四章 オフシーズン
第69話 オフ
日米のポストシーズンは、アメリカの方が長い。
レギュラーシーズン自体の期間はほぼ変わらず、そのくせMLBの方が試合数は多いので、日程的にはタフなものとなる。
そしてそのタフな日程は、ポストシーズンでも変わらない。
大介と武史の所属するメトロズは、ポストシーズンを勝ち進みワールドシリーズへと進出を果たした。
これでメトロズは七年連続で、ワールドシリーズに進出。
まさに黄金期と言える時代を、築き上げている。
そしてア・リーグ代表として勝ちあがってきたのは、ミネソタでもアナハイムでもなくヒューストン。
それを相手にメトロズは、常に先に勝利を重ねている。
日本のニュースが入って、千葉が優勝したことを知る大介。
レギュラーシーズン中は、あまり日本のことを思い出さない。
それでも今年は、妻であるツインズの祖父が亡くなったので、少しは気にしていたが。
ほんのわずかな心理的な動揺で、今年の大介は70ホームランに届かなかった。
34歳で、さすがにそろそろ衰えてきたか、とも言われる。
だが69本を打っている三冠王に、その言葉は当てはまらないだろう。
大介は東京で中学までは育ったが、場所は都心ではなかった。
なので別に、タイタンズの応援などはしていない。
むしろあの高校時代を過ごした千葉の方に、愛着はある。
鬼塚と、移籍した哲平も日本一になれたのだから、めでたいことではある。
そんな大介はプロに入ってからは、NPBとMLBのどちらでも、常に優勝争いをしている。
高校以降の大介は、全てが上手くいっているようなものだ。
ワールドシリーズ、ヒューストンのチーム編成は、この数年で一番というぐらいに優れたものであった。
ミネソタを破って勝ち上がったのだから、それは間違いない。
もっともヒューストンは伝統的に、科学的なアプローチに優れたチームである。
セイバー・メトリクスは観測機器の性能向上で、さらに様々なデータが取れるようになってくる。
それを使って的確にチームを作れば、あの強力打線相手でも、勝利することが出来るのだ。
ただそのヒューストンにしても、大介を抑えることは簡単ではない。
単純にデータ通りならば、全て敬遠してしまえばいい。
だがそれは、興行スポーツであることが許さない。
なのでレギュラーシーズン中は、通用したバリエーションなどを使ったりする。
しかしポストシーズンの大介は、明らかにレギュラーシーズンよりも、パフォーマンスが上昇している。
お祭り男と言われても仕方がない。
舞台が大きければ大きいほど、その力も大きくなる。
そんな大介が、真っ当に戦う相手が、これからどれぐらい現れるのか。
もちろん絶対的に、少ないことは間違いない。
今年は式典にも参加せず、さっさと日本に帰ると大介は決めている。
妻の祖父のため、と家庭の事情を言い訳にすれば、たいがいのことは通るのがアメリカのいいところである。
家族というものに対する、幻想にも似た同調圧力。
だがこれは必要な建前であろう。
最終的には第六戦で四勝目を勝利し、メトロズはこれにて優勝。
大介はワールドシリーズMVPなどに選ばれることとなった。
そして予定通りに、早めに日本へと帰国する。
ニューヨークの寒い秋は、出来れば体験したくもない。
またこの年は、ニューヨークで生まれた次男が、初めて日本の地を踏むこととなる。
あまり意識していなかったが、大介の子供たちは昇馬を除くと、全員がアメリカ国籍を有する資格を得ている。
大介に対しても、アメリカ国籍を将来的に取るのか、という質問は多い。
ただそのあたり、大介には全く理解が出来ない。
将来的にアメリカの永住権を取りたいとも、またアメリカで暮らしたいとも思わない。
ただハワイあたりには別荘の一軒ぐらいはあってもいいかもしれないが。
今年の大介は、アメリカの在留期間が、一番短かった。
スプリングトレーニング直前まで日本で直史の引退試合に出場し、ワールドシリーズが終われば即座に帰国。
