第91話 わが母校

 日本ではいよいよ、夏の選手県大会の地方大会が始まる。

 どうでもいいが(よくないが)これは地方予選ではない。あくまでも地方大会と呼ばれている。

 都道府県から選ばれるのは、東京と北海道を除けばわずかに一校。

 どうせ数の不均衡はあるのだから、神奈川と大阪、そして愛知あたりは二校にしてもいいのでは、と言われることもあったりする。


 千葉県大会についても、そのトーナメントが出てきた。

 春季大会でシードを取った白富東であるが、ベスト8で勇名館と当たるという、あまり運の良くない位置である。

「勝ったとしても、上総総合か東雲あたりが上がってきそうですね」

 トーナメント表を見ながら、直史は北村と話す。

「反対側にトーチバだけど、そこまで行けばもう、どこが勝ち上がってきてもおかしくないしな」

 ややバランスが悪いなとは思えるトーナメントであるが、一応は春の大会の結果を反映してのものである。

 それこそ逆にあと一つでも勝てば、反対の山に入れたかもしれないのだ。


 勇名館はおそらく山の反対のトーチバと違い、かなり消耗して決勝戦に挑むことになるのではないか。

 もっとも接戦を勝利することが出来たならば、それはそれで勢いがつく。

 選手たちの体力が枯渇していても、最後は精神力でどうにかしてしまう。

 正確には精神力によって、本当の体力の限界まで出してしまうというものだ。

 直史がマウンドで倒れるまでやっていたことである。


 今の直史はもう、あんな未熟なことは出来ない。

 自分の限界というものを、おおよそ把握しているからだ。

 純粋に体力の限界まで使ってしまえば、あとは筋肉や骨から栄養素を引き出していく。

 そこまでやってしまうと、甲子園が終わった後も、かなり長く疲労が体から抜けない。

 また一から体を作り直さなければいけなくなってしまう。




 精神力で肉体の限界を超えることは出来ない。

 出来るのは限界だと思っているが、まだ限界でなかった部分を埋めることだけである。

 そもそも地方大会でも、完全に消耗してしまえば、甲子園ではどうせ勝てない。

 ピッチャーの運用を上手くしなければ、その地方大会も終盤には息切れするのだ。


 かつてはエース一人が、限界までスタミナをつけて、その力で勝ってきた。

 確かにピッチャーにはスタミナは必要であるが、今は抜いて投げるとか、そういう技術が上手くないエースもいる。

 高校生の時点で、既にクローザー向きというタイプだ。

 こういうタイプは強豪校に行けば、上手く運用してもらえるのだが。


 直史は一度、ピッチャーのメニューに混ぜてもらったりもした。

 プロの時代も直史は、ノースローであるはずの日もそれなりに、投げて調整するタイプであった。

 だが基本的にそれ以外のトレーニングは、オフシーズンにやっていたものだ。

 レギュラーシーズンであれば、コンディションの維持が一番重要なことになる。

 直史流のコンディションの維持は、ボールの感覚を失わないことであった。

 しかしそれを他人には勧められない。


 MLBでもピッチングコーチなどは、投げすぎだと直史に、散々言っていた。

 だが今では球数制限などは、よほどの無茶をしない限りは、人によって差があることが分かっている。

 いや、直史に分からされたと言うべきだろうか。

 年間に30試合以上も先発し、その八割以上を完投。

 もっとも球数は、おおよそが100球前後に抑えていたが。

 重要なのは単純に、数を減らすことではない。

 全力で投げた球が、果たしてどれだけあったのか、なのだ。




 パワーとパワーの勝負であるMLBというリーグにおいて、直史という存在はあまりにも、異質でいて相性が悪かったのだ。

 おおよそNPB時代よりも、MLBではキャリアの成績を落とす選手が多いが、そんな中で直史は完全に伸びている。

 たったの五年間で、150勝してしまった。

 NPBでは二年間で、50勝であったのに。

 より高いレベルのはずのバッターを相手に、より短い間隔で投げていった。

 そして記録されたのは、もう二度と更新されないであろう記録。


 たとえば武史や上杉の球速などは、更新される可能性はある。

 大介のホームラン記録なども、かなり難しいが、試合数が増えれば更新の可能性は残っている。

 だが直史の成し遂げた、パーフェクトを何度も達成するという離れ技。

 これはおそらく、今後二度と出てくるピッチャーはいないだろう。

 そもそもゲームとして成立しなくなる。


 直史のピッチングの指導は、自分の基準を当てはめようとはしない。

 現役を引退してしばらくしてようやく、自分のやってきたことがおかしかったのだと、本当の意味で認識した。

 高校野球レベルであれば、まだボールの球威だけを磨いて戦っていける。

 もちろん甲子園を目指すのであれば、もっと様々な技術が必要になるが。


 確実にストライクが入ること。

 そしてアウトローに投げられること。この二つが出来ていれば、おおよそのコンビネーションは作れる。

 高校野球はストライクゾーンが広いので、アウトローに投げればストライクの確率が高くなる。

 アウトロー大好き審判というのが、高校野球には確実に存在するのだ。




「アウトロー大好き審判はあるあるな」

