021 吹雪の短剣ブリュシオン

 幻聴と思えるほどの微かな唸り声は、やがて覆しようのない現実となって部屋の空気を震わせた。その声に呼応するかのように、さらに複数の唸り声が重なりはじめる。

 飢えた肉食獣を思わせる、喉の奥から絞り出されるような呻き。


 それは闇鬼ナイト・ウォーカーが威嚇するときに発する声である。


「……ナ、な、ナあんか……十や二十じゃきかないってくらい、すごい大合唱なんですケドォ……」

 リンがラースの背中に隠れるように張り付く。


「前衛職が後衛に隠れるなよ」と呆れながらラースは自分のアイテム・ウィンドウを開く。

 アイテムの中から『松明』を二つ取り出すと、ひとつをリンへ手渡す。


「灯りをつけたら、まず最も近い壁へ駆けるんだ」とラースが小声で続ける。「壁面に燭台があれば、それで照度を増幅させる。闇鬼ナイト・ウォーカーは暗がりやプレイヤーの死角からの攻撃で威力を上げる。なるべく後ろを取られないよう気をつけながら進むんだ」


「リョ、了解デス」と松明を受け取ったリンは空いている右手で腰の剣を抜いた。


 闇鬼ナイト・ウォーカーたちの唸り声が近くなってきた。リンとラースは同時に松明を灯す。


「危ナイ!」

 ラースの眼前に跳躍してきた闇鬼。リンが瞬時に剣を振るって牽制する。

 片手を松明にとられた不安定な姿勢での一撃では、せいぜいかすり傷程度のダメージしか与えられない。


 うっすらと浮かび上がる痩せこけた黒い餓鬼。松明の灯りを反射して闇鬼の眼が赤黒く光って見えた。憎悪の炎を宿した闇鬼の双眸が部屋中に満ちている。


「この物量は……こいつらのネストってことか……」


 最初に飛び出してきた一匹以外は、松明の灯りを警戒して迂闊に飛びかかってくるようなことはなかった。しかし、少しでも気を抜くと脇や背後から凶暴な――そして汚らしい爪でもって襲いかかってこようとする。


 リンは装備しているバックラーとブロードソードで応戦するが、松明を持ちながらの戦闘に慣れていないのか、闇鬼を倒せるような強力な一撃は出せないようだった。


 ……お世辞にも戦闘能力が高いわけではないアイドル騎士を片手で戦わすほうが無茶な話か……。

 ラースも、にじり寄ってくる闇鬼に対して愛用している『異端定理の魔杖』を振り回して牽制するが、こちらは威嚇にすらなっていないだろう。魔導術に関するステータスを上げるための装備であり、鈍器としての攻撃力はほとんどない。


 それでも、二人で武器を振り回して敵が一斉に攻撃できないような状況を作りつつ前進していく。


「ラースたん! 壁ダヨ!」

「よし、とにかく壁に張り付いて背中を守るんだ」


 壁までの残りの数歩を駆けていき、急いで背中を壁にくっつける。

 これで死角はだいぶ減った。一斉に襲われて身動き取れずにヒットポイントを削られてゲームオーバーになる危機は回避できた。


 しかし、薄暗がりの中で二人を襲わんと待ち構えている闇鬼の気配はさらに増えていく一方であった。


 ……奥の手を出すしかないか。


 ラースが『異端定理の魔杖』をアイテム欄へ戻す。


「どうしまシタ?」

「少しでも物理攻撃力を上げないといけないだろ」


 宙空に浮かんでいる半透明のウィンドウを素早く操作して別の装備を呼び出す。

 ラースの腰に、鞘に収められた短剣が装着される。急いで刀身を抜いて、正面に構えた。


「ワォ! なんかステキな短剣デスネ!」


「とっておきさ。『吹雪の短剣ブリュシオン』は魔導術師が持てる刃渡り制限ギリギリの魔剣だ」


 その抜き放った刀身は短いながらも、冷気と妖気を宿しており、周囲の空気を白く震わせた。

『アストラ・ブリンガー』では契約する蛮神、あるいは信仰する女神によって属性攻撃の得手不得手が決まる。

 火属性が得意なラースにとって、対極となる水・氷属性の術は威力が下がってしまう。なのでその弱点を補うために、以前苦労して手に入れた逸品である。

 普段は優秀な前衛がいるため、使う機会はほとんどないが、ソロでの活動や術師同士の一騎打ちなどのときに重宝する武器である。


「こいつなら、リーチは短いけど氷属性の追加ダメージも期待できる」

 近づいてくる闇鬼に対してブリュシオンを振るうラース。一撃で倒せはしないが、着実に相手へダメージを与えることができる。


 ……だからといって、これで持ち堪えられるかっていうと、まだ難しいな。


 前面にいる数匹を倒すことができたとしても、その後ろには何十匹という闇鬼が待ち構えている。松明の灯りは持続時間がそれほど長くない。灯りが消えた瞬間に襲いかかられたら、ひとたまりもないだろう。


