第83話 春の変化
春季大会県大会本戦の始まりである。
今年の白富東は、おそらく去年よりも強くなっている。
確かに去年もピッチャーを大量に作って、継投で戦ってきた。
しかしそれは目先を変えるということが重点であって、完投できるようなピッチャーは想定していなかった。
今年もまだ、完投を期待するほどには、ピッチャーは完成されていない。
だがどのピッチャーもそれなり以上に、普通のチームならエースとして投げられる程度には、平均のレベルが上がっていると思う。
思えばこの傾向は、直史の入学した当初から変わっていない。
直史と共に岩崎が入ったことで、確かに白富東は、後の投手王国を築いたと言ってもいいかもしれない。
だが一年生時の、二年と三年にもバッテリーを作っており、県大会ではそちらの方が活躍していたのだ。
完全に直史が主力となって、岩崎と共にダブルエースとなったのは、三年生が引退してからである。
ピッチャーは確かに、エースクラスと呼べるピッチャーがほしい。
だがそのエースが、九回フルイニングを完投するというのは、全国的なデータを見ても厳しいのだ。
甲子園において、特に先発ピッチャーの失点が増えていくのが、七回以降。
もっとも直史のように、15回まで投げてしまうというピッチャーもいる。
実際に上杉が、先にそれをやっていた。
そして球数制限となり、マウンドを降りたところで、大阪光陰に点を取られて敗北した。
エースを活かすためにも、その体力は常に、満タンの状態で使いたい。
直史も二年の夏や三年の夏、延長まで完投する試合の前は、しっかり他のピッチャーに休ませてもらった。
そこまで極端でなくても、継投は確かに相手のバッターの狙いを絞らせない、重要な効果がある。
直史などは球種が多かったから、そもそも絞ることが不可能であったが。
現在の高校野球を考えると、決戦となる試合のためには、頼れるピッチャーが万全の状態に二枚使えることが、勝率を極端に上げる要因だと思う。
先制点の有効性と、最低でもコールドにはならない安定性、そして終盤の爆発力で試合の段階を考えるのだ。
先制点が重要であることは、もうずっと言われていることだ。
だからエースを先発させることに、疑問を持つ者は少ないだろう。
ここでエースの力が突出しているのなら、味方が先制点を取ってくれたら、一度マウンドを降りるという選択肢が使える。
体力を終盤まで温存しておくのだ。
一試合を丸々完投する、という体力を持つピッチャーも、確かにいる。
理想を言うならば、そういうピッチャーはほしい。
だが勘違いしている人間も多いが、今はプロ野球でも完投するピッチャーは少ないし、何より先発は五枚から六枚で回しているのだ。
中五日から中六日あれば、だいたいのピッチャーは回復する。
このあたりMLBで中五日か中四日でやっていた直史は、やはりおかしい。
地方大会も甲子園も、序盤ならともかく準々決勝あたりからは、連戦や中一日の日程となっていく。
実はシニアの全国大会などは、さらに日程は厳しかったりする。
甲子園は球場が一つだけなので、一日で最高四試合までしか消化できないが、シニアは他の球場も使うからだ。
確実に勝てる試合であるならば、主力級のピッチャーは完全に温存する。
そんな極端な判断が、しっかり出来るかどうかが、今の監督の良否を決めるのかもしれない。
序盤に味方がリードするまで、相手に先制されない。
そして中盤は試合を作っていく。
終盤七回以降もしくは、出来れば八回と九回の2イニング、つまり相手の打席が一巡するまでに、試合を終わらせる。
勇名館が去年、エース一人を使って、オープナーとクローザーをやらせていたのを、よりしっかりと役割分担するのだ。
そんな白富東は、春季大会であっさりと、ベスト16までは勝ち進んだ。
直史としては見てやりたかったのだが、仕事の都合で不可能であった。
そしてここのところ、真琴が本格的に野球をやりたいと言い始めている。
去年はまだ、生活が変わったことにより、両親が忙しいことに気がついていたのだろう。
子供はそうやって、気を回すことがあったりする。
直史も小学校の学童野球はやっていた。
だがそれとは違う、クラブチームの野球であるのだ。
金銭的にも特に問題はないし、やりたいと言うならやってみてもいい。
そもそも五年生になったら勧めてみようかとは思っていたのだが、父親とのキャッチボールだけでは満足できなくなったらしい。
「リトルリーグならこの学年からでも参加出来るチームがあるのか……」
他にも色々と、少年野球の団体はある。
直史は自分がやっていなかったので勘違いしていたが、小学校の低学年であっても、プレイできる環境はあるのだ。
口にはしないが、内心では複雑な直史である。
真琴が野球をやっているのは、間違いなく直史の影響である。
20年前に比べると、女子野球部の数など、高校ではおよそ10倍ほどにまで増えてはいる。
しかしそれでも、野球はあまり女子のスポーツじゃないよな、と直史は思っているのだ。
つくづく保守的な男であった。
乳児期のあの大変さはなんだったのだ、と思うぐらいに今の真琴は元気である。
女の子としては身長も高く、運動神経もかなりいい。
