第三章 バーナデットの秘密
031 AIBS(アイビス)の抜け道
■翌日
■ヴァシラ帝国 帝都ヴァンシア
■かささぎ亭
<廃坑>のクエストから一夜が明けた。
ボスモンスターである『スメラルド・キマイラ』との戦闘は、熟練者が揃っているだけあって危なげなく攻略できた。
ラースはいつものテーブル席にひとりで座り、昨日までの出来事をぼんやりと思い返す。
一昨日、タチアナから聞かされた情報と、昨日<廃坑>の中で出会った少年から得た情報を整理しようと思っていたのだが、一向に考えがまとまらなかった。
頬に手を当て片肘をつく。窓から外の往来を見るともなしに眺めてみる。
クエストとしては、見事に達成できた。バーナデットは念願の『エメラルドの腕輪』を手に入れてご満悦だ。
……腕輪ねえ……。
ラースは頬杖をついている自分の腕に視線を下ろしてみる。
少年からもらった『偽りの祝福』と呼ばれた腕輪はすでにない。
あの腕輪のおかげで『スメラルド・キマイラ』に対して通常の戦闘が可能になり、結果として気持ちの良い連携攻撃で倒すことができた。
自分の詠唱のタイミング、それを計算に入れて狙った効果を発動させていき、大ダメージへ繋がるコンボとして攻撃を組み立てる。
かっちり決まったときの快感は、どれだけ繰り返しても飽きない楽しさがある。
最弱魔導術である『
……チーター向きじゃないんだよな、そもそも。
焦ることなくたっぷり時間をかけて『スメラルド・キマイラ』を倒し、報酬の宝箱が出るとほぼ同時に『偽りの祝福』は音もなく雲散霧消した。
……ブレッシング・イン・ディスガイズ。災厄のように見えて実は幸福なこと。
「日本語的に言えば、災い転じて福となす……ってところかな」
そして、あの少年はさらにこう言っていた。
願わくば、バーナデットにとっても、この世界がそうであるように……。
……どういう意味だ? 彼女はこの世界を不幸だと思っているのか?
昨日『エメラルドの腕輪』ではしゃいでいた彼女を見る限り、不幸そうな影は見えなかった。
とはいえ、確かに不安材料がないわけではない。
『青騎士』と呼ばれる不穏な存在に終始付き纏われている。しかもターゲットにされているのはバーナデットだけではなく、自分もリストアップされているようだ。
『青騎士』とバーナデット。それらが関係する原因不明なパワーアップの『力』。
さらにゲームクリアに関する彼女の意味深な言葉……。
挙句の果てには『女神隠し』なんてキナ臭い失踪事件にまで関与している可能性もある。
本人が自覚しているかどうかはともかく、彼女の周りで何かが蠢いているという
……やっぱり、ちゃんと話をしないといけないんだよな。
ラースはもう一度窓の外へ目を向ける。
人々が行き交う<
「……仕事に行くか」
ラースはため息の中へ隠すようにそう呟くと、そのまま光の粒子となってログアウトした。
■同時刻
■ヴァシラ帝国 首都ヴァンシア
■紅月城・回廊
首都ヴァンシアの中央に位置する荘厳な真紅の城<紅月城>。
城内の一階は一般人のプレイヤーにも開放されている区域であり、メイン・クエストが発生するイベントなどもある公共のエリアである。
一階の最奥に、NPC――アストラリアンの衛兵で守られている階段があり、その階上が帝王との<謁見の間>となっている。しかし、その階段を上がるにはを通には特定のクエストやイベントを発生させなければならない。
真紅の鎧に身を包んだ精悍な面構えの騎士、カムナ・リーヴは、隣に自身の騎士団――カムナ騎士団――の副団長であるタチアナ・ストロギュースを伴って、その階段を上ることなく横切っていく。
衛兵の脇を抜けて、階段の裏側に位置あるもうひとつの階段を登る。<謁見の間>の裏側に位置する豪奢な回廊を歩きながら、カムナは誰に遠慮することもなく大きなため息をついた。
「元老院がじきじきにログインして呼び出してくるとはね。嫌な予感しかしねえなあ」
心の底から面倒くさそうに言い捨てる。
「あながち外れてはいないでしょうね」とタチアナがメガネのフレームを押し上げながら言う。「このタイミングで呼び出しを受けるということは……つまり、そういうことでしょう」
「だよなあ……あぁ、やだやだ。行きたくねえなあ」
「仕方ありませんね。あなたが自分のギルドであるカムナ騎士団は元より、国家間の『
「わかってるよ、んなこたぁ」
回廊の突き当たり。
細かい模様が彫り込まれている芸術品のような両開きのドア。金色の取手の上には、ヴァシラ帝国の象徴である金獅子のドアノッカーがある。
カムナがそのノッカーを打ち鳴らす。人気のない回廊に重厚な金属音が鳴り響く。
「どうぞお入りください」
ドアの内側からくぐもった男の声。
カムナは両開きのドアの右側だけを開けて、その部屋へと入っていった。
真紅のカーペットはくるぶしまで埋まりそうなほど柔らかく、かつ清潔に保たれている。
正面は全面ガラス張りとなっていて、両脇の壁には大きく分厚い本がぎっしりと詰まっている本棚となっているが、これはおそらくただの
