。


 意識が『渚』の空間から途切れたと思った次の瞬間には、すでに<廃坑>の通路へと視界が戻っていた。

 目を閉じたわけでも、眠っていたわけでもない。文字通り一瞬で、アストラリアの世界へと引き戻されたのだった。


 あの真っ白い『渚』と呼ばれた空間はどこにもなかった。自分がその場所にいたという実感さえも朧気となっている。

 時空間を操る禁忌の魔導術。まさか師匠以外にも存在していたとは……。


 ラースは自分が『青騎士』の剣によって刺し倒された場所に座り込んでいた。


 周囲の壁は、『蛮神叫喚狂騒獄界燼マギトリア・バルゼスティ』の余波で余熱が冷めずにあちこちで白い煙が立ち昇っていた。


 つまり、こちらの時間は数十秒しか経っていない。

『渚』と呼ばれる空間において、いったいどれだけの時間を引き伸ばしていたのだろうか?


 思考と体感を『錯覚』によって再現する半没入型ハーフ・ダイヴシステムの裏技として一部の超級プレイヤーが行っている『時空魔導術ホーフロウ』。

 チート・コードすれすれの非公式スキルである。

 その生成過程はウェブ上に存在しない。どれほど深く検索をかけても、ましてや怪しげなダーク・ウェブへ潜ったとしても見つけられない、まさに禁断の秘術である。


 誰がどのように発見したのかも分からない。だが確実にその秘術を使うプレイヤーをラースは知っている。


 自分にこの『アストラ・ブリンガー』というゲームでの生き抜く力を教えてくれた師匠。


 それと、今出会ったばかりの名も知らぬ少年。


 少なくとも『渚』にいた少年は、その見てくれとは裏腹に凄腕のプレイヤーなのだろう。


 ……まったく。師匠といい少年といい、どうして実力者は子供キャラなんだ。


 ラースはまったく関係のないことに対して文句を言う。それくらい相手の情報量が少ないということだ。


 つまり、八つ当たりだ。


「ラース! 大丈夫か!」


 ヨハンの声がはっきりと聞こえた。声の方へ振り向くと、リンと一緒にこちらへ駆けてくる姿が視界に入ってきた。


「無事なのか?」

 座ったままのラースを覗き込むようにしてヨハンが言う。


「なんとかね」とラースがゆっくりと腰を上げる。「実はほとんど無傷だったりする」


 あの少年のサービスなのか、<渚>で確認したとおりステータスが全快している。


「ウワァ……。なぁんか、壁がシューシュー言ってるんですケドー……なんですかコレワ? 魔法なんデスカ?」


「えぐれた岩が高熱でガラス化してやがる」とヨハンも珍しそうに壁を眺める。「てか、この細かい環境変化の再現性はさすが『アストラ・ブリンガー』だな」


「相変わらず変なところに喰いつくな、ヨハンは」とラースがローブの埃を叩いて払う。


「……にしても、派手にやったな。封印した蛮神を呼ぶ秘術か?」


 ラースは肯く。現行バージョン『蛮神割拠ばんしんかっきょ』になって使用可能になった秘奥義クラスの魔導術である。

 自分が倒した蛮神を、それぞれに用意されている封印アイテムへ封じ込め、それを他の数種のレア素材と掛け合わせて完成させるという、非常にめんどくさい高難度クエストを経て習得できる魔導術である。


「どうして戻ってきた?」


「ダッテー、ヨハンたんが戻って助けるって言って聞かないんだモーン」とリンがニヤけ顔で言う。


「また目を話した隙に美少女サムライとかをはべらかしてたら、たまったもんじゃないからな」


 ヨハンが憎まれ口を叩いているものの、その実、自分の身を案じて戻ってきてくれたのは理解できる。そしてラースもまた素直に言葉にはしないものの、その友情には感謝しかなかった。


「美少女とはいかないが」とラースは言った。「美少年、なら出会ったな」

「……なっ! おまっ! 今度はいよいよソッチにまで手を伸ばしはじめたのか……」

「イヤーンっ! ラースたんてば、おヘンタイー!」


 ……お前が言うな、とラースは心の中でツッコミを入れる。


「出会っただけだよ……。てか、正直なところ、その少年アバターに助けられたんだ。彼がいなかったら確実に教会送りだったよ。間違いなく賢者クラスか、それ以上の超級プレイヤーだ」


「賢者クラスねえ……。お前だって賢者になれるのに転職してないだけだろ」

 ヨハンが何でもなさそうに言う。


「その評価はありがたいけど、ちょっと違うな」とラースが訂正する。「今のところメリット、デメリットを比較して大魔導術師アーク・ウィザードの方が使い勝手がいいってだけだよ。賢者になるために必要なクエストもこなしていないから、慣れるかどうかは未知数だ」


