第56話 夏の前日

 春季県大会が終わって、白富東も三里も、練習試合を開始しているらしい。

 結局この年、関東大会にまで進んだのは、トーチバと勇名館の二校。

 特に勇名館は準決勝でも接戦を制し、その勝ち運に乗ったように、千葉大会を優勝した。

 さらに関東大会も、決勝で神奈川の東名大相模原と対決。

 ここでは力尽きたものの、明らかに春季大会以前より、その力を増していたといっていい。

 おそらくは夏の最有力候補として、第一に上げられるだろう。

 ただ実際にそこまで勝ち進み、最後の一戦には負けてしまったこと。

 この経験がおそらく、さらに勇名館を強くしただろう。


 白富東が負けた時点で、興味のほとんどを失っていた直史は、かなり意外であった。

 直史が見ていた限りでは、そこまでいくとは思っていなかったのだ。

 だが接戦を勝つことが、高校野球でチームを飛躍させることは普通にある。

 勝っていった試合のスコアだけを見ても、勇名館は上手くエースを活かせるようになったらしい。


 かつて勇名館が最初に甲子園に行った時も、春季大会で白富東に、まさかの敗北を食らったからだと言われている。

 あれでケツに火が点いたのだと。

 今度は別に、まさかと思う敗北を喫したわけではない。

 だがあと一歩で関東の頂点に立つところまで、勝ち進めたのだ。


 関東の頂点に立つというのは、近畿の頂点に立つのとさほど変わらない。

 つまり甲子園での頂点も狙えるのではないか。

 そんな甘いものではないぞ、と直史が言っても全く説得力はないであろう。

 とりあえず上手く、東郷監督は勇名館の選手たちを乗せるのに成功したらしい。

 今年の夏の選手権、千葉の最有力に上り詰めるのも当然といったところか。




 そんなわけでようやくというか、それでも感覚的には早くもというか、夏の準備が始まる。

 白富東は東京に遠征し、帝都一と仙台育成の両チームと、練習試合を行うことになっている。

 その時に来てくれないかな、と北村と共にジンまでが言ってきているので、人脈を蔑ろにしない直史としては、行かないわけにもいかない。

 ただし雨が降って試合が中止になれば、その時は行かないぞ、といっておいたものであるが。

 もちろん晴れて、行くことになるまでがセットである。


 さすがに練習試合まで、子連れで行くことはない。

 千葉と東京はお隣さんであるが、交通の便を考えれば、それなりに時間はかかったりするのだ。

 ただ帝都一に関しては、直史も懐かしい思い出がある。

 初めて生で上杉や樋口と会ったのも、あの場所である。

 もっとも向こうからすると、上杉は直史ではなく大介の方にしか、注意は向いていなかったらしいが。

 後に樋口が教えてくれたことである。


 普通に晴れてしまったので、直史は東京に向かうことになった。

 お土産は何がいいかなどと聞いたところで、お隣さんなのでさほどの意味もない。

 問題なく到着して、やはり豪勢な設備のグラウンドに案内される。

 先に到着していた北村はもちろん、仙台育成の監督にも簡単な面識程度はある。

 淳が進学予定であった先で、シニアで同じチームであった選手が、進学した学校であったからだ。


 チームとしての実績だけを言えば、どこも恐ろしいほどの実績を誇っている。

 ただこの中では白富東だけは、この数年の実績は奮っていない。

 もっともあの時代の白富東は、本当におかしかったと言えるだろう。

 毎年のように甲子園に出場して、優勝候補に挙げられることが普通。

 春夏合わせて10年間の間に、決勝進出10回である。


 どうしてあんなに強い期間が続いたのか、その端緒となった直史でさえ、不可解なところである。

 確かにコーチ陣や設備などは、当時のプロにも劣らぬ最先端のものであったが。

 基本的には県内か、隣接した都県からしか選手は来ていない。

 それでもあそこまで強くなったのは、やはり直史と大介の影響が、ずっと続いていたということなのだろうか。

 またセイバーの醸成した雰囲気が、ずっと変わらなかったというのも大きいだろう。




 帝都一は先の春季大会において、優勝した東名大相模原と、準決勝で戦って敗北している。

 仙台育成は東北大会で、準優勝であった。

 直近の成績においては、明らかに白富東が格下。

 それでも過去の栄光は、まだ明らかに残っている。


 今の生徒たちなど、直史たちが甲子園で活躍した姿は、過去の映像でしか見たことがない。

 だが直史と大介の勝負は、当たり前だが全員が見ている。

(俺が高校生だった頃は、まだ生まれてなかった世代か)

