第81話 春の祭典
春のセンバツがやってくる。
直史がいくら動いたとしても、結局監督をどうするか決めるのは、直史ではない。
まず本人がやりたいと言って、それから学校が認めるかどうかである。
セイバーの言っていた、在米アメリカの監督候補。
なんでも日系アメリカ人であるのだとか。
祖先が大戦前にアメリカに移民し、日本語もそれなりに喋れるという。
とりあえず言葉でのコミュニケーションは、さほど困難ではなさそうである。
現在の段階では、星かこの男が、次の監督候補と言っていいだろう。
そう、残念なことに(何がだ?)男性である。
(セイバーさんが推薦してくるぐらいだから、現状も分かっているのかな)
一応セイバーには、現状の白富東について、ある程度は情報をまとめて送っておいた。
ただ来年、今の戦力を強化したとして、果たして甲子園を目指せるかどうか。
もっとも重要なのは、どれだけ選手を育成できるかというものだろう。
到達点はNPBかMLBに見据えているのだから。
春季大会で、ある程度はその実力を見る機会はある。
だがそれよりも前に、世間的な高校野球の大舞台は、甲子園によって行われる。
そう、春のセンバツである。
直史にとっても、春のセンバツは最初の甲子園である。
そしてひょっとしたら、人生で一番苦い思い出は、ここであるかもしれない。
運の悪さもあったが、一回戦でいきなりノーヒットノーランを達成し、絶対王者の打倒も現実的だ、などと言われていた。
しかし結果としては、3-0の完敗であったのだ。
ただその敗北で、のんびり屋の白富東に、火が点いたとも言える。
そんな春のセンバツを見に、その監督候補が来るのかな、と直史は最初は思っていた。
だがどうやらあちらも暇ではないらしく、夏の甲子園に絞って見に来るらしい。
むしろ夏こそMLBはシーズン中であるが、オープン戦の今の方が、むしろ色々と立て込んでいたな、と直史は思いなおす。
その時は誰かに、甲子園を案内してもらうのだろう。
出来ればその時に、白富東が出場できていれば最高だが、難しいだろうなとも直史は思っている。
日常的な仕事をしながらも、年度末と年度始まりに向けて、色々とやらなければいけない仕事は多い。
また年度始まりは環境が変わったりすることから、突発的な問題も発生したりする。
そういう事故的なことに、弁護士は動員されるものである。
もっとも最近はそういった弁護に関しては、国選弁護であるので、仕事の少ない弁護士が担当となる。
あれはあまり金にならないので、たまに勘を鈍らせない程度に受けておいて、本業の方は企業法務や相続などの方になる。
直史は勤勉な人間である。
別に遊んで暮らしても、あるいは自分のやりたい仕事だけをしていても、充分に一生を食っていくだけの財産はある。
だが生きていくというのは、単純に快楽を求めるだけではない。
もちろん変に節制しすぎることもいけないが、重要なのはバランスである。
他人には絶対に強制もお勧めもしないが、基本的には達成感と社会貢献のために、仕事は行っている。
ただ基本的に寄付などはしないが。
金を使うのであれば、自分が把握している企業の方に、株主となって投資した方がいい。
経営の知識に関しては、あくまでも理論だけを知っているだけだが、数字を読むことぐらいは出来るのだ。
もっとも耕作などに言わせると、仕事は現場が第一であるのだが。
直史としては現場と計画と、両者が重要である。
現場に回せるリソースは有限であるのだから、その中で何を行うのか。
それは野球チームにおける、戦力のやりくりにも似ているかもしれない。
夏に比べればそれほどでもないが、春の甲子園もまたそれなりに、乙なものではある。
残念なことに今年のセンバツは、千葉県からはチームの出場がない。
神奈川と埼玉と群馬で五校出場しており、神奈川と埼玉が二校ずつ選ばれているのだ。
センバツは秋の大会の結果を参考に、出場するチームを選んでいるのだが、まず文句の出ないような選び方の基準ではあった。
千葉も勇名館が関東のベスト8まで残ったのだから、可能性はあったのだが。
ベスト4に神奈川と埼玉だけしか残らないという、ちょっと極端な関東大会の結果が影響したのだ。
地元のチームが出ていない状態では、どのチームを応援すべきか。
普通に縁のあるところを応援すればいいのだろうが、すると帝都一や春日部光栄といったところになる。
昨年の夏の覇者は、春もまたそれなりに勝ち進んだ。
だが春夏連覇に比べると、戦力の入れ替わりガ多い、夏春連覇は難しい。
またセンバツの期間中は、春休みに集中して行われるため、観客も夏ほどは動員されない。
このあたり関西のチームは、21世紀枠などでも比較的優遇されており、多くのチームが出ることになる。
なお近畿圏では、大阪光陰と理聖舎に加えてさらにもう一校、大阪から出場している学校があったりする。
観客動員の関係で、地元の近畿のチームから、多くのチームを選出する傾向。
それは今年も健在のようである。
最近少し、また高校野球に関わっているな、と直史は思っている。今更である。関わりすぎである。
