003 幸運の絞りカス

「いやぁ、すっかり遅くなっちゃったぁ……。南の地下神殿のレイドボス……えーなんて言ったっけ? 長ったらしい名前の蛮神ばんしん。こっちのレベルに応じて強さが変わるから、もうカッチカチに硬くってさあ、しかも後衛だけにヒットする変則攻撃も持ってるもんだから魔導術師の連携が乱れまくって時間溶かされまくりで散々だったよぉ」


 健康そうな褐色の肌。引き締まった筋肉と女性的なラインのバランスが取れているしなやかな体躯。露出の多い服装と軽装備なのは、近接戦闘に特化した修道兵モンクならではの機動性重視の結果である。

 外はねしているショートカットの髪を無造作に掻きむしりながら、ヨハンの隣へ強引に身体をねじ込むと、疲れ切ったようにどっさりと腰を下ろし、ナックルガードがついた重厚なグローブを外す。


 普段はいたずら好きの猫科の動物を連想させる、ややつり上がった目元も、今は疲労困憊のせいで垂れ下がっていた。

 一度、腕を天井に向かって伸ばしてから、大きな吐息と共に力を抜いていく。それから、肩の凝りをほぐすようにグルグルと腕を回した。その度に左腕につけている『エメラルドの腕輪』が光を受けて瞬く。特筆すべき付帯効果はないものの、デザインが気に入って身につけているらしい。


 顔ぶれを確認するようにラースからヨハンへと視線を送る。

「ヴィノはまだ来てないんだ」と女修道兵モンクは続ける。「で、そのムンクの『叫び』みたいな顔つきはどうしたのヨハン? いつものつまらないジョークは卒業して顔芸に転向したわけ?」


「おかえりミア」

 硬直したままのヨハンに代わってラースが応える。「おかえりってのも変な言い方だな。ここがホームってわけでもないし」

「そうだよね。ギルドとして集まってるわけでもないし、変と言えば変だね」とミアは笑う。「……で、いつまでその顔芸続ける気?」


「女神イルナスに誓って、今から話すことを聞けばお前さんも同じ顔をするね」

「私の可愛いこのアバターを、あなたのマンガ顔と一緒にしないでくれる? で、何があったの? 面白いこと?」

「もうちょい待て。じきにヴィノも合流する。同じ話を何度も聞きたくはないだろ」


 ドアが開く鈴の音。

 入ってきたのは派手な衣装に身をまとった吟遊詩人バードの男だった。気取った羽根付き帽子に、背中にはリュートを背負っている。


 やたらとふさふさした羽毛のようなポンポンがついた、ジャストコールと呼ばれる派手なコートを着込んでいる。全体的に光沢のある青と赤で彩られている服装は、よほどの自信家でないと着るのを躊躇するようなロココ調のコーディネイトである。

 全体的に彫りの深い顔つきと、計算され尽くした顎髭あごひげ。柔和な印象を与える垂れた目元はつねにニヒルな笑みを湛えている。


「相変わらずふざけた格好しているな、相棒」とヨハンが言う。

「歌って目立つのが吟遊詩人バードの仕事だろ」

 リュートを背中から外して、席の横に置く。

「おかえりヴィノ」とミアが言った。

「ただいま。戦うお姫様」とウィンクしてみせるヴィノ。「そしてモテないブラザーズの紳士諸君。相変わらず血の気のないリビングデッドみたいな顔つきをしているじゃあないか」


「ふっふっふ。残念ながら今日に限っては、その憎まれ口は的外れになるぜ、ヴィノ」

「いやいや、なんでお前が強気で言ってるんだよ」とラースが呆れる。

「ヨハンの顔芸が見れなくて残念だったね、ヴィノ」

 意地悪くミアが言う。

「顔芸? 芸風変えたのか?」

「ミアと似たようなこと言うんじゃないの。なんにせよ、今から話すことを聞けば、お前らも同じ顔になるんだ。いいか……」とラースを見るヨハン。「俺が話すか? それとも自分で話すか?」


 ……やれやれ。


 ラースはため息と共に話はじめた。謎の美少女神官、バーナデットとの出会いから、あからさまに不審な行動をする青銀の騎士たちのことまで。

 そして、最後の部分だけ、ヨハンが強引に話を引き継ぎ――個人的な悔しさと妬ましさをたっぷりと添えて――、ミアとヴィノに説明した。


 全てを話し終えると、ヨハンの予想通りのことが起きた。


 まず、ミアが『叫び』と同じ顔になり、ついでヴィノの口があんぐりと開いて、女性の前では通常の三倍ほど輝きが増す――と本人が豪語している――レッドブラウンの神秘の瞳は、見る影もなく二つの点のようになってしまっていた。せっかくの色男が台無しである。


