第89話 また夏が来る
春は始まりと別れの季節であり、夏は情熱の季節である。
少なくとも高校野球にとっては、夏こそが本番と言える。
そして燃やし尽くして、野球から離れてしまうのも、夏の出来事のはずである。
多くのプレーヤーは、高校で野球は終わらせてしまう。
白富東の今年の三年生に、大学でも野球をやろうかなどという人間はいない。
いたとしてもそれは、草野球クラブに入ろうか、という程度のものだ。
ただ白富東の練習によって達した錬度は、相当のものがある。
下手をしなくても単なる草野球チームでは、ガチで高校野球を目指していた人間とは、戦うにしてもレベルが違うのだ。
ただ草野球にしても、昔はもっとあった、という認識であるらしい。
実際のところは北村などが参加したら、草野球では無双するだろう。
そんな北村は今年度限りの異動がほぼ決定している。
もちろんまた何度も回ってはくるのだろうが、それでもしばらくは白富東を離れることになる。
客観的に見れば、公立を率いて甲子園を制覇した名将。
だが最後の年でも、北村が熱くなりすぎることはない。
既に気温は夏日と言える段階である。
六月にはもう真夏であり、秋と言える時間が短くなっている。
だいたいそういう認識が、年配の人間にはあるらしい。
祖父母の年代であると、酷暑日という言葉はなかったそうな。
今では普通に、千葉県でも35℃は突破する。
日本の暑さには弱くなったな、と思う直史である。
カリフォルニアもたいがい暑い土地ではあったが、それでも湿度が全く違う。
水分捕球のためのスポーツ飲料を、大量に差し入れする。
北村も選手も汗だくで、暑さの中で練習をしている。
これがプロになると、試合も夜が多くなるので、日中は室内のトレーニングを増やす、などという選択肢がある。
しかし高校野球は真昼に行われるため、どうしても暑さ対策は必要となる。
過去にはこれが、水を飲まないこと、などと言われていたというのは、科学が未発達であったから、で済まされていいことであろうか。
ただ基本的に暑さ対策は、慣れることが第一である。
部員たちはユニフォームを着ているが、直史はもうあんな暑苦しいものは着ていられない。
確実に暑さに対する耐性は、高校時代が一番強かったと思う。
なんであんなに、暑くても平気であったのか。
それを瑞希に言うと、なんで真冬でもスカートで平気だったのか、などと同じように疑問を抱えていたりする。
最近では真琴が、日光で真っ黒な球児と化していたりはするが。
その暑さの中でも、直史はバッティングピッチャーをやっていた。
さすがに連続で投げていると、30球ほどでも汗だくになってくる。
休憩のついでに、ピッチャーたちの様子も確認する。
春の大会にも出場した刑部は、身長や体重も増えて、球威が全般的に増している。
また二年の細川も、エースとしてチームでは認められているようだ。
他に五人のピッチャーがいて、七人体制の白富東。
細川がエースであり、内田と刑部が二番手三番手といったところだ。
ピッチャーの層は去年の夏と比べると、厚くはなっているだろう。
ただ選手の成長を見ていると、一番チーム力が高まるのは来年だろう。
ここを逃したらまたしばらく、白富東に甲子園のチャンスはやってこないのではないか。
ただピッチャーは充実している白富東だが、そのボールを受けるキャッチャーは、北村も難儀しているらしい。
これぞと言える正捕手がおらず、ピッチャーとの相性でそこそこ交代させているのだ。
去年ほどの自由自在の継投策とはいかない。
だがそれでも他のチームに比べると、チーム全体の力で勝つという意識は強いだろう。
ピッチャーのピッチングに関して、具体的なことを指導した直史。
キャッチャー陣からも、配球に関しての相談があったりする。
だが直史としては、いくら配球を考えたところで、ピッチャーがそんなに上手く投げ込めるはずがない、というのが回答である。
基本的にはストライクをしっかりと投げられること。
特に腕の長い細川や、アンダースローの内田などは、ストレートを自信を持って、高めに投げこめる勇気が必要なのだ。
このあたりしたたかにアンダースローで生き残りを考えていた内田と違い、細川にはあまり自信がなかったはずだ。
だが北村の選手を肯定する野球は、彼にも自信をつけさせたらしい。
MAXで130km/hを超える程度のストレート。
しかし腕が長くてしなりがあるので、球速以上に対応が難しいのは、直史も打席から見てそう思った。
ここに変化球があるので、先発して長いイニングを投げる。
それが細川の主な役割だ。
内田もそれなりに先発適性はあるが、なにしろアンダースローであるので、相手の打線から連打を食らうというパターンが少ない。
なんなら細川の調子が悪ければ、すぐにリリーフにも行けるような、したたかなメンタルさえ持っている。
おそらくマウンド度胸という点であれば、一番なのがこの内田だ。
サウスポーアンダースローというのは淳という前例があるため、直史も教えることが出来る。
あの義弟ほどの精密さはないものの、充分に通用するアンダースロー。
