第82話 頂点

 春のセンバツが進んでいく。

 その中で直史は、高校野球には絶対はないんだな、と思ったりもする。

 お前だけは言うな、と他に誰かが聞けば、ツッコミを入れたかもしれないが。

 昨年の夏の覇者、春日部光栄はベスト4まで進出した。

 またジンの率いる帝都一も、同じくベスト4まで進出した。

 だが優勝したのは、山口の明倫館であった。


 戦力分析では帝都一と春日部光栄は、共に多くの雑誌などでS判定。

 対する明倫館としては、およそがA評価でわずかにBといったところさえあったのであった。

 だが準決勝では帝都一と春日部光栄の試合が死闘となり、延長戦までいってピッチャーに疲労がたまったという条件もあった。

 もちろん明倫館も、甲子園常連相手に準決勝を戦っている。

 疲労の件があったとしても、接戦を制した勢いで、そのまま決勝も勝ってしまうという可能性はあったのだ。


 今更ではあるが、甲子園は優勝候補同士でも、一回戦で対戦することがある。

 その偏りさえも楽しめなければ、高校野球を楽しむことは出来ないのだろう。

 そもそも高校野球に、公平性などは全くない。

 チームによって練習環境は違うし、神奈川や大阪から甲子園に行くのは、過疎の県から行くよりも、よほど難しいのだ。


 甲子園は能力検定の場ではない。

 プロのスカウトなども基本は、ドラフトの選手の選考は、地方大会で済ませてしまっているという。

 甲子園にそれでも足を運ぶのは、答え合わせ的なものが多いのだとか。

 そもそも歴代の一位指名の高校生が、甲子園を優勝したチームから出ているのかというと、それは違う。

 野球はチームスポーツだから、個人だけの能力では勝てないと分かっているのだ。




 既に開幕を迎えていた、海の向こうのMLB。

 大介は父のチームが、また甲子園で優勝したのを知った。

 ただこちらはこちらで、既にレギュラーシーズンに突入。

 そんな中で大介は、まだホームランが出ていない。

 打率は普通に四割を超えていて、打点もしっかりと増やしていたのだが。


 複雑な気持ちのまま、大介はネット配信の放送を見ていた。

 なにせこの明倫館、大介の異母弟が主力として活躍していたため。

(親子鷹かよ)

 間違いなく自分が野球をやっている原因は、父親にある。

 だが大介の記憶に残る父は、どうにも精彩を欠いていた。

 プロの世界でブレイク寸前に、交通事故で選手生命を失う。

 そこからまた、野球の世界に戻ってきたのだ。


 関西に住んでいた頃は、何度か会ったことはある。

 だが渡米してからは帰国しても関東から出ることがなかったため、まるっきり会う機会がなかったのだ。

 あちらはあちらで新たな家庭を持っているし、それは母親も同じこと。

 大介は両親とは、やや疎遠になっているのは確かだ。


 全体的な戦力は、確かに他のチームの方が高かったろう。

 だが数人の主力を上手く使って、集中打で栄冠を手に入れた。

 この数年の実績からして、もはや明倫館を新興の強豪校ということは出来ないだろう。

 これで夏も制したならば、確かにすごいのだが。


 不思議な気持ちである。

 おそらくこのままなら、プロの世界に入ってくるのではないか。

 いや、まだ来年があるから、そこでどれだけ成長しているのか。

(けれど高卒でプロ入りしたとして、最速ポスティング成立も七年はかかる)

 ピッチャーもしていたが、二番手が投げるときは、ショートに入ってもいた。

 おそらく上で野球をするなら、バッティングの方に絞ってくるのではないか。

(兄弟対決は、ちょっと実現しそうにないな) 

 もちろんそれは、大介がどれだけ、現役を続けられるかにもよるのだが。


 むしろ対決があるとすれば、昇馬との対決になるのではないか。

 叔父と甥の関係である二人が対決するには、どちらもプロにまで進む必要がある。

 いやさすがに気が早すぎるのであろうが。

(別に子供が、親と同じことをする必要なんてないしな)

