第71話 プロ志望

 中学軟式出身のその投手は、刑部という少年であった。

 今時のプロを目指すような選手は、中学から既にシニアに入っている、という見方もないではない。

 だが中学時点で硬式野球をするのは、マイナスもあるのだ。

 純粋にボールの重さなどにより、身体への負担は大きく変わる。

 成長期の中学生には、このわずかな負荷の違いが故障につながることもある。

 また無理にシニアの強豪に預けることは、この時点で既に激烈な競争に飛び込むことにもなる。 

 それで納得出来るなら、それもいいのかもしれないが。


 まだ中学生の彼が、進学先と決定してもいない、白富東の練習に混じるのは問題がある。

 実際に以前に見学しに来た時には、本当に見学だけであったのだ。

 だが直史はあくまでも、外部のボランティアのコーチ。

 なので中学生に何かを教えても、問題はない。

 しかし完全に進路が決まったわけでもない生徒を、こんなに早くから教えてもいいのか、という気持ちもある。


「よろしくお願いします」

 ペコリと頭を下げる刑部は、キラキラと言うよりはギラギラとした輝きを、その目に宿していた。

 ここから二人が発する言葉を、一つも聞き逃すまいとするように。

「プロ志望だって?」

「はい」

「甲子園に行きたい?」

「出来れば」

「どちらかを取るとしたら、どちらを取る?」

「……これは、二者択一じゃないと思います」

「ほう、どうして?」

「プロに行くのは個人の力ですけど、甲子園に行くのはチームの力ですから」

「ふむ」

「ナオ、こいつ少なくとも頭はいいぞ」

「そうだな」

 ピッチャーが一点しか取られなくても、味方が一点も取られなければ負ける。

 それが野球というスポーツなのだ。

「白富東に入学するだけの学力はあるのかな? それとも体育科を目指してる?」

「俺らの時は、まだそんなもんなかったもんなあ」

 よくもまあ、あの時だけは大介も、頑張って合格が出来たものである。

 正直後のありとあらゆる記録よりも、その事実一つの方が、奇跡と呼ぶべきものかもしれない。

「一時期ほどの無茶な倍率じゃないんで、大丈夫だと思います」

 センバツ初出場が決まったので、武史は苦労したのだ。ツインズは余裕であったが。


 スポーツ推薦が出来たのは、それから二年後のことである。

 あれがなければ、悟は入学出来なかっただろう。

 セイバーの遺産を完全に維持することが出来なくなり、コーチもかなりOBのボランティアに頼っている。

 ただそれでも練習内容や選手の素質を見れば、充分に勝ち上がっていっているとは思える。

「今の身長と体重は?」

「168cmで59kgです」

「一年間でどれぐらい伸びて増えたかな?」

「……身長はだいたい5cmで、体重も5kgぐらいかと」

「まだ成長期?」

「はい。今が一番伸びてるかと」

「お父さんとお母さんの身長は?」

「え、お父さんは170ちょいぐらいで、お母さんは160ぐらいかなあ」

「お母さんは若い頃、何かスポーツをやってたりした?」

「確かバレーボールを」

「なあナオ、この質問、何か意味あんのか?」

 必死で答える刑部ではなく、大介の方から突っ込みが入った。

 もちろんある。

「成長期が終わってるか途中なのか、また今後の体格がどうなるか、それを見据えて指導はしないといけないだろ」

「なるほど確かにそうか。セイバーさんもやってたな」

 なお運動神経などは、女親から遺伝する可能性が高い、という説もあったりする。




 直史による質疑応答は、それからもしばらく続いた。

 一度だけ口を出した大介であるが、あとは刑部を見ているだけ。

 ただそれだけでも、最低限には達しているな、とは思った。

