第106話 時は流れる

 冬が深くなる。

 直史の時間は、早くも遅くも感じる、不思議な日常となっている。

 ルーチンでこなせる事務作業は、すぐに日が暮れてしまう。

 だが明史との時間を作ると、それは時間の流れがゆったりとなる。

 それは明史が、あまり動かないということもあるだろう。思えばずっと赤ん坊の頃から、動かない子供であった。

 なんらかの障害の一種かと、心配したこともあったのだ。

 しかし会話が成立するぐらいになると、むしろ知能はかなり高く、それでいてある種の学習障害の傾向なども見えず、安心したことは確かだ。

 さすがにもう少し外で遊んだ方がいいのでは、などと思ってもいた。


 心臓が明史に、それを許さなかったのだ。

 なので今でも本を読むか、あるいはパソコンを操作したりしている。

 スマートフォンは危険なので、機能を制限したものを与えてある。

 だが明史はどうやら、ノートパソコンを主に利用しているらしい。

 確かに実家でもマンションでも、wifiの電波は飛んでいるので、それである程度は充分なのだろう。


 何かに集中して、主に検索をしたりしている。

 その中には平気でアングラなサイトもあり、そこはさすがに直史も注意したが。

「お母さんには見つからないようにするんだぞ」

 男の子はどうせ、いずれは母親に隠し事をするようになる。

 後で瑞希にも、もし見つけても見なかった振りをするように伝えねば、と考えているのが直史の方針である。


 知識の吸収というのが、明史の趣味なのだろうか。

 単純に知能が高いとか、そういうことならツインズがそうである。

 しかし明史の情報の海で没頭する様子は、他の誰かを思い出させる。

 何か自分でデータを集めて、それを統計で出したりしている。

 幼少期からそういう環境にあるとはいえ、これは早熟も過ぎるのではないか。

 ただこうやってデータを扱っているのは、セイバーを思い出す。

 思えば彼女も動かない人間であった。明史とは違って、純粋に運動神経が壊滅的であったが。




 自分でも仕事を家に持ち帰って、リビングでパソコンと格闘している明史を見る。

 たまに質問が飛んでくるが、それは野球用語であったりする。

「データを分析しているのか?」

「NPBは全然駄目だけど、MLBは相当のデータを公開しているから」

 サイトに日本語翻訳をかましているらしいが、それの何が楽しいのだろう?

