029 渚
ラースが使える魔導術の中で最強の術『
地獄の結界となった術の発動も次第に収まり、周囲の黒煙が薄れていく。
レンガが溶解し、蒸気の霧が立ち込めていく。剥がれたレンガの奥から露出している土壁も焼け焦げていて、不快な匂いを『錯覚』として知覚する。
……どうだ?
あまりの威力に天井のレンガは粉々に崩れ、部分的な崩落が起きていた。
黒煙と蒸気の霧が晴れていくにしたがって、土砂が堆積している通路が見て取れる。
そこに青銀の騎士の姿はなかった。
「……やった……かな」とラースは安堵の吐息を漏らして肩の力を抜く。
――だが、瓦礫の中で蠢く何かの気配があった。
……嘘だろ……。
三体の騎士たちは、ゆっくりと土砂の中から起き上がる。フルフェイスの兜――アーメットを着用しているせいで、その表情を読み取ることはできないが、機械的な動作で立ち上がる彼らの挙動からは、怒りや焦り、あるいは激しい攻撃による苛立ちといった感情的なものは何一つ感じ取れなかった。
そして、清廉なまでに澄み渡っている
土砂の中に埋もれていたのに、その
「エグゼ並みの装甲を持っているのはお前たちの方じゃないか。トラコが知ったら怒るぞ、きっと」
強気に言ってみたものの、さすがにラースもショックは隠しきれなかった。
最大火力の二連撃で、一ポイントも削れないのであれば、他に策の弄しようがない。
『
この術が通じないのであれば、吹雪の短剣『ブリュシオン』での攻撃など焼け石に水である。
つまり、もう打つ手はない……。
「万策尽きたか……」
青銀の騎士たちが、それぞれに剣を構えてこちらへ向かってくる。
先程、魔杖で受けた剣戟のダメージからすると、自分のヒットポイントが無くなるのは四、五回の攻撃で充分だろう。
今から自分の防御力やその他のステータスを強化したとしても、この状況を打開できるほどの力になるとは思えない。
……ヨハンやリンが来たところで意味がない。むしろこの場にいないことが幸運だ。
犠牲となるならひとりで充分だし、そもそも青銀の騎士たちの目的が自分なのだから、このまま
……仕方がない。デスペナルティは痛いが、他に逃げ切る手段もない。
『アストラ・ブリンガー』における死は、育て上げたキャラクターを
この世界を守護する九人の女神。その女神たちを信奉するそれぞれの信者たちが共同で設立している――という設定の
育てたキャラクターが優秀であればあるほど、その寄付金は法外な値段にまで跳ね上がり、さらには捧げ物としての貴重なアイテムの供与を求められる。
それでも失敗するリスクはかなり高い。公式ではその割合を発表してはいないが、有志による統計や確率計算によると、どうやら成功率は最大で四〇パーセントくらいだとされている。
一度蘇生に失敗すると、肉体は灰となってしまう。だが、ここからさらにゲームオーバーとなったクエスト時に所持していた全財産と、すべての装備品を寄付し、かつレベル・ドレインというペナルティを受け入れるならば、成功率は九八パーセントくらいまで上げることができる。
レベルドレインに関しては『さらなる寄付を復活後にする』という選択をして、提示された金額を教会へ納めることができれば、免れることができる。もちろん、レベルに応じて法外な値段になっていくわけだが。
それでも不運にも残りのニパーセントに当たって失敗すると、完全に消失されてしまう。
なので、このゲームで冒険半ばにして死ぬということは、可能な限り避けなければならない。
上級者になればなるほど、貴重なアイテムや習得したスキルは掛け替えの無いものとなっている。
できる限り死へのリスクを回避して攻略しなければいけない。
『アストラ・ブリンガー』がシビアで意地悪と言われる所以である。
……この状態での教会送りか……。まず間違いなく『ブリュシオン』は手放さないといけないだろうな。
他にも蘇生に関する法術やアイテムもあるが、何にせよ自分以外の誰かにお願いしなければできないことである。
青銀の騎士が目の前で剣を構え、勢いよく振り下ろす。
ラースは目を閉じてため息をつく。
敵の攻撃がヒットしたときに感じる振動。それも強烈な
痛みはないが、愉快な感覚とは言い難い。
ラースは歯を食いしばって、その不快感に耐えようとする。
固く閉じた
ヒットポイントがゼロになったときに体感する五秒間の微振動。
ゲームオーバー確定である。
……それにしても、なんだって青銀の騎士たちはここまで執念深く追ってくるのだろう。
微振動が静まった。次に目を開けたとき、自分は教会の中の景色を見ることになる。
そして選択画面が表示される。
蘇生するか、それとも新しいキャラを作って初めからやり直すかを。
重苦しいため息とともにラースはゆっくりと瞼を持ち上げる。
そこは、初心者の頃から見慣れた教会の天井――ではなかった。
――っ! なんだ? 何が起きている?