「ホントに? ラース君が……女の子と?」

 たっぷり一分間ほどの沈黙のあと、ミアはムンクの『叫び』顔のまま言った。

「信じられないぜ……。どうしてこんな寂れた酒場でボーイ・ミーツ・ガールが起こるんだ! 俺が苦労してあちこちナンパ遠征している意味がなくなるじゃないか!」

 ヴィノにいたっては何が悔しいのか、その本質さえ分からなくなるほどの混乱をきたしていた。


「あのね、今ヨハンが言った『激しく絡みつくように、ねっとりと互いの肢体を貪るように抱き合っていた』という描写は嘘だからね。コイツの妄想が入り混じっている完全なるフィクションだからね」


 ラースの注釈もまったく耳に入らないほどのショックを受けている二人。


 ……え、なに? 俺ってそんなにモテないキャラなの?


 別にイケメンだとは思っていないが、女性にまったく縁がないわけではない。これは、いわゆる本気を出していないだけだ、と心のなかで言い訳してみるが、どうせ言っても説得力はなにもないのでやめておくことにした。


 それにしても……と思考を切り替えるラース。


 みんなにはあえて言わなかったが、実は青銀の騎士が近寄ってきたとき『解析』アナリシスの魔導術を相手にかけている。しかし、この魔導術に対する反応レスポンスがまったくないことに、ラースは驚いていた。


 ノン・プレイヤー・キャラクターであるアストラリアンに『解析』の術をかけたとしても、最低限の情報を手に入れることができる。相手の名前や、職業、もし記載されていれば簡単な説明文フレーバー・テキストも閲覧可能である。


 対象がプレイヤーの場合、相手が意図的に秘匿マスキングしている情報以外であれば読み取ることが可能である。また、戦闘スキルやステータスに関して言えば――相手との対戦状態のときに限られるが――マスキングされている部分も魔導術や職業スキルによって見破ることも可能である。


 つまり情報の開示設定は、いわばこのゲームにおける初歩的な自衛手段のひとつである。

 よほど腕前に自信があるときを除けば、相手に読ませる情報は少ないほうがいい。いつどこで対戦を申し込まれるか分からないのだから。


 そこで、青銀の騎士たちはどれほどの用心をしているのか。言い換えれば、このゲームにどれくらい慣れているのかを試してみるには『解析』は丁度いい魔導術なのである。


 はたして、その結果はベテランと言えるラースの予想を超えるものであった。


 このゲームにおけるほとんどすべての造形物に対して『解析』の魔導術は有効に作用する。たとえば、それが道端に落ちている小石だったとしても『解析』をかければ、その対象物の説明が目の前にポップアップ・ウィンドウで表示される。


【小石】こいし

 どこにでも存在する小さな石。手にとって投擲することも可能。【砂】と合わせることによってモンスターに行動阻害、視界不良の状況を作り出すこともできる。※

 ※アビリティ『サバイバル技能』が必要。


 ――と、これくらいの情報は、どんな造形物にもセットされている。


 『解析』アナリシスは情報を秘匿マスキングしているキャラクターに対しても、秘匿されていることが分かるようにウィンドウだけが表示され『SECRET』と表記されるようになっている。

 

 だが、青銀の騎士の開いたウィンドウには『SECRET』の文字はなかった。

 それどころか、なんの情報も表示されない、ただの半透明な無地の画面だけしかなかったのだ。

 このゲームの仕様上、そんな表示はありえない。

 長年このゲーム内で遊んでいるが、魔導術を使って、何の反応もないことはこれまでバグでさえ一度もなかった。

 

 ……何かがおかしい。

 ラースは青銀の騎士の動きをもう一度、丁寧に思い起こしてみる。


 もし、彼らが本当にバーナデットを探していたのであれば、あれだけ目の前に来ているのに発見できないというのは、あまりにも不自然だ。


 そして、そもそも彼らはプレイヤーの周囲に自動で表示されるプロフィール・ウィンドウをつぶさに確認している様子もなかった。


 違和感。


 そう、彼らの動きはアナログではないのだ。つまり

 では、彼らは何を見ていたのだろう。


 バーナデットは俺に喋るなと言った。なぜ喋ってはいけないのか。雑多な人混みに紛れるのであれば、みんなと同じように楽しく雑談している方が目立たないはずだ。


 あの状況で、まったく話もしないで座っている方が探す方としては逆に見つけやすいはずだ。他の席とは違う違和感があるのだから。


 しかし、実際には喋らずに座っているおかげで難を逃れた。


 宙空を眺めるように、少し上向きに歩いていた騎士たち。


 それはつまり、表面上の人相や服装で相手を探しているわけではないということを示唆しているのではないだろうか。つまり会話をしたときにプレイヤーから発せられる音声データ――と、それに紐付いた様々な情報――を、取得するために店内を歩き回り、情報を閲覧していたのだとしたら……。