従兄弟の司朗や昇馬も、相当の運動神経があるのは分かるが、直史の見ている限りでは、真琴もそれに劣るものではないと思う。
親の欲目ではないと思いたい。
リトルリーグについて直史は、それなりに調べてみた。
と言うか、彼がそれを口にすれば、周囲が勝手に話を通してくれたりもした。
基本的にリトルリーグは地域に根ざしており、あまり離れた場所のチームには入ることは出来ない。
だがそこそこ人口密集地帯に居を構えているということもあり、いくつかのチームから選ぶことが出来た。
練習をしている日に、真琴を連れて見学などをしてみようか、という話にはなった。
強いチームかどうかは、さほど重要ではない。
また直史がそのまま見学に行くのも問題がある。
世の中には有名人の子供に対して、やたらと嫌悪感を持っている指導者というのがいたりする。
そうでなくとも下で結果を残してきた選手に、やたらときつく当たろうという指導者もいるのだ。
また直史の娘であることが知られると、それはそれで色眼鏡で見られることになるのは間違いない。
そういったことも考えて、慎重にチームは選ばないといけない。
こういったものは一回や二回見た程度では、本質に気づかないこともある。
なので一番有効なのは、実際に子供がチームに入っている、親から情報を収集することだ。
そう思ってちょっと連絡してみたら、普通に紹介された。
「うちの長女が入ってるとこ、いいと思う」
連絡したのは別件であったが、星がそう言ったのだ。
偉大すぎる親を持った子供は不幸になりやすい。
確かになにかと、比較されるのは確かであろう。
真琴が女の子だということを割り引いても、周囲の視線がおかしくなる可能性はある。
そういう点では、やはりプロ野球選手であった、星の娘が普通にプレイできているというチームは、選択として正しいように思えた。
小学生には、そんなにたくさんのことなどは求めない。
野球が嫌いにならず、楽しくプレイが出来て、少しだけ上手くなれればそれでいい。
直史はそう考えているのだが、実のところ真琴には、かなりの負けず嫌いな性格が見えている。
「誰に似たのかな?」
他人事のように直史が言ったので、瑞希は思わず信じられないものを見る視線を向けてしまったりした。
ともあれ真琴の所属チームは、穏便に決定した。
直史の名前を出さないように、基本的には瑞希が保護者のところに名前を書いておく。
緊急時の連絡先は、佐倉法律事務所なので、日本で最も多い佐藤さんは、特に問題もなく溶け込めるだろう。
ただ念のために真琴には、父親が野球選手だったことは口にしないように言い含めておいた。
活動は週末と祝日だけで、昼の食事がいるのは試合がある日のみ。
費用はさすがに、学校の学童野球よりはかかるらしい。
「小学生から硬式球なのか」
中学まで軟式であった直史としては、ちょっとカルチャーショックである。
ただ年末年始に遊んだ時はゴムボールにプラスチックバットではあったが、最近のキャッチボールは軟式球を使っている。
危険じゃないかな、とはらはらしてしまうのは、娘を思う男親として当然のことなのだろうか。
ただ初日、遠くから望遠鏡で見ていた限りでは、真琴は元気いっぱいにプレイしていた。
傍から見たら直史の方が、不審者丸出しで危険である。
さて、これで真琴はチームとして、本格的に野球をやるようになったわけである。
そこで何が変わったのかというと、父への尊敬であろうか。
「お父さんたちもシロちゃんもしょーちゃんも、すごく上手かったんだね」
それはまあ、MLBでやっているレベルではあるから。
そして無事に、星の娘である聖子とは、友達になったらしい。
「お母さんが関西の人だから真似して、関西弁なんだよ」
関西でも場所によって色々と違うのだが、実は瑠璃が使っている関西弁は、割と上品な方なのである。
聖子の場合はテレビの影響があって、やや下品なものが混じっている。
真琴が気にすることになったのは、バッティングであった。
さすがにこれまでは、ゴムボールにプラスチックバットであったので、バッティングに対応できないのだ。
なので近所のバッティングセンターに連れて行って、ということになったりもする。
正直なところ直史に投げてもらった方がいいのだろうが、万一にも当たって飛んだら、家の近辺ではそんな広い場所がないのだ。
ただスピードに目を慣らすために、真琴に少しキャッチャーもやらせてみた。
ポジションは内野と、そしてサウスポーでコントロールもいいことから、ピッチャーをやるらしい。
ほとんどサイドスローのサウスポーなので、この年代なら左打者相手には、相当に強力ではないのか、と思ったりもする。
腕白でもいい。たくましく育ってほしい。
直史は多少の心配をしながらも、そう願ってキャッチボールの相手をする。
女の子なんだから、とにかく怪我だけはしてくれるな、と男親らしいことを考えるレジェンドであった。
うちのお父さんは本当にすごい。
真琴がチームに入って、本当の意味での野球をやることになって、ようやくそれが実感できた。
もちろんこれまでも、大介や武史、樋口やアレクといったあたりは、自主トレに参加していたので世界のトップレベルは知っている。