 年を取ったなと思う直史であるが、あの頃から一番体型も体力も変わっていないのは、先日まで現役だった直史であろう。


 本日の依頼は、主に投手陣の臨時コーチ。

 ジンも日々バージョンアップしているのだが、設備のバージョンアップは追いつかないところがある。

 私立の超強豪であっても、無限に金が使えるわけではない。

 本当にセイバーは、とんでもないほどに金を使ったものなのだ。

(一日でそうそう、結果が出るはずもないもんだけどな)

 また無自覚に、直史は強豪を、超々強豪に進化させてしまうのかもしれない。




 名選手が必ずしも、名コーチや名監督になれるわけではない。

 たとえば直感型のプレイヤーであると、自分の技術や他人の違和感を、言語化しにくかったりする。

 もっとも電話越しに、バットのスイングの音を聞いただけで、おおよその判別がついてしまう人間もいるらしいが。

 ただそれは直感型と言うよりは、経験の蓄積からきたものであろう。


 しかしジンも北村も、直史に関してはそれほど疑っていない。

 ジンは三年間を同じチームで過ごし、ジンも見逃しかけていた武史の故障の前兆を、直史が見抜いたことを憶えている。

 北村にしても高校時代はともかく、大学時代は直史と樋口の会話をよく聞いていた。

 大学には全く期待していない、練習にもあまり参加しない、それでいて自分たちだけで練習をやっていた二人。

 指導者からすればたまったものではないほどクソ生意気と言うか、それ以前の問題の存在なのであるが、圧倒的な力ゆえに使わざるをえない。

 なにしろ直史は在学中、一度も負け星がつかなかったのだから。


 一年後には武史が、二年後には淳が来て、同じ県出身の星も結果を出して、つまるところ樋口はスゲーとなった。

 だが直史と樋口は、理論でしっかりと語り合える関係であったのだ。

(俺よりも多分、樋口の方がすごかったんだろうな)

 そこのところわずかに、コンプレックスがないでもないジンである。

 しかし育成というのは、単に技術だけの問題ではない。

 特に高校生であれば、まだお山の大将であることが多いのだ。

 指導力とは技術だけではなく、精神の育成も必要となる。


 


