013 断界絶刀

■時間経過

■ヴァシラ帝国 

■見晴らしの丘


 ヴァシラ帝国に黄昏時が迫っていた。

『アストラ・ブリンガー』の中では二時間おきに朝・昼・晩が繰り返される。ちょうど六時間で一日進むという計算になる。


 道具屋で一通りのアイテムを補充したラースは、バーナデットと共に街から少し離れたところにある<見晴らしの丘>へ向かうことにした。


 二人は西の大門からフィールドへと出て、小高い丘へ続いていく未舗装の小道を歩いて行く。


 そういえば、彼女と二人きりになるのって最初に会ったとき以来なんだな。

 その出会いは、つい昨日のことなのに、ずいぶん昔のことのように感じられた。


 バーナデットには訊きたいことが山ほどあった。

 ラースはそっと、隣で一緒に歩いている彼女を見る。

 傾きかけた夕陽が彼女の輪郭を縁取り、優しく、柔らかい光が彼女のことを包み込んでいる。その横顔は、見惚れてしまうほどの美しさであった。


 思考回路が正常に働かず、言葉がうまく出てこなかった。


「どうかしましたか?」

 ラースの視線を感じて、顔を向けるバーナデット。

 最初に出会ったときの、硬く強張った表情からは想像できないほど、警戒心のまったくない、きょとんとした表情。


 その、なんでもない普通の素顔。


 たぶん、これはミアのおかげなんだろうな、とラースは思った。

 今日一日、バーナデットはミア――とおまけのヨハン――と一緒に行動していた。ミアの屈託のない言葉や表情には、気取ったところもなければ、あざとい計算尽くめの会話もない。彼女が友だちになりたい相手すべてに向けられる好意そのものである。

 その彼女と一緒に過ごしていたのだ。良い影響を受けているのは、バーナデットの表情を見ればよくわかる。


 ミアには感謝しないといけないな。


「なぜ黙っているのですか?」

 無視されたと思ったバーナデットは、少し頬を膨らませてみせる。


「え? あっ……ああ、ごめん」とラースは慌てる。すっかり物思いの世界に浸りきっていた恥ずかしさで、無意識にわざとらしい咳払いをする。「ちょっと昨日からのことを思い返していてさ」


「昨日からのこと……そうですね。まだ昨日のことなんですよね」とバーナデットも思い出すように呟く。


「不思議だよな。<かささぎ亭>の出会いから、まさかこんなに仲良くなるとは思っていなかったから。俺は、君が店から出ていったときに、もう会うことはないだろうと思っていたんだ」


 ラースがそう言うと、バーナデットは可笑しそうに笑い出した。


「なんで笑うの?」とラースが訊く。

「だって、私を助けてくれたのは貴方でしたよ、ラース」


 ……ああ、確かにそうだった。


 ラースは<開かずの門>での出来事を思い出す。


 あのとき、自分は捕物をやっているというガヤを聞いた。しかし、そのままトラブルはごめんだと素通りすることだってできたのだ。


 人生とは常に選択の連続である。


 バーナデットを助ける。

 バーナデットを助けない。


 後者を選択するだけで、俺は彼女の本当の笑顔を見ることなくいつもの日常へ戻っていくこともできたのだ。


「だから、ラース」とバーナデットは耳にかかる髪をすくい上げながら続ける。「私たちの今の関係性は……貴方が選択した結果だと思います」


「そう……かもしれないな」


 だとしたら、彼女といることを選択した自分のルートは、いったいどこに向かおうとしているのだろうか?


 なだらかな勾配が続く硬い土の道は、終着点である<見晴らしの丘>で終わりを告げる。


 そこから一望できる、夕日に燃える真紅の都<ヴァンシア>は圧倒されそうなほど華麗に光り輝いていた。オレンジと赤で染まる街並みに、所々にある煙突からはゆらめく煙がおだやかに風に流れていく。

 時折、街の上空を飛翔していく鳥の群れ。

 街の南東にあるイルナス教会の大聖堂からは荘厳な鐘の音が微かに聞こえてくる。


「綺麗……」と目を輝かせてその眼下に広がる都市の景観を眺めるバーナデット。「これまでデータとしてしか認知していなかった景色だけど……そう、これが綺麗という感覚なのね」


「ずいぶん冷めたプレイスタイルだったんだな」とラースが呆れたように肩をすくめる。


「ねえラース」

「なに?」


「あなたは、この世界が好き?」


「……好き?」


「私が聞いてるの」とバーナデットが詰め寄る。


 夕日にきらめく白金の髪。そよ風に揺れる彼女の髪先が、ラースの頬をくすぐるほどに近づいてくる。

 心臓が早鐘を打つ。間近でみるバーナデットの顔は、自分が意識している以上に可愛く、儚げで、そして美しかった。


「……ねえ、好き?」


 す、す、す、好き? なに? なにがだっけ? え? 君を? 好き? 俺が?


