第63話 社会人の夏休み

 社会人にも夏休みはある。具体的にはお盆休みである。

 お盆にも休めない職種というのも、大量にあることはあるが。

 その点では弁護士という自営業者は、やろうと思えば好きに休みを取れる。

 もちろん仕事であるからには、本当に好き勝手に休むわけにはいかない。

 現代人は仕事に追われて仕事に縛られていると取るべきか、それとも果たすべき役割を自分で選択していると考えるべきか。

 少なくとも直史は、単純にもっと能力を利用して働くより、こちらの働き方の方が自分に合っていると思う。


 さて、お盆ともなると、直史は実家へと帰ってくる。

 真琴としてもこの実家の記憶は、冬のものしかない。

 夏にここを訪れたことは、もちろんある。

 だが記憶には残っていないはずで、それは明史も同じであろう。


 盆休みともなると、墓参りとして親戚が集まってくる。

 それにご近所さんのところへも、子供や孫が帰ってきたりする。

 この傾向は直史が高校から大学生の頃に多く、プロ入り後はやや少なくなっていた。

 しかし引退した今年からは、また人が集まってくる。

 もちろん歓迎せざる来客も多かったりはするが。


 だいたい人間というのは、生きていく上で金に困ることが最も多い。

 あとは健康に、子育てなどであろうか。

 弁護士などをやっていると、人間の苦悩というのは本当に、種類が多いのだなと感心する直史である。

 瑞希はとても優しい人間であるはずだが、そういう他人の不幸については、ひどく客観的な見方をしている。


 法的に困っているなら、多少は相談に乗ってやってもいい。

 金に困っているなら、破産手続きぐらいは手弁当でやってやろう。 

 経営悪化などであれば、今のうちに整理して事業を片付けた方がいいとも思う。

 もちろんそれが嫌なのであれば、相談に乗るだけは乗る。ただし金は貸さない。


 もちろん事情による。なんせ直史も真琴の手術のために、大介に金を出してもらった身である。

 金で解決できることなら、金で解決すればいい。

 だが根本的な解決にならないならば、それは金を捨てることと同じである。

 ギャンブル依存の人間に、金を渡しても意味はないであろう。




 夏に田舎に来るのは、初めてという記憶の真琴である。

 甲子園をテレビで見てもいいのだが、知らないチームの応援などは出来ない。

 親戚の子供と一緒に、川遊びに行ったりもする。

 一応は瑞希や他の親戚がついていくのだが、直史はだいたい家にとどまって、色々と話を聞かされることが多い。


 ただそういった話に関しては、瑞希の方が解決は上手かったりする。

 直史が球遊びに興じていた間に、彼女は色々な人間に会って、取材などもしている。

 結局直史が達成したことというのは、あぶく銭を稼いだことである。

 もちろん資産運用に回して、ある程度の収入は得られるようになってはいるが。


 本当に地域に何かを根付かせるためには、事業を興す必要がある。

 その一環として、農業法人に資金を出したり、法務に関しては面倒を見ていたりする。

 直史の目指すのは、地方の名士である。

 なんだかこんなことをしていると、そのうち政治の世界からも声がかかってしまうかもしれない。

 なにせ知名度だけで、当選するのは間違うないであろうから。


 本質的には直史は、現実主義者である。

 ただ弁護士という職業は、政治家になってはいけないということはないが、金を集めたりする段階において、色々と法律に違反したりすることもありそうだ。

 すると内容次第だが、弁護士としての資格が停止したり、はたまた資格を失ったりする。