ラースはあまりに異常な事態に軽いパニックを起こす。
……俺は何を見せられているんだ?
ラースは自分が見ているものが信じられなかった。
「バグなのか? いったい何がどうなってるっ!」
ラースが見ていたもの――。
それは、紛れもない自分自身の姿であった。
三体の騎士に突き刺され、一瞬で事切れたラースのアバターは、なぜそうしているのかわからないが、右腕を伸ばして宙空の何かを掴み取ろうとするかのように手を広げていた。
自分が刺される瞬間を目撃しているラースの意識は、やがて通路の広間すべてを見通すほどに拡張されていく。
ラースは自分の意識はあるものの、身体のグラフィックがまるでないことに気づいた。
それは言葉では言い表すことができない奇妙な居心地の悪さを感じさせた。
自分の手足はない。だが、たしかに手足は存在しているという、その感覚だけが知覚できる。
……なんだこれ? 幽霊にでもなったっていうのか?
ラースの混乱をよそに拡張されていく視界の先に、見慣れない人影があった。
……誰だ?
ひとりの少年の姿をした者。知り合いではない。そして、少年のアバターだからといって、もちろんそれが本当に少年であるとも思えない。
入れるはずのないダンジョンへどうやって入ってきているのか?
その事実だけで、その少年アバターが年相応の実年齢であるということは疑わしいと思えた。
卓越したハッキングの技術を持ち合わせていなければ、到底できるわけがない芸当なのだから。
少年はどこかの貴族のような服装であった。まるで<
少年の服装からは職業がまるで判別できなかった。
短いマントのようなものを身に着けているせいか、どことなく学者然とした雰囲気を漂わせている。
少年の存在に気づいた騎士たちは、ラースを貫いている剣を引き抜いて無言のままに襲いかかる。
危ない! 逃げるんだ!
叫ぼうとしても声にならない。自分は一体どうなってしまったんだ?
どうして意識だけがまだこの空間に滞在しているんだ。
教会へ行くはずじゃないのか。
「なぜなら、君はまだ死んでいないからだよ。ラース・ウリエライト君」
少年が、はっきりと意識だけのラースへ向かって、目を合わせて言った。
……なにを……言ってるんだ。
ラースが問いかけようとするが、すでに少年は青銀の騎士へ向き合っていた。左手を相手に向けて、素早く複雑な印を切る。
……見たことがない術式。
左手だけの動作で詠唱もしない。にも関わらず、巨大な魔法陣が少年の手元から広がっていき、一瞬で掻き消えた。
なんだ? と思った瞬間、光る剣状のものが無数に飛来して騎士たちへと突き刺さっていった。
「なっ……! 攻撃が通っている!」
しかも、あんなエフェクトの魔導術は見たことがない。
サービス開始時からプレイしている自分が知らない術式なんてあるわけがない。
つまり、あれは紛れもなく未知の術式だ。
なによりも驚くべきことは、青銀の騎士へ攻撃がヒットしていることだ。
「嘘だろ……『
「……地味と言われると、少し傷つくな」と少年が苦笑する。
「あっ……いや、その、悪く言うつもりはなかったんだけど……」
「いいさ。じっさい、プレイ用に派手なエフェクトを作り込む暇もなかったしね。地味なのは勘弁してくれ」
青銀の騎士たちは数十本の光の剣に貫かれていた。その内の数本が脚部へ楔を打ち込むように地面へと突き刺さって動きを封じている。
だが、それでも、騎士たちはもがくように動き続けていた。
声すら出さず、どうにかして腕を伸ばして少年へ掴みかかろうとしていた。
「これだけ攻撃を受けているというのによく動く」と少年が蔑むような表情を浮かべて騎士たちへ言った。「即席のコードで組まれているわりには汎用性は高いようだな」
……一体これは何事だ? 俺はどうなっていて、この少年は何者なんだ?
