第84話 子供たち

 乳児期の真琴は、本当にいつ死んでもおかしくない状態であった。

 なのでもし手術が成功して、人並に動けるようになっても、そうそう激しい運動などはしないのだろうな、などと直史は当初漠然と考えていたのだ。

 それこそピアノでも習わせて、スポーツは怪我をしにくい水泳などを。

 だが成長するに従い、次第に腕白振りを発揮するようになっていった。


 喜ばしいことだ。

 腕白でもいいから、たくましく育ってほしいというのは確かだった。

 だが戸惑いがあったのも、確かにそうなのだ。

 もっとも腕白な女の子という点では、直史は妹たちで慣れてはいるのだが。


 潜在心理的に考えれば、直史が瑞希に魅かれたのは、女の子らしい女の子であったからだ。

 だから無意識のうちに、娘にもそれを求めていた。

 瑞希に指摘されてからは、ありのままの娘を愛するようにはなっていた。

 髪も短いし男の子っぽいが、可愛い娘であることは間違いないのだ。


 ただ保守的であり、ヘテロセクシャルな直史は、このあたりから真琴に心配させられることになる。

 同級生や後輩のみならず、先輩の女子生徒からさえ告白されまくるのは、もう少し先の話。

 だが男の子たちにまぎれ、男よりも活躍する様子を見ては、ある意味で常識的な価値観を持つ直史としては、不安になってくるのである。

「うちの子、トランスジェンダーとか言い出さないよな?」

「何を馬鹿なことを。ああいうスポーツの出来る女の子は、普通に女の子からモテるんですよ」

 瑞希が呆れてそう言ったのは、彼女自身も小さい頃、男の子相手にもたじろがない幼馴染のお姉さんの姿に憧れていたからである。

 ただ真琴自身がどうであるのかは、やはりまだ分からないことであるが。




 父親の杞憂をよそに、真琴は親戚以外でようやく、仲のいい同世代というものを作ることが出来た。

 星の娘である聖子は、からっとしたところのある、男勝りの少女である。

 小学校は隣の学区であるが、中学になれば公立なら同じ学校に通うことになる。

 そのあたり直史は、少し考えることはある。

 中学受験をさせるかどうか、ということだ。


 自分に関しては、そもそも選択肢がなかった。

 下に三人も弟妹がいて、それぞれに一つは習い事をさせてくれるだけ、親には感謝するのみである。

 だが子供に関しては、選択肢として存在する。

 もっとも千葉のこのあたりの公立は、それほど荒れているわけでもない。


 直史が日本に住むにおいて、重要視したこと。

 それはもちろん職場へのアクセス、ということもある。

 だが基本的に弁護士は、ここいらでは車を使うことが多いのだ。

 そのため子供たちの教育環境を、重視していた。


 瑞希の両親の家が近いのも、同じことを考えて家を建てたからだ。

 もっともこのあたりは、駅もそれなりに近く、コンビにもところどころに複数あり、スーパーも存在する。

 そういった生活の利便性も、かなり重視してある。

 後から聞いてみたところ、これまた星も同じように、現在の家を建築したらしい。

 NPB時代は球場などへのアクセスを重視したのだが。


 単純に子供の将来を考えれば、中学受験を経験させておくというのも、悪いことではない。

 だが中学受験と高校受験は、全く毛色の違うものであると、瑞希の両親からは聞いたことがある。

