第74話 冬の気配

 いよいよ完全な野球のオフシーズンである。

 南半球であったり、中米のリーグであったりすると、この時期が盛り上がるのであるが。

 ただしプロにとってオフシーズンというのは、調整と新たなる飛躍への準備期間でしかない。

 あるいはベテランになれば、ここでしっかりとフィジカルとテクニックを維持しなければいけない。


 佐藤家の本家においては、主に大介が山に入っていた。

 直史も週末はそこそこやってくるが、大介はこの時期、ある意味暇である。

 葉の落ちた木々を、上手く間伐していく。

 この山道を歩いていくというのは、うっかり足を踏み外せば、怪我につながることは間違いない。

 だが同時に舗装されていない道を歩くというのは、足腰にいい感じの負荷をかけるものでもあるのだ。


 最新の設備で、正しい姿勢でもって、トレーニングを行う。

 それもある程度の正しさはあるだろうが、大介には合わないし、直史にも合わなかった。

 そもそも普通のトレーニングだけでは、普通ではないホームランを量産は出来ない。

 今年69本しかホームランを打っていない大介は、MVPを獲得したものの、来年以降の活躍に不安が残る。

 不安になっているのは周囲ばかりであるようだが。




 本日は直史も一緒に、山歩きである。

 加えて直史の大叔父も、ライフルを担いで山に入っている。

 ちなみに直史も猟銃免許を既に取っていたりする。

 まだライフルは持てないので、猪などを撃つのは難しいのだが。

「ここいらもキョンが出てるからな」

 キョンというのはシカ系の外来種である害獣だ。

 主に千葉の南部に生息しているのだが、撃っても取れる肉の量が少ないので、あまり美味しい獲物ではない。

 ただ害獣ではあるので、それなりに積極的には撃っていく。


 この周辺でも、農作物の被害を最大に与えるのは、猪である。

 また猪は要するに豚の近縁種なので、肉などもそれなりに取れる。

 あとは鹿もジビエとしてそれなりに需要があるが、こちらも直史の猟銃ではなかなか、一発でしとめるのは難しい。

 ライフルなら一発なのだが、よほどいいところに当てないと、やがて死ぬにしても逃げられてしまうのだ。

 もっとも直史は、野球と同じ要領なのか、狙撃はやたらと上手かったりする。


 猟銃を担いで痕跡をたどる忍び猟は、効率だけを考えたらあまりよくはない。

 罠猟と組み合わせて獲物を狩るのが、それなりの収入につなげるコツである。

 もっともかつてマタギと呼ばれたような、狩猟だけで生計を立てる者は、現在ではいなくなっている。

 だいたい農家が、害獣駆除のために免許を取り、ついでに狩猟もやっているというパターンが多い。

 なお完全な害獣駆除の場合は、免許がなくても罠の設置が許される場合がある。

(都道府県によります。各自治体にお問い合わせください)