 お山の大将の鼻をぽっきりと折ってしまうこと。

 それは単純に、もっとすごい選手を見せてしまうことである。

 ジンは選手としては、六大学でも控えのキャッチャーではあった。

 ただし監督としての実績は、既に名将の域に達している。

「でもまだ、子供が高校生になったわけじゃないしなあ」

 そのあたり北村もうんうんと頷いているので、なにやら親にならなければ、やはり理解できないことはあるらしい。

 これまで瑞希に任せてしまっていたことが多い直史は、そんなものかと首を傾げてしまうのだが。


 これに関しては仙台育成の監督は、しっかり成人した息子もいらっしゃる。

 だが自身は指導者として野球にかまけすぎていて、実の子供からはあまり敬意を払われていないらしい。

「私のような男親になったらいかんよ」

 なるほど、身につまされるが、まるで参考にはならない。


 帝都一は白富東ほどではないが、春季大会では、五人のピッチャーを使っていた。

 一番少ない試合でも、三人はピッチャーを使って継投させている。

 このあたりの思考は完全に、北村とジンの思考は似通っている。 

 対して仙台育成は、エースに完投させた試合が三試合もあった。


 昭和の野球、というほど卑下したものではない。

 単純に仙台育成には、絶対的なエースがいたからである。

 まだ二年生の中島というピッチャーは、去年の夏に一年生で甲子園デビューし、準決勝進出の大きな要因となった。

 もっともそこで無理をしたため、秋季大会では満足な結果を残せず、センバツには洩れてしまったわけだが。


 一年の夏に甲子園のマウンドを踏んだということは、完全にプロ注目の選手である。

 ただ調子を落としたために、肉体をケアする重要性を学んで、そこでメンタルの方も成長したらしい。

 特にガツンと言う必要もなく、今日もブルペンで調整をしていた。

「ありゃあプロに行くね」

「そういや大田は、何人プロ育てたんだ?」

「大学経由含めてなら九人ですね」

「意外と少ない……のか?

「兵庫時代は一人しか行ってないですしね」

 だがジンが育成に関係した最高の選手は、直史と大介ではないだろうか。

 大介の方はあまり、関係してないと本人は言うだろうが。




 第一試合は、仙台育成と帝都一の試合となった。

 お互いに最大戦力を持ってくる、本番を見据えた試合となっている。

 試合は仙台育成が先制し、おおよそ終盤までは流れを持ってきていた。

 だが八回の攻撃で、帝都一は一挙三点を取って逆転。

 なるほどな、と直史は帝都一側のブルペンで、継投するピッチャーの準備を見ながら考えた。


 仙台育成の監督は、いまだに夢を見ているのだろう。

 頭が固いというわけではないのだが、エースに固執しすぎている。

 今の時代、一人のピッチャーが完投する、というのは一般的ではないのだ。

 プロ生活の九割以上を、完投してきた直史が言っても、全く説得力はないだろうが。


 上杉でさえ近年は、完投は半分にも満たないようになっている。

 さすがに今年で36歳になるので、年齢的なこともあるのだろうが。

 むしろまだ半分近く完投しているあたり、やはり超人であろう。

 ……なお三歳年下の武史は、まだ半分以上完投しているが。

 NPBではなく、MLBにおいて。


 エースを信頼していると言っても、まだ二年生である。

 それならいっそのこと、序盤は他のピッチャーに任せた方がいいのではないか。

 ただ高校野球は、序盤の試合の入り方で、一気に試合が決まってしまうこともある。

 だが今のままだと終盤に、捕まってしまうことは確かなのだ。


 仙台育成のスコアを見たが、魔の七回はどうにか抑えても、八回か九回の失点が多い。

 それでも控えに比べれば、まだ信頼できるということなのではあろうが。

 勇名館のように、先発で序盤を投げて、一度マウンドを降ろしてから終盤にまた使う。

 この面倒な作業が、高校野球では主流となるのではないか。

(一度肩を冷やすと、また作る必要はあるだろうけどな)

 先発完投に美意識を感じている直史だが、それを誰かに押し付けようとは思わない。

 試合は帝都一が、終盤逆転して、そのまま決着した。

 