 対面して話している直史に視線をやっていて、大介が口を出したとき以外は、その視線が逸れることがない。

 つまり目の前の言葉に集中しているというわけだ。


 集中力は凡人と天才を分ける、明確な基準だと大介は信じている。

 実際に野球のバッティングなど、ピッチャーがセットポジションに入ってから、わずか数秒の勝負なのである。

 攻撃時は塁に出れば進塁のため、守備時は打球処理のため、短時間の集中を何度も必要とする。

 野球が瞬発力のスポーツというのは、何も肉体的な素質だけではない。


 刑部は四人兄弟の長男で、そのあたり直史と似ている。

 現代日本では四人兄弟というのは、かなり多めの子沢山である。

 大介の七人には、到底及ばないが。

 貧乏というわけではないが、さほど裕福とも言えない刑部は、周囲の人間のお下がりの品をもらって、野球を始めた。

 そして少なくとも中学軟式までは、それなりの結果を残せたのだ。


 家の経済状況を考えるなら、公立校から公立大学へ、しかも出来れば地元の大学へ、というのが選択の第一となる。

 どうにか奨学金で、大学に行くぐらいは出来るだろうと計算しているのだ。

「自前でそこまで計算できているなら、それだけで半分、人生は成功したようなもんだな」

 直史としてはそう言うが、実際にはここまで、成功の道を踏み外してはいない、といったところであろうか。

 おおよその対話を終えて、いよいよその技術面での指導に入る。

「まずはキャッチボールから始めようか」

 レジェンドとのキャッチボールを前にしても、刑部の目の輝きが失われることはなかった。

 



 フォームを見ればその選手が大成するかどうか分かる、などという人間がいる。

 だが少なくとも直史には、そんなことは分からない。

 なぜならその選手の体質や骨格によって、最適のフォームは変わってくるからだ。

 なのでそんなことを言うのは、だいたいにおいて間違っている。

 さらにこのぐらいの年代であると、身体の成長によってフォームなどは微調整していかなくてはいけなくなる。

 あるいはオーバースローから、サイドスローにした方がいいということまであるのだ。


 直史が判断したのは、少なくとも悪くはないな、ということだった。

 キャッチボールでも体全体を少しずつ使っており、連動した動きとなっている。

 また指先までのリリースがしっかりとしていて、こちらの胸元にコントロールしつつ、スピンもしっかりかかっている。

「よし、じゃあ準備するから」

 そして直史は、桜に頼む。

「え、確かに動ける服装はしてきたけど」

「大介だと問題があるかもしれないだろ」

「はあ」

 仕方なくプロテクターを装着し、準備運動をしてから、キャッチャーの位置に立つ。

 ブルペンではあるが、しっかりとマウンドも作ってある。

「まずは10球ほど、普通に投げてみようか」

 そう言って直史は、刑部の横に立った。

「あの、でも女の人って」

「今の子は知らないか。桜は東京六大学リーグで、男に混じってプレイしてキャッチャーもしてたんだ。150km/hぐらいなら普通に捕れるから、遠慮なく投げていいぞ」

「え」

 考えてみれば、ツインズが活躍したあの年は、もう10年以上も前である。

 昨今は女子野球が盛り上がっているが、男は普通に知らなくてもおかしくはない。

 ともあれ刑部は、投球練習を開始した。


 体幹はしっかりしている。

(いや、バランス感覚がいいのか?)

 右足ですっと立ち、左足を軽々と澱みなく上げる。

 そこから左足の爪先まで、しっかりとキャッチャーの方を向いている。

(踏み込み幅は少し大きすぎるか)

 一球ごとに、見るべき部分を変えていく。

(腕はいい感じで撓ってるな。身長に対して腕は長い)

