第58話 主役は誰か

 直史に高校野球地方大会の解説を頼むというのは、果たして誰の案であったのだろうか? いやそもそも、本気の案であったのであろうか?

 後の世に記録が残っていないので、それは分かっていない。

 ……普通に直史に訊けば、答えてくれたであろうが。

 ただ別に変な便宜などはなく、純粋にやってみたいからやってみた、というのが本当なだけではあるのだが。


 この件については、秘密裏にことが運んだと言うよりは、誰もが単純にあまり周知しなかっただけである。

 ただ当日、さすがに知らされた星は驚いたが。しっかりと三里は勝ち残っていた。

「人を驚かせるためだけにやってる?」

「いや、普通に面白いと思っただけだが」

 直史の面白いというのは、自分が面白いかどうかである。

 他人を驚かせて面白がる稚気というのはない。


 星は驚いたが、すぐに対処することにした。

 即ち対戦相手にも、直史の実況解説の情報を流したのである。

 三里の選手はまだしも、星を通じて直史という存在に免疫がある。

 だが将来的にプロを現実的に考えている、トーチバの選手などには過剰な反応をもたらすだろう。

 それがいい方向に出るか、悪い方向に出るか。

 元々戦力的には不利であるのだから、ここは少しぐらい賭けてもいいであろう。




『夏の高校野球選手権大会、千葉県大会は本日より準々決勝となります。ここ千葉マリーンズスタジアムでは、県立三里高校と東名大付属千葉高校の対戦、実況は私小池、解説には元アナハイム・ガーディアンズの佐藤直史さんと、その奥様で野球ノンフィクションライターの佐藤瑞希さんをお招きしております。なお試合中は混乱を避けるため、奥様は旧姓の佐倉さんでお呼びいたします』

 この放送を見ていた人間はそれほど多くはなかった。

 だが今の実況の紹介を聞いて、え? と思った人間は多かったはずだ。


 そしてたいがいの人間が思った。

 いや、お前そんなところで何してんの? と。

『佐藤さんは高校時代、白富東のエースとして、三里高校とは対戦の機会がありましたが』

『エースというのは少し語弊があるかもしれませんが、三里との対決は思い出深いですね。監督の星さんとは、大学とプロでは同じチームになりましたし』

 いや、背番号がどうであろうと、白富東のエースはずっとあんただったよね?

 隣の奥さん、そのあたり突っ込まなくていいの?


 確かに直史の背番号は、三年の最後の最後に1となったが、それまでは10や20で続いていた。

 1をずっとつけていたのは、岩崎である。

 だがそれは別に、この試合には何も関係はない。

 視聴者はツッコミを入れたいが、果たしてどこにツッコミを入れるべきか。

 とりあえずSNSで、この試合の解説が拡散されていった。


 千葉の地方局であるので、基本的に見られるのは千葉県と、その隣接している地域に限られる。

 なのである意味、この試合のプレミアム的な価値は、普通に全世界放送されたMLBの試合よりも、高かったかもしれない。

 なお現役のプロたちは、そっちの解説をするんかい!と関西弁でツッコミを入れたものだ。

 届かない声を無視して、直史と瑞希は試合前の、両チームの分析をしていった。

『単純に戦力的に言えば、トーチバが上回っていますが、三里はベスト16の蕨山戦で接戦をものにしていますからね。高校野球は勢いを上手く活かせば、前評判を覆すことはありますから』

 なお言っている当人は、前評判を覆させたことはない。

 勝つだろうと思われれば、当たり前のように勝ってきた。




 トーチバは東名大の付属高校の一つであり、その一番強いのが東名大相模原である。

 神奈川に存在し、数度の全国制覇もあるこのチームには、ぶっちゃけ東名大系列の中でも、一番才能のある選手が集まると言ってもいい。

 実際に春季大会でも、見事に関東を制しているのだ。

 