六人がけの瀟洒な応接セットの先に、重厚な木目調の執務机。豪華な装飾をあしらった椅子。すべての道具ひとつひとつが権威の象徴であるかのように高圧的なきらめきを帯びていた。
「ご足労いただき感謝します」
大きな机の上で羊皮紙――に模している書類――に目を通していた男が顔をあげる。
ゆったりとしたトーガを身にまとい、柔和な笑顔を見せる男。茶色い巻き毛を無造作に書き上げて、羊皮紙の束を机に置く。
もともと細い目のせいで、笑っているのか目を閉じているだけなのかよくわからない。
カムナとタチアナの視界には、トーガを纏った男のプロフィール・ウィンドウが自動で表示されるが、すでに知っている仲である。今更まじまじと表示を見返すこともなかった。
名前はマルクト・アドナイ。職業はカムナと同じく聖騎士。
このゲーム『アストラ・ブリンガー』を運営する企業『
マルクトは立ち上がると、二人に応接椅子へ座るように促し、自分もそちらへ移動した。
「ご要件は? 運営……いや、元老院から直々にこの世界において呼び出しがかかるなんて、なにかトラブルでも起きましたか?」
姿勢よくソファに座ったタチアナが澄ました表情で言った。
「トラブルなんて生易しいものじゃないですよ。まさにエマージェンシーな状況です」
マルクトは細い目の上にある細い眉毛を下げて、さも困ったような表情をしてみせる。
しかし、その芝居がかった表情は、どこか
……困ってるのか笑っているのか、相変わらずよくわからない顔だな。
カムナはげんなりしながらそう思った。
「ああ、その前にお礼を言わせてください」とマルクトは言った。「以前お願いしていたバーナデット・B・セブンさんの監視任務、ご苦労様でした。とりあえずご報告いただいた通り、すでに主要な居場所が特定されている状況だと判断して、この依頼はここで一旦終了とします」
「了解しました」
肩を竦めるだけで返事をしないカムナを嗜めるように睨んでから、タチアナが言った。
「では本日わざわざお越しいただいた件について、ご相談させてください」
マルクトはそう言うと、自分のウィンドウを開き、二人に対して一枚の画像ファイルを転送した。
転送された画像を開く気配すらないカムナ。タチアナはその様子を見て吐息をつく。
仕方がないので自分の開いた画像ファイルをカムナにも見えるように拡大する。
「……少年?」とタチアナが訝しむように呟く。
どうやら
「見た目はそうですね」
マルクトは両手を軽く握って、組んでいる膝の上に載せる。
「ですが、あくまで見た目だけです。可愛らしい男の子に扮していますが、このプレイヤーは相当厄介な不正行為をしている可能性があります」
「不正行為? どのような?」とタチアナが訊く。
「有り体に言えばハッキングとチート行為ですね。その行為は『アストラ・ブリンガー』のゲーム・バランスを根底から覆すほどの危険を孕んでいます」
「『エグゼ』はどうした?」とカムナが間髪入れずに聞き返す。「不正行為だと認定されているのなら管理プログラムである『
「まさにそこが肝なんですよ団長殿」
マルクトが困ったように指先を額に当てる。
……何から何まで芝居がかった野郎だな。
「この少年の不正行為に関して『エグゼキューター』の判定プログラムが一切感知しないのです。なので捕まえたくても捕まえられないのですよ」
マルクトは大げさに肩を竦めてみせる。
「お二方もご承知の通り『エグゼキューター』を稼働させる権限は、人間側にはありません。すべて三基の
「現行、軍や政府などの公的機関が持っている半量子型スーパー・コンピューターを除けばトップクラスの超高速自動演算処理が可能なはずのAIBSを持ってして、その監視網を掻い潜ることができる凄腕のハッカーということですか」
タチアナが眼鏡に手を当てて少年の画像を凝視する。
「その可能性が高い、ということです。その真偽も含めて調査していただきたい……。というのが今回のお願いなのです」
マルクトは続ける。
「我々元老院にも独自の情報網はありますが、やはり確信となる証拠は何もない。『エグゼキューター』が動かない理由があるとすれば、本当に不正をしていない……あるいは不正を覆い隠せるほどの大掛かりなハッキングをかけているのか……そのどちらかでしかありえない」
……なるほどな。完全無欠のAIBS管理により二十四時間管理・運営が可能となった、現実に最も近い
経済圏として――つまり現実と同じように金銭が安定して流れることを前提に信用を得ている世界なればこそ、不正の抜け道をいつまでも放置しておくことはスキャンダルの種になるってわけだ。
「というわけで、この少年についての情報を集めていただきたい。このクエストに対する報酬は、それなりのものを用意いたします」
マルクトの細目が笑った――ようにカムナには見えた。
……正直、運営のスキャンダルなんて知ったこっちゃないんだが……。
カムナは髪を撫で付けるようにして、遠慮なく出てきそうになるため息を噛み殺す。
マルクトのにやけ面よりはましか、という気分で表示されている少年の画像を見る。