 体重移動はスムーズであり、フォームの再現性も高い。


 まず10球を投げてもらったが、悪くないことは分かった。

 北村がわざわざ言ってくるわけだから、それは当然のことだろう。

 スリークォーターで、コントロールはど真ん中を外れない。

 とりあえずここまででも、ある程度は分かった。

「よし、少し確認しよう」

 そしてキャッチャーをしていた桜に加えて、スピードガンで球速を測っていた大介に、スマートフォンで撮影をしていた椿が集まったのである。




 まずは実際にキャッチしていた桜が意見を述べる。

「球速は125弱ってところかな? でもたぶんバッターは体感もっと速く感じてると思う」

「スピードガンだと120から123まで幅なく投げれてたぞ」

「三振も取れるけど、長打もそれなりに打たれてしまうタイプかな?」

「はい。そんなに分かるんですか?」

 それはまあ、この四人なら分かるのである。

「多分だけど、スピン量は平均よりかなり高くて、スピン軸もバックスピンになってると思う」

 椿の撮影した動画で、全員が確認する。


 中学生で120km/hを、この体格で投げられることが出来る。

 それは上手く体を使っているからこそ出来ることだ。

 おそらく身長はまだ伸びるので、それに合わせてフォームも変えていかなければいけない。

 だがとりあえず直史としては、確認したいことがあった。

「股割り、ですか」

「そうそう。股関節がどれだけ柔らかいか」

 ピッチャーにとって重要なのは、当然ながらフィジカルの出力である。

 直史が言ってもあまり説得力はないのだが、とりあえず球速というのは、出れば出るだけ打たれにくい。

 ただ刑部の場合は、意外と長打も打たれているということで、その理由もおおよそ分かっている。

 それを確認するために、股間の柔軟性を確認したのであった。


 硬いわけではない。

 だが直史が期待するほどの、柔らかさはない。

「ウエイトとかを中学時代からやって、無理に筋肉を増やすのは、故障の危険性があるからしない」

 直史はそう言ったが、部活を引退した刑部は、そのままならあまり運動をしないのだ。

 なのである程度、問題のないメニューを作ってみる。

「ただ体幹を強くするトレーニングと、柔軟性を増すトレーニングは、いくらやっても問題ない」

 どれだけパワーがあっても、柔軟性に欠ければパワーロスになる。

 それに彼のストレートは、まだ改善の余地があるのだ。

 そのために股関節の柔軟性が、一番必要である。


 他に出来ることは何か。

「胸郭、もう少し胸を張って、腕が後から出てくるようにするべきかな」

 フォーム改造はわずかにいじることによって、一気に狂うことがある。

 ただ狂いにくい部分もあるというのは確かなのだ。


 感圧のトラッキングシステムが、白富東にはある。

 それで体重移動を実際に数値化して見てみれば、さらに分かることはあるだろう。

「肘の伸ばし方はこれでいいのか?」

「本人が力を入れられて投げているなら、問題ないと思う」

「でも典型的な、日本人の綺麗なフォームだよな?」

「そのあたりはこれから、チェックしていくけど」

 豪勢なコーチングは、まだまだ続くのであった。

 



 直史の技術というのは、誰かに継承できるものではない。

 ただこれは直史だからというわけではなく、そもそもピッチャーは全員が、それぞれ違う人間であるからだ。

 本格派の速球ピッチャーという点では、上杉と武史などは、球速のMAXはかなり似ている。

 だが球質は違うものであるし、明らかに今の二人は、グラウンドボールピッチャーとフライボールピッチャーの違いがある。


 直史の教えられる部分を、取捨選択して教える。

 それが現実的なものである。

 直史が直史たるゆえんは、体質に技術、そしてメンタルコントロール。

 こういったものを全て備えた選手は、おおよそ出てこないであろう。

 技巧派とは言われているが、ストレートのMAXも150を超えてくるのだ。

 

