第105話 生きていく

 本当のことかどうかは分からないというか、どこかの小説の言葉であったと思うのだが、徳川家康は人生のことを「重荷を背負って千里の道を行くが如し」などと言ったとかどうとか。

 直史は重荷を背負っているとは思わないが、波乱万丈というか、なかなか平穏な日々はやってこないものだな、という程度には思っていた。

 それは彼が、自身のことのみだけではなく、周囲の多くの人間を背負ってしまっているからこそ、感じるものかもしれない。


 明史の件の周知が終わり、恵美理の件も時間の経過を待つ。

 それが過ぎても直史は、色々とやることがある。

 やはり具体的に多くの時間が取られるのは、農業法人の件であろう。

 働いている人間の数が多いし、農業への補助は色々と、行政とのやり取りが多い。

 それらの法務をやっているので、忙しくはなっている。

 だが収入としては、それなりに大きなものともなる。


 日本国内の農業は、国家の基盤として保護しなければいけない。

 さすがに直史も知らなかったのだが、世界の先進国の農業というのは、ほとんど公務員ではないか、と思われるほどに保護されている国も多い。

 実際に日本などは、島国であるのだから食糧に限らずライフラインが輸入に頼るところはある。

 それに農業というのは、実際のところコミュニケーション能力はそこそこだが、一つの作業を集中してやるというタイプの人間に、向いている面がある。

 土木作業の現場も人手不足はあるが、農家も人手不足、ましてや後継者不足というところがある。

 また季節によって必要な労働力が変わってくる。


 季節労働者を吸収する余地が、農業という産業にはある。

 また畜産に関しても、会社の業績が好調なため、さらに拡大する計画がある。

 もっともこれに関しては、まだ沿革が出来ただけであり、資本投下をどうするかなどの問題が出てくる。

(やっぱり会社を作るのはいいことだな)

