第75話 集合

 雪が降ったが積もることはなかった。 

 元々千葉は関東でも温暖で、積雪量は東京よりも少ないぐらいだ。

 それでも佐藤家の辺りは、年に一度くらいは数cmは積もる。

 直史の知る限りでは子供の頃に二度ほど、雪かきが必要なぐらいには積もったものである。


 この周辺は年々、そういった大雪は少なくなっている。

 亡くなった祖父がうんと子供の頃、一度だけ腰ほどまで雪が積もったことはあるらしいが。

 カリフォルニアほどではないが、ニューヨークに比べればずっと暖かな千葉。

 だが大介も武史も、冬季にニューヨークにいることはない。

 なので子供たちも、冬の寒さはここであると記憶するのかもしれない。


 武史もクリスマス前には実家に戻ってきたが、来年あたりはヨーロッパに行ってみたいらしい。

 恵美理に合わせると言うよりは、武史自身の自己主張があまりないのであろう。

 直史や大介と違って、ライバルらしいライバルを持たない。

 好敵手に出会わなかったと言うよりも、単純に競い合うという意識が薄いのだ。

 それは野球だけではなく、人生全体に満ちていると言ってもいい。

 本人は天然に、好きな方を選んでいるのではあるが。


 クリスマスプレゼントを買うために、千葉市内にまで繰り出す親たち。

 武史の場合は日本で手に入らない物があったため、急遽アメリカから空輸で送ってもらったりもしたらしい。

 こういう時は金があるといいな、と思うものらしい。

 そしてクリスマスともなると、恵美理が大活躍である。

 元は離れの方にあった、直史のピアノを母屋の方に持ってきている。

 なんと小さなコンサート会場になってしまうのだ。


 直史はもうさすがに、まともにピアノを弾けはしない。

 そもそも恵美理は聞いただけで、普通にピアノとして弾けるようになるし、アレンジまでしてしまえる。

 作曲に編曲までは、ピアノであればおおよそ簡単に出来る。

 伊達に音楽大学は出ていないのだ。




 クリスマス後、裁判所などが閉まるまでに、直史と瑞希は最後の仕事を片付ける。

 この間、子供たちは家ではなく、実家の方に預けてある。

 なにしろあちらは、同じ子供たちがあふれている。

 武史の長男である司朗が一番年上で、どうやら印象としては直史に似ているらしい。

 確かにあちらも長男であるし、母方には従兄弟はおらず、父方の従兄弟の中では最年長で、妹も二人いる。

 こんな状況であれば、お兄ちゃんにもなるであろう。


 大介のところの昇馬はかなり野生児っぽくて下の面倒を見るというタイプではないし、直史のところの真琴も女の子だがアクティブだ。

 むしろまだ小さいが、明史こそ直史の子供の頃に似ている、などと両親や祖母は言ったりする。

 ただ生まれつきあまり体が強くなく、体力もないというのは仕方がない。

 男の子は母親から運動能力が遺伝する、という説がある程度は当てはまるのかもしれない。

 もっとも佐藤家の両親は、それほど運動神経が突出していたわけではなく、祖父母あたりからの隔世遺伝では、とも思われる。


 直史と瑞希が合流すると、これで一族の近しいところは集合だ。

 実のところ直史の父方の兄弟だけでも、淳のように従兄弟はいる。

 だがそちらはそちらで家があるので、毎年やってくるというわけではない。

 ただ淳の場合は、奥さんが東京の出でもあるので、正月を過ぎたあたりに少し、こちらに顔を出すことは多い。

 一応はまだ養子だが兄弟ではあるのだから。




 年末、今年一年のニュースなどが流れる。

「おとーさんだ」

 真琴の言葉通り、直史の引退試合が、年末のニュースで流れていた。

 実のところこの兄弟たちには、年末年始の仕事の依頼なども入っていた。

 だが直史は断ったし、大介も野球以外のことに出るのは消極的だ。

 武史なども今年もタイトルを取ったのだから、それこそ知名度では差もないであろうに。


 しかしそこは武史も、直史の弟といったところだろうか。

 自分のやるべき仕事しかしない。