 昇馬はツインズの子供でもあるから、頭の方も相当いいのではと思うのだ。




 意識をしていないつもりではあった。

 だがやはり、自分と血のつながりがある人間が、またあの舞台に立ったということ。

 大介としてはそれは、やや低下したモチベーションを上げるわずかなきっかけになったのだ。

 翌日から五試合連続でのホームラン。

 ホームラン王の大本命は、やはり今年も変わらない。


 MLBは世界中から、才能にあふれた選手が集まってくる。

 NPBにしてもそのトップが、MLBにやってくるという動きは変わらない。

 ごく例外的に、最初からアメリカでプレイする選手もいるが、ほぼ成功例はない。

 また日本のピッチャーが引退間際に、勉強のためにやってくるという例などもあったものである。


 大介の後を追いかける、スラッガーは今のところ四人ほどいる。

 ブリアンやターナーに加えて、新たなるスターは育ってきているのだ。

 三十路も半ばほどを迎えるが、まだまだ大介はその追随を許さない。

 完全にバッティングにおいては、一つの時代を作ったと言えるだろう。

 モチベーションが低下する傾向は、ややあったのかもしれない。

 ここからは自分自身との対決となっていく。




 世界の野球の頂点は、WBCではなくMLBである。

 この意見にはおおよその人間が賛同するであろう。

 もちろん国際大会としての、WBCに価値がないというわけではない。

 しかし大会の表彰選手を見れば、国籍はバラバラであっても、所属しているチームはほとんどが、各国のリーグではなくアメリカのMLBだ。


 半年に渡る162試合ものレギュラーシーズンを戦い、その後のポストシーズンが約一ヶ月。

 この過酷なスケジュールを戦い続けられるからこそ、MLBのスタープレイヤーは、価値のある存在として認められる。

 大金が動くMLBは、市場規模は世界第二位のNPBとも比較にならない。

 NPB最高の10億円の年俸は、MLBであればメジャーのFA選手になれば、ほとんどが普通に稼げる金額だ。


 ただ金だけで評価するのは無粋だな、と思ってもいるセイバーである。

 今年のメトロズは、再建のための一年を使う。

 大介は開幕当初、なかなかホームランが出なくてやきもきさせられた。

 だが一度打ってしまえば、そこからまた連続で、毎試合のように打っていく。

 そして例年通り、申告敬遠を食らいまくるのだ。


 大介は巨星である。

 四割の打率を打ってしまったり、80本のホームランを打ってしまったり、もはや誰も大介が、史上最高のバッターであることを疑う人間はいない。

 だが史上最高の野球選手か、というとこれはまた、議論の余地が多い。

 