 大介は今回、荷物の運搬係である。

 東京の田舎の方といっても、ここまで山の中ではない場所で育ったのが大介だ。

 野生児のイメージが勝手についているが、基本的には直史の方が、よほど田舎の生活などには慣れている。

 ただ川に釣りに行って、それなりに釣りの腕前は上げたらしい。

 直史の場合はここでも効率優先で、罠で魚も取っていたものだが。




 本日の成果は、鳥が二羽に鹿が一頭。

 鳥を撃ったのは直史である。

 この鹿の方は、重量があったので内臓処理と血抜きだけはその場で行った。

 水場が近ければもっと良かったのだが、そこは運が悪かった。

 内臓も本当に食べられる肝臓辺りのみを切り取る。

 寄生虫が怖いので、野生の生物は絶対に生で食べてはいけない。

 ……自己責任で半生で食べて、入院する人間はいたりする。


 大介がいるとツインズに加えて、子供が七人もいるため、実家が騒がしくなる。

 だが連れ合いを亡くした祖母にとっては、この騒がしさがありがたいようであった。

 ツインズはアレではあるが、子供はそれなりにしっかりと躾けている。

 なので祖母は遠慮なく、曾孫たちを甘やかしていたりする。


 獲ったばかりの肉というのは、まだ熟成が進んでいなかったりする。

 だがジビエの肉というのは、そう簡単に上手く熟成させられるわけではない。

 本日は離れから両親も呼んで、母屋にて鹿肉パーティー。

 鹿の肉はあっさりとしているので、子供でも普通に柔らかく食べられる。

 もちろんこちらも寄生虫が怖いので、しっかりとは焼いている。


 鳥の方は実は処理が厄介で、羽をむしる必要がある。

 ある程度までむしったら、細かなところは焼いてしまうのだ。

 マガモはちょっと癖があるので、大人の肴となっている。

 大介は飲まないが、直史はビールを飲んでいる。

 瑞希もちょっとだけ付き合っては飲んでいる。


 こういう時にどれだけ節制するかでも、選手寿命は変わるだろう。

 大介はほろ酔いぐらいで済むように、あまりビールは飲まなかった。

 直史は日本酒ならいくらでもいけるのだが、ビールはそれほどたくさん飲めるわけではない。

 それでも週末であるから特別ということで、今日はある程度酔うぐらいまで飲んだのであった。




 大介はこんな場所であっても、バットを振ることは忘れない。

 とにかく他のトレーニングは出来なくても、バットさえあれば素振りは出来る。

 こんな場所であっても、子供たちは遊ぶことが出来る。

 それこそプラスチックバットとゴムボールがあれば、ピッチャーとバッターは出来るのだ。


 ランナーはなしで、順番にバッターとピッチャーをやっていく。

 真琴も昇馬も右利きであるが、ボールを投げるのは左に矯正した。

 もしも本格的に将来やっていくとしたら、左利きの方が有利であるからだ。

 ただしそれは、ピッチャーをやる場合に限る。


 基本的に左利きは、内野はファーストしか守れない。

 武史がサードの守備に就いていた場合、右用のグラブを使っていたのからしても、そのわずかな有利不利が分かるだろう。

 だがそれは武史が、最初からそういうやり方をしていたからだ。

 普通は左利きに、右でも投げられるようにして、ファースト以外の内野などやらせない。

 どうしても内野がいない場合は、仕方がないからそのまま左で投げさせる。


 ただここにいるのは幸いなことに、世界一のピッチャーとバッターである。

 なので投げるのも、右や左でやらせて、打つのもスイッチでやらせる。

 さすがに本格的にやり始めれば、どちらかに統一することにはなるだろう。

 だがここでは、せっかく最初なのだから、両方でやらせてみる。

 スイッチバッターはともかく、スイッチピッチャーの育成に成功すれば、それはもうマンガである。

 ただ子供たち相手に投げる場合、直史が左で投げても、それを打つのはほぼ不可能である。




 そんな中での一番のガチンコ勝負。

 直史と大介の対決であるが、普段とは境遇が逆転する。

 直史がバッターボックスに入り、大介がマウンド代わりのポジションへ。

 実際のマウンドと違い、地面が盛り上がっていないので、むしろ打つのは難しい。


 直史はNPB以来の木製バットを持って、右打席へ。

 それに対して大介は、軟式球を使う。

 サイドスロー気味に投げるボールは、相変わらず150km/hほどは出ているのではないか。

 直史のスイングは、なんとかそれを当てることだけは出来る。


「お前、バッターで復帰したらどうだ?」

「そんな本田家の血筋みたいなことはしない」

 完全に野手投げの大介のボールだが、ストレートだけなので何とか当たる。

 しかしだいたいは内野フライに終わってしまう。

 サイドスロー気味に、ファーストに向かって投げる感覚であると、上手くストライクゾーンの高めに決まるのだ。

 それがホップしているように見える。


 当然ながら子供たちの目には、とんでもないスピードボールに見える。

 自分たちであれば絶対に当てられないようなボール。

 ただ直史も手加減しても、100km/h以上は出してしまう。

 まだリトルにも入らない年齢の子供に、これは打てるわけがない。


 ゴムボールによるピッチングというのは、これはこれで面白い。

 ボールが軽いだけに、スピンをかけると変に曲がりすぎるのだ。

 直史が抜かずにスピンをかける要領でやったカーブなどは、ぷるぷるとまるでナックルのように揺れていた。

 おそらくゴムボールの縫い目が空気をこするために、小刻みに動くからだろう。


 動体視力の訓練のために、卓球のピンポン玉を使った練習などもやったりした。

 ピンポン玉というのは実は、投げればものすごい変化がつけられる。

 軽いので空気抵抗に弱く、これまたスピンで大きく変化する。

 ちょっと木材を加工してテーブルを作れば、卓球台の完成である。

 



