018 ピットフォール

■二〇五二年四月二十四日

■廃坑

■地下二階


 <廃坑>の地下一階と二階は、難易度で言えば『イージー』である。

 熟練者が揃っているパーティにとっては楽勝なエリアと言える。


 ラースたちもご多分に漏れず、難なく地下三階へ下る階段へ行き着いた。

「そろそろ敵が一段階強くなってくるからね。攻撃の仕方もいやらしい奴が出てくるから、警戒するように」


 ミアがバーナデットを振り返り、笑顔でアドバイスをする。


「分かりました」

 バーナデットはそう言うと、買ったばかりの『白樺の聖なるロッド』を握りしめ、表情を引き締める。


「そこまで緊張することはない。ここまでの段階で、貴様は充分に回復役ヒーラーをこなしている」

 トラコが前を向いたまま言う。


「……でも、慌ててしまってミスもたくさんしています……」と申し訳無さそうにバーナデットが言う。


 魔導術師が使う魔導術も、女神神官が使う法術も、使用するには詠唱と術式の印を結ぶために行う手指や手足の動作が必要となる。効果の高い術式ほど、詠唱も動作も複雑になっていくので、術を発動させるタイミングは、パーティの戦闘全体を常に確認しながら先行して準備することが必要になってくる。


 熟練度や上位職へのキャリアアップ、あるいは特定の魔道具マジック・アイテムを持つことによって、詠唱時間は短縮させることが可能であるが、バーナデットはどの条件も満たしていないため、全ての法術において聖句の詠唱をフル・アクションで行う必要がある。


「前衛の動きを先読みして回復するのは慣れが必要だ。しかもバーナデットはまだ詠唱を短縮できないからね。ひとつひとつのアクションを確実にやってくれればそれで大丈夫だよ」

 ラースはそう言って、トラコに向かってグリーン・ポーションを投げる。


 ダンジョンの難易度からして、バーナデットには少し荷が重いということはパーティ・メンバーの全員が承知していることだ。

 反対する者は誰もいなかった。そもそもゲームなんだから、嫌なら参加しなくたっていい。誰もなにも強制されることはない。つまり、ここにいるメンバーは――トラコは半ば強引に来てもらったが――自分の意思でここにいるのだ。


 ……だから、気にすることはないんだけど……まあ、やっぱりミスすればへこむよな。


「俺もさ、初心者だった頃は上級者と一緒にクエストをやってよく失敗していたよ」とラースは言った。

「そうなんですか?」とバーナデットが驚く。

「そりゃそうだよ。誰だってはじめてのことはあるし、俺はどちらかというと飲み込みが早い方じゃないからね」とラースは笑いながら続ける。「たとえば、強力な術を放とうと詠唱をはじめるんだけど、結局詠唱が終わらずに、術式が完成する前にベテランの前衛たちがさっさと倒してしまうとかね。バツの悪い失敗なんてザラにあったよ」


「まあ、こればっかりは『習うより慣れろ』しかないよねえ」とミアが後頭部で腕を組みながら呑気に地下三階への階段を下る。


「こう言っちゃあ身も蓋もないんだが、バーナデット以外が全員レベルマックスの上級者ってのも、問題があるかもな」とヴィノが言う。「できれば同レベルくらいのプレイヤーと一緒にダンジョンへ潜ったほうが、段階的に上達できるってのはあるだろう?」


「確かに」とラースも苦笑する。「このダンジョンが終わったら、まったく知らない人たちのヘルプで参加するのもありかもしれないな。レベル四十前後の人達とね」


「なるほど……」とバーナデットがその提案を吟味する。


 地下三階へ到達する。


「なにも回復役ヒーラーだからって、全員の回復を受け持とうなんて気負う必要はまったくないよ。みんな最低限の回復アイテムを持ってきているし、後衛である俺とヴィノは念のためポーション類をマックス所持で来ているからね」


「そうゆうこと」とヴィノは親指を立てる。


 気落ちしていたバーナデットの表情が、徐々に明るさを取り戻していく。

「ありがとうございます。みなさん。私も、私のできることを精一杯がんばります」


「その意気だよバーナデット!」とミアが振り返ってヴィノと同じく親指を立てた。


 気持ちを切り替えたバーナデットは、ミアに親指立てサムズアップを送り返す。

 ふと、壁面にきらりと光る何かが視界に入る。


 土壁のくぼみに『レッド・ポーション』が置かれていた。


「ラース。『レッド・ポーション』がありますよ。『グリーン』より回復量が多いですよね」とバーナデットが走り出す。


「あっ! バーナデット、だめだそれは」


 ……しまった。あんな明白あからさまに怪しいドロップアイテムに手を出すプレイヤーがいるとはっ! 