 これを上回るピッチャーというのはどういうものなのか。

 なんでも出来る、というようなピッチャーではないような気もする。

 実際に直史は、完全に教える立場になってみて、この時点から教えてももう遅いと感じることが多い。

 幼少期から体を使ってバランスを整え、中学生の頃からは運動神経全体を刺激していかないといけない。

 またジンや樋口のようなキャッチャーと組めば別であるが、ある程度は自分で組み立てていくだけの頭脳も必要だろう。

 そういった人間が、どうやったら誕生するのか。


 単純に才能、と言う事は出来ない。

 そもそも才能というものが、どういうものなのかという問題はあるが。

 才能に加えて環境というものもある。

 直史は明らかに、弟妹たちの得た他のスポーツの技術から、自分の技量を向上させた。

 ただこんなことは今の時代でも、まだ一般的なことではない。




 とりあえず故障の心配のなさそうな、それでいて出力を上げるためのトレーニングを一つは思いついた。

「左で投げるんですか?」

「そうだ。球速は出なくてもいいから、左で全力で投げて、ちゃんとコントロール出来るボールがストライクになるように」

「これにはどういう効果があるんですか?」

「簡単に言うと、体軸がしっかりして、故障がしにくくなる」

 直史が本格的な故障をしなかったのは、これが最大の理由であると、自分でもいまだに思っている。


 野球というのは言うまでもなく、左右非対称なスポーツである。

 投げる手は利き手であり、キャッチするのはその反対だ。

 またバッティングに関しても、普通はどちらかの打席で打つか、はっきりと決めている。

 しかしこれまた、バッティングの神様のような大介は、右打席でも普通に、MLBレベルで打つことが出来る。

 サウスポー相手でも、最近は苦戦することがあまりないため、わざわざ右打席に入ることは少なくなってきたが。


 体の左右のバランスを調整しながらトレーニングを行うというのは、とても重要なことなのである。

 それが上手くいっていないと、負荷が変にかかってしまうため、故障の原因となる。

「まあ本当にそうかどうかは分からないけどな」

 これはちょっと、自分の感覚の直史なのである。


 ただ逆の手の利き腕化は、別のところで役に立つ。

 それは守備の分野であるのだ。

 エラーの半分ほどは、おおよそ送球のミス。

 利き腕から投げるボールが、どうして送球でミスをするのか。

 それはグラブでキャッチした瞬間に、まだボールの回転をしっかりと殺せていないからであったりする。

 キャッチする手を利き手化することによって、しっかりとボールのスピンをグラブの中で殺すことが出来る。

 そこから握り締めて投げれば、それだけ送球のミスも減るというものだ。




 守備の話になってしまったが、まだこれから肉体の成長する中学生としては、無理に筋肉をつける必要はないどころか、害があったりもする。

 骨が、特に成長する骨端線が、まだ柔らかい。

 そのため筋肉のパワーに耐えられず、薄利骨折などを起こしてしまうことがあるのだ。

 薄利骨折はネズミなどとも言われ、まだ比較的軽度の故障と言われたりもする。

 実際にプロでは、確かに軽度な分類であろう。

 だがアマチュアの、中学生などにとっては、もっと大きな故障の予兆であることが多いのだ。


 体が強いというのは、それだけでも才能ではある。

 大介などは体が小さかったが、それゆえに負荷が小さかったということもあるのだ。

 昔はどうだったか、という話は実のところどうでもいい。

 単純に科学的な分析が出来るようになったため、素質次第ではしっかりと、成長するようになっている。

 ただ野球人気がまた盛り上がったことで、昭和の感覚の指導者がまたも駆り出されるというようなことは、田舎であれば起こったりしている。

 無料でやっているコーチなどは、これがあるために問題となっている。


 今はもう、引退して少し勉強した人間が、すぐにコーチやトレーナーをするのが、いいのではという雰囲気になってはきている。

 実際に高校野球の指導者の年齢は、強豪であっても若年化しつつある。

 気合や根性でどうにかするのでは、もう選手が足りないのだ。

 手持ちの札を上手く育てて、そして強いチームを作る。

 極端に言ってしまえば、アマチュアにすぎない高校野球は、もう甲子園を無理に目指してはいけない。

 特にプロで通用するような選手は、ただ三年間預かっているだけ、というぐらいの意識を持っていた方がいい。

 直史は合理的であるがゆえに、そんなことまで考えたりするのである。




 変化球の指導に入る。

 刑部の持ち球は、ストレート以外にはカーブだけである。

 軟式でやっていたならば、無理もないかなという球種である。

 ただこれからストレートを磨いていくなら、速球系の変化球は、いずれ身につけることになるだろう。


 直史は引退試合で、本当のストレートの活用法に、ようやく到達した。

 パーフェクトピッチャーと呼ばれる投手をして、ようやくである。

 ただストレートを活かすためにも、変化球はあった方がいい。