 単純にマイペースであるため、テレビに映ることなどに今更価値を見出さない。

 そもそものギャラにしても、既に新しい契約で、とんでもない年俸が入ることになっている。

 もっとも将来的に日本に帰って来た時のために、顔をつなぐことは悪くはないだろう。

 それでも年末年始のこの時期には、家族で過ごすことを選んだだけで。


 まだ目が離せない年頃の子供たちは、夫婦と同じ部屋で。

 ある程度の年齢となれば、一緒にまとめた部屋に布団を並べる。

 普段とは違う経験に、子供たちは密かに興奮している。

 直史たちとしては当たり前のことであったが、恵美理などはかなりのカルチャーショックを受けていたものだ。

 大介はずっと、母親と一緒のワンルームで中学時代までは過ごしたため、そこまでの違和感はないのだが。


 やがて大掃除も終わる。

 こういうところでは男衆の出番である。

 去年まではそれを差配していた、祖父がもういない。

 それを寂しいと感じるのは、もちろん当たり前のことである。

 人は死ぬのだ。

 大介も高校時代に祖父を亡くしたし、ニューヨークでイリヤを失った。

 年賀状は書かないが、喪中葉書は当然それ以前に投函してある。

 やがて大晦日がやってくる。




 離れの両親も母屋にやってきて、大晦日を迎える。

 祖母と母が中心となり、ここまでにしっかりとおせち料理は作ってある。

 力が要るような作業であっても、そこはツインズの出番である。

 もっとも腕力というのなら、恵美理もそれなりにはある。

 非力なのは瑞希だけである。


 まめに働くように黒豆、喜ぶために昆布巻き。

 おせちには色々な意味をこめて、様々な食材が使われている。

 佐藤家のおせちは伝統的と言いたいところであるが、実際には冷蔵庫や輸送の発達するまでは、食材も限られたものであったのだ。

 本格的に今のようなおせちになったのは、昭和も後半になってからである。


 夜になれば紅白歌合戦であるが、ここでチャンネルの取り合いが起こるため、離れからテレビを持ってきたり、マンションのテレビを一時的に持ってきたりもする。

 またネットによる配信であれば、ノートパソコンを使えば、配信は充分に見れるのだ。

「モニターも持ってきて良かった」

 紅白を見る間にも、年末の番組に飽きる子供たちはいる。

 大人になれば、と言うかこの空気の中だと、普通に紅白を楽しめるのだが。


 ただここで恵美理にまた、紅白の歌を歌って、という無茶振りが来る。

 彼女は確かに音大出であるが、声楽は専門ではないのである。

 むしろ歌うのならば、ツインズの方が本職である。

 アイドルのフリを一発で憶えてしまって、子供たちからはお姫様扱いである。

 この二人としては、むしろ女王なのであろうが。


「椿の足、かなり治ってきてるんだな」

「そうだな。でもやっぱり、完全に元通りにはならないそうだ」

 イリヤ暗殺に巻き込まれた椿は、一時はほとんど片足が動かなかった。

 骨が砕かれたということもあるが、神経の断裂の方が問題であったのだ。

 神経もまた、ほんの少しずつではあるが修復される。

 一応はつないだものの、長いリハビリが必要であった。

 そして、妊娠してバランスを崩しても、どうにか耐えられると判断したからこそ、二人目を生んだわけである。


「伊里野だとややこしいな。花音はもう楽器とかはやらしてるのか?」

 イリヤの残した娘、白石・イリヤ・花音は普段、本来ならミドルネームの花音で呼ばれることが多い。

 一応は日本の戸籍では、白石伊里野が本名なのだが。

「まだ五歳だけど、ピアノはちょくちょく触らせてるな。あとはギターとか」

「ギター? ひょっとしてケイティあたりが教えたりしてるのか?」

「いや、嫁さんたちが」

「そういや弾けたか」

 ツインズは本当に、ほとんどのことは何をしても、一流にこなしてしまう。

 それでも通用しない超一流が、身の回りにいたことは人生の上において幸福であったのだろう。


 門前の小僧、習わぬ経を読む。