 それに千葉県には立派な、公立の進学校があるではないか。

 これが都心などであると、進学校は私立が多くなってくる。

 逆に田舎の県などであると、県庁所在地などはともかく、他の場所では公立の進学校がちゃんと存在する。白富東がまさにそういうものである。




 子供の進路を決めるというのは、親がすべきことであるのかどうか。

 それは地域による、と言ってもいいだろう。

 千葉にも名門大学付属の、中高一貫校などはある。

 ただ受験というものを経験していないと、人間の脳の処理能力というのは落ちていくという話もある。


 子供の判断力というのは、当然ながらその人生の分、親よりも知識には欠けている。

 だからといって一方的に、これが正解だと提示してもいいものだろうか。

 子育てというのは本当に難しい。

 よくもこれを、連続して四人もやったものだなと、直史は親を続けるにつれて感心してくる。


 プロ野球という特殊な職業が長かったため、子供たちの教育や進路に関しては、瑞希の方が発言力が強い。

 ただ基本的に瑞希は、直史が選んだだけあって、かなり古風な男を立てるタイプの人間なのである。

 そして二人が出した結論は、ちゃんと説明をした上で、真琴自身に決めさせること。


 難しい問題を子供に決めさせるというのは、虐待である場合がある。

 それは二人も分かっていて、たとえばこの地区の公立中学校が荒れているというのなら、私立を勧めたであろう。

 だが幸いにもこの地区の中学校は、そこまでおかしな学校ではない。

 また自分たちは何かがあった時、フォローできる職業にある。

 なので本当に難しいかもしれないが、決めるのは真琴だ。

 どうせ人間生きていれば、いずれは難しい選択を迫られる。

 もし失敗するならば、早めに慣れておいた方が、リカバリーもしやすいのだから。




 真琴にとって同年代の女の子というのが、周囲にいなかったわけではない。

 普通に学校にも通っていたし、アメリカでも直史の自主トレに付き合えば、樋口の次女などは年齢は同じであったのだ。

 ただここまで活発なのは、確かにいなかった。

 星の娘は見た目も中身も、本当に母親似である。

 次女の方は中身が父親似であると言われるが、星もたいがい頑固なところはあるので、どちらにしろ難しい性格かもしれない。


 その聖子と一緒に、本日はバッティングセンターを訪れていた。

 お供をするのは、相手も活発なので瑞希ではしんどいだろうと、直史が従っている。

(うちの子は可愛いなあ)

 親馬鹿がここにいる。馬鹿親ではない。

 120km/hのボールを、小学生が軽々と打ち返す。

 聖子の方がミートは上であるが、全体的には真琴の方がパワーはある。

 第二次性徴もまだ迎えていない、美少女二人がバッティングセンターでバットをしごく。

 それを笑顔で見守る30代のおっさん。

 事案である。


 それはさすがに冗談であるが、女の子は本当に、二人だけでも充分にかしましいと言おうか。

「見てるだけじゃなくて、おとーさんも打って!」

「お父さんはいいから、好きに打ちなさい」

「見本!」

 やれやれ、と直史は思ってしまった。

 ここは娘に、ちょっといいところを見せておかなければいけないだろう。


 