嫁が二人に子供たちが七人。
ファーストクラスのチケットで帰国であるが、これは別に奮発したわけではなく、球団との契約の一環である。
タクシー三台に分乗して、まずは直史の実家へ。
ここで大介の実家へは行かないところが、人間関係の複雑さと言うべきか。
祖父が死んだことで、直史の実家の母屋は、祖母一人が住んでいることになる。
もっとも歩いて数分の距離に、離れがあるのでそれほど困りはしないだろうが。
こちらもこちらで直史たちが全員外に出たので、夫婦二人が残っている。
最近はまた、犬や猫を飼ったりしている。ただこれはペットと言うよりは、狸や狐などが畑を荒らさないように、マーキングさせるのが目的であったりする。
武史は大介と違い、まずは恵美理の家に子供たちとともに送り届ける。
だが自分だけはさすがに、今年は先に実家に戻ってきた。
本当なら子供たちも、一緒に連れてくるべきであったのかもしれない。
しかしこちらはこちらで、恵美理の父がまたすぐに、海外に飛ぶことになっていたのだ。
かくして四兄弟が、久しぶりに全員邂逅した。
去年まではまだしも、何度かアメリカでもあったことであった。
母屋の仏壇に、新たに備えられた祖父の位牌。
そして遺影が新たに、代々の当主と共に並べられることになる。
白黒写真の祖父の姿に、複雑な気持ちになる武史。
直史としてもまだ、祖父の不在が受け止め切れてはいない。
もう長くはないな、とは言われはしたのだ。
そして無理な延命はしないと、自宅で過ごすことにした。
幸いにも頭の方ははっきりとしていたのだが、夏の暑さで弱った体は、涼しい秋までもたなかった。
遠くで仕事をしていると、こんなこともあることなのだ。
直史が日本に戻ってくるのを、待っていたかのようなタイミングで、祖父は去っていった。
確かにこれまで、ずっと待っていたとさえ思えるタイミングではあった。
「俺には全然関係ないと思ってたけど、相続税とかどうなってんの?」
このあたりの集落では、まず地価が安い。
建物にしても100年近く建っているものなどであれば、完全に資産価値は0である。
相続に関しては、以前に話し合いはしている。
直史が全てを相続することで問題はないし、もしも文句があったとしても、相続分を直史が、自分の財産から出せばいいだけだ。
直史は街の弁護士さんではあるが、相続に関しては税理士と共に、何度か立ち会ったことがある。
税理士の仕事は基本的に、弁護士がやってもいいものではある。
しかし実際には税務は複雑で、専門の税理士の方が弁護士の能力を上回ることが多い。
ただ何度か立ち会ったことによって、自分の場合はどうすればいいのか、おおよそ分かってきてはいるのだ。
実際のところ、母屋や離れの家などを現金化しようにも、ここいらに住みたいと思う人間は少ないだろう。
直史としては自分の代までは、この土地に骨を埋めるつもりである。
ただ子供たちが都市部に出ることは、仕方がないことかもしれない、とは思っている。
昨今はまた、一次産業の見直しから、農業も注目されてはいる。
だが続けていくためには、大規模化が必要だろうと、直史も思っている。
戦後の混乱期の話などは、祖父母から聞いている直史である。
祖父母さえもさほど、憶えてはいない記憶ではあるのだが。
現在の日本において、大規模農業が行われるのは、主に北海道が挙げられる。
だがここいらで離農が進んだ結果、むしろ大規模に農地を整備することが可能になってもいるのだ。
直史自身も確かに、子供の頃は畑仕事を手伝ったりした。
今でも収穫期になったりすると、時々手伝いに来たりはする。
子供たちにとっても、実際にどうやって作物が取れるかというのは、教えておくべきことであろう。
それが直史の考えであるのだ。
直史は莫大な金を、MLBにおいて稼いだ。
だがそれを食いつぶしていくだけでは、能がないと言えるだろう。