 同族経営で行っていく、というのを直史は否定しない。

 土地に根ざした経営というのは、やはりその土地に根ざした人間がやった方がいい、と思うからだ。




 社長である百間町が言うには、獣害がそこそこあるらしい。

 ただこの辺りよりも、南の方がまだ被害は大きいのだ。

 日本列島においては、そもそも昔は神の化身でもあった狼が存在し、猟師もかなり鹿などは駆除していた。

 しかし今は天敵が絶滅し、猟師の数も減った。

 設備投資として罠を作ったり、電磁柵も設置している。

 だが鹿系の数を減らすことは、山の植生を保つ上でも、ある程度は必要なのだ。


 直史も猟銃免許を取ったものだが、はっきり言って直史が猟をするよりは、他の人間が駆除をした方が、コストがかからない。

 直史は他にやることが色々とありすぎるからだ。

「しかし農業に関しても狩猟に関しても、日本は一度ついたイメージがなかなか抜けないな」

 農業はダサいとか辛いとか、そういうものはかなり脱却しつつあるのだが。

「いや~、それでも荒川先生の作品とか罠ガールとかクマ撃ちの女とか山賊ダイアリーとか、イメージは一昔二昔より、どんどん良くなっているって聞きますよ」

「まあ千葉も東京の隣とはいっても、ちょっと行けば普通に山だからなあ」

 それを言えば日本列島は、基本的に山なのである。


 ここで農業をするというのは、即ち山と共生する必要がある。

 そして山を人間向きに保つというのは、林業も必要になってくるのである。

 その木材を人間用に保つなら、これまた獣害を抑える必要がある。

 ここいらは熊はいないので、比較的危険性は少ないのだが。


 農業法人は、それでも上手くいっている方である。

 他に直史が考えているのは、介護施設である。

 少子高齢化の日本で、今後絶対に必要になる。

 これまた農業と同じで、儲かるというのではなく必要性から、直史は考えたりしている。




 体が二つほしい、というのは忙しい経営者がよく言うことだ。

 しかし正しく言うならば、会社の経営さえも任せられる人間を、どうにか育てる必要はあるのだ。

 農業法人の方は、そもそも百間町は社長と言っても、役員である元となった農家の役員の方が、発言力は強かったりする。

 ただ農業は、現場に出てこそ、というのが共通した認識だ。

 直史はある程度、お客さん扱いをされるのも仕方ない。


 介護施設に関しては、実はこの辺りには既に、いくつか存在している。

 しかし直史はもっと、大規模なものが出来ないか、ということを調整していた。

 それを考えたのは、祖父の死がきっかけであったかもしれない。

 ただ直史の固い頭の中には、出来れば人間は家で、家族に看取られながら死ぬべきだ、という時代遅れな考えがある。

 もちろんそれが難しいのは分かっていて、それに近づけるにはどうするのか、ということも考えている。


 新しい会社の設立。

 あるいは会社ではなくとも、法人化するなんらかの施設。

 出来るだけ大規模なものにするのか、それともまずは失敗しないためのものにするのか。

 日本は社会的に、そういったものの存在を必要とはしている。

 それを故郷の近くに作りたいというのが、直史の目標ではあるのだ。




 引退してから三度目の冬がやってくる。

 一年目は正確には、引退試合の準備があったので、実質は二年目と言うべきか。

 直史としてはやはり、プロとしてプレイしてきた頃よりは、人間らしい生活を送っていると感じる。

 MLBでプレイしている時は、回復のために使う時間が長かった。

 中四日で投げていても、疲労から回復するには、ぎりぎりであったのだ。


 とは言っても現在のMLBは、中五日から中六日が主流となってきている。

 直史は球数が少なかったのが、そんな無茶が通用した理由だ。

 肘の故障は、投げすぎが原因ではない。

 完投数が多いので、それなりの球数にはなるが、直史は抜いた球も持っていたので、かかる負荷は小さいものだったのだ。


 ただいずれにせよ、引退の予定はかわらなかった。

 そしてそれは悪いことではなかったと思う。

 スポーツ選手、超一流のアスリートなどというのは、ほとんどが故障と隣り合わせの領域でプレイをしている。

 その中でマシーンのように、ほぼ一定の日程で投げ続けた、直史が異常であったのだ。

 歴史に残る天才と言うよりは、もはや特異点。

 同じようなことが、大介にも言える。


 大介はこのMLB八年目で、MLB通算600本のホームランに達した。

 日米通算ではない。MLBのみでの数字だ。

 年に50本打ったとしても、400本にしかならない。

 つまり年平均にすれば、75本のホームランを打っているのだ。

 この二年は70本を切ってしまったが、それでもホームラン王を取っている。

 これもまた、歴史上の特異点なのだろう。


 この二人は、同時代にいたからこそ、お互いの成績が向上することになったのか。

 直史の引退後、大介が衰えているように見えるため、そうと言ってもいいだろう。

 NPB時代も大介が70本以上を打ったのは、直史がNPBにデビューした年。

 それ以外はそこまで達していない。

 元々とんでもない存在であるのは間違いないが、お互いの化学反応が最大に起こるのは、この二人がいる時であった。

 才能はぶつかり合ってこそ磨かれる。

 それは仮説ではなく、真実であるのかもしれない。




 今年の大介の成績は、MLB移籍後では過去最低であった。

 去年もそうであったので、この二年で確実に衰えている、と言えるかもしれない。

 ただ大介も自覚しているが、これはモチベーションの問題だ。

 去年は直史の引退から、燃えつきかけていた。それをセイバーへの義理立てなどで、どうにかワールドチャンピオンとなったのだ。

 さすがに今年は戦力が足りなかった。


 多くの人が大介を、ようやく衰え始めたか、とほっとした顔で見ているのは分かっている。

 だがセイバーはそう思っていない。

 大介の成績の数字は下がっているのは確かだ。

 しかしスイングスピードやコンタクト率、ハードヒット率などは下がっていない。

 それに単純に打点やホームランは、打線全体が弱くなったため、打席の回ってくる回数が減ったから、というのもある。

 必要なのは、極めて高いレベルでの集中力。

 それがわずかに欠けているのだと思う。


 つまり直史がいた頃は、その対決のためにより、集中力を高いレベルまで持っていかなければいけなかった。

 それを想定していたのだから、他のピッチャーを打つのは楽だ、ということである。

 目標を低いところに、無意識に置いてしまっている。

 それでも打撃タイトルを独占はしているのだ。

 直史がいない今、大介は何を目標にすればいいのか。

 NPBに入ったときのように、上杉はいないのだ。


 過去の自分と戦うのか。

 いや、それは漠然としすぎている。

 大介は求道者タイプに見えるが、実のところはただ野球が上手くなりたいだけの野球少年である。

 その本質は家庭を持ってプロになっても、全く変わることはない。

 楽しむために野球をしているのだし、楽しむためには試合をしなければいけない。

 



