第93話 コンディション調整
体質というのは立派な才能であろう。
別に体力がないわけでもないのに、暑さにやたらと弱かったりする人間がいる。
そういった人間は、夏場がシーズンのスポーツには、不利であろうからだ。
高校野球の場合、重要なのは夏の大会。
なので暑さに強いのは、立派な野球の才能である。ただし高校時点での。
プロのピッチャーであっても、春先は調子が悪い、というローテーションピッチャーはいるものだ。
ましてアマチュアであれば、自分で一定のコンディションを保つのは難しい。
そのあたりも管理も、野球IQの高さと言えるだろう。
この点では白富東は優れている。
大会の日程が過ぎていく。
白富東は三回戦も、無事に突破していた。
コールド勝ちをするほどの、圧倒的な攻撃力などはない。
それでも五点差ほどをつける、無難な勝利であった。
重要なのは、主力のピッチャーを温存すること。
そのためにある程度の失点は、覚悟しておかないといけない。
リスクを取ってでもリソースを確保する。
そのあたり北村は、下手に感情を入れないだけ、上手く運用できている。
四回戦まで勝ち上がると、さすがに勢いだけで勝ったチームというのは少ない。
ただシードのチームであっても、既にそれなりに負けてはいる。
高校野球に絶対はない。
絶対はないが、それに近づくことは出来る。
白富東は四回戦も突破した。
ここでも主力のピッチャーは、出来るだけ温存している。
そのためある程度のハイスコアゲームにはなったが、先制点を取るというポイントはしっかりと抑えていた。
ピッチャーは継投し、相手の打線の狙いを絞らせない。
主力となる三人は、刑部が経験を積む意味もあり、1イニングだけ投げた。
7-4というスコアでの勝利。
あと一つ勝てば、最大の難関とも言える勇名館との対決となる。
この大会の間も、白富東の研究班は、しっかりと偵察を行っている。
勇名館はこれまた、エースは二年生である。
だが三年生のピッチャーが数人、それを支える体制である。
出来るだけ主力ピッチャーは温存する。
その意図は白富東と変わらないらしい。
ここいらあたりからは、もう試合間隔も完全に縮まってきている。
間があっても中一日で試合が行われていくため、選手たちも疲労してきている。
それは体力的な疲労ではない。それならば夏場の練習の方が、よほど運動量などは多い。
疲労しているのは脳の方だ。
試合中の集中力というのは、練習の何倍にもなる。
それだけにしっかりと休み、脳の疲労を取らなければいけない。
五回戦、北村はアンダースローの内田を先発に起用した。
内田はその特性上、かなり強打のチームが相手でも、そこそこの点数に抑える、というピッチングが出来る。
対戦相手はとにかく、マシーンでスピードにだけは対応しているというチームであったため、あえて軟投派の内田を使ったわけである。
ただ内田は対勇名館相手にも、必要なピッチャーだ。
アンダースローから投げられるボールというのは、とにかく対策が難しい。
下手なことを悩まず、そのまま打ってしまえばいいのであるが、今年の勇名館のバッティングを見る限り、内田に対しては対応しづらいと思える。
なので序盤でリード出来たなら、すぐに代える用意もしていた。
ただ普通の速球派ピッチャーであれば、ここは相性が悪いところだ。
序盤でリードした白富東は、内田をファーストに移動させる。
ベンチに下げるのではなく、またマウンドに戻すことも考慮しているわけだ。
パワーでスピードボールを打つというのは、単純だが分かりやすく効果が出やすい。
しかし白富東は、球速ではなく球質で勝負する。
その球質にしても、ピッチャーによってかなり差異がある。
北村としてはこの試合は、出来ればハイスコアゲームが良かった。
ただ三回まで投げた内田は、無失点に抑えていたのだ。
そこから四番手以降のピッチャーに代わる。
相手の強力打線が火を噴くかというと、そうでもなかったりする。
140km/h前後のストレートを基準に、150km/hでも打てるようにしたバッティング。
だがそれでは白富東の、110km/h前後の変化球投手には、対応できないのだ。
遅い球を打たせて、それをアウトにする。
もちろんそれなりの打球は飛ぶので、ヒットは出る。
だが案外長打にならないのは、ミートが出来ていないのと、ボールのエネルギーが少ないから。
金属バットを使うなら、それなりには飛んでいく。
だがホームランにさえならなければいい。
内野も外野も、深く守っている。
やたらとアッパースイングの、いわゆるフライボール革命に合ったスイングはしている。
だがこの理論であると、高めに最初からコントロールされたボールであると、球が浮きすぎてしまうことが多い。
そのため内野フライと外野フライで、かなり楽にアウトが取れる。
もちろん長打の危険性はある。
だが高校野球というのは、上手く転がせばそれなりにセーフになるのだ。
バッティング至上主義というか、パワー至上主義であっても、最低限の守備は必要。
そこに隙があった相手を、無事に破って白富東は勝ちあがった。
ベスト8が出揃った。
そしてこの準々決勝までには、休養日が一日もない。
