020 術式遮断エリア
ラースとリンは『潜伏』スキルを装備し、なるべく音を立てないようゆっくりと歩きながら注意深く進んでいく。
進むに連れて土壁だった周囲が、徐々にレンガを敷き詰めた立派な通路へと変化していく。未だにこの階層の地図は入手できていないが、周囲がレンガで覆われ、人が居住できる部屋のような造りが多く見られるエリアということは、このダンジョン内では中央部分に位置していることを示唆している。
どのフロアでも、端の方へ行けば行くほど、レンガ造りの壁から、ぼろぼろと崩れ落ちる土壁になっていく。足元も水たまりや
「やっぱり中央部分の方が宝箱って多いんですカネェ」
リンが前方を警戒しながら言う。
壁のあちこちに木製のドアが取り付けられている。あまり不用意に開けてモンスターに出くわすのも面白くない。
ラースはなるべく扉を開ける回数を少なくできるよう、まずは通路全体を慎重に調べることにした。
「ランダム生成されるダンジョンだけど、元は鉱山であるという設定上、各階の中央部分に宝箱が集中しているという傾向はあるだろうね。人が働いていた形跡があって、しっかり居住スペースとして整備されているエリアの方が、宝箱が自然に置いてあっても違和感がない」
「なるほどデス」とリンが感心しながら言った。
「とはいえ、誰も行かないような端っこの奥の方にレアなアイテムが入っている宝箱があったりもするから、これが正解ってわけでもないけどね。なにせゲームだからね」
ラースは肩を竦めてみせる。
「ニャハハ。つまりは運任せということダネ」
「だね」とラースは続ける。「ただ、なるべく可能性の高い順に捜索する必要がある。俺と君だけじゃ、すべての敵を相手にしながら進むのは自殺行為だ」
「ウンウン。異議なしデス」
通路は右へ折れ曲がる。幸い、ここまで大した戦闘をすることなく進めることができている。群れからはぐれた
リンの、騎士としての腕前は想像していたよりも(若干)強かったが、やはり二人だけで最下層まで行けるほどの実力者ではない。
……ヨハンと合流できれば、それなりに戦略も立てやすくなるんだが。
一緒に落ちてきたヨハンが同じ場所にいなかったことを考えると――そしてリンは自分と同じ場所に落ちていたことを考えると――、落ちる先は複数箇所へのランダム転送だろう。
地下四階という低難易度の階層であることを考慮すると、ワープ先は多くて四ヶ所くらいだろう。もしかしたら二ヶ所くらいかもしれない。
……アイツだって、こちらを探しているはずだ。
ヨハンの、レンジャーとしての技量はかなりのものがある。普段ふざけているだけに、その実力を過小評価しがちだが、彼ほど自分の職業を熟知して楽しんでいるプレイヤーも、そう多くはないだろう。
ソロとしてはぐれた場合、自分よりもヨハンの方が生存している確率は高い。
つまり、自分がまだ生きているということは、ヨハンが先にゲームオーバーとなっているとは思えない。
……どこかにいるだろうし、ヨハンの性格なら絶対に俺のことも探している。
それは確信に近い予想であった。
「アレレ? ラースたん、突き当りのドアが開いてますヨ?」
何度目かの角を曲がり、通路は行き止まりとなっていた。その右側の壁に設置されている扉が、開かれたままの状態になっていた。
「……罠ですかネエ?」
ラースは、リンの頭越しに開いている扉の向こうを覗いてみる。
魔光石のランタンが設置されている通路と違い、部屋の中には光源となるものが何もなく、その暗闇の空間はまるでなにかを待っているかのように、不吉な口を開けているようだ。
リンが頭だけ部屋の中へ突っ込んで、さらに奥の方を確認しようとする。
「ンー……だめデス。『暗視』スキルがないと確認できないデスネ」
契約に従い光となりて現れ出でよ
闇に惑いし我が身を導き給え
ラースは『光球』の呪文を唱える。右手に光の粒子が回転して集まりだし、テニスボールくらいの大きさに膨らむ。その光る球がラースの前方まで浮遊すると、自動的にそこで止まり、その後は動きに合わせて一定の距離を保ったまま追随してくれる。
『光球』は、謎のパワーアップが影響していない数少ない魔導術のひとつであることはテスト済みである。
どうやら敵味方の区別なく、術をかける対象の状態に変化を及ぼす場合に関してのみ、威力が増大しているということらしい。
つまり探索や移動に関する魔導術であれば、青銀の騎士が感知しないということだ。
アイテムとしての松明も所持しているが、こちらは個数に限度がある。それに、他に魔導術を使う予定もない。余り過ぎている自分のスキルポイントを先に使う方が効率的だ。
「アノー。ボクも『松明』使ったほうがいいデスカ?」
ラースが先頭となって暗闇の中へ入っていく。
「いや、とりあえず光源としてはひとつでいい。それよりも剣を抜いて攻撃態勢を取っていてくれ。片手に『松明』を持っていたらいざというときに――」
入ってきたドアから、まっすぐ歩いて突き当たる。
ラースは宝箱があることに気づいて話を止めた。
明らかに不自然に置かれている宝箱には大抵、罠が仕掛けられている。あるいは鍵で施錠してあるかもしれない。
ラースはまず『透視』の術を唱えようと杖を掲げる。複雑な罠が施されていたら『罠解除』のスキルを保有している
「オヤ、宝箱ですネー! 何が入ってマスカ!」
ラースが『透視』をする前に、リンがいきなり宝箱を開ける。
「おま、ちょっ!」
……忘れていた。この子はあの単純なポーション・トラップに引っかかったんだ。