「ほう、卓球か」

 大人気ない実力者が、この場に参戦する。

 直史の父である。

 実は日本は一時期、卓球大国であったという歴史を持つ。

 ほぼ同時期に、世界チャンピオンが三人もいたのである。

 ただその活躍も、直史の父の生まれる前の話。

 世間一般で卓球大国というと、やはり中国であるだろう。

 実際に中国から日本に帰化して、無双した卓球選手などもいる。


 直史の頃にはもう、中学には卓球部はなかった。

 だがその父の代には、まだ卓球部があったのである。

 体育館ほどの広さがなくても楽しめる、温泉宿でも対決できる卓球。

 まあかつて使ったラケットを、お下がりで使わせてもらっているわけだが。


 週末はともかく平日は、直史も毎日は実家に帰ってこれない。

 なので大介と、直史の父の対決が卓球でなされる。

 もういい年なのに、強いのである。

「お義父さん、強いっすね」

「けど、勝てるのは最初だけだね」

 10分ほどすると、足がついていかなくなるのだ。

 そしてスピンをかけたボールに、大介が対応してきたりする。


 野球でも初心者バッターは、変化球に手が出ないことが多い。

 卓球でもそうらしいが、大介はとにかく別格だ。

 すると対戦相手が、桜に変わったりするわけである。

「佐藤家最強の力、見るがいい」 

 そして愛する夫を完封してしまったりする。


 単純にあらゆるスポーツへの適性の高いさでは、直史や大介より、また同じ女でも明日美より、ツインズは高い。

 思えば高校時代、ほとんど野球など直史の手伝いぐらいしかしていなかったのに、鬼塚をフルボッコにしていたのだ。

 そして椿の後遺症が残る今、最強の競技者は桜であるのかもしれない。

 佐藤家の平和な平日の出来事であった。




 大介は遊びながらトレーニングもする。

 基本的に楽しむことこそ、上達のための最適解である。

 もっともネガティブな要素も、大きな原動力となる場合はある。

 それは誰かに勝ちたい、という感情だ。


 喜びはそれなりに忘れるが、恨みや憎しみを忘れるのは難しい。

 なぜなら人間は根本的に、生きるために勝たなければいけない生き物だからである。

 これが一番実感されたのは、おそらく高校二年の春から夏。

 大阪光陰に負けたことによって、むしろその後の飛躍につながった。


 大介にとっては、恨みや憎しみこそないが、勝ちたいと思う相手がずっといた。

 それは上杉であり、そして直史であった。

 今年の成績が去年よりも落ちたのは、モチベーションの低下ということは確かにあるのかもしれない。

 競技は違うがマイケル・ジョーダンなども一度、モチベーションの低下で引退している。


 MLBでは今、大介に比肩するバッターはいない。

 ブリアンが二番目と言われているが、単独二位ではあっても、大介との差はまだ大きい。

 もっともMLBは巨大な構造であるので、下部組織からよく打つバッターはそれなりに上がってきている。

 いずれは大介を追ってくるバッターが、他にも出現するだろう。


 ただ競争するバッターはともかく、対決するピッチャーはどうなのか。

 武史の契約はまだ決まっていない。

 ラッキーズからのオファーはあったが、代理人がそれなりに粘っているのだ。

 もっとも武史は、本来のスペックだけなら、確かに大介ともいい勝負が出来るはずではある。

 しかし武史本人が、大介を回避して他を打ち取ればいい、と明確に考えているので、闘争心が刺激されないのだ。


 直史の持っていた、静寂の中に高速で回転する制止したようにも見えるそれ。