 元弁護士の政治家が怪しくなっていくのは、おおよそなんらかのそういった弱みを握られたからであろう、と直史は思っている。




 夏場の田舎と言えば、川遊びが定番であろう。

 普通に歩いてもいける距離に、川があってこそ田舎である。

 土手の上から見下ろすと、元気に真琴が遊んでいる。

「習い事、何かさせてみようか」

 直史は日傘を差した瑞希に、そんな言葉を発する。

「一応アメリカでは、色々とやっていたけど」

 このあたりならともかく、今の住んでいるマンションの辺りなら、そこそこの住宅街でオフィスビルなども近い。


 直史はもうさすがにまともには弾けないが、ピアノを習っていた。

 ただ真琴の性格からすると、水泳だのバレエだの、体を動かすことに興味を抱いている。

 一番好きなのは、父親とのキャッチボールであろう。

 考えてみれば日本に帰ってきてからこっち、直史は自分の環境が変わったことで、かなり苦労している。

 だが真琴の環境も、当然ながら変わっているのだ。


 この先は特に、引っ越すことなどもまずないであろう。

 直史に特別に仕事が入るとしても、それは出張となるだけだ。

 そして出張であれば、普通にアメリカでは、いくらでも経験している。

 なかなか家にいることは出来なかった、MLB時代。

 それに比べるとNPBの時代は、中六日なり中五日なりで、先発の日以外はそれなりに時間を取っていたものだ。


 子供たちのために、自分の時間を使おう。

 その考えはとても、健全なはずである。

 育児と言うよりは教育の方に、直史の思考は移っていったのであった。




 甲子園の試合をのんびりと観戦する。

 背徳的な気分を味わいながら、直史は昼中から缶ビールのプルタブを引っ張った。

 なおこれは昔の言葉であり、現在のそれは本当は、ステイオンタブと言うらしい。

 もちろんそれは、物語においては、何も重要ではない小ネタである。

 昔の完全に缶から分離してしまうのが、プルタブである。


 本来なら直史は、日本酒派である。

 だが弱めの冷房をかけて、茹でた枝豆を食べながら観戦となると、やはりビールが伝統だろう。

 こんな伝統にも、直史は弱かったりする。

 いや、あえてこうやって、弱みを作っていると言うべきか。


 本来の直史の性質というのは、かなり過激でいながら冷徹なものである。

 それがこの田舎の実家にいる時は、リラックス出来るのである。

 中学生の頃はずっと、真っ黒に日焼けするまで遊んでいたこともあった。

 だいたい夏休みは、野球部もかなり休みが多かったので。

 教師の働き方改革は、かなり早めに始まっていたのだ。


 瑞希はそんな直史と一緒に、テレビを見ている。

 そして真琴はその二人の間にちょこんと座り、真琴が抱えている明史は本を読んでいる。

 なんとも家族の風景である。

「今日の試合は見るの?」

「私の友達が監督をしているチームが出ているからな」

 甲子園の二回戦、帝都一対桜島。

 なかなか面白い組み合わせである。




 直史は桜島相手に、それほど苦手意識はない。

 だが桜島というチームは昔から、打撃にその力を極振りしている。

 優勝候補と言われたチームが、エースをコテンパンに打たれて、ジャイアントキリングと言われたりもする。

 直史としてはそれは、特にジャイアントキリングと言うほどの意外性はないのだが。


 優勝候補と言うには、その戦力は歪。

 ただし優勝候補のチームが、一番戦いたくない相手と言う事もある。

(ジンがどういう策を取ってくるか、ちょっと楽しみだな)