やはり自分は、本来なら高校までの選手なのだな、と相変わらず他者との認識が異なる思考をしたりしていた。
プロの方ではいよいよオープン戦も佳境を迎えて、ペナントレースの開幕が迫ってくる。
また海の向こうからは、MLBの話題も届いている。
武史は調子の浮き沈みがあるらしく、やや心配ではある。
だが元々メンタルから崩れるタイプではないので、問題は周辺の環境にあるのではと思う。
日米では同じプロでも、評価の仕方が違うのだ。
セイバー・メトリクスの指標を、重視するかしないか。
今年の武史はまだ、フライになっている球が多いらしい。
残る少しの期間の間に、これを上手く空振りにすることが出来るか。
それに武史は、オープン戦で試される短いイニングでは、いまいち結果を残せないタイプだ。
去年などはリーグで一番イニングを投げていたのだから、そういう起用のされ方をすれば、いずれ調子も戻してくるだろう。
そんなわけで、甲子園である。
春休み期間中であるので、真琴はしっかりとソファに座って試合を観戦する。
明史もその隣で試合を見ているのだが、タブレットを使った同時観戦だ。
色々とデータが表示されるのが面白いらしく、これはひょっとしたら佐藤家には珍しい、理系の人間になるのかな、と両親は考えていたりする。
この日は事務所も休日で予定もなく、そして知り合いのチームが二試合行われる。
ジンの率いる帝都一と、秦野の率いる春日部光栄。
昨年の夏を制したチームであっても、春の大本命とはいかない。
高校野球は一年ごとに、戦力の三分の一がリセットされる。
その中で継続して成績を維持していくのは、本当に難しいことなのだ。
ただこの高校野球の戦力の入れ替えというのは、新陳代謝が激しいという意味では、MLBに似ているかもしれない。
欧州のサッカーとは全く違う。あちらはジュニアユースから、ずっと選手の成長を計算していくからだ。
日本の場合はシニアと高校は、監督のつながりが強い場合が大きい。
なのでここでは、ある程度育成の継続性があったりもする。
だが強豪私立は、条件を提示して横から選手を掻っ攫うことがある。
しかしここで社会の汚い部分と言うか、お前が勝手に進路を決めるなら、来年からの進学に後輩が苦労する、などと言ってくるシニアの監督もいるのだ。
そんなものは無視してよろしい。
必要な選手なら、因縁などにこだわらず、また取りに行くのが正しいあり方だ。
過去のことをいつまでも気にして、いい選手を取らないようなチームであれば、行かない方が正解であるとさえ言える。
実際に直史の後輩である淳は、地元のチームを蹴って白富東にやってきた。
自分のサウスポーのアンダースローというのは、普通の指導者では活かしきれないという確信があったからだ。
そして淳がそんな身勝手の極意をやってのけたものの、バーターで入るはずの選手はちゃんと、そのチームに進めている。
高校野球は指導法だけではなく、指導者の意識もどんどんとアップグレードされていっている。
あるいはそれは、大学野球はもちろん、プロよりも早いスピードであるかもしれない。
大学野球のリーグ戦など、監督の進退にはさほど影響しない。
プロの場合は監督は、チームの顔という面が強い。
高校野球は新陳代謝が激しいだけに、指導者も分かりきったことをやらず、新しい挑戦をしていかなければいけないのだ。
帝都一も春日部光栄も、共に勝ち上がった。
難しい春の調整を、上手くこなしてきていたらしい。
そして翌日は、これまた知った名前が出てくる。
山口の明倫館である。
直史は今日の試合を内心で振り返りながら、戦力の分析をしっかりとしていた。
基本的にはやはり、帝都一も春日部光栄も、中学時代に実績を残した選手を、特待生やスポーツ推薦で取ってきている。
だが高校の三年間を考えると、素質で取っている枠が必ずあるのだ。
白富東にも、今度二年になる細川と、新一年生の刑部がいる。
あの二人は素質的には、かなりいいものは持っている。
もちろん問題はある。
ロジックとメカニックだけで、どれだけの育成が出来るかというものだ。
そもそも白富東に入ってくるような選手は、プロまでは目指していない。
昨今で言うなら甲子園に対する執念もさほどなく、ただ自分を成長させてくれるチームとして、白富東を志望している。
刑部などもプロ志望などと言っていたが、おそらく高卒ではまだ無理だろうと直史は思っている。
高校三年間で成長はするだろうが、高卒プロ入り選手というのは、基本的に化物クラスの潜在能力は持っているのだ。
刑部はしっかり、大学野球か社会人で、もう少し鍛える方がいいだろう。
まだ入学式も終えていないので、これから一気に成長していく可能性はあるが。
入学時点では、明らかに甲子園は狙えない戦力でしかない、白富東の一年生。
これを上手く育成するには、間違いなく監督の力量が必要となる。
(北村先輩は育成はともかく、勝利はそこまで目指していないからな)
そこのところが心配な直史であった。
欧州のサッカーが強いのは、幼少期からのサッカーという文化があるからだ。
また欧州の場合は、日本と違って芝のフィールドが、圧倒的に多いということもある。
