007 叶えたい願い

 このゲーム『アストラ・ブリンガー』をクリアできるか?


「それはつまりグランド・クエストである『星々の担い手』アストラ・ブリンガーを手に入れることができるか、ということ?」


「そうなりますね。他にこのゲームのクリア条件はありません」


「え? 『星々の担い手』アストラ・ブリンガーって本当にあるの?」とヴィノが驚いて言う。「単なる伝説としての設定なんじゃないの?」


「そうか。ヴィノはバージョン5から登録したからよく知らないんだな」とラースも意外そうにヴィノを見る。「まあ、ヴィノの場合はまったく別の目的でこの世界を楽しんでいるようなもんだしな」


「『アストラ・ブリンガー』は実在します」とバーナデットが言う。「それだけは確信を持って言えます」


 彼女の自信に満ちた発言を受けてラースは少し考える。


 仮想経済圏メタバース系RPG『アストラ・ブリンガー』が公開されたのは、およそ六年前。わりと長命に推移する仮想経済圏メタバース系ゲームの中でも、さらに長寿命な部類に入る作品である。


 このゲーム最大の目的である請願成就の神剣『アストラ・ブリンガー』を手に入れるためのクエストは、毎回バージョンアップでクエストが追加されていくのだが、その全貌までは届いていないのが現状である。

 かなり難度の高いクエストが続くメイン・ストーリーになるのだが、いわゆる『ガチ勢』にとっては、どれほど難しいクリア条件であろうと、行き着くところまで辿り着いてしまう者たちがいて、彼らは常に次のバージョンの追加クエスト待ち、という状況になっている。


 グランド・クエストの他にも多種多様な単発クエストとイベントが分単位で自己生成されていくシステムのおかげで、退屈することこそないものの、一体いつになったら『アストラ・ブリンガー』の全貌が開示されるのか?

 本気でクリアを目指し、莫大な報酬を夢見て相当な金額を課金しているはずの彼らガチ勢にとって、常に気にかかっているところではあるだろう。


「本気で遊ぶプレイヤーは、どんなときでも開発者の難易度設定に挫けることはない。運営もクリアできるかどうかのギリギリを攻めているはずなのに、いつも予想より早くクリアしてしまうのはプレイヤーの方だ。まあ、そうでなければゲームは成り立たないんだろうけどね」


 バーナデットは黙して語らない。

 自分の考えを整理して、ラースは慎重に言葉を紡いでいく。


「君がどうしてそんなに確信を持って言っているのかはわからないけど……たぶん、今のバージョンではグランド・クエストのクリアは無理じゃないかな。そこまでのルートがきちんと整備されているとは思えない。だけど、いずれクリアは可能になるはずだ。でなきゃ、運営側が訴えられるんじゃない? クリア報酬を目指して大金を課金している人だって、大勢いるはずだからね」


 現行はバージョン6。副題は『蛮神割拠ばんしんかっきょ』。プレイヤーの戦闘レベルの上限は八〇。おそらくこのレベルが九九か、百まで到達しなければクリアへの道筋は開示されないのではないか?


 ゲームクリアを目的として結成しているギルドの中には、さまざまな角度から攻略ルートを研究していて、それらを自分たちのブログやホームページ、動画配信アカウントで掲載しているところもある。

 このアストラリアの世界を隅々まで探検しているはずの彼らが集めてきたヒントの断片を、あれこれ組み合わせてみても、まだまだゲームクリアに至る決定的な道筋を示す情報とは言い難い。


 もちろん、本当に重大なことやリアルタイムで進行しているエピソードの内容をすべて詳しく載せている所はない。いつ、誰に先を越されるのか分からないのだから、公開している情報は、すでに誰もが進めることのできるクエストやミッションのデータにしかすぎない。


 それでも、グランド・クエストにまつわるエピソード系のクエストや、そこから派生するミッションのすべてをクリアしているプレイヤーたちが、次のアップデートで追加されるであろう新エピソードを待っている状況なのだから、少なくとも現行のバージョンでは、まだプレイヤーたちに『アストラ・ブリンガー』を渡すつもりはないのだろう。


 今ここにヨハンがいないことを、ラースは少し歯痒く感じた。


 普段はおちゃらけているが、この手の話題はヨハンの方が詳しい。彼は自分がクリアしたいというわけではないが、ゲームシステムとしての『アストラ・ブリンガー』には深い関心を持っている。そして、そのシステムを逆手に取ったトリッキーなアイデアを生み出すことにも長けている。


 この『アストラ・ブリンガー』というゲームは、完全に独立した三つの自立型思考回路。通称『AIBS』アイビスによって、世界そのものの生成から物語としてのルート管理まで、すべてが人間の介在なしに稼働しているというのが、他のメタバース系RPGとの決定的な違いであり、でもある。