 MLBには新しい才能が、次々に登場している。

 直接対決するピッチャーにもいるし、そして成績を競争するバッターも出てきている。

 去年は他のタイトルはともかく、首位打者だけはそれなりに迫られていた。

 四割を打っていた大介が、打率が落ちたということも関係しているのだが。


 とにかくそんな新しい才能とも、大介は対決している。

 その中には105マイルを投げてくるピッチャーもいるのだが、球速だけなら大介には関係ない。

 リリースした瞬間には、どういうボールになるのかが分かる。

 あとはそれを全力で叩くだけ。

 しかし認識のスピードと、運動のスピードが、わずかにズレているという感じもする。

 そんなことも関係あってか、大介の対戦成績はベテラン相手の方がいい。

 もちろん相手のピッチャーも、毎年バージョンアップはしている。

 それでも打ててしまうのだ。


 このオフは直史に、バッティングピッチャーをしてもらうという暇がほとんどなさそうだ。

 それがあればまた、大介のバッティングは復活しそうな気もするのだが。

「とりあえず一日、時間は作ってみたぞ」

 直史は特に相談もないまま、SBCを予約してきていた。

 彼にとって大介のバッティングは、優先順位が低いわけではないのだ。




 人は生きていけば老いていく。

 それはまず、衰えという形で目に見えてくる。

 直史の投げたボールは、もう150km/hを超えることはない。

 なのに、まだ大介のバットはそのストレートを、時折空振りするのだ。


 148km/hのストレートは打てるのに、145km/hのストレートで空振りする。

 この理屈を大介は、おおよそ解明してきている。

 それはリリースポイントである。

 ちょっと昔のピッチングだと、長身のピッチャーであるとそのボールは、投げ下ろすような感じがするのでいい、などと言われていた。

 しかし実際は、リリースする瞬間が前になるので、それほどの角度はつかない。

 本当に重要なのは、高めに投げた時の角度だと思われる。


 フライボール革命に対して、ピッチングにおいて復権したのはまずカーブ。

 そしてもう一つは、高めに投げられるストレートだ。

 低目を狙って浮くのではなく、高めにしっかりと投げたストレート。

 これは目からの距離も近いので、思わず打てると思ってしまう確率が高い。

 大介がこれに対して有利なのは、彼の身長が低いため、ストライクゾーンの上下が狭いからというのもある。


 一般的なMLBのバッターに比べると、その身長は15cmほども小さい。

 この15cmも小さい、特に上の高さが小さなストライクゾーンに、ピッチャーが投げ込むのは難しい。

 外に外されたボールは無理にでも打ってしまう大介だが、高めに浮いたボールはそれなりに空振りする。

 なので大きければいい、というわけでもないのだ。

 飛ばせるかどうかは、身長よりは体重が関係する。




 アッパースイング偏重というのも、ようやくトレンドからは外れてきた。

 単純にOPSを上げるなら、今でもアッパースイング偏重で構わないのだ。

 だが本当に重要なのは、打ってほしい時に打つこと。

 ヒットで充分な時に、ホームランのスイングをする。

 これはどう考えるべきなのか。


 統計的に見れば、バッターは皆ホームランを狙うべきである。

 だが必要な時に必要なプレイを、というのはどんなスポーツにも言えることではないのか。

 大介の場合はアッパースイングではなく、レベルスイングを主としている。

 これはマウンドの高い位置から投げられたボールは、空気抵抗で必ず落ちてくる。

 ダウンスイングで迎えうてば、ゴロにしかならない。

 レベルスイングでジャストミートすることが重要だ。


 実際に大介の打球は、ライナー性の打球が多くなる。

 これは滞空時間が短いので、外野が落下地点に入って、キャッチする余裕を与えない。

 ホームランを打てるのは、アッパースイングよりは、ミートした瞬間のバレルの角度が問題だ。

 大介はそれを考えると、場合によってはバッティングのフォームを変える必要があるかな、とさえ思うのだ。