 言ってはなんだがトーチバは同じ系列でも、関東ではやや劣る戦力が入ってくるのだ。

 これが関西や九州ともなると、その地方の優れた中学生が進学したりするのだが。

 ただ大学でもやりたいという選手であれば、トーチバに入っておけば間違いない。

 それぐらいには知られているのが、トーチバというチームである。


 トーチバはこの夏の大会、六人のピッチャーを使って、ここまで勝ってきている。

 ただでさえ強い私立が、継投できるピッチャーをそんなにも作っているのだ。

 もっとも直史はそこは、それほど極端に差はないと思っている。

 むしろその多すぎるピッチャーをどう運用するかで、トーチバは戦術をミスする可能性が高い。

 エースナンバーが真にエースである必要があるのか。

 三里や勇名館と違って、トーチバには真のエースがいないと、直史は考えている。


 なお瑞希はデータ面を見て、トーチバがあくまでも戦力的には有利と解説をする。

 だが結局のところ、この二人の意見は合致するのだ。

「「高校野球は何が起こるか分からない」」

 いやいやいやいや、他の誰が言ってもいいけど、あんただけは言ったらいかんでしょう。決勝戦で何をやっていましたか?

 もちろん直史にしてみれば、負けた試合の記憶があるから、そんな発言が飛び出てくるのだろう。




 情報の拡散が速い時代である。

 それでも当初は確認の手段が少なく、冗談ではないかと思われていた。

 だが一次発信者である人物が、リアルタイムでこの試合と解説をネットに流し始める。

 完全に違法行為であるのだが、興奮のあまり本人も気づいていない。

 試合の途中から、それを追いかける人間が増えていく。

 既に夏休みに入ってはいるが、平日の試合であるのに。


 直史は解説をしているだけである。

 それなのにどうして、視聴率が上がっていくのか。

 芸能事務所が色々と、美味しい話を持ってくるのは、いったいどうしてなのか。

 直史は己の影響力を、いまだに自覚していなかったらしい。


 千葉の地方局は、視聴率がどんどんと上がっているという報告に、かなり引いていた。

 確かに夏の高校野球は、地方大会であってもそれなりに、人気のある番組ではあるのだ。

 自分の出身校が戦っていたら、なんとなく見てしまうこともある。

 ただ平日の昼に、どうしてこんな数字が出ているのか。

「え? なんで佐藤選手が解説なんかしてるの?」

 現場はともかく上層部は、これについて把握していなかった。

 もちろんちゃんと、報告は上がっていたはずなのだが。


 もう選手ではないのだが、それは関係ないのだろう。

 別に投げているわけでもなく、ただ解説を夫婦でやっているだけなのに、視聴率が上がっていく不思議。

 もはや世界におけるある種のバグ。

 そんな認識をされる、大サトーである。




 世間がおかしなことになっているとは気づかず、直史は普通に試合を解説していた。

 立場としてはやはり、前に試合も見ていたし、大学とプロで同じチームにいた、星の三里に寄った解説となる。

 ただこういう私立と公立の対戦は、見る側にとっても公立を応援する場合が多い。

 特に中立の立場の人間であると、弱い方を応援する判官びいきというものがあるのだ。

 確かに三里は、戦力ではトーチバにはかなわないであろう。

 だが一発勝負のトーナメントでは、勢いというものが侮れないのだ。

「前の試合の接戦を制したという経験が、どうポジティブに働くのか、見ものですね」

 直史がそう言えば、そういうものかと思ってしまうのだ。


 先攻を取った三里は、一回の表からしっかりとランナーを出していく。

 だがそこでしっかりと勢いを止めてしまうのが、名門の私立の強さといったところであろうか。

 先制できればかなり面白い、と直史は思っていた。

 それをしっかりと止めるあたり、私立はやはり強いと言うべきか。


 ただ準々決勝で、お互いのチームの応援スタンドには、それなりの観客が動員されている。

 それなのにスマホに手を伸ばす、多くの観客たち。

 ネットで違法配信されている、この試合のテレビ放送。

 直史が解説しているのを聞きながら、ついでのように応援をしているのである。


 なんと迷惑な存在であろう。