 まるで闇と同化して襲いかかってくる相手に、リンもラースも防戦するだけで手一杯であった。少しでも蹴散らそうとして身を乗り出したら、途端に群がられて終わりである。

 明るい場所で二、三匹だけなら、歯牙にもかけない雑魚モンスターだが、この悪条件では驚異と言っても過言ではない。


 ……闇鬼ナイト・ウォーカーとはよく言ったもんだ。それにしても……。


「数が多スギ!」とリンがラースの心境を代弁するように悲鳴を上げる。

 いよいよ松明の灯りが小さくなってきた。

 闇鬼たちの汚らしい爪が、一撃二撃と二人にヒットしはじめる。


 ……やばいな。


 一撃のダメージは少ないが、この物量でエンドレスで攻撃されていたら、それだけで削られてしまう可能性がある。

 パーティを組んだことによってリンのコンディションも確認することができる。

 松明による安定しない視界のせいで、リンの攻撃は思うように当たらない。だが、闇鬼のいやらしい攻撃は着実に彼女のヒットポイントを削りはじめていた。


 ……ジリ貧だな。なんとか脱出口を見つけないと。


 壁伝いに防戦しながら、数匹の闇鬼を倒していく。状況が好転する要素はない。常にダメージを負いながらの移動は神経を摩耗させていく。


 ラースは、そんな過酷な状況となっている中でも、懸命に戦ってくれるリンの意外なしぶとさに感心していた。


「ンン? どうかしましたカ? ボクの顔をじっと見つめるナンテ。あまりの美しさに見惚れてしまいましたカナ?」

 剣を振り続けて息を荒げるリンは、それでも憎まれ口を叩いて笑みを浮かべてみせた。


「いや……素直に感心してたんだよ。この状況でもまだ頑張ってくれるんだってね」

 ラースも、近づく闇鬼の爪をブリュシオンで薙ぎ払いながら言った。


「この部屋に入っちゃった責任の半分くらいワ、ボクのせいですからネ。せめてここを抜け出れるまではなんとかしナイト。アイドル騎士ナイトの名が廃りマス!」


「なるほど。腐っても騎士ということか」


「ムキー! 誰が腐女子デスカー!」とリンが憤慨して剣を大振りする。


「いや、そういう意味じゃ――」


 ……ていうか、責任の半分どころか、全部なんですけど。

 そう思ったが、あえて言うのは止めておいた。


「アア! ラースたん! あそこに扉ガ!」

 リンの進行方向に、木製のドアを発見する。壁に背をつけたまま、闇鬼の鋭い爪を振り払いつつ、なんとか扉の前まで辿り着いた。


 リンがドアノブを回す。だが、扉は開く気配がなかった。リンは慌てて押したり引いたりするものの、扉はまったく開く気配がなかった。

「ラースたぁぁん……」

「この期に及んで鍵付きとはねっ!」

 泣き出しそうなリンを横目に、ラースが扉に体当たりする。

「くそっ! せめて『解錠』の術が使えれば!」


 普通の施錠であれば魔導術で開けることができる。もっとも、その場所が術式遮断エリアではない場合に限られる話だが。


「だめだ。執着していると囲まれるっ! 他の扉をさが――」

 振り向いて、さらに進もうとしたが、もはや手遅れであった。

 あと数十秒で燃え尽きるであろう松明は、今では弱々しい炭火のような明るさでしかなかった。闇が勢いを増すほどに、闇鬼の包囲網は着実に狭まってきている。


 不気味に赤く光り続ける化け物たちの双眸。飢えた咆哮は、下卑た歓喜の唸り声としてラースの鼓膜を震わせていた。


 ……ここまでか……。


「すまない。どうやらここで終わりになりそうだ」とラースが言った。

「イエイエ。けっこう楽しかったデスヨ」と笑顔でリンが続ける。「デモ……残念デスネ。お仲間さんと一緒にクリアできなくテ」


「そうだな」と壁に頭をつける。「でも、きっと仲間たちがクリアしてくれるさ」


 ……そしたら、もう一度挑戦すればいい。これはこれで、笑い話の種くらいにはなるだろう。


 バーナデットの笑顔が脳裏に浮かぶ。


「……ヨハン……頼むからうまく合流してくれよ」

 ラースはそう呟くと、観念して目を閉じる。

 もう、松明の効果が切れる時間だ。


「おいおい。合流するならお前も一緒だろ、ラース」


 ……っ!


 それは、幻聴でもリンの悪ふざけでもなく、間違いなくヨハンの声であった。

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