 ヨハンは、そのシステムがどうやって動いているのかを知りたくて、初期の頃は熱心に調べていたらしい。

 結局、アメリカ国家安全保障局NSA並に鉄壁なプロテクトにぶち当たり、最近ではすっかりやる気をなくしてしまったが。

 それでも、たとえば裏技や抜け道としてのクリア・ルートの可能性を議論するのであれば、ヨハンのギークな知識からくる意見を聞いてみたいところではある。


 ラースはバーナデットの真剣な表情を見つめる。その澄んだ蒼碧の瞳に見つめ返されると、どうにも落ち着かない気分になった。何もやましいことはないのに、どこか後ろめたい気分になる。


「バ、バーナデットはどうなの? このゲームが現行のままでクリアできると思っているの?」


「それは、。ラース・ウリエライト」


 フルネームで呼ばれて、思わず背筋が伸びる。


「万能器たる、人の願いを叶えし神剣、『アストラ・ブリンガー』。このゲームをクリアするということは、叶えたい願いがあるかどうかではないですか?」


 ……なるほど。面白い考え方をするな。


「たとえば……」とラースは思いついたことを口にする。「僕に叶えたい願いがあるとしたら、君はそれに付き合ってくれるということ?」


「そうなりますね」とバーナデットは何でもなさそうに言った。「おそらく、あなたひとりでは『アストラ・ブリンガー』まで辿り着くことはできないでしょうから」


「……なんだか、まるで『アストラ・ブリンガー』の在り処を知っているような口ぶりに聞こえるんだけど……君は何がしかの情報を持っているというわけ?」


 ……それで追われている? まさかね。


「もし私が『アストラ・ブリンガー』の入手方法を知っていたら、あなたはそれを望みますか?」


 彼女の質問にはいちいち怯んでしまう。


「こいつは……想像以上のトラブルメイカーかもしれないな」とヴィノが苦笑交じりに言った。


 そうかもしれない、とラースも心の中で同意した。


 実のところ、叶えたい願いなんて大それたものがあるわけではない。バーナデットに対して、鎌をかけるつもりで言っただけだ。


 誰よりも早く『アストラ・ブリンガー』を入手して、英雄になりたいとも思わないし、手に入れた神剣をオークションにかけて、現実世界での億万長者を目指す――たぶん、本当に手に入れたら億単位の値段で売れるだろう――というのも、なんだかピンとこない。


 自分は、この<かささぎ亭>で、ヨハンやヴィノ、ミアとともに気ままに生きていくことの方が向いているということなんだろう。


 適度なクエストと、適度な冒険。最前線の冒険報告をニュースとして楽しみにしている、そんな平凡な生活こそ、自分が求めていることなんだ。


 もうあんなことはごめんだしな……。

 ラースは過去のある出来事を思い出し、思わず眉間に皺を寄せた。


 バージョン4『繚乱のレコンキスタ』において、ラースはとんでもない事件に巻き込まれた。

 ゲームとは言え、色々な人が関わり、たくさんのプレイヤーが心に傷を負い、それが理由でゲームを去る者もいた。


 ゲームなんだから競い合い、戦うことによって先へ進んでいくことが悪いとは言わない。でも自分としては、もう他人を出し抜くことを最優先に過ごすようなゲームライフを送るつもりはない。


 ……だが、とラースは考える。


 自分がクリアを目指すつもりはないと知ったら、バーナデットはどうするのだろう? 