「アウトローというとどうも、悪役という英語の方が浮かびますけど」

「それはアメリカでしばらく過ごした弊害……いや、まあ言いたいことは分からないでもないが、ただの駄洒落の範疇だな」

 北村はクラブハウスで、しっかりとクーラーの利いた中、対戦チームの分析をしようとしていた。


 白富東の野球部には、研究班という名の偵察部隊が存在する。

 正確には偵察だけではなく、分析もしていくのだが。

 千葉県内のチームの中で、春の大会のデータがあるチームは40チーム近く。

 本戦に進出したチームは、全てが準備されている。


 ごくわずかだが番狂わせで、本戦に進出できなかった有力チームもある。

 そういったところは優先的に、練習の偵察に向かわせていた。

 ただセイバーの時代などはいくらでも使えた、偵察用の資金。

 それも限られているため、今ではSNSなどを利用している。


 白富東の内部では、チーム情報は完全に、SNSなどで流さないという、ITリテラシーが徹底されている。

 部員が何人もいれば、いずれかのSNSをやっている人間はいるだろうし、その中で練習試合の予定などを呟いてしまっている者もいる。

 その日に合わせて偵察に行けば、実戦ではどう動くかを撮影することも出来るのだ。

 まして相手が県内のチームであれば、両方のデータが手に入る。

 とは言っても春以降は、どのチームもある程度、手の内を隠している可能性もあるのだが。


 一番に分析するべきは、当然ながら勇名館。

 だがそこばかりに絞っていると、他のチームに足を掬われる可能性もある。

 ある程度は試合の様子を見てみて、優先順位を考える。

 全ての試合を分析するには、機材や人員はともかく、分析する人員が不足している。




 他チームの分析については、直史だけではなく瑞希まで動員されていた。

 野球の統計を扱うという点については、彼女はまさにプロ並であると言える。

 ただ逆に高校野球はまだ技術が未熟すぎて、統計が役に立たない場面もあったりする。

 またMLBの常識では、高校野球の常識に合致しない場合もある。


 高校野球はまず、守備が重視される。

 強豪校ならばともかく、普通の高校の野球部であれば、まだボールをバットに当てても、野手の守備範囲内に飛ぶ可能性が高い。

 なので高校野球は守備から、と言われたりもする。


 また注意しなければいけないのは、走塁である。

 プロであるとイージーゴロは、エラーも期待できないためバッターは全力で走らない。

 だが高校野球であれば、まだまだ守備も不完全である。

 送球の肩もさほど強くないので、打ったバッターは全力で走る。

 このあたりいくらなんでもアウトだろう、という打球であっても、全力で走るのが高校野球だ。

 これは万一を狙うという以上に、アピールの手段でもある。


 観客も審判も、全力でプレイするのが見たいのだ。

 自分たちは楽なところで、勝敗のプレッシャーとは無縁に。

 直史などはジンとも計画して、ピッチャーは出来るだけ楽をするようにした。

 正直なところ内野ゴロを打ったら、ピッチャーはもう走らなくてもいいと言いたいぐらいであった。

 一年生の秋などは、特に実戦的なピッチャーが、直史と岩崎しかいなかったからだ。


 ただ今の白富東には、ピッチャーが大量にいる。

 そこそこのレベルで投げられるピッチャーが、七人以上。

 これに打撃特化の選手もいるため、上手く代打を出していって、継投で試合に勝つ。

 一人のエースが完投して勝つというのは、もう完全に捨てている。

 怪物的なピッチャーなどは、今の日本の甲子園では、生まれにくい環境になってしまった。

 それはそれで寂しいものだが、ピッチャーを守る方が重要である。




 一回戦は免除で二回戦からの登場。

 対戦相手は一回戦を戦ってから、トーナメントの二戦目となる。

 チームの分析をするわけだが、とても困ってしまう。

 付け入る部分が多すぎる。

「ただ、うちのチームもまだまだ完璧からは遠いしな」 

 北村はそう言うが、それが高校野球のレベルであるのだ。


 高校の三年間、実質二年と三ヶ月ほどで、仕上げるのは難しい。

 練習に時間を取れるなら別だが、人間の集中力はそう長くは続かない。

 それでも白富東は、トレーニングなどのフィジカル強化に、完全に判断力のいらない反復練習を上手く組み合わせて、効率を重視した内容としている。

 練習と、栄養と、睡眠。

 休養の時間を短くして、やたらと練習の時間を長くしても、それで上手くなるわけではないのだ。


 未だに勘違いしている指導者も多いが、休養というのはただ休んでいるだけではない。

 休むことによって、練習の内容を定着させ、痛めつけた筋肉を超回復させているのだ。

 野球はボールがちゃんと止まっている状況も多いが、それでも判断の難しいプレイなどもある。

 せっかく教えてもそれが脳で何度も処理され、身につくのには脳の処理能力の限界がある。

 反射で出来るようになるというのは、さすがに限界があるのだ。

 そのあたりをしっかり、指導者は見極めていかなければいけない。 




 初戦で当たるチームの分析をする。

 ピッチャーは二枚、右と左が一枚ずつ。

 注意すべきバッターは一人ぐらいで、ただショートの守備力がかなり高い。