 OPSを上げるために、フライを打つ。

 しかしここぞという時に確実なヒットを打つのは、また別の話。

 行過ぎたフライボール革命が、大味な野球を生み出した。

 大介のレベルスイング信仰は、今だからこそ逆に、実は最先端の理論であったことが明らかになる。




 直史は確かに衰えたな、と思うのは大介だからこそである。

 その最盛期というか、最も何もかもがコントロール出来ていたのは、ワールドシリーズやWBCなどではない。

 あの東京ドームの一戦だ、と大介は思える。

 確かに普段のパーフェクトピッチングに比べると、球数は比較的多かった。

 それなのに最後まで、球威は衰えなかったのだから。


 つまるところピッチャーというのは、速い球だったり凄く曲がる球だったりを投げる必要はない。

 打たれない球を投げる、というのが真髄なのである。

 速球や変化球というのは、手段であって目的ではない。

 直史がコンビネーションを重視するのも、同じ理由である。

 ただそこからさらに一歩踏み出して、凡打を打たせるというのを目的とはしているのだが。

 三振を打たせるか、ゴロを打たせるか、それともフライを打たせるか。

 状況によって何が一番のものかは、変わってくるのである。


 ランナーがいない状態であれば、基本的にホームランにさえ気をつけて、ゴロを打たせることを主眼に置けばいい。

 ランナーがいて進塁もさせたくないなら、三振か内野フライを狙っていく。

 もっともそんなスタイルの使い分けなど、普通のピッチャーでは出来ないのだが。

 それになんだかんだと言いながら、直史は奪三振率も低くない。

 やはりピッチャーは、肝心なところで三振を取れてなんぼである。


 直史はこうやって大介に対して、バッティングピッチャーをしてみた。

 やはり体力が明確に落ちているのを感じる。

 100球ぐらいは投げるつもりでいたのだが、休み休みで投げていても、体力がちょっともたない。

 毎日しっかりと運動はしているのだが、それでも現役中に比べれば、ずっとその意識は低くなっている。

 年齢的なものもやはりあるだろう。

 単純にブランクというのであれば、大学を卒業してからプロ入りするまで、クラブチームで投げていたとはいえ、あそこでもそれほどの負荷がかかる練習などはしていなかった。

 何より勉強を第一にしていたのだから。


 ピッチャー佐藤直史は、どうやら本当に引退してしまったらしい。

 去年に比べても明らかに、その力は落ちている。

 本人はもちろんのこと大介も、それを悲しく思うことはあった。

「でもまだ普通に通用はしそうだけどな」

 その大介の言葉も、本心ではあったのだが。




 日本に戻ってきた恵美理は、東京の自宅に戻っても、やはり症状は改善したままである。

 そもそも彼女にとってみれば、生まれは東京、育ちは日本とヨーロッパなのだから、わざわざ千葉まで行く必要はなかったのかもしれない。

 そんなわけで武史も、ある程度は安心することが出来た。

 子供たちは恵美理やその母に預けて、自分は練習とトレーニングである。


 昨年の武史は結局、プロ入り後としては最多となる、年間八つの負け星を喫した。

 それでもサイ・ヤング賞に選ばれているので、これで長く続けた記録としては、直史を超えたことになる。

 そもそも防御率がほぼ2というのに、そんなに負ける方がおかしい。

 これはラッキーズも、打線の主力が故障離脱した、ということが大きいのだろうが。

 これがNPBであれば、年俸が下がってもおかしくない。

 しかしMLBでは評価基準は、完全に勝利数などには関係ない。

 勝つか負けるかは基本的に、チーム全体の事情がある。

 援護が少なければ、それはもうピッチャーも負けるだろうというものだ。

 そこをひっくり返すほどの無茶苦茶さは、武史には少なかったわけだ。

 そもそも複数年契約なので、年俸が下がることもありえないが。


 勝ち星、登板イニング数、奪三振率などはリーグ一位。

 防御率もなんだかんだ言って、先発ピッチャーの中では一位であった。

 ただ負け星がそれなりについたのは、ホームランを打たれた数が増えたからである。