 他の誰か……クリアを目指してくれる誰かとともに冒険へ旅立つということになるのだろうか。


 彼女との時間がこれで終わりになると思うと、ラースは彼女の質問へ答えるのをためらってしまう。


 ……くそっ。認めるよ。俺は彼女に惚れてるんだな。


 彼女がクリアしたいと望んでいるのなら、自分のやるべきことはひとつだ。

 最初に彼女と出会ったときのことを思い出す。


 軽い口約束だったが、彼女が困っていたら助けると確かに俺は言ったんだ。

 もし彼女がゲームクリアを目指すなら……。


「バーナデット、決めたよ」

「何をです?」

「俺は、君と――」


「ああっ! やっぱり帰ってきてやがったな! 散々探したんぞ、チキショー!」

 聞き覚えのあるけたたましい声。

 顔を向けると、憤慨しているヨハンとミアがどかどかとこちらへ向かってきていた。

「もうっ! ヴィノはともかく、ラース君まで! メッセくらい確認してよ」と、腰に手を当て口を尖らせるミア。「心配したんだからねっ!」


 ラースは慌ててメニュー画面を開く。確かに新規のメッセージが入っていた。


 ヨハンから三件、ミアから六件。


 受信時刻から見て、<開かずの門>でカムナ騎士団と揉めたあと、<かささぎ亭>へ歩いて移動している最中くらいだ。


 普段から大した用件のメッセがくることがないラースは、通知機能をオフにしている。

 ヴィノの場合はとにかく女性からの受信が絶えることがないから、まとめて読むタイプだと豪語していたことを思い出した。


 つまり、どちらもメッセージ機能にたいして機敏にレスポンスを返すタイプではないということだ。


“気をつけて! カムナ騎士団がヴィノとその連れを探しているらしいよ。連れってラース君のことじゃないの?”

 というのが、ミアの内容。


“ヴィノ、トラブル起こすときはマスキングしろっていっただろ。スクショまで撮られているぞ!”

 というのがヨハンの内容。


「え? スクショまで?」とヴィノが驚く。

「これだよ」

 ヨハンが空間に投影した画像をヴィノの方へ投げる仕草をする。そこにはヴィノが公開しているステータス・ウィンドウが表示されていた。


 名前、職業、年齢はもちろんのこと、フリーテキストの部分にはご丁寧に『普段はかささぎ亭で飲んでます★ 見かけたら遠慮しないで声かけてね♪』とまで記されている。


「音符記号に殺意を抱いたのは人生で初めてかもしれないな」とラースはヴィノに冷めた視線を送る。


「て……訂正しよう。トラブルメイカーって、もしかしたら俺なのかも……」


 ――その、ときだった。


 扉が大きく開かれて、<かささぎ亭>にどよめきが走る。

 お喋りに夢中になっていたはずの客たちは、思わず会話を中断して、店の中央を堂々と歩いてくる真紅の甲冑に身を包んだ男に注目した。


「……おい、あれって……」

「え? ウソでしょ? 何でこんなとこに来るの?」

 客たちが通り過ぎていく騎士をチラチラと見ながらヒソヒソと囁きあう。


「マジかよ……上層部とは言っていたけど、まさか……」

 ヴィノが驚愕の声を出す。


 ひと目でわかる。<開かずの門>で対峙した騎士とは格が違う。重厚で細かな彫り細工を施した、くれないに燃える鎧。滅多なことでは入手できないスーパーレア装備『炎竜カノンの鎧』である。

 ラースは、その伝説級の鎧を装備しているプレイヤーを一人しか知らない。

 真紅の鎧が音を立てて近づいてくる。威風堂々たる姿でラース達のテーブルまでやってきて足を止めた。その人物のプロフィール・ウィンドウが自動的に開く。


 所属ギルド/カムナ騎士団/団長

 職業/聖騎士

 名前/カムナ・リーヴ


「マジ? カムナ騎士団の団長……?」とヨハンも驚きで空いた口が閉じなくなっていた。


 ダークブラウンの長髪は無造作に伸びたまま。精悍な顔つきには、睨まれただけで身体がすくみあがりそうな迫力が宿っている。

 後ろに控えている部下らしき騎士が、団長の兜を大事そうに両手で抱えて随伴していた。


 身動みじろぎするだけで重たい金属が擦れる大きな音がする。

 戦闘指揮型騎士ヴァンガード・ナイトが装着できる高い防御力を誇る重厚な鎧での移動は、普通に歩くだけでも金属の擦れる音が大きい。それはつまり、敵を前にして逃げることも隠れることもしないという覚悟の表れでもある。


 数々の伝説級クエストを制覇してきたからこそ転職可能な『聖騎士』として、また、このヴァシラ帝国の最強騎士団の長として、ゲームの中とは思えない超然とした佇まい。

 その勇名が日本サーバー以外にも伝わっているという、『アストラ・ブリンガー』におけるスタープレイヤーの一人である。


「やべえよやべえよ」とヴィノは慌てふためいて残像が見えるほどの貧乏ゆすりを開始している。


 団長はじっと、ラースを見下ろしたまま微動だにしない。


 ラースは額に冷や汗をかきつつ、顔を引きつらせながらも、なんとか笑顔を作ろうとした。

「お……お久しぶりです。団長」

 作った笑顔が完全に失敗しているのは百も承知でラースが言った。


 への字に固く結ばれたカムナの口元。つり上がった目元が座っているラースを凝視する。


 ラースの引きつった笑顔。その目元の筋肉が痙攣し始めた頃になって、ようやくカムナが口を開いた。


 まず最初に出てきたのは、恐ろしく重たいため息であった。


「……ったくよぉ。うちの団員を軽々と倒した魔導術師がいるって言うからもしやと思ったら、、ラース」

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