 いや、ジンやセイバーなどは、よくそういったデータを見てトリップしていた気もする。


 明史はそのデータの海を泳ぐばかりではない。

「お父さんって、本当にすごいね」

「そうかな?」

「人間離れしてる」

 実の息子から人外認定されたでござる。


 淡々とした口調の中にも、わずかに熱量がこもっている。

 明史が本当にそう思っているのは確かであろう。

 実際に直史も、自分の成績の数字というのが、完全に常軌を逸脱していることには気づいているのだ。

「お父さんは人間だし、投げているボールも一球一球を見れば、そこまでおかしな数字は出てない」

 息子に分析される父親という、とても珍しい経験を直史はしていた。

「超人とか天才とかじゃなくて、なんだかプログラムを食べるバグみたい」

 いや、そういった比喩が出来る幼稚園児とはなんのか。


 しかし言っていることは、直史にも納得出来るものだ。

 超人でも天才でもない。

 魔法が使えるわけでも、超能力が使えるわけでもない。

 それでも表面的に表れている現象は、奇跡とでも呼ぶべきものだ。


 なるほど、と直史は感じた。

 確かに野球は、配球の読み合いというものが存在する。

 対して直感で打つバッターもいるが、それでも前のボールがどうかで、次のボールへの対応は変わってくるだろう。

 そのバッターの意図を食いつぶすというところは、確かにバグであるとも言えるだろうか。


 直史は仕事を一段落させると、明史に対面するリソースを作る。

「だいたい心理的な駆け引きはあるが、ある程度の常識の範囲でも投げているからな」

「お父さんは初球が一番怖い?」

「そうだな。特に第一打席の初球は怖い」

 それはバッターからすれば、一番有利なバッティングカウントとも言われる。

 ストライクが先行していけば、ピッチャーに有利。そしてボール球から入ればバッターが有利。

 直史は圧倒的に、初球からストライクを取りにいく。


 もう引退してから時間も経過しているが、MLBの公開情報はそう簡単には消えない。

 もっとも引退した選手のものを残しておけば、そこからリーグのトレンドの変化も分かってくる。

 なのでデータ自体は、やはり重要であるのは間違いない。

「明史だったら、お父さんの球を打てるか?」

「打てないけど、打てるように指示は出来ると思う」

 明史は当然のようにそう言った。


 現役時代の直史は、とにかく打たれてもヒットにならないピッチャーであった。

 ジャストミートされるのを、とにかく防ぐのが直史のスタイル。

 これを打ち崩すために、対戦チームの分析班は、必死の努力をしたものだろう。

 しかし今ここに、打てるとあっさりと言う存在がいる。

 ここにもまた、天才がいるらしい。




 直史は頑固さと柔軟性の両方を持っている。

 それは両立が難しそうに見えて、実はそうでもない。

 根底になる部分に、自分自身を信じる何かがなければ、人は自信を失ってしまう。

 自信を失った人間は、当然のように迷走する。

 直史の人生において、一見すると余所道に見えるところはあっても、本人に迷いなどはなかった。

 そういった絶対の何かを持っているだけに、誰かの何かを認めるのに躊躇がない。


 明史はこのまま成長しても、ブルーカラーの職業に就くことは難しいだろう。

 また直史はホワイトカラーの職業であっても、脳を激しく使うことで、心臓に負担がかかることは考えられる。

 頭脳労働も結局は体力がそれなりに必要になる。

 もちろん状態が良化しなければ、そんな将来のことなどは考えるだけ無駄なのであるが。


 子供たちの未来を、直史は決定しようというつもりなどない。

 だが現実的なところはどうなのか、それは本人以上に知っておかないといけないことだとは思っている。

 必要な時に、適切なアドバイスをする。

 それが親の役目であると思っている。

 またそういった優しい父親という面と同時に、田舎の長男という思考も頭の一部には残っている。

 家を継ぐものはどうするのか、という問題である。


 娘は嫁に行き、長男が家を継ぐ。

 これが一般的な田舎の旧家である。

 しかし明史がそれに耐えられるか分からない。

 瑞希のお腹の中の子供は、性別判断が既に出来ている。

 幸いと言うべきか男の子で、ほんのわずかだが安堵した自分を、直史は認めていた。

 跡継ぎが重要である。

 実際に跡を継ぐかどうかはともかく、そういった子供を育てるところまでが、自分の役割だと直史は思っている。

 他には真琴に婿を迎える、という方法もあったりはする。

 実際に過去には、分家から本家に婿を迎えた、という例もあるのだ。

 一応これでも、男子系の血は継承されている。




 直史には従兄弟たちがいるが、基本的に父の姉と妹の子供たちなので、男系の血筋ではない。

 今時そんなことを重視するのは天皇家ぐらいであろうし、そもそも江戸時代の武士などは、家が続くことが重要なのであって、血が続くことは二の次であった。

 なぜならば家が続かなければ、そこに仕える者たちも、また路頭に迷ってしまうからだ。


 江戸時代など、武士よりもよほど柔軟であった商人などは、基本的に跡継ぎは娘婿を取る、という手段をやっていたのだ。

 息子がいても遊べるだけの金を渡して、本業は番頭にまでなった娘婿にでも任せる。

 そういった例は実は、佐藤家の先祖にもあったりする。

 今はもう集落からいなくなってしまったし、家も取り壊してしまったが、母屋の小路をはさんだところに、七代前の分家などがあったのだ。

 そこが丁度、娘に番頭を婿取りさせて、分家を作らせたという経緯がある。

 今でも盆には墓参りには来て、少し話していったりする程度の付き合いはある。


 さすがの直史も、そこまで頭は固くなっていない。

 自分はそうするつもりだが、子供たちがどうするかは自由だ。

 だが同時に、個人主義の行きすぎた現代は、あまりいいものでもないとも思っているのだ。

 結局のところ少子化問題は、核家族化が大きな原因の一つになっている。

 女性への出産圧力。

 直史は子供を産まない女性に対して、別に人間として下等とかそんなことは思ったりはしない。

 だが子供を産んで育てた女性と、産んでも育ててもいない女性では、前者が偉いと無条件で思ってはいる。

 これは社会的な問題ではなく、生物的な価値観である。




 直史は明らかに、長男として育てられた。

 どこかの名作ではないが、長男だから耐えられた、長男でなかったら耐えられなかったなどとまでは言うつもりはないが、価値観や社会への姿勢が、一般的な育ちとは違うというのは分かっている。

 それを明史にも、ある程度伝えるところまでは義務だと思っていた。

 明史がそれを継承することは、義務ではないとも思っていたが。


 だが野山を散策しようにも、明史はすぐに疲れてしまう。

 体力のなさが致命的だな、とは思っていたが、今は強烈な男性性が必要な時代でもない。

 その高い知能を上手く活かせば、充分に生きていくことは出来る。

 もっとも家長としてまとめるというのは、それだけではなかなか難しいところはあるかもしれない。

 現場を少しは知っていないと、頭でっかちになるというのは、どんな分野でも同じであるからだ。


 明史は頭脳明晰である。

 そしておそらく今のところは、頭脳明晰な人間にありうる、無能への不寛容もないだろうと思う。

 自分自身が、体を使って何かをするということが出来ない。

 このハンデキャップはもちろん、一人の人間としてみた場合、都合の悪いことであるのは間違いない。

 だが自分には出来ないことを、明確に認識すること。

 そんな弱さを持っていれば、寛容になれる。

 弱い人間や、飛び出た才能のない人間。それがむしろ世間の大多数だ。

 それを理解しておくことが、上に立つ者には必要なことなのであろう。

 

 