 いやもちろん、直史に悪気はないし、責任もないのは確かだ。

 強いて言うなら解説を依頼した人間が悪いとでもなるのかもしれないが、まさかこんなことになるとは、さすがに予想もしていなかったであろう。

 存在自体が罪。

 それはさすがに言い過ぎであるが、影響力が強すぎるのは確かだ。

 なにせ弁護士事務所においても、直史を指名してやってくるような、依頼人なのだかファンなのだか、分からない人間もいるのだから。




 試合の展開は、序盤からトーチバが押しているものとなっていった。

 ただ観客席の応援スタンドの反応が、いつもとは違う。

 三里側は星が、理由をしっかりと把握していた。なので選手たちに動揺はない。

 だがトーチバ側は、違和感を覚えていた。


 高校野球は応援によって、その勢いや流れが変わることがある。

 序盤はとにかく我慢だ、と思っていた三里の選手たちは、先取点こそ奪われたものの、ビッグイニングは作らずに一点差で試合を進める。

 トーチバは毎回のようにランナーを出すが、なかなかそれが点につながらない。

 そしてチャンスを潰すたびに、スタンドの応援の反応が薄れていく。


 私立は応援も強いものなのだ。

 それがこうやってノリきれないのは、スタンドでスマートフォンをいじっている人間が多いからである。

『トーチバはチャンスを散々に潰されてますね。三里は一つのチャンスを作り出せば、そこが応援のしどころだと思いますが』

 そんな解説とグラウンド整備が入った後、三里は先頭打者が出塁する。

『面白い展開になってきましたね。ここで同点に追いつけば、一気に流れを掴めるかもしれません』

 そしてここぞという時に、一気に集中できるのが、今の三里の強いところである。


 絶対に最低限の仕事はこなすぞ、というバッターがツーストライクから送りバントを決める。

 打てないと思えば判断を変えるのは、清清しいものである。

 ワンナウト二塁というのは、まだ一打で一点とはいかない。

 ワンナウト三塁となれば、一気に得点の確率は上がるのだが。

『ここはどうにかランナーを進めたいですね。打順も上位に戻ってきます』

 このチャンスを、しっかりとものにしてこそ、勝機というのは見えてくるだろう。


 そして三里が選んだのは、セーフティバントであった。

 あるいはさらに送りバントか、という選択も頭にはあったのかもしれないが。

 三塁線ぎりぎりのバントで、二塁ランナーは三塁へ。

 そして捕球したサードに、キャッチャーは送球をストップさせる。

『三里はバッティング練習の最初に、クリーンナップでもバントの練習をしていましたからね』

 直史の解説に、トーチバ側の応援スタンドは、頭をかかえたりしたものである。




 直史は大学野球の頂点を極めて、プロでも頂点を極めておきながら、基本的に体育会系のノリが嫌いである。

 だからこそ今は、こうやって弁護士などをしているのだが。

 しかし金にもならない立場で、冷静に一つ一つのプレイなどを解説するのは、それなりに面白いものだ。

『今の選択はどうでしょう?』

『難しいですね。トーチバもここで突き放しておきたかったのでしょうが、三里はビッグイニングを潰すように、守備は徹底していますから』

 再び一点だけリードした、トーチバである。


 先制はしたものの、わずか一点で、中盤には追いつかれる。

 そこからまたリードはしたものの、たったの一点だけ。

 確かに点は取っているのだが、三里の守備には判断のミスがない。

 対してトーチバの打線の方は、次第にフラストレーションがたまってくる。


 別に三里の方も、余裕があるというわけではないのだ。

 この試合は一度もリードしておらず、相手は後攻なのである。

 追いついたとしても、またリードされてしまう。

 状況的にはお互いに、メンタルを削りあっている展開だ。


 トーチバの監督も星も、これは分かっている。

 特に星などは、選手時代から格上に勝つことは、よくあることであった。

 まず監督が諦めず、不動の心を持っていないと、選手たちの心も折れてしまう。

 それが分かっているだけで、星にはやはり充分な指揮官の資質がある。


 直史がどんな解説をしていようが、それはベンチにまでは伝わらない。