 画面に映っている限りでは、ピッチャーの投げた瞬間には、シフトのために動いている。

 どの程度のピッチャーのコントロールかは分からないが、守備範囲が広い。


 あとは、偶然かもしれないが、この試合ではエラーがなかった。

 ただ守備範囲の広いショートでも、肩はそこまで強くないと思われる。

 チャレンジの無理な送球、というのを行っていない。

 これは他のポジションでも、内野は全て無理な送球をしていなかった。


 勝っていた試合であるので、無理をしなかったのか。

 これは勝っている試合だからこそ、挑戦してみても良かったのでは、という考え方も出来る。

 確実性を積み重ねることによって、それを自信に変えているのか。

 エラーの半分は送球である、などという統計もあるらしいので、不十分な姿勢からでは投げない方がいいのも確かだ。


 分相応の野球をする、というのがモットーなのであろうか。

 ただこれは格下か、戦力差が計算できる相手にしか仕えない戦略だろう。

 しかしこの試合から、経過している数ヶ月で、果たしてどれだけの戦力の上昇があるか。

 そのあたりも計算しておかないと、逆にこちらが相手を甘く見ていることになってしまうかもしれない。

「多分勝てる、よな?」

「そうは思いますけど、夏の初戦ですからね」

 そこにマモノがいるかもしれない。




 甲子園のマモノなどと呼ばれるものがある。

 大逆転やまさかの金星など、色々なことに言われる大穴展開のことだ。

 ただこれは甲子園に限らず、高校野球なら地方大会でもあることだ。

 それこそ甲子園ではなく、全国制覇を狙うほどのレベルの学校であれば、はっきり分かる格下に負けることはない。

 だが今の白富東の戦力であるなら、充分に逆転の可能性はあるだろう。


 試合の序盤の入り方で、それは決まってくる。

 先発させたエースが、初戦で緊張してボールが走らず、初回で降板したりなどする。

 そこまで極端でなくても、優勝候補が初戦で敗退するということは、一定以上の力を持つチーム相手であれば、充分にありうることだ。

 なにせ三年生は、敗退すればそれが最後の試合となる。

 春や秋の大会と違い、負ければ完全にそこまでなのだ。


 ここまで極端なトーナメント戦は、アメリカなどではないという。

 そもそもアメリカでもトーナメント戦などが本格化するのは、大学以降になってからの話。

 背景としては単純に、アメリカは国土が広い。

 なので試合のために移動するのに、時間も金もかかるというわけだ。

 アマチュアの試合にそこまでをする意味が見出せないし、もしするとしてもそれはプロにつながる、大学の大会となってくる。


 日本はなんだかんだ言って、まだまだ野球の環境が整っているのだ。

 史上としては大きくなっているサッカーなどでも、普通に環境が違う。

 ユースなどはともかく部活サッカーなどは、よほどのことがない限り、グラウンドの一角を使って行われる。

 土のフィールドで行われるサッカーは、芝で行われるそれとは違う。

 そもそも前提となる環境からして、日本はサッカーをやるための環境が整っていないのだ。




 日本にしても別に、野球の環境が完全に整っているというわけでもない。

 それこそプロのスタジアムであっても、ほとんどが人工芝のグラウンドであったりする。

 だが純粋に、他のスポーツに転用のしづらい、野球場の数は圧倒的に多い。

 白富東のグラウンドは普通に固い土であるが、これでもしっかりとグラウンド整備はしているのだ。

 ただ甲子園のグラウンドというのは、やはり勝手が少し違うものだが。


 相手の練習環境なども、今では普通にネットで調べることが出来る。

 これはまあ、ちょっと偵察をすれば普通に分かることであるし、室内練習場の設備に関してなどは、さすがに何をやっているか分からない。

 今年の夏の大本命は、去年の夏に甲子園に行った勇名館。

 また寄付金などをどっさりと集めて、設備などを新しくしたり、修繕したりしたことだろう。


 公立校と私立では、そこでまず差がでる。

 だが公立であっても市立や、体育科のある公立などは、下手な私立よりは金をかけてもらったりするのだ。

 皮肉なことに野球部から始まった白富東の体育科は、その学習環境の良さと、進学実績の良さから、他の部活動も活発になっている。

 特に最近では個人競技が強く、また団体競技にしても、実はバスケットボールが全国大会に行っていたりする。

 もしも直史たちが現役時代にこんなことになっていれば、プロ野球選手の武史は生まれていなかっただろう。


 様々な分析をするが、基本的に戦力はこちらの方が優位。

 だからこそ油断が怖いのだが、そこはもうどれだけのコストを分析にかけるのか、という話になってくる。

 偵察班は勇名館の試合に出して、出来るだけ最新の情報を集める。

 ベスト8までは勝ち抜くということを前提に、プランを考えていくしかない。


 夏の大会が始まる。

 いささか肩入れが過ぎているかな、と思わないでもない直史。

 だがこの季節になると、他にもOBは色々と、やってきたりすることは確かなのだ。

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