 前年に比べると、ストレートのホップ成分が弱まり、空振りが取りにくくなったということであろう。


 そんなわけで大介の、かなりハードなトレーニングにも、しっかりと同行したりする。

 肩や肘をはじめ、肉体自体はまだまだ衰えを見せていない。

 スピン量が減ったということは、スタイルをある程度発展させる必要もある。

 簡単に言ってしまうと、球種を増やしたいということになる。




 変化球を求めるとなると、当然ながら直史のアドバイスが有効である。

 しかしこれに関しては、悩ましいところでもあるのだ。

 武史は既に、左右に小さく動くカットボールとツーシームを持っていて、それなりに落ちるチェンジアップも持っている。

 他に落差のあるボールとしては、ナックルカーブもある。

 ここからさらに、球種を増やすとする。

 するとどういった方向性でいけばいいのか。


 スイーパーとも呼ばれる、高速スライダーが候補には挙げられる。

 あとはチェンジアップよりも速い、スプリットを習得できないか。

 ただ落ちる球としては、今のチェンジアップでも充分ではという考えもある。

 もしくは全く別のアプローチか。

「変化球を増やすのはリスクが高い」

 直史の昼休み中などに、武史はその事務所を訪ねてきたりした。

 そして昼からステーキなどを食べて、話をする。

 実はこの店も、直史が関係していたりする。

 街の中小の商店の顧問などをしているのが、佐倉法律事務所なのである。


 武史のために、肉は肉でも脂身の少ない、赤身を上手く使った食事などをする。

 直史より一つ下の武史であるので、そろそろ体力が衰えてきてもおかしくない。

 それをトレーニングだけで維持するのは、かなり無理がある。

 やはり食事などの節制が、体を維持するためには必要なのだ。


 そんな武史に対して、直史がアドバイスすること。

 それはもっと頭を使え、ということである。

「別に技巧派に転身、とまでは言わないけどな」

 基本的に武史はパワーピッチャーで、これまでそれで通用してきた。

 通用しすぎたと言うべきだろうか。

 だがパワーがわずかにでも落ちたのなら、それはもう引退するか、それともスタイルを広げるしかない。

 変えるのではなく、今はまだ広げる段階だ。




 武史はとにかく、ピッチャーの理想像の一つと言っていい。

 誰がそういうかではなく、直史がそう思っているのである。

 上杉もそうであるが、圧倒的なストレートを軸に、手元で小さく曲がるボールなどを使って、ある程度は打たせて取ることもする。

 しかし最近は上杉も、やや奪三振率は落ちてきた。

 一つの時代の終焉が、迫ってきていると言えるのだろう。


 そんな上杉のスタイルとしては、ややムービング系を増やしている。

 手元で曲がるボールによって、打ち損じを狙っているのだ。

 武史の今年の不調の理由としては、ベンチとキャッチャーにもあると言っていいだろう。

 基本的にリードは他人任せ、というのが武史であったからだ。


 武史は確かに、ずっとリードをキャッチャーに任せていた期間が長い。

 高校時代はジンや倉田に孝司、そして大学では樋口。

 プロに入ってからも、樋口に受けてもらう期間が長かった。

 そしてMLB移籍後はやはり、リードの出来る日本人キャッチャーである坂本。

 逆に言えばそういった頭脳派キャッチャーのコンビネーションが、頭の中に入っているというよりは、見に染み付いているはずなのだ。


 このオフシーズン、もちろん練習やトレーニングで、フィジカルを維持することは重要である。

 しかし同時に、自分のピッチングの幅も広げるということ。

 もう武史のキャリアも、それほど長くはないと考えられる。

 そう思えば残るシーズンの中で、どれだけのものを残していくのか。

 直史のいなくなったMLB。

 武史が奮起してくれれば、サブウェイシリーズで当たる大介にも影響があるかもしれない。

 高めあう存在に、直史の代わりに武史がなるのだ。

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