世界基準の芝で、子供の頃からサッカーをする。
そして町全体がそれを応援するという、文化的な背景があるのだ。
日本の場合はそれが、野球に近いのだろう。
ただシニアから高校、高校から大学やプロへと、ある程度の断絶があるのは確かだ。
これをほぼ同時期に、上手くつなげようとしたのが、山口の明倫館と、高知の瑞雲である。
瑞雲の方はあまり成功しているとは言えないが、明倫館はその体制を構築してから、見事に全国制覇も成した。
大介の実父である大庭は、明倫館の監督と、地元シニアの監督を交互のように行っていて、六年かけてチームを作ろうとしているのだ。
実際にそれで、プロに行った選手も少なくない。
これまた野球ではなく、ヨーロッパのクラブチームの監督の言葉である。
手塩にかけた選手が、たったの二年と半年弱で、チームから出て行ってしまうのは耐えられない。
なので明倫館のように、シニアと強いコネクションを持つというのも、いい手段ではあるのだろう。
かといってシニア組だけでチームを作るわけではなく、直史が高く評価していたキャッチャーの村田などは、同じ山口県でも全く違うチームからやってきた。
今はもう本当に素質のある選手となると、プロのスカウトが中学時代から目をつけている、というのも珍しいことではない。
これはやはり昔と違って、技術の拡散とネット環境が整ったということもあるのだろう。
一時期の逆指名時代など、大学と社会人に限ってはいたが、実弾がものすごい勢いで飛び交っていたらしい。
さすがに今ではそういうことはなくなった。
強行指名などで、とにかく指名してからあとは交渉ということがあったので、プロ志望届というものも発明された。
だがドラフトについては一時期、MLBから圧力があったとも聞く。
もっとも今では、まずNPBで育てて実績を残してから、MLBに来てもらうというルートが一般化しているが。
現在の高校野球に関しては、野球留学というのが一般的になっている。
もう随分と前からそうだとも言われるが、たとえば千葉からであっても、関西や東北、果てに北海道や九州の高校に進むチームもなくはない。
直史は郷土愛が強いので、あまりそういうチームを応援したいとは思わない。
だがよく考えてみれば、白富東の黄金時代は、公立校であるにもかかわらず、県外出身者が中核選手として存在した。
たとえば大介などは、ソウルは完全に千葉のように思えるが、正確には東京出身である。
野球留学ではないが、引越しによって母方の実家に戻ってきたのであるから。
またその次の年なども、アレクはブラジルからの留学生。
一応は日系人ではあったが、メンタルはラテンに近い。
そしてそのまた翌年は、宮城県から淳が入ってきているし、トニーや文哲という留学生もいた。
セイバーがそのコネクションを利用して、送り込んできた傭兵である。
もちろん本人たちにその意思があり、アレク以外はプロの道には進まなかったが。
あとは大介と同じパターンなら、悟などもそうであった。
白富東の話ではないが、三里の古田も転校して甲子園に出場している。
おそらく公立校が甲子園に行くには、なにかしらそういった運命の作用が必要なのだろう。
私立はそれを、スカウトの獲得でやっている。
もしもセイバーの提案を受けたら、アメリカから監督だけではなく、コーチや留学生も送り込んでくるのではないか。
それを話したところ、瑞希は頷いた。
「充分すぎるほどありうる話だと思う」
「やっぱり最後は、コネと資金力か」
言われなくても当たり前のことではある。
セイバーは紹介したからには、バックアップも本格的にやってくるだろう。
単純に送り込んだだけでは、今の施設の老朽化をどうにかしなければ、最新の理論を持ってきてもどうしようもない。
合理的にだけ考えるなら、そちらの選択の方が正解であると思う。
だが不合理の中から、結果がついてくるということもあるはずだ。
そもそもの話をするなら、直史がこの話を進めることに、問題があるとも言える。
確かに誰だって、優れた指導者の下で技術を磨きたいのは当たり前だ。
そして白富東は野球部研究班があるため、技術を正しく理解し、選手にフィードバックする土壌もある。
ただそういったことをするにしても、監督まではやらなくてもいいのでは、という気持ちもある。
上手くなるための指導と、勝つための采配は違う。
これは間違いなく確かなことだ。
最終的には直史が決めることではない。
ただここまでに、随分と動きすぎてしまったかな、とも思っている。
星が監督を了解してくれたとしても、コーチとして招聘できるなら、と考えるのは都合がよすぎるだろうか。
もっとも両方が来てくれるなら、星には部長をやってもらう、という選択もあるであろうが。
ただどちらにしろ、直史が動きすぎだ。
「野球部に口出しする、たちの悪いOBにはなりたくないな」
本人が気をつけたとしても、直史では影響力が強すぎることだけは、確かだと言えよう。
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