 彼女を制止しようと駆け出すが、間に合わなかった。


 バーナデットが『レッド・ポーション』を手に持ったまま、その場所で振り返る。

「どうかしましたか?」


 ……くそっ! なんて警戒心のない無垢な表情なんだ。超可愛いじゃないか!


 ラースが思わず立ち止まってしまいそうなほど、疑うことを知らない澄み切った瞳。その蒼碧に輝く双眸に見とれた数瞬。彼女の足元が正方形にひび割れていき、漆黒の穴が開かれた。


「落としピットフォール!」

 ……しかも面積が広い。数人巻き込むことを想定している大きさ。


 だが、幸いなことに彼女以外は罠の香りがプンプン臭うあの『レッド・ポーション』に近づいている者はいなかった。


 足元が急に消失し、バーナデットの身体が滞空している間に、ラースは彼女へ飛びついて、その身体を落とし穴の外へ放り投げる。


 ……だめだっ! 届かない。


 大魔導術師アーク・ウィザードである自分では筋力値が足りない。


 二人で落下する覚悟を決めた瞬間、さらにもう一つの人影が躍り出た。そしてバーナデットを抱えると、ラースと同じように落とし穴の外へ放り投げた。今度こそ確実に彼女がトラップから抜けられる飛距離となった。


「ヨハン!」とラースはその人影に向かって言った。

「バーナデットを少数側にはできないだろ」


 ヨハンは、自分が落ちる覚悟を決めてラースと一緒に飛び込んでくれたのだった。


「ラース君!」

 遠ざかる穴の淵からミアの声がする。


「こっちはヨハンとなんとかする! ボス部屋前で落ち合おう!」

 落下しながら目一杯の大声で叫ぶ。

 どこまで聞こえたか分からないが。



 ■廃坑

 ■地下四階

 ■ラース側


 地下三階と地下四階はレベルで言えば『ノーマル』だ。即死級のトラップではないと思っていたが、案の定、ひとつ下の階層へ落とされただけのようだった。

 レベルが『ハード』になる地下五階からなら、即死したり、手強いモンスターが密集している危険な場所へ落下させる可能性があるが、おそらくそこまで意地の悪いトラップではないはずだ。


 ……いや、どうだろうな。

 なにしろ、こんな初歩的なトラップに引っかかったことがないから本当のところは分からない。


 ……まったく、なんて罠に引っかかるんだ彼女は。


 ラースはさっきの、きょとんとしていたバーナデットの顔を思い出して思わず笑みをこぼす。


 ……楽しいな。そうだ、ゲームってのはこうでなくちゃな。


 ひとつのトラップに一喜一憂する。それはラースにとって久しく忘れていた感覚でもあった。


 落ちた場所を冷静に観察する。広い空間だった。周囲の土壁は湿っていて、魔光石に照らされて、怪しく照り返している。自分の前後左右にそれぞれ通路が伸びていた。どの通路も奥まで見通せるほどの明るさはない。


 ラースはまず、自分のステータスを確認する。


 ……落下によるダメージは特になし。



「ヨハン」とラースは周囲に首を巡らしながら呼びかける。しかし、なんの応答もなかった。

 単なる落とし穴かと思ったが、もしかしたらランダムワープもしたのだろうか。

 周囲にヨハンがいる気配はなかった。


 ……仕方ない。まずはこの階層のマップを探すか。


 ラースが四つある通路のうち、どこを目指すか決めようとしたとき、左側の通路で何者かが動く影が目にとまる。


「ヨハンか?」


 アビリティ『警戒』に反応しないということはモンスターではない。ラースは左の通路へ歩いて行く。


「ど、どーモですニャ~」

 通路の影から申し訳無さそうに片手で拝み手をしながら出てきたのは、先行して<廃坑>へ入っていった、自称アイドル騎士のリン・ケージであった。

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