おそらくエース一枚で勝負するチームは、ここで脱落する。
あるいはここで全力を使い果たして、ベスト4で敗退するのだ。
白富東は主力の三人のピッチャーが、内田以外はしっかり二日以上休めている。
理想どおりの展開で、ここまできている。
ただ贅沢を言うなら、勇名館にはもうちょっと消耗していてほしかった。
また決戦の前夜、北村は最新のアップデートされた勇名館の試合を、しっかりと見ている。
テレビで放映されているものと、球場で撮影したもの。
実はどちらもそれなりに有用であったりする。
撮影したものは、全体の映像が見れるので、俯瞰的に試合を見られる。
だがテレビ中継であると、ここが見たいと観客が思いそうなところに、カメラが当たるのだ。
地方局といえど、そのカメラマンの撮影の技術は甘く見たものではない。
必要な時に、どのカメラの映像を映すか。
その判断もなかなかに、テレビでの見所と言えよう。
特にベンチの様子が見えることは、北村にとってはありがたい。
監督や選手の表情が分かると、そこから相手の思考も読める。
もっともここまで勇名館は、それほど追い詰められた試合というものはしていない。
着実にピッチャーが相手を抑えて、取られた以上に打線が点を取る。
エースばかりに頼るわけではなく、全ての試合を三失点以内に抑えている。
そして全ての試合で、五点以上を取っている。
まさに隙がないチームとは言えるだろう。
無理やり弱点とするならば、打線に極端な爆発力はない。
相手との点差がある程度開くまでは、丁寧な野球をやっているのだ。
もちろん点差がつけば、容赦なくコールドを狙ってくる。
だが序盤から力を見せ付けるような、力任せの野球はしない。
大本命と見られているのに、ここまでコールドで勝ったのは二試合。
そして序盤ではビッグイニングを作っていない。
勇名館はこの数年、手堅い野球をやってきた。
いいピッチャーがそれなりに揃えられるために、そういう野球で勝ててきたのだ。
だがこれはチームがそういうチームというわけではなく、監督の色がはっきりと出ている。
もっともこれは、特徴であって弱点とは言えないであろう。
北村は逆にも考える。
即ち勇名館からは、白富東はどう見ているのかを。
これは北村の特徴と言うよりは、高校野球のセオリーに近い。
先制点重視、ピッチャー継投、守備力の重視だ。
盗塁の数はあまり多くなく、送りバントなどもあまり多くない。
走塁の力は主に、ランナーを前に確実に進めることに使われている。
重要なのはワンナウトランナー三塁の場面で、確実に一点を取っていくこと。
あとはツーアウト二塁でクリーンヒットが出れば、そこからも高い確率で一点を取ることだ。
白富東はあくまでも、進学校である。
なのでその優れた頭脳をしっかりと使って、練習をしていない間にも、強くなることをしっかりしていた。
つまり食事などである。
近隣の農家から、商品にならなかった農産物を、あるいは格安で、あるいは無料でもらったりする。
そしてしっかりと食べているため、三年生にまでなると誰もが、それなりのフィジカルを手に入れているのだ。
またしっかりと眠っているため、その間にも体は回復し、そして成長していく。
なお引退したらそれなりの速度で、筋肉は落ちていってしまう。
そういったことを全てやって、三年の夏が回ってくるのだ。
選手たちはしっかりと眠れているだろうか。
そう考える北村は、自分の睡眠のことも考えている。
基本的には白富東は、選手の自主性を大切にした指導をしている。
そのために練習試合はともかく公式戦の中でさえ、選手間でサインが飛び交う。
どういう状況になればどういう選択をするかというのを、選手たちがしっかりと共有しているのだ。
監督のサインは命令であるが、選手間のそれは意思疎通。
ある意味のチームワークが出来ている。
それでも難しい場面では、監督が采配する必要がある。
もしもそれが失敗したとしたら、責任は監督にある。
もっとも普段の練習やトレーニングなども、最終的に決定しているのは監督なのだ。
試合の勝敗というのは、そこまでの全ての過程の結果に過ぎない。
試合だけではなく全てをひっくるめて、勝敗は全て監督の責任に帰する。
チームが負けてしまったら、特に三年生は高校野球が終わる。
指揮官というのは三年生全員の、その敗北の感情を受け止める必要がある。
だからこそ普段は、下手にプレッシャーがかからないように、楽しむことを課題としている。
楽しまなければ上達もしにくいというのはある。
だが同時に、勝敗だけを全ての基準にしてほしくもないのだ。
全力でやったからこそ、負けたら悔しいのは分かる。
それは当然のことで、北村もそこを否定するつもりはない。
だが同時に、負けたらそこで終わりではなく、人生は続いていくのだ。
負けてからまた立ち上がるまでを、教えるのは教育者だ。
そんなことを言っていても、実際には教え子が引退する姿を見るたび、かなり胃が痛くなるのは確かなのだが。
後悔してほしくはない。しかしそれは理想論。
後につながる敗北を知ってもらうために、北村は明日の試合にも全力を尽くす。
マリスタにやってくるところまでは、ほぼ毎年どうにか到達している。