 喉がカラカラに乾く。生唾を飲み込むのでさえ一苦労だ。混乱をきたした頭の中にはクエスチョン・マークしか浮かんでこない。


 バーナデットが少し怒ったように頬を膨らます。


 ああ、そうだな。ちゃんと答えていないもんな。でも、怒っている顔もまた……。


「……す、す、き……だ」


 彼女の表情がいきなり曇った。明らかに警戒している顔。


「私は嫌いです。しつこい人!」


 え? しつこい? なに? なんかした?


 バーナデットの顔が嫌悪で歪んでいる。一体なにがどうしたんだ?


 なんかアラートが鳴っている……アラート? 


 ……っ! 緊急事態エマージェンシー



「……敵!」


 バーナデットに固定されていた自分の視線を無理やり引き剥がすように、急いで周囲を索敵する。


『警戒』アビリティと『見破る』スキルの使用で、赤い矢印が中空に表示され、追尾ミサイルのように後ろの茂みを指し示した。


 茂みの中に人が隠れている。正確には『潜伏』スキルで姿を消している。


「だっ! タ、たれ、ダベ……っ! 誰だ!」


 相手への怯えというより、自分の情けなく舞い上がった挙動を覗かれていたことに激しく動揺するラース。


 頼むからヨハンとかヴィノでありませんように……。

 ラースは心の底から祈る。


「もうバレています。出てきなさい」

 バーナデットが語気を強めて言うと、音もなく細身の太刀を腰に下げた女サムライが姿を現す。


 ……彼女がくだんのサムライ・ガールか。


「本当は貴様がひとりになってから申し込もうと思ったのだが、バレてしまったのでは仕方あるまい」


 サムライ・ガールは自分のメニュー・ウィンドウを開き、再び『決闘』デュエルの挑戦状をバーナデットに送った。


「言っておくが、何度断ろうとも、私は貴様が勝負を受けるまで付きまとうぞ」


「……なんたる自己中……どうどうとストーカー宣言するとは……」

 その潔さは、さすがサムライ、と言うべきなのか判断に迷うラース。


 バーナデットは観念したように俯いて溜息を吐く。


「……わかりました。初撃命中決着ファスト・アタック・モード。報酬条件もこの前と同じです。それでいいですね?」

「異論なし」


 サムライ・ガールは姿勢を低く沈め、居合の型を構える。


 ……あれが伝説級の刀。退魔刀『叢雲』むらくも……。


 噂では高硬度のレイドボスと対峙しても、その装甲越しにヒットポイントを削り切るほどの切れ味だと言われている。その他の付帯効果についてはまだ情報が開示されていない。実際に所持しているプレイヤーを見るのは、ラースも初めてであった。


 世界で数人しか所持していないアイテムや武具の場合、よほどのお人好しでない限り、すべての情報をさらけ出すようなことをしない。なぜなら、情報を開示すれば、それだけ対人戦で不利となるからだ。


 視覚的なエフェクトが見れれば、そしてそのエフェクトが既存のものであるのならば、その付帯効果をある程度推察できる。もちろん、それだけで完璧に武器の性能を把握することは難しいだろう。

 だが、率直に言えば伝説級の刀の威力を間近で見れるのはプレイヤーとしては楽しみでもある。


 ……だけどなあ……とラースが吐息を漏らす。


 相手がバーナデットとなると、素直に喜んでもいられない。


 伝説レジェンド級の武器を所持しているということは、それだけで百戦錬磨の証である。飲み込みが早いとはいえ、つたない支援法術しかできない彼女が太刀打ちできる相手ではないだろう。


 単純に、あまりのしつこさに根負けしたということか……。


 ここで決闘を拒否しても、後日また突然やってきて申し込まれるくらいなら、とっとと負けてしまった方が確かに気が楽である。


 バーナデットが今回は間違いなく『YES』のボタンを押す。


 二人の間に『Ready』の文字。


 次いで、文字を真っ二つに引き裂くような稲妻のエフェクトと同時に表示される『GO!』の文字。


爪弾つまびくは演指えんし

 サムライ・ガールは、そう呟くと人差し指でリング状の装飾がついた柄頭つかがしらを弾く。音叉を弾いたような澄み渡る清涼な金属音が周囲に響く。

「振るえよかいな。切り裂けやいば

 サムライ・ガールが居合の姿勢のまま、より深く身体を沈み込ませる。

奏剣そうけん流奥義! 断界絶刀だんがいぜっとう!」


 跳躍。


 足元に砂煙が上がったかと思うと、その身体が霞んで見えないほどの高速で放たれる居合斬り。


 ラースが注意を呼びかける暇もないほどの神速の抜刀。


 これはヤバイ! 確実に即死コースだ!