 おそらく大介自身が、ずっとそう思っているだろう。

 あっという間に頂点に立ってしまって、そこからは下から上がってくる相手を、とにかく突き落とすようなシーズン。

 だがいきなり隣に、かつての戦友が現れた。

 直史という巨大な、強敵と書いて友と呼ぶような存在がいて、大介の成績はさらに飛躍したのだ。


 そしてNPBとMLBでの対戦成績を比べてみると、だいたい直史が勝っていると言えるだろう。

 もちろんスポーツ選手の評価というのは、いろんな評価の仕方がある。

 単純に積み重ねたものだけを言うのなら、大介は高卒一年目から主力となって、歴代の記録をほとんど更新していっている。

 やはりレジェンドと言えるのは、その通算成績を積み重ね、長く人々の衆目に晒されてこその存在と言える。

 直史はその意味では、あまりにも活躍時間が短すぎた。


 だが、それでもと言うか、それだからこそと言うか。

 多くのIFが、世界には存在する。

 野球というスポーツにおいても、特に言われるのはやはり、あの選手の故障がなければ、といった文脈だろうか。

 それとほぼ同じベクトルで、直史のことは語られる。


 高卒後にプロ入りしていれば、大卒後にプロ入りしていれば。

 そしてあの故障がなければどうなっていたか。

 もちろん直史の引退の意思を、セイバーは知っていた。

 惜しみつつもなんとか、この世界にとどめることは出来ないか、と思ってもいた。

 だが本当のスーパースターが、全く衰えるところを見せぬままに、舞台から去る姿も見てみたいと思ってしまった。


 贅沢すぎる話かもしれないが、直史がいなくなってから、MLBはかなりつまらなくなってしまった。

 メトロズのオーナーとして、球団の価値を高めて、経営者としてだけではなく、名士としての地位も手に入れたと言っていい。

 だがセイバーの見たかった光景は、もうここにはない。

(そしてそれは、君も同じなのでしょうね)

 今日も敬遠されて、また出塁率が上がっていく大介を見て、セイバーはそう思う。


 武史ならスペックだけは、ある程度大介と勝負出来るはずなのである。

 しかし実際のところは、実際に戦う前から、既に武史は大介が上だと認めている。

 打率で言えば、三割前後に抑える武史は、それなりに大介に匹敵する存在と思われるのかもしれない。

 だが当の武史が分かっているのだ。

 大介は本当に、打たなければいけないところでは打つのだと。




 いまだにMLBは、市場規模という意味では頂点である。

 世界中から才能を集めて、世界最高のパフォーマンスを見せ付ける。

「けれどもう、熱量が足らない」

 去年のワールドシリーズ、見事に優勝を果たしても、セイバーはそう思った。


 アナハイムで二度、メトロズのオーナーになってからも一度、ワールドチャンピオンチームのオーナーとなっている。

 資金力という武器はあるが、セイバーがフロントに入ったチームは、ワールドチャンピオンになる。

 正確に言うと、ワールドチャンピオンになれそうなチームを選んで、そこに最後のてこ入れをしているのだが。

 頂点を極めても、もう楽しくないのだ。

 モチベーションの低下というのは、セイバーにも同じことが言えた。


 直史からの電話は、いいタイミングではあった。

 MLBのトレーナーやコーチの中には、日本の高校野球を視察したいという人間は少なくない。

 だがおおよそはその結果として、非合理、軍隊的、選手への配慮不足など、お綺麗な価値観で否定的に見るしかなくなる。

 それでも中には、もう少し長い期間を見てみたい、指揮してみたいという人間が少しはいるのだ。

 白富東という環境に、また自分がバックアップをすれば。

(それでも二度と、あの輝きを見ることはないでしょうけど)