ただここで注意しなければいけないのは、下手に会社経営などをしてしまうと、その金がどんどんと溶けていくということだ。
メジャーリーガーの破産の理由というのは、確かに生活レベルを落とせなかった、ということもある。
だが下手に事業に手を出して失敗、ということもよくあることなのだ。
直史の場合は、おそらく大丈夫だろうな、と武史もツインズも、同席している大介も思った。
なぜなら経済分野に関しては、自分は専門家でないと、ちゃんと自覚しているからだ。
ただ税務に関してと会計に関しては、普通に理解している。
なので現場の技術屋というわけではなく、無理な投資などをすることはないだろうと判断されているし、実際に経営に関しては伝手を使っている。
たとえば農業法人などは、同じ高校の後輩である、百間町の属する農協や仲買人と、話し合って決めたものだ。
出来るだけ無理のない範囲で、しかし周辺の農地を買収し、大規模化と選別で成り立つようにしている。
林業に関しては今は持ち出しであるが、将来の収益化は見込んでいるし、農業法人の一分野であるので、総合的には節税ともなる。
なのでこれは順調なのだが、他にも産業が育成できないか、という話にはなる。
直史の相続する山の上には、かつての集落が存在する。
今では完全に廃村になっているが、大叔父が狩猟のついでに、時々風を通しにきたりしてくれている。
子供の頃は親戚が集まって遊んだし、高校時代にも何人かを連れて行ったことがある。
祖父も体調を崩すまでは、時折様子を見に行っていたはずだ。
「ああいうところって、年に一回ぐらい行くのは楽しいだろうな」
大介としては、素直にそんな感想を抱いていた。
直史たちにとっては、夏の風物詩ではあったのだ。
ただいい思い出だけがあるわけではない。
「あれもどうにか活用できたらいいんだけどな」
直史としてはあれぐらいのものは、別に維持するのは問題ない。
ただ将来的にどうしていくのかは、自分が死んでからのことになるだろう。
「ああいうのって、文化遺産とかにならないのか?」
大介の問いに、直史は難しい顔をする。
「基本的には、ただの炭焼き小屋だったわけだしなあ」
そしてかつては、林業で潤っていたのだ。
失われる日本の情緒を保ちたい。
アメリカに行った直史は、より強くそう思うようになっていた。
去年までと違って直史には、このオフシーズンだからこそやらなければいけないこと、というのは多くはない。
ただ忙しさというか、充実度に関しては、かなり高い水準を保っていると思う。
大介は母親に一度は会いにいったものの、それ以降はずっと直史の実家の母屋にいる。
なんと言っても子供が多いので、布団を敷ける場所も少ないのだ。
養子もいるとは言え、七人の子供の父親。
母親が二人いるとはいえ、とんだ大家族である。
直史はまだしばらく、市内のマンションと実家を行き来する。
まだまだ仕事が残っているからだ。
大介も今年は式典などを全て辞退して帰国したため、久しぶりにのんびりと出来る。
アメリカでは他人に無関心なはずのニューヨークでも、マスコミなどは関わるのが多かったからだ。
田舎でのんびり、という日々は悪くない。
秋なので子供たちと一緒に、山に入って遊んだりもした。
直史はもう、完全に野球とは別の生活をしているのだな、と大介は感じる。
もちろん完全に野球を捨てたわけではなく、臨時コーチなどをしているらしいが。
地域貢献という意味では、直史は本当に色々なことをしている。
弁護士という職業は、それ自体よりもむしろ、肩書きとして直史の役には立っているらしい。
プロの頂点を極めながらも、同時に文化的な素養もある。
おそらくプロ野球史上、最も例外的な人間である。
直史自身は自分のことを、プロ野球選手と規定したことは、あまりないであろうが。
事務所から直史は直接、本日の顧客の住所へ向かう。
あちらは恐縮していたようであるが、こちらもちゃんと他に用事はあるのだ。