 そういった氷のような冷たささえ、他のピッチャーには感じない。

 パワーで単純に勝負してくるなら、ミスショットしなければスタンドに持っていける。

 ただNPBからもどんどんと超一流ピッチャーがやってくるので、やはり層の暑いMLBのピッチャーには期待するのだ。




 卓球トレーニングは意外なほど、面白いなと大介は思った。

 なにしろ使う道具が軽量であるため、瞬発力を重要視する。

 もっとも小手先の器用さが、野球よりも複雑なため、あまりこちらにばかり傾注していると、野球の方が下手になってしまうかもしれない。

 そんな大介は今年、餅つきのための臼と杵を蔵から出すのを手伝ったりしている。

 直史がもう完全に野球から引退したので、こういった節目には日本らしいことを全開でやるつもりなのだ。


 師走というのは年末年始が役所が閉まるため、直史などは忙しくなる。

 そのため大介が、仕事納めまでは実家の方で、正月の手伝いなどをしている。

 なんだかもう、こちらが大介の実家のような感じになっている。

 別にそれでも、構わないと直史やその家族も思っているのだが。


 そんな大介に対し、武史は神崎家の方に長く逗留している。

 あちらは恵美理の父が、クリスマス前からヨーロッパに向かうので、それまでは一緒に過ごそうという考えであるらしい。

 長男として育てられた直史よりも、好き放題に育った次男の方を、両親はどちらかというと気に入っているのだが、世の中は上手くいかないものである。

 もっとも親にとって見れば、結局自分たちには関係なく、元気でやってくれているのが、一番いいことだと思うのだが。


 そして武史の契約が、海の向こうでようやく決まった。

 ラッキーズとの七年三億5000万ドル。他に年間最大500万ドルのインセンティブ。

 今年33歳になった武史に対しては、相当の大型契約である。


 武史のようなパワーピッチャーは、30代となると途端に球威が落ち、パフォーマンスが悪化するということがある。

 だが33歳の時点でその衰えの兆候が見えないことから、40歳までの契約がまとまったわけである。

 正直なところ武史は、そんなに長くMLBで投げるのか、と意外な評価だと思った。

 代理人は本当に、よくやってくれたものだ。

 ただ契約は七年契約と言っても、最初の三年が特に高く設定してある。

 残りの四年分は、それほど期待はしていないということか。


 それなら別に五年ぐらいの契約でも良かったのにな、とアメリカの生活が特に好みなわけでもない武史は思った。

 だがそれが望みであるならば、先に代理人にでも言っておくべきであろう。

 他の条件の、全球団へのトレード拒否権は確定している。

 マイナーに落とさない、という契約は武史は入れていない。

 

 40歳までプレイするというのか。

 確かにここまで、大きな故障があまりない武史であるが、勤続疲労はたまっていてもおかしくない。

 それに対してこの金額は、メトロズに取られたニューヨークの人気を、取り戻したいという意図もあるのであろう。

 ラッキーズとメトロズであれば、サブウェイシリーズでの対戦も存在する。

 サイ・ヤング投手とホームラン王の対決は、上辺の事情だけを知る者からすれば、ぜひ見たい対決になるであろう。


 大介は今のところ、37歳まではメトロズとの契約が残っている。

 サブウェイシリーズで、この二人の対決が見られる。

 それはニューヨークの二つのチームにとって、悪いことではないと思うのだった。

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