028 人格幻視(ドッペルゲンガー)
■廃坑
■地下六階
■ラース側
ヨハンの攻撃速度、そしてラースの魔導術を持ってすれば、立ち塞がるモンスターに手間取ることはほとんどなかった。
拙いながらも、盾としてのダメージソースを受け持つリンの存在も大きい。
……だが、やはり難しいか。
しっかりとレンガで補強されている通路は、トロッコなどが乗り入れできる広い空間へと続いていた。複数の採掘坑が交差する中継地点のような場所なのだろう。
ラースはその中央で一度立ち止まり、耳を澄ませる。
「三体……ってところだな」
隣で同じように聞き耳を立てていたヨハンが呟く。
「どの通路から接近してくるか分かるか?」とラースが訊く。
ヨハンはかがみ込んで、片耳を地面へつける。
レンジャーのスキル『追跡』を応用して音源の進行方向を確かめているのだろう。
「俺らが通ってきた通路からじゃねえな……。三体それぞれが別の通路から合流してくる感じだ」
ヨハンは立ち上がり、三本の通路を指差す。今、この広間には通ってきた通路を合わせて五本の道が交差している。
ここまでの探索では地図も階段もなかった。
「追っ手と接触せずに進むなら道は一本しかない」とヨハンがそのルートを指差す。「どうする? 迎え撃つならここが最適だと思うが」
狭い通路で各個撃破を狙った場合、相手が強いと後ろから挟撃される可能性もある。ヨハンの提案は理に適っている。
しかし……と、ラースはタチアナとの会話を思い出す。
……もしこの足音の正体が予想通り青銀の騎士だったとして、その狙いが自分だとして、奴らは何をするつもりなのか?
攻撃そのものをまったく無視して歩き去っていったそうです。
青銀の騎士へ攻撃を仕掛けた者による証言としてタチアナが言った言葉。
……もし
すでに足音は甲冑が擦れ合う金属音さえ聞き取れるほどに接近してきている。
迷っている時間はない。
「追っ手の狙いはたぶん俺だ」とラースが言った。
「どういうことだ?」とヨハンが訝しむ。
リンも何を言っているのか分からずに小首を傾げる。
「トラコがバーナデットと
「ああ」とヨハンが肯く。「しかし、なんだってそいつらがここにいる? どうやって入ってきたんだ」
「それも含めて問いただしてみるさ」とラースが言った。「とりあえず二人はこのまま探索を続けてくれ。地図より早く階段を見つけたら、俺に構わず先に合流することを優先してほしい」
「……大丈夫なのか?」
「ああ。時間が少しかかるかもしれないが、必ず追いつく」
「……わかった。信じてるぜ」とヨハンがラースの方を叩く。「行こうか、リン姫」
「ふっふっふ……これを一度言ってみたかったのデス」とリンがラースの両肩にどっしりと手を置く。「ラースどの! ご武運ヲ!」
「はいはい」とラースは苦笑して二人が通路を進んでいくのを見届けた。
彼らが通路の角を曲がり、その姿が見えなくなるのとほぼ同時に、隠すつもりもない足音はラースの真後ろにまで迫っていた。
自分たちが通ってきたすぐ近くの通路からひとり。少し離れたトロッコの線路が敷かれている通路からひとり。そして、ラースの右側にある土壁となっている通路からひとり。
ヨハンの予想通り、青銀の騎士たちは三人だった。
「……『
ラースは対峙する騎士たちに向かって小声で呟いた。
本来であれば開示できる情報を表示するはずのウィンドウには、何も表示されなかった。
『
そして、見破れるかどうかという判定も含めて、相手の力量を測るのに便利な術としてラースは好んで使用している。
隠されている情報には『SECRET』の文字が表示されることになっている。
だが、彼らにはその『SECRET』の文字すら表示されない。
まったくの黒一色。
ゲームであることを無視しているような、その仕様に、ラースは嫌悪を覚えた。
「わざわざゲームの中で、そんな鎧まで着ているくせに、お前らはどうしてそんな
魔導術に対して完全に無効化する改造など、運営側が放っておく訳がない。
入れるはずのないダンジョンへ侵入し、受けた魔導術の影響を受けないアバターで動き回っているなんてことが許されるはずがない。
「お前らの目的はなんなんだ? どうしてバーナデットや俺のことを付け回している?」
無言。
自分の発した言葉すら無効化されているかのように、青銀の騎士たちは微動だにしない。
「聞いてるの――」
ラースが詰め寄ろうとした瞬間、中央の騎士がおもむろに剣を抜き放ち、上段に構えて斬り掛かってきた。
「――ッ! なんだとっ!」
騎士はさらに体勢を整えて打ち込んでくる。
大きく後ろにさがるラース。
残りの二人も抜刀し、こちらへ向かってくるのを視界の端で捉える。
……プレイヤーじゃない? モンスターなのか? いや、だとしたらどうやって街中に入って、しかも商業施設まで入り込んでこれる? そんな仕様はないはずだ。