 白石家にはそれなりに、音楽が生活にあふれているらしい。

「母親の才能を感じるよ」

 大介の声には、どこか苦いものが混じっている。




 直史も大介も、自分たちの人生が、ある程度はレールに乗っていることは分かっている。

 しかしここから気になるのは、子供たちがどう成長していくかということだ。

 その点、武史のところでは、司朗は音楽の英才教育を受けていると言っていい。

 もっとも強制にならない程度に、恵美理が自身で教えているのだが。


 かつて直史たちも小学校の頃は、習い事を一人一つはしていたものだ。

 特にツインズなどは、バレエの教師からかなり熱烈に続けるように勧誘を受けた。

 もっともあの二人は、そういったことに興味を持たなかった。

 だいたいどんなことも、やってみれば100倍の早さで上手くなる。

 周囲を挫折させる存在であったのは確かだ。


 そんな天才性は、子供たちにも受け継がれているのか。

 少なくとも昇馬は、運動神経はかなり良さそうではある。

 また真琴も運動神経はだいたい高い。

 生まれた時が嘘のように、今はもう元気である。


 明史などは性格が瑞希に似ているのだろう。

 いや嗜好が似ているだけで、性格は直史に似ているのかもしれないが。

 インドア派であり、本を読んでいることが多い。

 そもそも生まれつき、かなり疲れやすい体質であるのは間違いない。

 それはそれで悪いことではないのだ。

 別に全ての人間が、運動に優れている必要があるわけでもない。




 除夜の鐘の音が、遠くから聞こえる。

 そして紅白も終わりに近づいてくる。

 夜更かしに興奮していた子供たちも、早めに疲れて眠ってしまっている。

 ここからは大人たちの時間だ。


 コタツに足を突っ込んで、ごろりと転がっている駄目駄目な光景。

 恵美理は当初、こんな姿には戸惑いを覚えていたものである。

 瑞希としてもなんだかテレビで見たような、昭和的な懐かしさを感じる。

 もちろん彼女は、本当の昭和の時代など知らないのだが。


 撃沈した子供たちを、それぞれ布団へと運んでいく。

 ずらりと並んだ布団の光景は、まるで合宿か何かのようだ。

 高校時代の野球部での合宿を思い出す。

 全ては遠い昔のことである。

「お、年が明けた」

 これまたテレビで、年明けの挨拶などが成されている。

「明けましておめでとうございます」

「おめでとうございます」

 去年は悲しい別れがあったが、今年は何事もなく過ぎてくれるといい。

 ただ時の流れというものは、必ず別れをもたらすものだ。

 新しい一年がやってきた。




 親は子供の成長を見て、己の青春を追体験していく。

 特に小学校に上がるあたりからは、それを強く感じる。

 これまで直史は、シーズン中はアメリカで、オフには日本でという生活を続けてきた。

 だが真琴はこれからずっと、日本で暮らしていく。

 父親の職業からして、転勤などもすることはない。

 ずっとこの千葉で生きていくのだ。


 これまでずっと、直史の仕事の都合で日米を、何度も移動してきた子供たち。

 大介と武史の場合は、まだまだそんな生活が続いていく。

 子供たちのことを思えば、環境がコロコロ変わるのはあまり良くないのだが、二人の場合はニューヨークとこの千葉ばかりである。

 武史は東京にいることも多く、子供たちは恵美理の実家から東京の学校に通うことが多い。

 実質もう、婿入りしているようなものである。


 アナハイムに戻りたいか、と直史は真琴に尋ねたことがある。

 ここでもある程度、親の地位でカーストは形成される。

 また西海岸では比較的マシだが、アジア人は差別される傾向にある。

 そういった危険がないように、直史と瑞希は注意して環境を用意した。


 帰国子女的に、真琴は周囲とは少し常識がずれている。

 ただオフには日本に戻っていたので、それほど極端に違うということもない。

 せっかくアメリカにいたのに、英語はあまり身につかなかったが、代わりにインターナショナルスクールでは、片言ながら色々な言語を学んだらしい。