勢いよく開かれた宝箱の中には『グリーン・ポーション』がひとつ入っていた。
どうやら何の罠も発動しなかったようだ。
ラースは大きく安堵の吐息を漏らす。
「チィ。しけてやがりマスネ! グリーンたった一個だナンテ!」
「チィ……じゃないっ! いきなり宝箱を開けないでくれ」とラースは続ける。「もし麻痺系のトラップでも喰らって二人一緒に動けなくなったら、そのままモンスターの餌食になるんだぞ」
「ゴ、ごめんなサイ……」とリンが申し訳無さそうに項垂れる。
だが、それでもちゃっかりグリーン・ポーションを自分のアイテムとしてゲットしていく
……女の子ってのは変なところでしっかりしているよな。
ラースは気を取り直して、改めて部屋の中を見回す。簡素な机と、その横にある棚。それぞれ筆記用具や羊皮紙の束などが置かれているが、アイテムとして有用なものではない。
『光球』だけで照らされる部屋の中。棚の影が色濃く壁を覆っていたせいで、うっかり見逃しそうになったが、部屋の角にもう一つの扉があった。
「さて……どうしたものか」とラースは呟く。
……一度、通路へ引き換えして別の扉を開けて回るか。それとも目の前の扉を開けて進むか。
ラースが扉を前にして考え込んでいると、リンが後ろから声を掛けてきた。
「どうしたのデスカ? おヤ? なんともアヤシゲな扉じゃないデスカ」
そう言うが早いか、リンがノブを回して扉を開ける。
「おいっ! おま、今言ったばかり……」
止める間もなく、リンは扉の向こうへ消えていった。
「大丈夫ですヨ。この部屋に敵がいなかったんですカラ……ここはきっと安全地帯になってるんデスヨ」
……どんな理屈だそれ。
扉の向こうも光源はなく、暗闇であった。
ラースはリンを引き留めようと中へ入っていく。出会い頭にエンカウントしなかったから良いものの、狭い場所でモンスターと戦うには、こちらの戦力に――自分の制約を含めて――不安がありすぎる。
「リン! 一人で先行しすぎだ」
「大丈夫デス! こちらからはラースたんの光がバッチリ見えてますカラ」
「いや、そういう問題じゃなくてだな……」
ラースがリンの声がする方へ歩きだした瞬間。
背後のドアが勢いよく閉まった。
ドアに付いていた金属製の留め具とレンガの壁が激しくぶつかり、部屋の中に大きな音が響き渡った。その反響音からして、どうやら先程の小部屋とは比べ物にならないくらい広い空間のようだった。
「うわっトォ! なんデスカー! 今の音ワー!」とリンがびっくりして大声を出す。
「扉が勝手に閉まった」とラースがドアの取手を回してみるが、びくともしない。「一方通行か……まいったな」
「アノゥ……ラースたん?」
「ちょっと待て。今そっちに行くから」
ラースはリンの声を頼りに暗闇の中をゆっくりと前進していく。
数歩進んだところで、自分の『光球』に異変が起きていることに気づいた。最初は目の錯覚かと思う程度の明滅だったが、奥に進むに連れて『光球』の照度が落ちてきている。
「なんてこった……。まさか術式遮断エリアになってるとはね……」
……開いていたドア。部屋の奥へ招き入れるように配置されていた宝箱。そして意味深な奥の扉が一方通行で、その先は術式遮断エリア……ランダム生成とは思えない丁寧な作り込みだ。
自律思考型演算装置『
「意外と広い空間みたいデスヨ」
「そうだな。君を探して中央に来てしまったからよく分からないが、壁がここから確認できないということは、さっきまでいた部屋とは段違いに広そうだ」
どうやら掘られた鉱石を格納しておくための広間のようだ。所々に鉱石の小山があり、気をつけないと足を取られてしまう可能性がある。
「さっきの小部屋はさしずめ事務所といったところか」
そうこうしているうちに『光球』が完全に消滅した。
視界がのっぺりとした黒一色に染まる。平衡感覚がおかしくなるほどの闇の濃さ。まるで黒い色のついた空気に飲み込まれてしまったかのようだ。
ゲームに不慣れなプレイヤーであれば、思わずその闇の恐怖に怖気づいて、ペナルティを受けることを承知でデス・リターンしたくなるだろう。
ラースにしても、この状況でまったく平然としていられるというわけではない。
だが、それでもパニックにならず済んでいるのは、隣にリンの気配を感じることができるからだと、自己分析する。
彼女の息遣い。動くたびに乾いた音を立てる鎧の金具。そして時折肩や背中に触れる彼女の腕や手指。
騎士としては頼りないが、暗闇の中で一人ではないということを認識できるのは、それだけで心強かった。
念のため『光球』の呪文を唱えてみるが、やはり効果はなかった。
「どうしまショウ? とりあえず入ってきた方向と逆側の壁まで――」
「しずかに」とラースが小声で、しかし緊張をふくませた鋭い声で言う。
「ヒィッ!」とリンが小さく悲鳴を上げて沈黙する。
暗闇。その奥の方から飢えた獣が漏らす唸り声のようなものが聞こえてくる。
まったくの無音だった暗闇の中で、自分の聴覚が変調をきたして、聞こえるはずのない物音を幻聴として聞いているのだろうかと疑う。
だが、どうやらそれは幻聴ではないようだ。
「……ラ、ラースたん? なんか唸り声が聞こえてきマス……」
「そうか。リンも聞こえるってことは、本当にモンスターがいるってことか」とため息をつく。「まずい展開だな」
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