「おとーさん、どっちが強いのー」

「野球はな、やってみないとどちらが強いか分からないんだ」

「でもおとーさんは一番強いよねー」

「勝てなかった試合もある」

 直史だって全ての試合を勝っている、などということはないのだ。

 もちろんプロのレベルであれば、史上最も勝率が高いピッチャーではあるだろうが。


 帝都一が出してきたピッチャーは、もちろん都大会でも出場機会はあった。

 だが解説によると三番手ぐらいのピッチャーで、直史もそれをよく知っている。

 ジンが取ってくる作戦は、まず二つに分けられるだろうと思っていた。

 エースを信じて真っ向勝負か、冷静に軟投派を使って桜島を翻弄するか。

「やっぱり軟投派か」

 ジンはこのあたり、高校野球の指導者と言うよりは、ある程度の山っ気を持っているような気がする。


 試合は帝都一の優位に進んだ。

 とにかく桜島というのは、力と力の勝負を重視するチームである。

 それに対して帝都一のピッチャーも、別に申告敬遠を多用することもなく、それなりに勝負はしていっているのだ。

 だがサイドスローから投げられる球は、どれもナチュラルに変化していっている。


 アンダースローが投げるボールは、全てが変化球。

 そんなことも言われるが、このサイドスローに関しては、それと似たようなボールであるのだろう。

 時折スローでも流れるが、基本的にはジャイロ回転がかかっている。

 ボールの高低にバッターの目が慣れず、凡打が続いていくというわけだ。


 ただそれでも振り切ったスイングは、ゴロでも強烈な打球となる。

 それがいくつか続いて、点にまで結びつくことはあるのだ。

「四点差か……」

 なんとか先発のサイドスローは、完投まであと一歩、というところまで投げてきていた。

 そして味方の援護によって、リードした展開となっている。




 難しいところだ。

 そもそもこの試合は最初から、相性によって対決している帝都一である。

 六点も取っていれば充分かもしれないが、一回戦の桜島は八点も取られていた。

 一応ブルペンではエースが投げ始めているが、ここで交代というのはむしろ桜島にとってはありがたいのではないか。


 とにかくストレートに圧倒的に強いのが桜島である。

 そしてストレートを待ちつつも、変化球はカットしていく。

 この軟投派ピッチャーが打たれないのは、変化球がそもそも遅すぎるからだ。

 下手に対応の範囲内だけに、カットではなくヒットを狙って打っていっている。


 これは指揮官の判断が的確であれば、一巡程度で対応出来たはずだ。

 しかし桜島は、小手先での攻略を考えなかったということか。

 このあたり帝都一が、軟投派サイドスローを育てたのと、対照的であるなと思う。

 サイドスローはおそらく、この高校時代に通用するピッチャーを、という観点で育てたものであろう。

 大学まではこれで、ある程度通用すると思う。

 しかしプロでは、とても通用しない。

 いっそのことアンダースローにまですれば、また話は違うのだろうが。


 ジンは高校野球で結果を残すために、監督をしている。

 もちろんその指導した中から、プロに進んだ選手もいるが。

 大成した選手、というのは聞いたことがないはずだ。

 高校で選手を完成形にしてしまう。

 それが悪いと、いちがいには言えないものでもあるのだが。


 いずれにしろ、直史に助言などを求めてはいたのだ。

 ならば自分の現状も、ちゃんと理解してはいるのだろう。

(ここで最後まで投げさせるあたり、選手の限界を引き出すつもりはあるのかな)