 逆説的に変化球を活かすためにも、ストレートを磨いた方がいい。

 もちろんさらなる本音を言うならば、ストレートというのはストレートという変化球なのであるが。


 ツーシームやワンシームといった握りで、ボールを投げさせてみる。

 ツーシームは変化することなく、ワンシームは微妙な感じのチェンジアップになった。

 変化量はあまりないが、ストレートと全く同じ感覚で投げて、タイミングが狂う。

 上手く組み立てていけるなら、これはそれなりの武器になる。


 ふむ、と直史は刑部のフォームを真似て、試しにツーシームなどを投げてみた。

 当たり前だがちゃんと変化する。

「今の、どこが彼のフォームと違った?」

「体の開くのが、ナオの方が遅かったな」

「じゃあタメが足りていないのか」

 体重移動などをいじっていくと、しっかりとツーシーム変化のボールが投げられるようになった。

「体に負担はないか? 俺はあんまり感じたことはないんだが、人の骨格や筋肉によって、適した変化球は違うらしいしな」

 ナックル以外は普通に全て、公式戦で好き放題に投げていた人間が、何か普通の人間のようなことを言っていた。




 刑部はこの日、投げたストレートのMAXが、125km/hまで出た。

 しかし50球程度しか投げていないのに、下半身がくたくたになった。

 全力投球を続けたはずなのに、肩や肘には全く疲労がない。

 どういうことなのか、と何か魔法にかけられたような気分である。


 ただ直史からすると、フォームをいじったことによって、回転を足や腰で速度を増やしたからなのである。

 それだけ一球あたりに、足腰にかかる負荷は増えている。

 これに肩肘の出力を増やせば、一気にスピードは上がるであろう。


 直史自身が高校入学後、夏の大会までの三ヶ月少々で、10km/hほども球速を上げた。

 足腰の瞬発力を、そのまま体の中心を通じて、指先まで届ける。

 ここから入学までに三ヶ月以上あると考えれば、135km/hを投げるピッチャーが入学してくることになる。

 もちろんそんなに都合よく、スピードが出るとは限らないが。


 スピードを増やすにしても、色々なやり方があるのだ。

 そしてそのやり方のうち、誰に何が合っているのかは、やってみないと分からない。

 直史の場合も、スピードが一気に増したのは、本当に数ヶ月の短期間であった。

 それ以上は、スピードを必要とはしなかった。

 やろうとしても、体に合わないと感じたこともある。

 現在ではおそらく、150km/hは出ないであろう。

 だがそれでも、肘がパンクするまでなら、普通にいくらでもバッターを打ち取ることは出来るだろうが。




 刑部は多くの課題を得て、この後は受験に専念することになる。

 だがわずかな練習やトレーニングによっても、その肉体と共に野球技術は上がっていく。

 それはこのたった一日のコーチングが、影響しただけというわけではない。

 現在において、教本となるべきものは、ネットワークに大量に流れている。

 その中から取捨選択して学ぶというのは、それだけでセンスが必要なことであろう。


 この日の直史たちは、刑部だけを教えたわけではない。

 ただ久しぶりに、大介は直史との対戦を行った。

 今年もMLBにおいて、最強と呼ばれたバッター。

 対するはもう半年以上、完全な力で投げてはいないピッチャー。

 だが直史は、体のコントロールは失っていない。


 筋肉による出力は、さすがにある程度衰えている。

 だがピッチングというのは、パワーだけではないのだ。

 およそ130km/hほどのスピードながら、白富東の選手たちを、凡打の山に打ち取った直史。

 肩が暖まったあたりで、大介は出てきたわけである。

「よーしこーい」

 桜がのんきに声を出し、直史は特にサインもなく、ボールを投げ込む。

 そして審判としては、北村がその後ろに立っていた。


 MLBのポストシーズン、大介のOPSは、この年も2を超えている。

 期待値だけを言うならば、前打席を出塁したのと、同じものであるのだ。

 そんな世界最強のバッターに対して、直史はどう対処したか。

 そして結果はどういうものになったか。


 マスコミの一人もいない、この時期の高校野球。

 白富東のグラウンドで、懐かしい対決が行われる。

 一打席分だけでは足りず、どちらかの体力が尽きるまで。

 それを見ていた北村としては、こいつまだまだ現役でいけるのでは、などと思ったものであったが。


 あるいはこれもまた、語り継がれるべき勝負であったのかもしれない。

 だが誰が言うともなく、普段から練習中に使う、スマートフォンでの撮影は、誰も行っていなかった。

 己の目で、一瞬も対決を見失うことなどないように。

 二人の対決は、それなりに長く続いたのであった。




×××



 本日パラレルも公開しています。

 ちょっと話がつながるところですので、普段よりも短いペースで投下します。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る