夏は一発勝負だと変に意識しなければ、それなりに勝ち進めそうではある。
北村としても迷っているところはあるのだ。
今のチームの二年生ピッチャー細川は、自分が対戦したとあるピッチャーに似ている。
後にはチームメイトにもなったそのピッチャーは、細田である。
後にはプロに入って、ローテーションのピッチャーにまでなった。
自分の最後の夏、千葉県大会の準決勝で対戦した。
その時にはまだ、とてもプロでは通用しないというものであったが。
素質的にはその体格がそもそも才能である。
ただ細田はさらにサウスポーというストロングポイントがあったが、細川は右腕であり、昨今の左バッターが増えているNPBでは、あまり有利でもない。
この素質だけでも細川ならば、大学に進学するところまではいけるだろう。
一番の問題は、本人がそんな進路は望んでいないということだ。
この問題について、北村は直史にも話を振ってきた。
「まず細川がプロに行くには、いくつかの過程を経る必要があるでしょう」
直史も才能を目にすれば、その行く末が気になったりはするのだ。
「最初は高校三年生まで、順調に伸びていくこと」
「そりゃ当然だわな」
北村は頷くが、直史の数える指の数は多い。
「強烈な成功体験か屈辱体験によって、上で野球をやる強い意志を持つこと。そして最低でもセレクションで名門大学に合格すること」
「うちの推薦なら、早稲谷に送り込めるな」
「早稲谷で細川が育ちますか?」
「……お互いが今の状態なら、無理だろうな」
冷静に母校の状況を把握している北村である。
北村は高校時代こそ、三年の春までは弱小とカテゴライズされていた、白富東という環境でプレイしていた。
だが大学は早稲谷で、上級生にも下級生にも、プロに行った選手と多く交流したのだ。
本人もまたプロのスカウトから、声をかけられたことはある。
だがプロ入りした選手たちと自分を比べると、明らかに違うものがあった。
プロに行き、そして通用するかどうか。
答えが出ている今なら分かるが、北村はプロに行ったとしても、一軍で長くスタメンに残ることは難しかったろう。
ただ北村としては、下の世代でとんでもない化物を何人も見た。
その中でも極めつけの規格外が直史なのだが、北村の基準からすると、本当なら直史や武史は、プロでは通用しないタイプなのだ。
特に武史などは、今でも才能だけでMLBで活躍している、と北村は思っている。
もっともそこは、直史も同意であるのだが。
超規格外の選手はともかくとして、普通にプロに行くような選手は、とにかく野球に飢えている。
そしてプロに行ってからも、そこから果たして一軍入りし、成績を残していくかというのも、ある程度は共通点があるのだ。
その意味では直史はまだ、北村の想像の範疇にあった。
とんでもない負けず嫌いであったからだ。
才能だけなら直史よりも、武史の方がはるかに上。
それはフィジカル的に優れているということではなく、野球にかけるリソースの割合から言えることである。
直史は確かにとんでもない数字を残したが、生活の中心を野球とし、コストをしっかりとかけていた。
武史のように暇があれば、NBAを見に行ってたりはしていない。
もちろん最低限の練習やトレーニングは、長年の習慣で身に染み付いている。
だがそんな最低限のものだけで、世界のトップに通用しているというのが、才能の証なのである。
北村からすれば、直史だって別に、全てを野球に賭けていたわけではなかろうが。
ただ直史も確かに、プロ入り後は生活の中のコストを、野球にかなりかけていた。
対戦する相手が、大学時代とは完全に別次元であったためだ。
プロになる、で終わってしまってはいけないのだ。
プロで一軍の座を掴み、そして年俸二億を突破し、FAでも大型契約をつかむ。
それぐらいをやる意識を持っていなければ、プロになったその段階で、成長は止まってしまう。
細川に限らず、白富東の選手たちはいい意味で、そこまで野球に人生を賭けてはいない。
北村が最初に白富東を率いた、あの時代までが異常であったのだ。
他にやりたいことがあるなら、そちらを目指した方がいい。
プロ野球選手などというのは、なるのはもちろん難しいが、それで一生を食っていくというのは、単にプロになるよりも何百倍も難しい。
実力があったとしても、大介の父親のように、事故で選手生命が終わりになったりする。
だからこそ直史は、プロなどは目指さなかったのだ。
ここまで成功した直史は、その気になればプロの世界でも、まだ籍を置くことは出来ただろう。
だが野球の現場は楽しくても、自分でやる方がもっと好きなのが直史なのだ。
法曹の資格を得ていて、引退後の再就職先も、しっかりと準備していた直史。
元々限られた期間だけしか、プロにはいないつもりではあったのだ。
ちょっと実力がついて注目されて、今からプロを目指すなどと言ったら、それこそ直史は止めたであろう。
プロというのはそこまで甘いものではない。
実戦から長年離れていながら、プロ入り後すぐに結果を出した直史が言っても、全く説得力などはない言葉であったかもしれない。