 ギィィイン!


 しかし、鳴り響いたのは金属同士が打ち合わされたときに生じる金属音だけであった。


 ……金属音? とラースは思った。


 バーナデットはサムライ・ガールに対して右手を開いてかざしていた。その手のひらから放たれている、緩やかな波動が彼女の身体を包み込むようにして青白い波紋を広げていた。


 ……なんだあの防御障壁。見たことないぞ。


 バーナデットを包む半透明な波動の球体。それがサムライ・ガールの奥義を弾いて、響いてきたのがさきほどの金属音だった。

 法術による防御障壁とは、何かが違っているようにラースには感じられた。そもそも、物理攻撃を受けたときに生じる効果音が金属音である法術なんて聞いたことがない。


 奥義を放ったサムライ・ガールは、その神速の抜刀術の姿勢を崩さす、すでにバーナデットの後方へと位置していた。あまりの速さに、足元では土煙が舞っている。


「……本物だ……」


 居合いの奥義を出した姿勢のまま、サムライ・ガールの身体は小刻みに震えていた。

 下を向いているその表情をラースが覗き込むと、サムライ・ガールは悔しさと言うより歓喜に近い表情を浮かべている。


 ……本物? なにが?


 彼女の呟きを聞き漏らさなかったラースが首をひねる。


「えい」


 硬直したままのサムライ・ガールへ近づいたバーナデットは、およそスライムでも弾き返せそうなほど頼りない物理攻撃……つまり自分のロッドで相手を殴打した。


 ポコっと可愛い音がして、サムライ・ガールの受けたダメージ、一ポイントの表示がポップアップする。


 派手なファンファーレが鳴り響き、バーナデットの勝利が確定した。


「これで満足しましたか? 私の勝ちです」

 無表情のままバーナデットは言った。


 サムライ・ガールは奥義を出した。おそらくそれが彼女の最大火力の攻撃だったのだろう。

 そしてそれを完全に防いだバーナデットの防御障壁。しかし、女神の加護を聖句の詠唱で体現する神導法術……つまり法術の中に、あんなエフェクトの防御障壁は存在しない。


 バーナデットの固有ユニークスキルということか。

 ラースはそう推測した。


 固有ユニークスキルは、その名の通り、プレイヤー一人ひとりに顕現する特殊な技術のことである。その全貌が把握できないほど多種多様なスキルがあり、おそらくバーナデットが展開した障壁もそのうちのひとつである可能性がある。

 固有スキルを取得する条件は非公開とされており、何百時間プレイしても未だに取得できない不運なプレイヤーもいれば、ログインしてはじめての戦闘を終えただけの超初心者なのに、いきなり強力な固有スキルを手に入れてしまったという幸運なケースもある。


 その種類は膨大で、また秘密にしている者も多いため、すべての固有スキルを知ることは不可能だと言われている。


 最高クラスの攻撃力を持つ『叢雲』むらくもの攻撃をノーダメージで防ぐ。しかも聖句の詠唱もなしに。

 バーナデットがどこかの段階で幸運にも強力な防御スキルを手に入れたとするほうが妥当な推論だとラースには思えた。だからこそ、あれだけ平然と『決闘』デュエルを受けられたということだ。


 ……まあ、なんにせよ。


「勝負あったな」

 ラースはバーナデットへ振り返る。


「ふん」とサムライ・ガールが鼻を鳴らして刀を鞘へ納める。「好きにするがいい。この刀以外であれば、なんでも好きな物を持っていけ。裸で踊れというのであれば、その屈辱も甘んじて受け入れよう」


「そんなことさせたら、こっちが通報されるよ」とラースが苦笑する。


「それでは、私から提案があります」とバーナデットが彼女へ近づいていく。


「提案?」

 サムライ・ガールは訝しむように眉根を寄せる。しかし、そんな表情を意に介すことなく、バーナデットは両手でサムライ・ガールの右手を握りしめる。


「な、なんだ、その提案とやらは?」

 バーナデットの思わぬ行動に面食らうサムライ・ガール。


「今日からお友達になりましょう」とバーナデットが満面の笑みを浮かべて言った。


 一見すると、とても微笑ましい光景だ。


 だがラースには、もはやトラブルちゃんがトラブルさんと手を繋いでいるようにしか見えなかった。


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