 計算してどうにかなるような、そういうものではない。

 最後の最後の部分では、セイバーもまたロマンチストであった。




 また、頂点を目指す戦いが始まる。

 都道府県によっては、春季大会の試合は、センバツが終わるよりも早く始まる。

 ならセンバツ出場のチームはどうすればいいのかというと、たいがいは都道府県大会の本戦まで、予選免除で出場できるのだ。

 また秋季大会の結果によっても、予選が免除されたりはする。

 他にセンバツで優秀な成績であったら、県大会などで負けたとしても、関東大会に自動的に出場できるようになっていたりする。


 白富東も予選免除にはなっている。

 そしてここで二度勝てば、夏のシードは手に入る。

 出来れば勝てるだけは勝って、試合勘を取り戻したい。

 また関東大会まで出場できれば、他都県の強豪と実戦で戦うことが出来るのだ。


 シードさえ取ってしまえば、あとは夏に向けて練習をする、という考えのチームもある。

 だがやはり、実戦に優る練習はない。

 そもそも春季大会で当たるチームは、夏の本番でも当たる可能性が高いのだ。

 そこまでには、なんとしてでも絶対に勝つ、という気迫が持てるようになっていなければいけない。


 高校野球の頂点というのはやはり甲子園で、その中でも特に夏なのであろう。

 そのための準備として、春季大会はそれなりに重要である。

「だけどマンガだと春季大会はおろか、秋季大会までほとんどスルーされてる高校野球マンガって多いな」

 直史はなんとなく呟いた。

 実際のところは夏のシードを手に入れるため、重要な大会ではあるのだが。




 本日も白富東を訪れている直史である。

 間もなく春季大会が始まるわけだが、現在の白富東のエースは、二年の細川となっていた。

 やはり直史も考えていた通り、冬の間にウエイトなどをして、体重を増やした結果、球速が一気に上がった。

 もちろん直史は、それだけを見込んでいたわけではないが、やはり体格は才能である。

 その常識に真っ向から喧嘩を売っている大介は、やはりさすがであるが。


 まだストレートが140km/hに達しているわけでもないが、現時点で二年の春なのだ。

 ここから上手く成長していけば、140km/h台の半ばまでは球速は上がっていくだろう。

 ただ球速よりもずっと、タイミングが取りづらいとチームでシートバッティングをする時などは言われている。

 単純に細川は、腕が柔らかく長いので、そこでタイミングを合わせるから難しいのである。


 夏までの三ヶ月ほどの間に、どれだけ成長するか。

 二番手三番手四番手と、かなり控えのピッチャーも層が厚くなっているので、これはひょっとしたら甲子園に行けるかもしれない。

 現時点では無理だが、照準を夏に合わせていけばいいのだ。

 来年はさらに、その確率は上がっているだろう。


 入学前から直史が少し見ていた刑部は、やはりまだ成長期である。

 肩や肘で投げるのではなく、下半身の柔らかさと強さで投げる。

 他のポジションに比べるとはるかに、下半身のスタミナが必要となるピッチャー。

 もう少し体が出来上がってきたら、本格的に鍛えていくべきだろう。

 今はまだ、柔軟性のほうに重点を置くべきだ。




 北村の後任の監督に関しては、既に電話などでは話している。

 だがやはり最終的には、北村と話すべきであろう。

 星は北村にとっても、大学の後輩だ。

 あまり大学野球の空気を持たない二人だが、それでも先輩と後輩の関係というのは、体育会系にとっては絶対的なものである。

 直史は違うが。


 年齢が上だから偉い、という理屈を完全に否定しているのは、まさに実力で上を黙らせる実力者である。

 直史や樋口、また西郷なども大学野球では同じことが言えた。

 ただそんな直史でも、敬意を払うべき先輩には、ちゃんと敬意を払っている。

 北村は頼りになる人間であるし、手塚は柔軟な男であった。

 そしてセイバーは、とにかくセイバーである。


 北村とセイバーの付き合いは、野球部としては三ヶ月ほどでしかなかった。

 だが引退後も北村は時々グラウンドに顔を出していたし、その中でどんどんと後輩たちがレベルアップしていくのを見ていたのだ。

 北村は大学には一般入試で入ったので、別に野球をする必要はなかった。

 それでも野球を続けたのは、自分が経験できなかったことを、自分が到達できなかった領域を、体感したいと思ったからである。


 今の北村は指導者であり、同時に教育者だ。

 その中でもどちらに重点を置いているかというと、教育の方であろう。

 教師という職業を選んだ時から、それは決まっている。

 なので野球部の顧問をやっていても、選手たちにはまず壊れないような練習をさせている。

 スポーツは基本的に、健康に楽しむためのものなのだ。

 甲子園をお題目のように唱えて、故障を許容してしまうのは違う。

 そういう点ではトレーナーまで連れてくるつもりの、セイバーのコネクションはありがたいだろう。


 だが星は、弱者を育てることが出来る人間だ。

 己自身の身体能力は低く、それでも出来るだけのことはやって、必死で足掻いてプロにまで指名された。

 絶対的なエースにはなれなかったが、引退するまでかなりベンチ入りはしていて、リリーフとしてはとても便利な存在ではあったのだ。

 もしもプロになりたいと言うのならば、星の経験は誰にとっても貴重なものになるだろう。

 今すぐ決めなければいけないわけではないが、決めるなら早い方がいい。

「北村さんが頼めば、星だって拒否は出来ないと思いますよ」

 そこは体育会系の上下関係が成立するだろう、と考える計算高い直史であった。

 

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