プロ野球選手などというのは、そこに至るまでの時間や労力に対して、見合った対価が得られるとはとても思わない。
直史の見方がそうである。
頑張ったのは高校の三年間だけで、大学の四年間は一度球速アップに取り組んだが、他はコンビネーションを磨いただけであった。
高卒の選手などが、果たして何年生き残れるか。
またどれだけ年俸が上がるかなどを考えれば、普通にサラリーマンをしていた方が、まだマシである。
このあたり直史も、コストパフォーマンスを考えているように見えるが、実のところ野球にかけるというのは、コストどころかリスクであろう。
毎年最大で120人の新人がNPBの世界に入ってきて、五年後に残っているのが何人いるか。
また一軍に上がって活躍できるのが、何人いるのか。
その競技人口を考えるならば、絵の上手い人間がマンガ家を目指す方が、まだ成功率は高いと思える。
そちらもそちらで甘くはないのだが、それが直史の認識である。
高校野球を懸命にやって、学ぶことが出来るもの。
それは全力で何かに取り組む姿勢。そしてそれでも届かないことが普通にあるのだという挫折。
人生というのはそう上手くいくものではない。
早めにそれを知っておくことは、悪いことではないだろう。
もっとも何か補正でもかかっているように、最善のルートばかりを行く、武史のような人間もいるが。
野球に人生を賭けてしまうのを、直史は健全とは思わない。
選択肢をより広げるために、大学や専門学校に行く。
高校時点で将来の目標が、完全に定まっている人間は少ない。
もし明確に目標を持っていても、それを実現させるためには、さらに蓄積すべきものがあるのだ。
今の白富東に欠けているのは、そのあたりの問題だろうな、とは思う。
監督である北村自身に、絶対的な勝利への執念がないのだ。
少しでも上手くなって、少しでも上にまで勝つ。
もちろんその姿勢から、教育的な野球部の指導というのは、本来の高校野球であれば間違っていない。
それで甲子園に行くためには、選手の側に絶対的なモチベーションがいる。
しかし今の白富東に、それだけの執念を持っているのは、プロを志望しているという刑部ぐらいだ。
一年生が、チーム全体に影響力を持つのは難しい。
また刑部にしても、甲子園に行く方法が分かっているわけではない。
北村の過去の甲子園への出場を見ると、そこには巨大な才能が存在する。
監督として上手く育てたら、プロに行くまで育ってしまったというものだ。
あのチームには、甲子園まで行ってスカウトの目に留まり、そこからプロに行くという強烈な意思があった。
甲子園に行くのではなく、そこから頂点を目指すのが、チームの目標であった。
また主力となった二人にしても、単純にプロに行くだけではなく、そこで主力となって活躍する、というさらに高い目標があった。
プロになればそれでいいのではなく、プロになってからが始まりなのだ。
おそらく今の白富東の選手が、まかり間違って伸びていっても、おそらくプロでは通用しない。
モチベーションと言うよりは、自分の未来へのビジョンがないからだ。
直史の場合は、モチベーションは他人頼りであったが、ビジョンはしっかりとしていた。
それはチームを勝たせて、大介に勝つということだ。
到達したのは、まさに野球の頂点であったが。
目的のためには、そこまで登る必要があったのだ。
直史はメンタルコントロールや、ピッチングの技術については指導する。
だがどういうモチベーションをもって、練習に取り組むかなどは説明出来ない。
彼は、やらなければならないことを、淡々とこなしていた人間なのだ。
自分に必要なものを考えて、そしてそれを満たすために行動する。
高校時代でようやく、効果的な練習やトレーニングを積むこととなった。
結局スポーツは、選手がどれだけモチベーションを持っているかだ。
そのモチベーションの種類は、色々とあっても構わない。
目標があって、その遠い目標のために、着実に歩いていくのもいいだろう。
また俗っぽい目標があったとしても、それがパフォーマンスに反映されるならば、それはそれで構わない。
金のために一攫千金を望むというのも、それはそれで立派なモチベーションだ。
今の白富東にいる選手は、全て単なる野球好き。
充実した環境で野球がやれるということが重要で、勝ち上がって甲子園に出場し、全国制覇までしようという気概はないし、プロを目指すと公言するのも刑部ぐらいだ。
その刑部にしても、入学前の時点から成長したとはいっても、まだまだ全国レベルではない。
これからの成長次第とも言えるが、中学時代に既に持っている、というような素材の選手とはやはり違う。
甲子園に行くというのは、一つの成功体験でもある。
だが人生において重要なのは、成功よりもむしろ失敗である。
失敗からどう立ち直ったか。
立ち直る力がある限り、人間は挑戦し続けることが出来る。
そして何度も挑戦していれば、いずれは一つぐらい、成功することはあるのだ。
これこそまさに、失敗は成功の母である。
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