「それはお前の実力ではなく意志の問題だろ」とヨハンがやはり何でもなさそうに言う。


「サテ、ラースたん! 地下七階への階段は発見済みデス。そろそろ行きマスカ」

 リンが偉そうにふんぞり返っている。


「そうだな」とラースは腕に装着した『偽りの祝福ブレッシング・イン・ディスガイズ』を見やる。


「なんだ、その腕輪?」とヨハンが物珍しそうに見る。


「美少年からのプレゼントだよ」とラースが笑う。「行こうか。あまりのんびりもしていられないしね」



■廃坑

■地下七階

■ボス部屋前


「おっそーいっ! まったく、どこまで落ちてったのよ!」

 ミアが両手を腰に当てて仁王立ちしていた。

「――って、あれ? 一緒にいるのリンちゃんじゃない?」


「その通りだ」とヨハンがなぜか自慢気に言う。「どうだ、恐れ入ったか! こちとらお姫様の護衛を兼ねてここまで来たんだぞ。少しは褒めたらどうだ! 俺は褒められて伸びるタイプだぞ」


「わぉ! スゴイ! 本物だ! ねえねえ、あとで一緒に写真撮ってもいい?」

 ミアはヨハンを通り抜け、リンの手を握って激しく振り続ける。


「ニャハハ。帰り道に便乗させてもらえるならいくらでもドゾー」とリンも愛想よく応える。

 あっという間にリンの周囲に群がるヴィノやトラコ。確かに生のアイドルと知り合える機会なんてそうそうないだろう。


 ……俺はお腹いっぱいだけど。


 ラースは、ここに辿り着くまでの苦難に満ちた道筋を思い返す。所要時間は一時間半くらいだが、なんだか三ヶ月くらいダンジョンを彷徨っていた気分である。


「ラース……」とバーナデットが心配そうに近づいてきた。「あの……ごめんなさい。大丈夫だった?」


「あ、うん。まあ……」とラースは思わず頭を掻く。「色々と大変だったけど、まあここまでたどり着けたんだ。結果オーライって感じだな」


「私が迂闊でした……もっと、気をつけて――」

「それはもう言いっこ無し」とラースが遮る。「大変なことは多かったけど……それでも、久しぶりにゲームを楽しめたよ。トラップに落ちるのも悪いことばかりじゃなかった」


「そうデスヨ! ボクの華麗なるジャスティス・ギャラクティカ・カウンター斬りを目撃できるナンテ、目の保養デス!」


「眼福って言うんだよ。保養してどうする」とラースが吐息混じりに言う。


「なんですか、その技は? すごい名前ですね。聞いたことがないスキルです」

「ただのカウンターだよ」


「ムッキィー! ラースたん! あんなにカッコいいカウンターをの呼ばわりしないでほしいのデスヨ!」


「……そういうことはせめて成功率が八割くらいになってから言ってくれ」


「なんだかんだと楽しくやってたみたいだな」とヴィノがラースの肩を叩く。


「振り返ってみればね」とラースは苦笑する。「こんなにピンチの連続で攻略に挑んだのはずいぶん久しぶりな気がするよ」


「さあ! 細かい報告やら反省会やらは後回しにして」とミアが拳と拳をぶつけて気合を入れる。「ラスボス討伐だよ! ちゃちゃっとやっつけちゃうぞ!」


 全員で鬨の声を上げる。


 まず、パーティの振り分けを再編成する。

 ラース、ヨハン、リンで組んでいたパーティを一旦解散し、最初のメンバーでパーティを組み直す。


 それぞれのステータスをチェックして、強化できる部分はあらかじめ強化を施しておく。

 バーナデットが前衛に防御力を上げる法術をかける。

 ラースは前衛の三人それぞれに違った属性攻撃を付与する。


 ラスボスは固定モンスター。『スメラルド・キマイラ』である。

 鉱物の硬さと、キマイラ特有の魔導術に対する高耐性を併せ持つ厄介なモンスターである。前衛の攻撃力を上昇させて、常に変化する弱点属性を見極めて攻撃をしていかなければならない。


 だが、これだけの手練が揃っていれば、焦らず時間をかけさえすれば決して難しい相手ではない。


 ミアが扉を開ける。


 待ち受ける巨大な合成魔獣『スメラルド・キマイラ』。

 顔は獅子、胴体は山羊、前足は大鷲の爪で尻尾は大蛇。その皮膚は硬質の鉱石によって部分的に覆われているため、物理防御も高い。知能も高く、アーク・ウィザード級の魔導術も使ってくる。


 ……だが、勝てる。このメンバーなら。


 ラースは前衛のミア、ヨハン、トラコを見て、次いで後衛のヴィノとバーナデットに目配せする。


 程よい緊張感がパーティ全体の士気を高めている。


「行くぞ!」とラースが声をかける。


『スメラルド・キマイラ』の咆哮を合図に、ラースたちは最後の戦闘を開始した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る