職場まで比較的近くにある、一戸建ての家。
それが鬼塚の住まいである。
「どうも主人がお世話になります」
「いえ、ちゃんと仕事として請け負ったものですから」
「なんだかありがとうございます」
まだ青々としたままの頭を、タオルで隠した鬼塚である。
その妻である真紀は、鬼塚よりも五歳も年上。
元は球団で広報やマネージャーなどをしていた縁だ。
今年から直史は鬼塚の、代理人として球団との交渉を行う。
ただそれ以前にも、税務上の問題が色々とあったりするのだ。
「一応確定申告は、しっかりとやってるわけだな」
プロ野球選手というのは、個人事業主である。
そして高給取りであるため、高額の税金を払ってはいる。
またプロ野球選手というのは、それなりに出費も多い。
鬼塚のように10年以上も一軍にいても、かなりしっかりと貯めておかないと、引退後の道は厳しい。
ただ鬼塚はキャラクター性が強いので、芸能界向けに仕事が入るのでは、と直史は思ったりしている。
野球選手の出費は、かなりの部分が経費にも出来る。
もっともそちらの部分については、特に問題となりそうなこともなかった。
あとは球団との交渉で、どういった金額を引き出して来れるか。
数字上の鬼塚の貢献は、それなりのものである。
だいたいプロ野球選手が年俸だけで一生を食っていくならば、一度は年俸が二億を突破しないときつい、などとも言われていたりする。
だが鬼塚の場合は、奥さんがしっかりと財布を握っていたということもあって、ちゃんと資産の管理は出来ている。
子供三人を大学に行かせるぐらいの貯金を、この時点で作っておく。
また普通の個人事業主ではなく、プロ野球選手などが入る厚生年金にも、しっかりと入っていたりする。
これをやると税金が減ってありがたいのだ。
あとは直史の仕事である。
現在のプロ野球の年俸評価というのは、かつてほどにガバガバなものではない。
また球団格差も減っているというのは、よく言われることである。
MLBでは最高で、年間6000万ドル以上の年俸をもらっていたのが直史だ。
なので鬼塚の年俸に関しても、しっかりと数字を残してある。
セイバー・メトリクスによって選手を評価するシステムは、それなりには正しいものだ。
だがプロ野球選手というのは、そのグラウンドの中だけで評価されるものだろうか。
直史は自分としては、自分の成績ならそれで構わない。
だが仕事として受け負ったなら、話は別である。
もちろん各種指標は、交渉の材料にはなる。
しかし特に今年の鬼塚は、特別な貢献があったと評価すべきだ。
年俸はおそらく、7000万から9000万の間であろう。
成績は最盛期に比べると、やや落ちてはいる。
だが鬼塚にとって重要なのは、出塁率である。
これだけは全盛期と比べても、落ちてはいない。
また三振数は減っていって、OPSは維持しているのだ。
相手のピッチャーが、鬼塚を打ち取るために必要な球数は、NPB平均と比べてもかなり多い。
要するにピッチャーにとっては、あまり勝負したくないバッターなのだ。
泥臭く、粘り強く、少しでもチームの勝利に貢献していく。
そして守備機会での失策が、かなり少ないのも特徴である。
鬼塚は外野を守っている中で、打球に対する判断が早いのだ。
シフトの微調整によって、フライアウトにしたヒット性の打球も多い。
このあたりのデータを全て集めた上で、球団側と交渉をする。
それが直史の仕事である。
「契約更改は、けっこう後の方なんだよな?」
「そうっすね。ただ今年は優勝のご祝儀もあるから、けっこう期待はしてます」
球団としても収益が大きかったはずなので、だいたいレギュラー陣に対しては、それぞれプラス1000万ぐらいはありえるだろう。
人の飯の種を確保する、代理人交渉が始まる。
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