 帝都一は最終回に一点を失ったものの、6-3で三回戦進出を決めた。




 川で鮎などを取ってきて、その日の夕食とする。

 牧歌的な休日の日々である。

 直史としてはこれが、中学校までの当たり前の日々であった。

 高校時代からは、これが忙しくなっていったのだ。


 お盆の時期にそのまま、夏の甲子園の期間は重なる。

 春のセンバツもそうであるが、休み期間中の甲子園。

 特に夏は、特別な季節の風物詩だ。

 別に興味がなくても、なんとなく見てしまう。

 それが高校野球であり、それが甲子園であったのだ。


 高校野球の人気復権も、ある意味直史たちの人気による。

 大介が大会記録となるホームランを量産したし、直史はノーヒットノーランを達成し、ピッチャーの新たなる可能性を示した。

 大阪光陰の絶頂期のすぐ次に、白富東の絶頂期があって、この二校が高校野球を牽引していたとさえ言える時代があった。

 公立進学校であり、続々とプロで活躍する、スーパースターが、なぜかこの学校から何人も出た。

 大阪光陰はいまだに強いが、白富東は勢いを失っている。

 今はまた戦国時代に近いと思えるが、それでもある程度の名門は存在する。


 直史としては一応地元千葉の、勇名館の行方も少しは気にしていた。

 大学でもリーグが違ったのであまり接触はなかったが、吉村とバッテリーを組んでいた東郷が、現在は率いているから、というのもある。

 他には秦野が率いている、埼玉の春日部光栄。

 また大介の父である大庭の率いる山口の明倫館など。

 高校時代からの長年の蓄積が、今の生活を形作っている。




 ベスト8まで、関東のチームが四つも残っている。

 だがこの一番おいしい準々決勝を見るまでに、お盆休みは終わってしまっていた。

 そしてこの準々決勝において、関東のチームは半分に減っていた。

 残っていたのがジンの帝都一と、秦野の春日部光栄というのは、なんとも不思議な縁であろうか。


 準決勝のカードの一つは、この師弟対決となる。

 ジンの勝負師的な一面は、本人の素質ということもあるが、秦野の影響も相当に大きいだろう。

 もう一つのカードは、明倫館と仙台育成。

 なんとも不思議な組み合わせだな、とは直史も感じたものだ。


 山口県も最近は、色々と戦国のような競争になっている、というのが瑞希からの情報であった。

 大庭のいる明倫館は、一応はこの数年では、最高の成績を残している。

 ただ地元のシニアから選手を引っ張って育成し、五年以上の時間をかけてチームを作る明倫館と違い、瀬戸内海側のチームについては県外の有力選手を特待生で入学させている。


 なんで山口県がそんなに?というのは直史も不思議に思ったりした。

 明倫館は確かに、地元のシニアやリトルと組んだことで、甲子園出場を果たして全国制覇も成し遂げた。

 だがこのビジネスモデルを踏襲するなら、他の県でやった方がいい。

 ところが私立は県外から選手を集める、という違うパターンでチームを作り出した。

 山口県も瀬戸内海側と日本海側で、それなりに選手の集まり方が違うのだ。


 直史としても気になるカードであった。

 ただそういった試合であっても、仕事が入っていれば見ている暇などない。

 だが瑞希の父自身が高校野球は見るものであるため、仕事中に休みを入れて、このカードを見たりした。

 なにせ解説者が、すぐ近くにいるのだから。




 春日部光栄の監督に、どういうルートで秦野が就任したのかは、直史ももう追っていなかった。

 だが高校野球については、瑞希がしっかりと資料を集めている。

 どうやら秦野も、順調に雇われ監督として結果を残しているらしい。

 ただ白富東以降では全国制覇には届いていない。


 帝都一は松平の長期政権から、ジンがその後継者として監督となった。

 だが実は総監督として、まだ松平は顧問のような形でいる。

 帝都大学で野球をやったジンであるが、高校時代は帝都系列ではない。

 その後ろ盾として、松平の存在がある。


 帝都一という、半世紀以上も続く学校の監督というのは、やることが多い。

 ただその中の、立場さえあれば片付けられるというジャンルの仕事は、松平が担っているというだけだ。

 ジンがやっているのは、主に育成と指揮。

 本来の監督がやる中では、一番分かりやすい仕事である。


 帝都一は主に、関東から東北、中部ぐらいまでを基準に、生徒を集めている。

 特待生は五人だけであるが、それは完全なスポーツ特待生のみ。

 実際は奨学金だの推薦だので、毎年20名近くは中学生を集めてくる。

 それに中学生にとっても、上に大学のある付属というのは、魅力的なものなのだ。

 そういったスカウトの最終的な判断は、松平の意見を聞きながら、ジンが判断している。

 さすがに選手の将来まで判断することは、まだジンには難しいのだ。


 ただこの点では、ジンは有利なこともある。

 父である鉄也が、NPBのレックスのスカウトであるということだ。

 プロのスカウトはシニア、あるいはリトルの頃から、将来の大器を見つけにかかる。

 最終的にはどんな選手になるのか、それを見極める力は、かなり高いと言ってもいい。

 そこからシニアの監督に話して、選手を帝都一に紹介してきたりもする。

 だがせっかくの才能であっても、高校時代はくすぶるということはあるのだ。

 高校生というのはまだ、成長期が終わっていない。

 なのでアメリカなどでは、学生スポーツは大学の方が盛んだ。

 MLBにしても高卒よりは、大学中退などで入ってくることが多いのだ。


 様々な形の監督がいる。

 選手たちの背後にいる、そんな監督たちの采配。

 それを直史や瑞希に説明させて、楽しむ程度の余裕がある、佐倉法律事務所であった。

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