ただ同年代の司朗や昇馬も一緒だったので、同じ年ぐらいの人間は、自分と同じぐらいのことができるのかな、と勘違いしていたのは確かであった。
真琴の年齢であると、リトルリーグの中でもマイナーという年齢分類に割り振られる。
これぐらいの年齢であると、男女の性別差による能力の差は、まだないと言っていい。
そして真琴のキャッチボールの相手は、チームの上位数人に絞られた。
投げるボールの威力が、力を抜いていても強すぎるのだ。
子供というのは同じ年齢でも、肉体の生育差が相当にある。
もっともそれは大人になっても、同じことであるのだが。
中学生あたりになると、スポーツに向いているかどうかはおおよそ分かるので、同じようにチームを組んでいても、能力差は小さくなる。
この年齢であるとまだ、それを判断しきれない。
とりあえず現在のチームで一番上手いのは、同じ女の子の聖子であった。
星の遺伝子なら体の柔軟性などはともかく、さほど運動神経はよくないのではと思ったが、それは母親から受けついたものであろう。
本職ではないのに、女子野球では二遊間を守っていた。
メインでやっていた水泳では、全国上位に入っていたはずだ。
遺伝子というものは、能力を残酷に伝えるものだ。
そう考えるなら、大介とツインズの子供であり、体格も父親と違い、同年代の平均的な昇馬は、まさにサラブレッドである。
もっとも実際のところ、両親の運動能力をそのまま引き継ぐかどうか、そして引き継いだとしても成功するかどうかは、また別の話である。
こういった交配実験は、それこそ競馬のサラブレッドという数百年に渡る実験結果があるため、両親のどちらもが優れていたとしても、子が優れたものになるとは限らない結果を残している。
だがそれでも統計的に見れば、やはり両親の運動能力は遺伝する。
佐藤四兄弟とその配偶者を見てみれば、真琴は一番総合的に低いだろう。
元々直史が野球において傑出したのは、その集中力によるところが大きいのだから。
そして瑞希は、運動能力は平均よりも下。
長男の明史が運動嫌いであるのも、その遺伝が顕在化しているように見える。
恵美理はあれで、スポーツもかなり万能にこなすのだ。
もっとも遺伝も重要だが、環境もまた重要な要素だろう。
たとえば音楽的な才能などは、一生音楽に携わることがなければ、発見されることさえないかもしれない。
また身体能力にしても、総合的には低いとしても、頭脳とメンタルで相手を上回ることが出来るのは、直史が証明している。
少なくとも直史の場合は、周囲に傑出した指導者なども、中学までは存在していなかった。
スポーツの中でも特に、対戦相手のいる競技は、やはり頭脳とメンタルも重要になる。
その点では真琴は、英才教育に近いものを受けている。
そもそも基準が高いので、驕ることは絶対にない。
いずれにせよ習い事代わりに、リトルリーグというのはいいものだろう。
直史としてはピアノなどを習ってほしかったのだが。
昭和生まれでもないくせに、昭和の男である。
現在市内のマンション暮らしである直史は、少し考えていることがある。
「家を建てようか」
突然そう言われて、少し戸惑う瑞希である。
「え~と、庭を作るため?」
ある程度はお互いのことが分かる、付き合いもいい加減に長い夫婦である。
「庭にキャッチボールやバッティングの出来るスペースを作れば、練習がしやすいだろう」
直史も中学時代までは、自宅の近辺で練習をしていた。
しかしここからは、少し遠くに行かなければ、キャッチボールも出来ない。
親馬鹿と言おうか、娘に男親は甘いと言おうか。
直史をしてこれなのだから、世の男親というのはどういうものなのだろう。
「確かに金銭的な余裕はあるけど……」
別に瑞希は反対ではない。
だがいずれはこのマンションも引き払い、実家に帰るというのが、直史の人生設計のはずだ。
田舎の長男に嫁いだつもりの瑞希は、わざわざ家まで建てるべきだろうか、と考えるのだ。
これが明史も野球をやるとでも言うなら、考えてもいいかもしれない。
だが先天的に体力がない明史は、運動自体を嫌っている。
それに今の真琴に必要なのは、そういった環境ではないだろう。
キャッチボール程度であれば、近くの公園で出来る場所があるのだ。
今の真琴に足りないのは、バッティングの経験である。
ならばバッティングセンター通いをさせて、その分のお小遣いを増やしてやるべきであろう。
ついでに直史も一緒に行って、見本を見せてやればいい。
大学以降はともかく、高校時代の直史は、普通に三割ぐらいは打てるバッターではあったのだから。
「ちょっと逸りすぎたか」
「そもそも野球をやるのには、あまり乗り気じゃないと思ってたんだけど」
「正直なところ、どうして野球とは思うけど、やるからには全力を出せるように環境を整えてあげたい」
「整えすぎるのも、無駄なプレッシャーになると思うけど」
プレッシャーを感じたことのない直史は、そう言われてやっと、確かにそれもそうだなと反省するのであった。
親馬鹿である。
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