一回戦や二回戦でも、使われることが多いからだ。
夏休みに入っており、暇な連中はかなり応援に来てくれている。
三年生であるともう、大学受験に備えて勉強という生徒も多い。
だが意外なほど三年生も、応援のスタンドに入っていたりする。
白富東は進学校であるが、同時にお祭り騒ぎの好きな人間が多く集まる学校でもある。
頭のいい人間というのは基本的に、人生を楽しむのも上手いのだ。
半日ほどもかけて、野球の試合を見る。
本日も見事に空は晴れ渡り、熱中症予防は絶対に必要だ。
それはベンチで休める選手だけではなく、スタンドで応援する者たちにも言える。
特にブラスバンドなどは、けっこう演奏には体力がいるのだ。
冷たく濡らしたタオルなどは、かなり必須であるのだ。
試合の前に北村は、応援団を率いる生徒や、ブラスバンドの顧問などにも挨拶をする。
高校野球というのはかなり、応援で試合結果を左右するところもあるのだ。
甲子園の大声援ほどではないにしても、双方合わせて数千人ほどの観客が集まっている。
特に私立の勇名館などは、ほぼ全校をあげて応援にやってきている。
ただしOBの動員であると、白富東も相当のものがある。
なんだかんだ言って勇名館は、まだ四半世紀ほどの歴史しかないのだ。
対して白富東は、元は江戸時代の藩校が元となっている、とも言われるほどの歴史がある。
実際に校舎はそれほど古くはないが、別棟の図書館などは相当の歴史があり、県の重要文化財指定を受けるかもしれないというものだ。
地域に根ざした名門校というわけで、学校周辺の人間も、相当に野球部への理解はある。
それだけに品行方正を、ある程度は求められたりもするのだが。
スターティングメンバーを交換し、そして先攻と後攻も決まった。
白富東は見事、先攻を取ることに成功。
全て戦いは、主導権を握ることが優位に働く。
先攻を選ぶことは、基本的に先制点につながりやすく、これによって主導権を握りやすい。
もっともこれが、直史や武史のような、理不尽なピッチャーがいたりすると、後攻の方が楽に戦える。
特に大学時代、一年間だけであったが、武史のバックを守りつつ、相手と対戦するのは楽であった。
おおよそ最初のイニングで、戦意喪失してくれる相手が多かったので。
ベンチの中で準備も終わり、守備練習の時間に入る。
そう思うと目に入るのが、勇名館の東郷の姿だ。
北村としては、この組み合わせはあまり良くないな、と思う。
単にジンクスめいたものだが、自分自身が三年の時に、白富東は勇名館に負けて甲子園を逃した。
その時の相手の正捕手が東郷であった。
大学は北村と違い、首都大学野球連盟のリーグの大学に進学した。
そこそこ温い北村と違い、彼はガチでやっていたはずだ。
プロの指名の可能性もあったのかもしれないが、北村はリーグも違うということもあったため、そこまで詳しくは知らなかった。
ただ甲子園を目指しているという点では、今は東郷の方が真剣であろう。
北村は既に、全国制覇を成した監督になっている。
ほとんどは選手の力のおかげであり、それが充分に分かっているのが北村だ。
自分の力だ、などとは思ってはいけない。
そんな謙虚さを持つがゆえに、野心もまた持たないのかもしれない。
それがこの戦場において、どういう効果を選手たちにもたらすのか。
(とにかく、全力を出せるようにな)
ジンが泣き喚いたあの姿は、少しだけ北村のトラウマになってはいるのだ。
勇名館は二番手のピッチャーを先発として出してきていた。
それに対して白富東は、細川を先発としている。
この夏、ここまでに投げたイニングに対して、防御率は3を切っている。
ただし高校野球は、チームごとの戦力格差があるため、あまり意味はないとも言える。
ただ正面からぶつかったなら、おそらくは勝てない。
だが戦場の霧というものは、野球にも存在する。
どれだけ味方の優位に、偶然性が働いてくれるか。
野球とははっきり言って、実力差をそれなりに覆しやすいスポーツなのだ。
お互いの守備練習を見ていても、両者共に特に緊張の色は見られない。
このプレッシャーで力が出せないというのだけは、北村としても気をつけている部分だ。
正直に言えば自分のチームはもちろん、相手のチームもプレッシャーで崩れてほしくはない。
最後の夏にプレッシャーから惨敗するというのは、おそらく負け方としては最悪に近いものであるのだから。
勇名館も当然だが、白富東も三年生の中には、最後の夏にもベンチ入り出来なかった選手がいる。
それでも最後まで、チームの勝利のためには応援をするのだ。
プレッシャーは感じてほしくない。
だが背中を押してくれる声援は、充分に感じてほしい。
それは重石にもなるが、逆に燃料にもなる。
この灼熱のグラウンドの中で、存分に若い力を発揮してほしい。
(今日は風がないな)
臨海部に建設されているこのスタジアムは、それなりに風の影響を受ける。
だが今日はそういった、不確定要素もあまり起こりそうにない。
天気予報も、完全に晴れ。
雨の嫌いな直史などは、果たして今日はスタンドに来ているのだろうか。
決戦が始まる。
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