 年末が迫ってきた。

 心配だった恵美理のPTSDに関しては、とりあえず東京のような都会部においても、発症しないことが確認されている。

 それでも普段から、寝つきがやや悪くなっているのだとか。

 甘えるようにベッドの中で胸に頭をこすりつけてくるのだ、と武史がのろけるのを聞いて、直史と大介は砂糖を吐いたものである。

 ただこれは、一応望ましいというか好ましい話ではある。


 心の傷は見えないだけで、存在しないわけではない。

 そして見えないとどこまで治癒しているか分からないので、これまた難しかったりはする。

 だが最悪の状態だけは、避けられていると言えるだろうか。

 まだ若い人間が、心を病んで死んでしまうというのは、ちょっと勘弁してほしい。

 直史などはある意味ではタフなメンタルをしているので、そういった人間の気持ちは分からない。

 理解は出来ても共感はしない、と言った方が正しいのだろうか。


 共感はむしろ、解決から遠いところにある、という場合もある。

 相手が女性であると、解決ではなく共感を求めることが多い、と聞いたりもする。

 ただ直史にとっての身近な女性は、完全に感情型の妹たちを除くと、感情ではなく論理でものごとを考えている人間が多いように思う。

 弁護士などは論理型の人間に違いない、などという見方もあるかもしれないが、実際には感情型の人間も相当に多い。

 瑞希の場合は論理型と言うよりは、さらに客観型の人間であるというイメージが大きいが。


 妊娠して、そこそこ安定してはきていた。

 しかし精神的なことを言うなら、瑞希も珍しくナーバスにはなっている。

 芯の強い女性ではあるが、それでも明史の件はショックだったのだ。

 真琴も同じ心臓の問題があったことを思うと、自分の遺伝的なことも関係するのだろうか、という思考にまで陥ってしまうかもしれない。


 瑞希も少し、変わった遺伝的な形質を持っていたりする。

 やや体が弱かったことも確かだが、おそらく大学に入って以降は、女性の平均よりも体力はついただろう。

 主に夜に、とても激しい運動をする日が多かったため。

 ただこの瑞希の遺伝的な形質は、それほど遺伝するものでもないし、極端に生活において不利なものでもない。

 むしろ単純に生理不順な人間の方が辛い、というのが彼女の説明である。




 今年もクリスマス前あたりからは、武史一家も佐藤家の実家にやってきた。

 東京の都会か、イギリスでの育った年月が長い恵美理だが、聖ミカエルはそこそこ田舎の寮生活を送る学校であった。

 そのためもあってか、やはりこのあたりの土地には、日本人の原風景というものを感じるらしい。

 帰国後しばらくもそうであったが、ここの生活は落ち着く。

 犯罪の匂いが薄い、というのが彼女の感覚なのだろう。


 ただ実際のところは、案外こういった田舎においても、犯罪というのは存在する。

 直史が生まれる前などは、近くの同じく旧家の家の蔵に、泥棒が入ったこともあった。

 幸い被害はそれほどでもなく、また盗まれたものも特徴的であったため、後に取り戻すことが出来たりした。

 それでも全てが戻ったわけではなかった。


 また農作物などの、収穫前のものを盗む、という窃盗も存在する。

 このあたりではほとんどないが、それは農業法人化した時に、しっかりと監視カメラなどで警備しているため、予防しているからである。

 これがアメリカの農家であったら、泥棒はその場で射殺だな、などと大介は言っていたが、全く笑えない事実である。

 トラバサミなどの罠を人間相手に仕掛けるべきか、などと直史は考えたりもするのだが、法的にちょっとこれは難しい。


 そんな完全な牧歌的な風景とは言えないのだが、それでも家の鍵をかけずに、外出することが普通の集落。

 集落と言っても隣の家まで、100m以上も離れていたりするのだが。

 北海道などだと隣が500mだの5kmだの先なので、それに比べれば小さいものだ。

 基準がおかしいと言うかもしれないが、アメリカの大農場であったりすると、北海道すらもかなわない大規模農家は普通に存在する。




 去年は祖父の死があり、今年は明史の病気の発覚に、恵美理が事件に巻き込まれるという、あまり平穏とも言い切れない年が続いた。

 それでも誰も欠けることなく、一年が過ぎたのはいいことである。

 年賀状もしっかりと出せる年が、悪いわけではなかったと思いたい。

 どんな人間であっても、本当に何事もない一年などは、過ごすことは出来ないのだから。


 新しい一年が、また始まろうとしている。

 子供たちを広間に並べた布団に放り込んで、大人たちは新年を迎える準備をする。

 この日ばかりはさすがに、大介も練習はしない。

 とはいっても少し、走りこんではいたらしいが。

 年末の大掃除は、普段は田舎では甘やかされる、男衆の力の出番であった。

 こういう時は怪力よりも、むしろ長身であることが便利であったりする。

 大介のコンプレックスを、また微妙に刺激することになってしまう。


 来年はどういう年になるのか。

 平穏は無理かもしれないが、誰にも理不尽な暴力が振るわれることがないといい。

 そんなことを考えながら、コタツの中で新年を迎える。

 普段キリリとしている恵美理が、今年はコタツでうとうとしているのが、ちょっと新鮮にも思えた。

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