ダンジョンの一角。斜め後ろからの画像のせいで、少年の顔は横が程度にしか判別できない。
……<廃坑>か。
ダンジョンの壁の色やトロッコ用の線路が敷かれている部分などから推測できた。
画像はあまり鮮明ではなかった。カメラが動いているせいか、全体的にピントが甘い。
ダンジョンの壁の一部が激しく抉れている。どうやらかなりの熱量を持った攻撃が行われたのだろう。
……抉れた壁の土が融解してガラス結晶化してやがるな。とんでもねえ威力だ。
土壁のあちこちが結晶化したせいで光を乱反射させていた。
……誰がやったか知らないが、奥義級のスキルを使ったな。
「この画像は弊社がようやく完成にこぎつけた次世代型高性能監視ボットからの画像です」
「このピンボケが?」とカムナは咄嗟に思ったことを言ってしまった。
「団長」
タチアナが小声で嗜めるのを笑顔で制するマルクト。
「狡猾な相手なのですよ。こちらのカメラに正面向いて映らないように移動し、しかも、この場所に存在していたのは三十秒に満たない」
どういうことだ? と首を傾げるカムナ。
「突如ダンジョンに現れて、我々の監視ボットを破壊すると、ダンジョンから跡形もなく消えてしまったのですよ」
「消えただって?」
カムナはタチアナと視線を交わす。
「それはつまり、
「そう。消えたのですよ」とマルクトがタチアナの言葉を引き継ぐ。「御存知の通り、このゲームにおいて空間を跳躍できるスキルやアイテムはありません。唯一の例外がゲームオーバーによる共同教会への移動くらいのものです」
「例外はもう一つありますよ。『
とタチアナが抜け道として引き合いに出される方法を提示する。
「そうですね。確かにその裏技もあります」とマルクトは穏やかに同意する。「しかし、その裏技を使うには――」
「共謀者が必要」とタチアナが言う。「しかもその共謀者は自力で帰らないといけないというリスクがある」
「――です。ご説明ありがとうございます」とマルクトは満足げに頷く。
仲間同士で『
帰りの道程を五人編成で帰るリスクはあるが、少なくともアイテムが失くなるリスクは回避できる。
「しかし、この少年は単独で行動し、そして姿を消したのです」
「なるほどね。たしかに胡散臭いプレイヤーであることは間違いないわけだ」
「ええ。元老院としても、この少年の情報を手に入れたい。そして、なぜこの少年がこれほどまでにAIBSの抜け道を見つけ出しているのか? それを詳細に検討して改善しなければいならない。この少年の行為は、立証さえできれば、れっきとした犯罪行為に当たります」
「電子計算機損壊等業務妨害罪、さらにはメタゲ法にも抵触するでしょうね」とタチアナが言った。
「よくもまあ、そういう小難しい単語がすらすら出てくるもんだな」とカムナが感心する。「ひとつ気になる点があるんだが、ちょっと聞いてもいいかな?」
「なんでしょう?」とマルクトが笑顔で言う。
「その次世代高性能監視ボットとやらは、どうしてこのダンジョンにいたんだ?」
「……」
マルクトの笑顔は変わらなかった。いや、もしかしたら表情に変化があるのかもしれないが、細い目つきのせいで判断できなかった。
「あんたの口振りだと、どうやらこの少年を追っていたわけではないんだろ? どちらかと言えば、突然現れたこの少年にいきなり監視ボットを破壊された、という風に聞こえる。ということは、この監視ボットは別の目的でこのダンジョンにいたわけだ」
「ええ……そうですね」とマルクトが口元に手をやる。「じつは……このダンジョン……<廃坑>において、監視ボットの試験運用をしていたのです。正常に自動で最深部まで行って戻ってこれるかのテストをね。それも他のプレイヤーに監視ボットであることを気づかれることなく進められるかというテストも兼ねていました。プレイヤーの没入感を削ぐことなく自然な行動が自動で行えるか、ということですね」
「なるほど。そのテスト中に襲撃された……と」
「ええ。そうなりますね」
「この抉れた壁は誰の仕業か分かるのか?」
「分かりませんね。今回のトラブルと無縁の、普通にクエストをしているプレイヤーの仕業かもしれませんし、この少年の攻撃かもしれません」
……かもしれない……ねえ。
大した高性能監視ボットだな、とカムナは思った。
「いかがでしょう団長殿? この少年の調査、お願いできますか?」
「……といっても、こんな横顔ってか、後ろ姿しか写ってない画像しかないんじゃなぁ……」
「分かりました。できる限りのことはやってみましょう」とタチアナが言った。
「ちょ、おまっ! ……団長はオレだぞ!」
「それでは、早速調査に向かいます」とタチアナがカムナを無視して立ち上がる。
あまりの即決にカムナの開いた口が塞がらない。
「カムナ団長」とマルクトが笑みを浮かべる。「頼もしい部下をお持ちで、羨ましい限りです。吉報をお待ちしていますよ」
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