 そんな、ハッキングにも匹敵する行為をしてまでバーナデットを探している?

 しかも魔導術にまったく反応しないというチート級の能力まで備わっている何者かが。


 そもそも、奴らは本当に冒険者プレイヤーなのだろうか……。


「ようするになんだ! このアストラリアという架空の世界で女の子と熱烈ハグをしたかったら、黙って酒場で座っていろというのか? なんたる不条理だ!」

 ヨハンが憤慨して腕を組む。


 その激しい嫉妬と妬みの言動により、ラースは思考の世界から戻ってくることができた。

 よく考えてみれば、バーナデットはもういない。どこへ行ったのかもわからない。

 三つの大きな大陸には無数の国家が存在し、それに加えて様々な島国も点在する広大なアストラリアという世界において、彼女と再会できる確率はほとんどゼロに近い。


 今現在、拠点としているこのヴァシラ帝国の首都ヴァンシアにおいてさえ、常時一万人以上はアクセスしているはずである。


 ……あれこれ考えたところで、もう会うこともないだろう。あまりに咄嗟のことでフレンド登録の申請すらしていないし。


「まあまあヨハン、そう腐るもんじゃないぜ。まだ幸運の絞りカスくらいは残っているかもしれないだろ」とヴィノがなだめる。「ところでラース。今日の日替わりデイリークエストもうやった?」


「いいや。さっきヨハンがやってきたばっかりだよ。春の感謝祭だろ? かなり大盤振る舞いらしいね」

「そうか……」とヴィノは立ち上がる。「どうだい? 久しぶりに一緒に行かないか」

「どうしたんだ急に」とラースが面食らう。「ヴィノが男を誘うなんて、珍しいこともあるもんだ」


「普段は幸運の女神くらいしか一緒に連れて行かないんだが」とヴィノはラースに顔を近づけて小声でささやく。「今日のラースは女神以上に女運がありそうだ」


 ……まったく、こいつはホントに顔だけアレで中身はアレだな、と項垂うなだれる


「あ、待って待って。私もまだだから一緒に行くよぉ」とミアが手を挙げる。


「女連れで女が釣れるか!」とヴィノが血相を変えて言う。


 ……いやあ、ほんとにこいつは中身がアレばっかりだな。顔はアレなのに。



■時間経過 

■帝都ヴァンシア近郊

■フィールド北西部


 日替わりクエスト『獰猛な野犬サベージ・ドッグの牙を手に入れろ!』は、毎年春先に開催される『春の感謝祭』イベントのひとつである。

 新規参入を促したい運営側が定期的に開催するボーナス・クエストであり、達成条件が簡単なわりに得られる報酬が高い。


 今回のクエストも、獰猛な野犬サベージ・ドッグが高確率でドロップする『野犬の牙』の獲得数に応じて換金報酬が得られるというものだ。普段は売ったところで二束三文の、フィールド上でそのまま捨てた方がアイテム欄の節約になるくらい無駄な素材なのだが、それが感謝祭の期間中は一本につき二〇ドエルと、破格の換金率になる。

 一日の上限は十本までとあるが、それでも一日で二百ドエルまで稼ぐことができる計算となる。


 ラースが溜まり場にしている酒場<かささぎ亭>でペール・エール酒が一杯十五ドエルということを考えれば、馬鹿にできない金額である。


 ヴィノの職業は吟遊詩人バード。戦闘時においては前衛職より後ろで、後衛職よりは前という、攻撃を担うというよりは戦闘補助をメインとする職業である。


 レベル相応のクエストをするとなると戦士や魔導術師ウィザード、回復役としての女神神官ディータ・プリーストなど、様々な職業との連携が必要であるが、今回のように雑魚中の雑魚である野犬くらいなら、現行バージョンにおいてレベルの上限である八〇まで到達しているラースとヴィノにとっては、まったく戦闘に困ることもない。