 昼食後の第一戦が、帝都一の二軍と白富東の対決となる。

 なんだかはるか昔から、帝都一の二軍とは、練習試合をしている気がする。

 実際のところ戦力的には、今の白富東と対戦するには、ほどよい実力差、と言えるだろうか。

 野球部員の数が倍以上は違うが、違うのは数だけではない。

 基本的に帝都一の野球部に入るような選手は、当たり前に甲子園を、そして全国制覇を狙ってきている。


 全ての選手には目が届かない。

 なのでジンが特に注意するのは、野球で将来を掴もうとする生徒。

 プロとまではいかなくても、大学や社会人でも野球を続ける情熱。

 そういったものを持つ選手は、現在の実力とは関係なく、上を目指せるような育成を考える。

 単純に野球の仕事がしたいだけなら、選手にこだわる必要はない。

 コネクションを最大限に活かして、球団の職員や、トレーナー、そして新聞記者などといった、幅広い選択肢を用意する。


 ジンは基本的に、高校野球が好きである。

 そのために大学では、様々なことを学んだ。

 高校野球で強くなり、そしてプロの選手までを輩出する。

 野球の裾野を広げていかなくては、高校野球も衰退するのだ。

 とりあえず髪型の坊主は、真っ先に廃止した。さすがに長髪は禁止したが。


 白富東というチームから出た才能は、もちろんトップレベルの、しかも歴史的に見てトップレベルの選手が、わずか数年に固まっている。

 だが成績ではなくとも歴史的に見て、類稀なる選手をも輩出している。

 それが鬼塚である。

 高校野球に喧嘩を売ったという点では、ノックすら出来ない女監督のセイバーに、女子選手のシーナと、とにかく固定観念を破壊している。

 ジンが指導の上で一番大切にしているのは、この思考の柔軟性であろう。




 この日、白富東は帝都一の後に、仙台育成とも対決する。

 ピッチャーの継投はしていくが、普段よりもその使える人数が少なくなる。

 直史はこれを見ていて、ここに弱点があるだろうな、と思った。

 甲子園まで行くまでもなく、夏の地方大会では、勝ち上がれば勝ち上がるほど、試合間隔は狭まってくる。

 それも甲子園一つの球場で行われるわけではないので、日程的には地方大会の方が辛いぐらいだ。

 地方大会は一回戦や二回戦を、いかに楽に勝っていくかも重要だ。

 どんな試合にも全力、などと言ってエースに全てを任せる監督は、死ぬべきだと直史は思っていたりする。


 帝都一との対戦は、Bチームが相手であったのに、それなりに点差をつけられて負けた。

 Bチームで監督にいいところを見せたいであろうに、堅実にプレイしてくるのだ。

 才能にあふれた選手たちが、油断せずに隙なくプレイしてくれば、まず勝てるものではない。

 ただ高校野球なら、もうちょっと自己顕示欲が強くてもいいのでは、と直史は全く逆の発想もしたりする。


 三番手相手でも、左で140km/hを投げるピッチャーを平気で出してくる。

 そのあたり帝都一は、ピッチャーの層が厚い。

 そして三試合目は、仙台育成のBチームとの対戦である。

 こちらは序盤こそいい勝負であったものの、徐々に点差をつけられていって、結局はやはり負けた。

 練習試合なのだから、負けるのは仕方がないのだ。

 練習試合であっても負けたくない、と思う心意気も重要ではあるのだが。


 白富東の選手たちは、徹底して理論的に野球に対している。

 なので根性論がものを言う段階では、頼りないところもあるのだ。

 もっとも精神論では戦わないというのは、白富東の部訓と言ってもいい。

 それでも相手の嫌がることをしっかりとして、試合が成立するぐらいにはしている。

 野球はメンタルスポーツであり、戦術のスポーツでもある。

 ただその戦術における前提となる戦力が隔絶していれば、勝てないのも確かだ。

 そのあたりが今の、白富東の限界であろうか。




 試合が終わってから、三つのチームのピッチャーに、直史によるコーチが行われる。

 コーチと言うよりは、指摘と視点が主なものであるが。

 帝都一も仙台育成も、期待の一年生ピッチャーというものがしっかりいる。

 だがど真ん中ストレート以外はコントロールが壊滅していたりすると、一度は外野もやってみれば、という話にもなる。

 そもそもピッチャーをやるような選手は、他のポジションもするぐらい、運動神経はいいのだ。


 帝都一も仙台育成も、スカウトで取るような選手は、ピッチャーかショートが多い。

 このポジションに運動神経のいい選手が固まることが多いからだ。

 あとは外野であれば、センターには俊足の選手が欲しい。

 白富東は体育科の入試においては、かなり一芸で選手を取っていたりする。

 この練習試合においても、走力と守備力においては、他の2チームにも負けないとは思えたのだ。


 やはり単純な打撃力が問題だ。

 連打で点を取ることが、かつては高校野球の王道であった。

 だがウエイトトレーニングなどで、高校生にもホームラン革命の波は押し寄せている。

 一発を打てる選手のいないのが、白富東の弱点か。

 だが打撃を鍛えるというのは、一朝一夕にいくものではない。

 戦術の充実により、得点力を上げていく。

 白富東は足で勝負する野球をするのだ。

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