 真琴の記憶に残る直史は、大介などを相手にして、完全に試合を完封するスーパースターであった。

 だがMLBでは現在、ピッチャーは完全分業制のため、試合でその雄姿を見たことはない。

 一応は娯楽的な感じで、ピッチャー大介やピッチャー樋口と勝負するところは見ている。

 だがあの連中は、スピードだけなら野手投げで、150km/hを出してくるのだ。

 樋口は高校までは、甲子園でも投げているのだ。


 そんな直史であるが、軽く何度かバットを振って、120km/hの打席に立つ。

 ひそかに父の失敗を期待しているのが、この年頃の女の子である。

 だが直史は白富東の戦力が充実するまでは、クリーンナップも打っていたことがある。

 そして何より打球処理で、速いボールには慣れている。


 右打席に立って、重心はまず右足に。

 射出されてくるボールを一定のタイミングで、左足を踏み込む。

 そしてその左足は、体重移動を食い止める。

 腰から上が自然と一回転して、腕はミートに徹する。

 バットは芯でボールを食って、打球はセンター方向へ。

 ホームランの的のわずか右に着弾した。


 バッティングに関しては、直史は同じピッチャーでも、岩崎や武史ほどのパンチ力はなかった。

 だがそれでも、ピッチャーにも打席のある、セ・リーグで投げていたのだ。

 ほぼ確実に完投してしまうため、打席が三度は回ってくる。

 基本的には怪我をしないように消極的であったため、高い打率は残していない。

 だが打とうと思えば、それなりには打てるのだ。


 真琴の見本になるようにと、変にクセなどはつけないスイング。

 ミートを狙うのであれば、直史の本来のスイングは、もうちょっとバットを寝かせる。

 だが正統派のスイングで、ポンポンと飛ばしていく。

「マコのお父さん、ピッチャーやったんとちゃうんか?」

 聖子はそう声をかけるが、娘の中で父親の株は、現在ストップ高である。

 わずかに舌打ちした聖子であるが、教えてもらうのにはやぶさかでなかった。




「それで、なんでウチなんや?」

 ここで対抗して、星を呼ばずに母である瑠璃を連れてくるあたり、聖子の父親に対する評価は厳しい。

 ただ星は本当に、高校時代から粘るのが信条であったので、あまりバッティングには期待が出来ないのだ。

 対する瑠璃としても、野球をやっていたのは高校時代まで。

 もっともチームの中では、上位打線を打ってはいたが。

 あのチームははっきり言って、明日美のワンマンチームであったのも確かだ。


 子供に期待される親というのは、なかなかに大変なものである。

「お母はん、打ってくれるやろ!」

「ほんならまあ、やってみよか」

 関西弁でバットを振り回すと、それだけでなんだか物騒な気分になる直史である。

 だが瑠璃もしっかり、聖子に言われて久しぶりに素振りなどはしていたのだ。


 120km/hというのは、一般的な女子野球では、ほぼ最速のスピードである。

 だが瑠璃は140km/hを投げる怪物少女を知っている。

 ストレートとスプリットだけで、女子野球の世界の頂点に立ち、大学野球では東大野球部を最下位から脱出させた。

 もちろん一人で成し遂げたわけではないが。

 それを知っているからこそ、瑠璃はここで打っていける。


 ジャストミートした打球は、見事にヒット性の当たり。

 それを何度か繰り返して、ドヤ顔で振り向く瑠璃。

 しかし子供たちは、微妙な表情であった。

「なんやの!? お母ちゃん頑張ってるやろ!」

 それはそうで、間違ってはいないのだが。


 交代した直史のバッティングを見れば、その差異は明らかであった。

「そら男のパワーには勝てんて」

 直史は貧打の印象があるが、それでも150km/hを投げるのだ。

 それでバッティングをすれば、そうもなる。

 しかしここで星を持ってきても、彼は明らかに貧打の男。

 だが瑠璃には、そこそこの心当たりはあったのである。




「なんで俺を巻き込むんだよ。そもそも大学で辞めた俺とプロのナオじゃ格が違うだろ」

 星の盟友とも言えて、そして瑠璃の高校時代のチームメイトであった瞳の夫である西が召喚された。

 ついでにその息子の和真も一緒に。

 和真は真琴たちの一つ下で、聖子にとっては幼馴染の子分扱いらしい。

 年上の女の子にいじられると、男子はおおよそ性癖が歪むものであるが。


 大学を卒業して以来、久しぶりの野球である。

 実際は草野球をやってたりはするのだが、東京六大学リーグでレギュラーを取っていた西のレベルであると、普通の草野球ではオーバースペックなのである。

 野球を始めた息子のために、少し最近は過去の感覚を思い出してはいたが、なぜにこんな対決をしなければいけないのか。