 そういったものは日本での暮らしが続いていくうちに、忘れていってしまうものかもしれないが。




 子供たちによい体験をさせるのも、親の役目である。

 そしてよい体験というのは、別に上流階級の体験というわけではない。

 こうやって年末年始を過ごし、初詣に向かう。

 これもまた、昨今では珍しくなってきた、得がたい体験ではあるのだ。


 それなりに過疎地の田舎ではあるが、初詣ともなればご近所さんとも出会う。

 結婚以来佐藤家の人間は、だいたい年末年始はこの実家で過ごす。

 いくら直史たちが有名になっても、それほど大騒ぎをしないのが、この田舎のいいところであろうか。

 甲子園の頃の方が、むしろ応援は大きかったであろう。

 MLBともなると世界が違いすぎて、すごさが伝わらない。


 中には直史と、仕事の上での付き合いがある人間もいる。

 そういった人間とは、今年もよろしくと言っていくのだ。

 願い事は、今年は皆健康に過ごせますように。

 それ以上を求めるのは、贅沢というものだろう。


 家に帰ると、年末に作った餅を食べていく。 

 お雑煮に加えて、そしておせちの登場だ。

 子供たちはよく食べる。

 味付けは色々と用意していたので、そうそう飽きることはないだろう。

 そしてこの正月は、直史も珍しく酒を飲む。

 日本酒を飲んでいると、ビールに比べても酔わないのである。


 子供たちにとって正月の一番の楽しみは、お年玉であろう。

 もっとも小学生入学前の子供には、まだ渡さない。

 お金の使い方は、子供の頃からしっかりと考えておくべきであろう。

 このあたり直史は、金の使い方に関しては保守的だ。

 投機的なことには、使うことはない。




 正月も三が日が終わる頃までに、あちこちから親戚がやってくる。

 だいたいこのあたりには、曽祖父やその前の代に分かれた「佐藤」が多いのである。

 なので佐藤ではなく、その当主の名前で家が言われることがある。

 淳も妻の葵を連れて、子供たちとともにやってきた。

 時期的に葬儀に参加できなかったため、昨年が祖父との最後の時間になってしまった。

 あまりにも急であった、というしかない。


 淳は化物じみた義兄たちに比べると、まともな成績をプロで残している。

 ここ八年間はほぼ先発で、規定投球回をクリアしている。

 おそらく引退までに、勝ち星は100を超えていくだろう。

 アンダースローであるので、体をしっかりメンテしておけば、肩や肘の勤続疲労はあまりないのだ。


 タイトル争いを毎年するような、傑出した成績を残しているわけではない。

 だが先発のローテをしっかりと守り、20試合以上も先発で毎年投げている。

 こんな貢献をしていれば、自然と年俸も上がっていく。

 ただ淳の場合は、夫婦共働きなどをしているわけだが。

 厳密に言えば四人の義兄弟は、全員嫁さんも仕事をしている。


 直史の現役期間は、たったの七年であった。

 それも大卒からしばらくのブランクを空けての七年。

 だがその年数で、200勝に到達した。

 名球会入りは権利と言うよりも、むしろ依頼になったものだ。

 なにしろ現役弁護士がいるのだから、色々と便利と考えたのだろう。


 名球会は一時期、その会計の不明瞭さで叩かれたこともあったものだ。

 そもそもヒットの数はともかく勝ち星は、味方の守備や打撃の援護がなければ伸びないものである。

 もしも勝ち星だけでピッチャーの価値が決まるというなら、おそらくデグロムさんは泣いてしまうだろう。

 ピッチャーの価値は基本的に、防御率や奪三振率、あとは投球イニングで決めた方が、実地には即している。

 セーブ数はそれなりに、正しい評価になるだろうが。

 残るプロ生活がどれだけなのか。

 それを考える年齢になってきていた。



×××



 本日はパラレルも更新しています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る