「いたいた。三匹も群れてくれているとはラッキーだな」

 ヴィノが目ざとく野犬を見つける。

 獰猛な野犬サベージ・ドッグの特技に『遠吠え』があり、仲間を呼ぶことがあるのだが、あまりにもレベル差がある場合は逆に逃走されることが多くなる。最初から複数で出現してくれるほうが狩りやすい。


 ヴィノは細身のレイピアを抜き放つ。

 ラースも手にしている杖による物理ダメージで充分一撃で片付けられるのだが、二匹まとめて片付ける方が手っ取り早いと判断して魔導術を発動させるための印を結ぶ。


「ありえない美少女との出会いを体験した今なら、俺もその出会いパワーで女の子をナンパできると思ったのに、フィールドには犬しかいないとはどういうことだラース?」


「知るか……」とラースは呆れる。


 ヴィノが向かっていった獰猛な野犬サベージ・ドッグはそのまま任せて、残り二匹に魔導術のターゲッティングをする。使用する術は火球ファイロクス。最も初歩的な攻撃魔導術であり、詠唱時間も熟練度マックスにより短縮できるうえ、多投できるほど再発動時間リキャストタイムも短い。

 さらにラースが装備しているSRクラスの杖『異端定理の魔杖』にも『短縮詠唱』の特殊技能アビリティが付随しているため、もはや無詠唱での発動が可能である。


 我に仇なす全てを燃やせ 

 異界の炎 

 火球ファイロクス


 本来であればこれだけの文言が術の発動に必要だが、ラースは最後の「火球ファイロクス」という言葉を唱えるだけでよい。


 だが、今回は事情が少し違った。


 に、術式が発動した。

 ラースは自分のアバターになにやら異変が起きていることを直感的に感じ取った。


 ……なんだ、この感じ……。


 手のひらに出現した炎を慌てて敵に向ける。

 本来、放たれる魔法の火の玉は、野球ボール程度の大きさであり、スピードもそれほど早い方ではない。


 少し距離をとった手練れの戦士であれば、術を放ったあとからでも対処ができるくらいの速度である。初歩の術なのだからそれほど強力ではないのは当たり前である。


 しかしいま放った火球は様子が違った。

 それはバスケットボールほどの大きさまで一気に膨れ上がり、目で追うことが困難なほどの豪速球で獰猛な野犬サベージ・ドッグに直撃したのだ。


 火球ファイロクスを二連投して、一匹ずつ仕留める算段だったのが、一撃目でヒットした巨大な火球の炎が隣の野犬をも巻き添えにして、一瞬にして灰と化してしまった。


「おいおい、野犬相手にずいぶん派手な魔法使うじゃないか!」

 ヴィノが楽しそうに言った。

「いや……違うんだ」とラースは困惑する。「なんだ?……どうしたんだ、いまのは……」


 ラースはなんとなく自分の手のひらを確認してみる。なんの変化もしていない。しかし、この手のひらから放たれた術は、まぎれもなく理不尽な強化がなされている。

 戦闘が終わって、改めて自分のステータスウィンドウを表示する。能力値におかしなところはない。装備品もいつもと変わらない。


 なんらかのバグが発生しているのか? それにしてはヴィノは普段と変わらないし、そもそも魔導術の威力だけが強化されるバグなんて起こりうるのだろうか?

 あるいは、知らない間になんらかのミッションにおけるクリア条件を達成し、そのボーナスとして一時的なステータスアップがされているのか……。


 ラースは現在受諾中のクエストと、個別のミッション・クリア状況をチェックするページへと飛んだ。

 しかし未完、不達成のものに変化はない。当たり前だ。基本的にはログインして<かささぎ亭>で駄弁だべっているだけなのだから。


「お! 目標発見!」

 ラースの変化にまったく気づかないヴィノ――そもそも彼は戦闘行為にそれほど関心がない――は、お目当ての女性冒険者プレイヤーらしきアバターを見るやいなや、そちらへすっ飛んでいってラースのことなど忘れたかのように女性たちのいるパーティへ参加してクエストを手助けしはじめる。


 普段なら悪態のひとつもついているところだが、自分だけに起きているらしいこの奇妙な現象のせいで、それどころではなかった。


 ……なにが起きている? 


 原因も対処法もわからないが、ひとつだけ自覚している決定的な変化がある。


 それは、バーナデットと出会い、おそらく自分は彼女に好意を抱いてしまっている……ということだ。


 問題に対する根本的な解決とはなんの関係もない話だ、とラースは自分の思考に呆れた。

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