それに……と、ラースはトラコとの会話を思い出す。彼女は青銀の騎士と会話をしているのだ。
この鉄則は初心者への一方的な搾取を抑制するためのルールである。
例外があるとすれば、それは『
中央の騎士が再び攻撃を繰り出すべく剣を振り上げる。
「待て! こちらに戦う意志ははない!」
だが、相手からは問答無用の斬撃。
ラースは咄嗟に魔杖による防御態勢をとり、その攻撃を受け止めた。
「――くっ!」
相手の攻撃を受け止めたことによる激しい衝撃が『錯覚』として知覚される。
そして、その衝撃に見合うダメージのせいで体力ゲージが凄まじい勢いで減っていく。
……攻撃が通っている? ということは、やはりモンスターということか。
申込みがない攻撃でダメージを受けるのであれば、それはモンスターと同義である。
意味が分からない、とラースは思った。
青銀の騎士。彼らは街中へ入ってきている。プレイヤーであるトラコとも会話をしている。
しかし、決闘の申し込みをせずにプレイヤーへダイレクトに攻撃を当てることができる。
ラースは『
中央の騎士に直撃する。
火の球は敵に命中して弾けるように消滅する。いつもより大きさも
しかし、そこにはダメージを表示する数字も、敵が振動、あるいはノックバックするといった通常起こりうる
その不自然な相手の動きを見て、ダメージとしては完全に無効化されていることを直感で理解する。
『
「これならどうだ!」
ラースは短縮詠唱で『
……思った通りだ。視覚情報だろうと、データとして処理していようと、白灼けした世界を見せられれば足は止まる。
ラースは畳み掛けるように自分の保有しているレア・スキル『並列遅延詠唱』を起動させる。
前面に五つの小さな魔法陣が出現する。
それぞれの魔法陣へ『火球』のアイコンをセットし、攻撃対象を定めてロックオンする。
「放て! 火球連弾!」
すべての火球が騎士たち目掛けて発射されたと思いきや、敵の手前で上昇し天井へ炸裂する。レンガが破砕し、周囲に大量の砂埃が発生する。
……これでよし。
念押しの視覚情報阻害攻撃。これくらい視界不良な状況を作り出せれば詠唱する時間を確保できる。
「どうなっても知らないからな。仕掛けてきたのはお前たちだ」
ラースは一呼吸置いて精神を集中させ、大きな手振りを交えて詠唱をはじめた。
気高きかつての王たる神々
バルファフ
ミガルボーグ
エンガシャ・ダイ
深淵に堕ちたる憎悪をもって
眼前の生者を灰と
獄炎の檻よりいでし
焦がす者
砕く者
引き裂く者
猛りて吼えよ
憤怒に燃えよ
呪いて唱えよ
呪詛の縛鎖を今こそ解き放たん
ラースの周囲に複数の術式で描かれた魔法陣が
ダンジョンそのものが揺れているのかと思うほどの激しい振動と衝撃が、ラースと青銀の騎士たちを襲う。
その振動にプラズマの
やがて周囲の壁が、その物理的な生成を無視して変質していき、幽体として出現した三体の蛮神を実体へと顕現させていく。
最初の蛮神バルファフが黒い業火で周囲を焼き尽くす。
極度に肥大化した両腕を振り回す蛮神ミガルボーグが目に映る全ての物体を粉々になるまで殴り続ける。
最後に狂気の悲しみに囚えられた蛮神エンガシャ・ダイが長い髪を振り乱して、全ての物を引き裂く真空の竜巻を発生させる。
ただでさえ凶悪な魔導術なのだが、ラースの謎のパワーアップのせいで、さながら世界の破滅を思わせるほどの凄まじい地獄絵図と化していた。
ダンジョンのレンガが崩れ、宙に舞う。消えることのない地獄の業火が、引き裂く爪のような風に煽られ、絶えず青銀の者どもを炙り続ける。真空の刃は鎧を引き裂き、怒りの巨人の拳が絶えずその中で暴れまわる。
互いの力が無遠慮に干渉しあい、爆炎とプラズマで全てを覆い尽くしていった。
極限の魔導結界の中で、青銀の騎士たちがどうなっているのか。外側からはまったく伺えないほどの噴煙と炎。
もし、この世界がデジタル・データで構築されている仮想空間でなければ、確実にダンジョンそのものが崩壊するほどの衝撃。
「これで終わりだと思うなよ」とラースが挑戦的な笑みを浮かべる。
右手を振りかざす。
「
ラースが唱えると同時に、ラースのアバターが一瞬小刻みに揺れた。
目の錯覚かと思うほどの微細なゆらぎのあと、ラースとまったく同じアバターが彼の隣に現出する。唯一違っている点は、透けているということだけだ。
「アクションコピー」
固有スキル『
つまり、自分の最大火力の攻撃を続けて速射できるというスキルである。
「
地獄そのものを召喚したかのような結界の中に、さらなる地獄が生み出された。
攻撃目標となっている範囲には黒煙が渦巻き、溶けたレンガが溶岩となって周囲に飛び散っていく。
この魔導術の二連撃が、現在ラースが持ちうる最大最強火力の攻撃であった。
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