疑問だらけの状況に、ラースの思考は追いついていけなかった。
少年は右手の指を、ぱちんと鳴らす。
すると、青銀の騎士に刺さっていた光剣が弾け飛び、その弾けた粒子に侵食されるように騎士たちの姿も光り輝く無数の粒子へと変質していった。
普通にモンスターを倒したときのエフェクトとは明らかに違う、目が眩むほどの眩しさを伴う消滅であった。
堪えきれず眼を閉じるラース。瞼の裏までも白灼けするほどの眩しさで暗くならない。
……これで、あいつらを倒せたのか?
眩しさに慣れてくると、ラースは警戒しながらもゆっくりと瞼を上げた。
視界にあるものは白い空間。ただ、それだけであった。
「……どういうことだ? <廃坑>から
……いやまて、そもそも俺の身体はもうなかった。
数瞬、瞼を閉じただけだ。いや、そもそも肉体と乖離しているのに瞼があったのかどうかわからないが、とにかく眩しさに視界を覆い隠して、それから……。
「ここは『渚』だよ」
先程の少年の声だった。
声の方へ視線を向ける。どこが地面で、どこが空――あるいは天井――なのかも分からない純白の空間の中に、少年は立っていた。
「なぎさ?」
「デジタル信号へ変換されている脳波。その感覚と思考が現実世界へと引き戻されようとしている、境界線が曖昧な狭間。形而上と形而下の接点とも言うべき場所かな」
境界……。
その言葉を意識した途端、自分の肉体の中に意識が戻っていることに気づく。
青銀の騎士に刺された部分は何ともなっていない。いつもの格好そのままで、泥汚れひとつついていなかった。
「意識が肉体へ戻る瞬間を拡張した場所。海と陸地を隔てる境界に似ているから『渚』なのさ」
少年がそう言うと、いつの間にか二人の足元には浜辺のように水が打ち寄せてきた。
「時間と空間を操る魔導術……まさか俺の師匠以外にもそんな特殊変態スキルを持っている奴がいるとはね」
「そうか。君は『終わらせの魔女』に師事していたのか。道理で強いわけだ」
「師匠を知っているのか? あの人はいまどこに――」
少年は話を遮るように開いた手のひらをこちらに向けてきた。
「すまないが世間話をしている時間はない。こちらの用件を先に聞いてもらいたい。そのための『渚』なのだ」
有無を言わせぬ勢いで、少年は矢継ぎ早に話を続けた。
「まずは『青騎士』に関してだ。あの存在に対して攻撃が通じないのは、そもそも
「『青騎士』……。その呼び名は正式なものなのか?」
「正式……ではないな」と少年は苦笑する。「便宜上、そう名付けられているだけだ。呼び方はなんでもいい」
……名付けられている、だって? 誰にだ。
ラースはその疑問を口にする前に、別のことを訊いた。
「その『青騎士』は、なぜ俺やバーナデットを付け狙う?」
「簡単に言えば君の持っている『力』を奪い取りたいからさ」
……俺のパワーアップを知っている。本当にこいつは何者なんだ。
「だけど、俺の『力』では奴らに攻撃が通じなかったんだぜ? どうして自分たちが無傷で防げる程度の『力』を欲しがるんだ? 『青騎士』はそれ以上に強力だったじゃないか」
「そう思うのは、まだ君が『力』の使い方と価値を知らないからさ」と少年は即座に応える。
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