 スタンドの応援の熱量は、微妙に三里を贔屓してはいるだろう。

 別に直史でなくても、公立が私立に勝つという方が、世の中の野球おっさんは大好きなのである。

 直史も年齢的には、充分に野球おっさんであるのだ。

 他の誰も、そんなことは言わないだろうが。




 試合は終盤に入り、またも三里が追いついた。

 2-2というスコアになったが、すぐにまたトーチバが一点を追加する。

 まるでマラソンのような、追いついては引き離し、追いついては引き離しというこの試合展開。

 トーチバ側からしても、ここで一度でも逆転されれば、一気に流れは向こうに行ってしまう気配がある。

 三里もそれを感じている。


 九回の表、またも三里が追いついて3-3となる。

 これは延長に突入か、と双方も解説も応援も、予測してしまう。

 しかしこの中で星だけは、一気に逆転を狙っている。

 ツーアウトながらも、まだ三塁にランナーがいるという展開。

 ここで指示したのが、ピッチャー前へのバントヒット狙いであった。


 これは技術論ではなく、精神論の問題になる。

 現役時代から、直史でさえも認めていた、星のメンタル。

 その星からしても、この場ではやってほしくないということ。

 それは、最終回にぎりぎりで追いつかれた、ピッチャーに対するバントである。


 落ち着いていれば、そして少しでも予測していれば、簡単に処理してしまえうプレイだ。

 だがあと一個のアウトを取って、どうにかベンチに帰りたい。

 そんな思考の間隙を突くようなバントであった。

 普通に処理すれば、それでアウトに出来たはずのボール。

 だが逆シングルでつかんだボールを、投げようとした時に、マウンドの境でわずかに躓く。

 そこから投げたボールは、ファーストのミットの届く範囲にはない。

 ライトがカバーに入る間に、当然のように一点が入っていた。


 4-3とこのぎりぎりの場面で、初めて三里がリードした。

 ホームを踏んだランナーをベンチが出迎える中、星だけはまだ緊張感を保っている。

『ついに三里、この試合において、初めてのリードに成功しました!』

『星監督、まだ厳しい表情を崩していませんね。このまま最後まで気を抜かなければ勝てるでしょうが』

『三里は今大会、終盤の八回九回で点を取られていることが、ほとんどありません』

 瑞希が客観的な数字を述べる。

 それは春季大会から、三里が課題としていたことなのだ。


 一人のエースをどうやって使っていくか。

 ロースコアゲームに持ち込んで、終盤にどうにか競り勝つ。

 今日の試合展開は厳しいものであったが、そもそもの三里の戦略からは、逸脱したものではない。

 辛抱してようやく、ここで予定通りの展開となった。

 さすがにもう一点は入らず、いよいよ九回の裏を迎える。


 ぎりぎりで追いついてさらに逆転。

 守備に就くナインを、星はまだ緊張した顔で送り出す。

 球児たちは肉食獣の笑みを浮かべながら、力強く己のポジションへ全力疾走。

 自分のところに飛んできたら、それをアウトにしてやるという、気迫が前面に現れている。


 明らかに三里の勝利する流れになった。

『ただトーチバは長打力のある選手がいますからね』

 直史はそうも言うのであるが、たとえば代打などであれば、その打力は偽装したものであったりもする。

 本当に打てるバッターであれば、打順のどこかに置いておくことが多いのだ。


 ただトーチバはこの大会、ここまで追い詰められた試合は今までなかった。

 なのでここで、九回の裏、先頭打者から代打を使ってくる。

『今大会、一打数一安打、どうでしょう?』

『トーチバが九回一点差で諦めることはありません。もちろん勝算あっての代打でしょうが、他にも準備をしているようですね』

 確かに流れは、三里に傾いたと言えるだろう。

 だがこんな状況でも、まだ勝ちにいくのが、鍛えられた私立というものなのだ。

『三里の守備陣に、緊張がないようなのが幸いですね』

 エラー一つで、展開は大きく変わるであろう。



×××



 本日はパラレルも更新しています。

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