 だが息子のキラキラとして目には、父親は逆らえないものである。


 マシーンの球速は120km/h。

 現役時代は150km/hレベルを相手に、試合をしていたものである。

 六大リーグのレベルは、日本でも上位に入る。

 また同じチームに、レジェンドピッチャーが二人はいたのだ。

 軽く何度か打った後、フルスイングでボールにバットを叩きつける。

 打球の勢いは、直史に負けるものではなかった。


 バッティングにもそれなりにセンスがいる。

 だがとりあえずこのスピードであれば、まだまだ簡単に対応出来る。

 じゃあどこまでいけるのかな、と悪ノリしてしまう二人のおっさん。

 このバッティングセンター最速の、140km/hのマシーンまで移動する。

 そして子供たちそっちのけで、勝負を展開する30代半ばのおっさん。

 直史はもう、アラフォーに分類される年齢なのだが。

 男はどれだけ成熟しても、子供っぽさを失わないものらしい。




 西は直史と同じく、大学時代は東京の寮暮らしであった。

 そしてその後、東京の会社に就職する。ここで妻の瞳とは結婚している。

 瞳は高卒から、東京の実業団チームに入るぐらいの、バレーボールの選手であった。

 彼女の故障引退をもってして、二人は結婚したわけである。


 西自身は入った会社の激務によって体調を崩したため、実家を継ぐことにした。

 それに瞳もついてきたわけで、彼女も今は家業を手伝っている。

 直史は大学時代、同じ野球部の人間でも、あまり交流を深めてはいない。

 あちらが一方的に多く知っている、という状態であった。

 西は出身が同じ千葉なので、それなりに話したことはある。

 だがそれでも、この数年のいきさつについては、知らないことが多かった。


 プロに進んだ選手は、同年代だと多くがもう引退している。

 ただ将来が不安定という意味では、別にプロ野球に限ったわけではない。

 星などはしっかり教職を取っていたあたり、なんだかんだと安定志向ではあったわけだ。

 もっとも彼の場合は、大学四年の時点でも、プロから指名されることは、ほとんど考えていなかったのだが。


 安定しているなら公務員。

 それだけは間違いないかな、と思う直史である。

 ただ同じ公務員であっても、声をかけられた検察などには、行こうとは思わなかったが。

 転勤が多すぎるからである。

 その点ではやはり、地域に根ざした仕事をするというのは、直史の性には合っている。

 もうあの舞台で勝負することはないのだと思うと、安心する気持ちがあるのは間違いないのだ。




 あの時代、早稲谷大学の同学年からは、プロが大量に誕生した。

 しかし今も第一線で現役なのは、樋口ぐらいしかいない。

 一応土方もまだ、一軍には入っているが、やや出てくる試合は減ってきた。

 年齢的にはやはり、このあたりが限界なのだろう。


 もっともプロ入りしたメンバーが全員、ある程度は一軍でスタメンになったというのは、これまた充分すぎるほどたいしたことなのだ。

 メジャーリーガーを二人も出した時点で、誉められていいことだろう。

 ただ比較すると、白富東は数年の間に、メジャーリーガーを四人も輩出している。

 そして直史以外の三人は、まだ現役バリバリである。


 バッティングセンターで子供たちにコツを教えてから、親世代では色々とファミレスで話したりをする。

 子供たち三人は、どうやら女の子二人が上位の人間関係が出来ていて、ちょっと和真は不憫であるかもしれない。

 相手が悪い。相手が。

「集まるとだいたい、子供の話になるんよな」

 瑠璃の言葉に、瞳もうんうんと頷いている。

「私たちの場合、夫の愚痴が出ないあたり、恵まれているとは思うな」

「そうやな。奥さんたちの集まりでも、ほんまに旦那の愚痴ばっかりで、やになることはあるわ」

 奥様方の世間話、怖い。


 白富東もあの時代、伝説を起こすチームであった。

 だが彼女たちの出身である聖ミカエルも、野球部を兼任していた人間などは、かなりの有名人になったりしている。

 その中で一番なのは、やはり明日美であろうか。

 女子野球の集まりから、野球選手と結婚した相手は、かなり多い。

 明日美に恵美理、あとは葵もそうである。

 割と関東近辺にいる人間が多く、集まろうと思えば集まれる状態だ。

 今度久しぶりに同窓会でも開こうかという話になっているが、野球のオフシーズンでないと、集まれない人間がおおかったりする。

 子供たちの付き添いで集まって、懐かしい高校時代を思い出す親の世代であった。

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