第48話 コーチ

 勝利至上主義は正しくない。

 だが勝利を目指さないというのも、逆に偽善的である。

 間違っているのは労力に対しては必ず結果がついてくるという思想と、結果をもたらすためには労力をとにかくかければいいという思想。

 どちらも古い精神論である。


 日本社会の悪癖として、とにかく時間をかけさえすれば、結果が出てくると思っているところがある。

 いや、結果が出ていなくても、時間をかけろと思っているところだろうか。

 現在のスポーツにおいて重要なのは、もちろん練習やトレーニングは大きな割合を占める。

 だがその割合は、三割程度でしかない。

 他は、一つには食事である。エネルギーを補給すると共に、フィジカル強化のためには栄養が必須である。

 そしてもう一つが休養であり、いまだに毎日八時間以上、年に数日しか休みを取らずに鍛え続ける、などということをやっている学校はあるらしい。


 休まないと体は回復しないし、それどころか成長もしない。

 かつてコロナウイルスによって国民の活動が全般的に低下した時、高校球児の球速が上がった、などというデータが何例かあった。

 それを詳細に分析してみたところ、練習量の低下などにより、休養の時間がある程度増えたため、これまで消費されていた栄養素が、肉体を作るのに回されたのだ。

 やりすぎは怪我の元と言うが、同時に成長を阻害する、というのと同じである。


 これは極端な例であるが、練習やトレーニングによる負荷は、選手によって変える必要がある。

 考えてみれば当たり前で、既に100の力を持っている人間に、50のことばかりをやらせても、ほとんど意味はない。

 逆に50の力しかない人間に100のことをやらせては、無理がかかる。

 基本的に無理をかけて、つまり負荷をかけることで、体をそれに耐えられるようにする。

 その肉体をちゃんと調べた上で、適切な負荷をかけていかないといけないのだ。




 直史は今から思えば、自分の中学時代の練習メニューなどは、フィジカルを鍛える上では、正しかったと思っていない。

 武史を見れば分かるように、もう少し控えめにした方が、おそらくフィジカルは今より高くなっていた。

 その場合MAXスピードが100マイルオーバーという直史が、誕生していたかもしれない。

 だがフィジカルがそこまで成長しなかったからこそ、直史はテクニックを磨いたとも言える。

 どちらが成功だったかは、結果からは分からないものだ。

 ただ結果だけを見れば、これ以上の成績を残すピッチャーが誕生したとは思えない。

 史上最強のピッチャーが誕生したのは、様々な偶然が絡んだ結果。

 だが一歩間違っていれば、途中で故障するか、平凡なピッチャーになっていたであろう。


 そんな直史なので、自分のやった練習やトレーニングなどは、絶対に教えない。

 いや、あるいはそんな特異な才能に、再び出会うこともあるのかもしれないが。

 今の直史は内田の、アンダースローから投げるストレートとシンカーをたっぷりと見た。

 1イニング、あるいは一人か二人なら、初見ではおおよそ打ち取れるであろう。

 20人のベンチ入りメンバーなどというが、実際にそれを全部使うようなチームは滅多にない。

 だが白富東は、全員使うつもりで戦うのだ。


 そして細川がマウンドに登る。

 この身長から、いったいどうやって投げてくるのか。

 だが投げたのは、カクカクとした動きからの平凡なストレート。

 球速もさほどは出ていないし、他にも特筆するべき点はない。

 今の段階で、戦力になることはないだろう。

 それでも体格というのは才能である。


 体幹を鍛えて、柔軟性とバランス感覚を鍛えて、それから順調に筋肉をつけていく。

 今はまだまともに、ボールを投げることも出来ていない。

 おそらく中学時代に身長が急に伸びたことで、小学校時代の感覚を失っているのであろう。

 メンタルと目的意識次第だが、これは大学野球で花開くタイプであるかもしれない。

(いや、うちの練習を知ってから、大学野球は無理だな)

 白富東の合理と効率と現実主義に慣れた人間に、大学の体育会系野球部は無理であろう。

 そしておそらく本人も、そこまでやるつもりはないのではないか。


 今の白富東に、将来はプロを目指す、などという選手は入ってこないはずだ。

 ただそういった無茶な選手も、一人か二人はいた方が、チームはまとまったりする。

 直史自身は体育会系を否定するが、集団ではなく組織の中には、そういったメンタルの持ち主もいた方がいい。

 そのあたりは選手と、そして北村がどう考えているかが、結局は重要になる。


 とりあえず一年生からは一人、と直史はリストに入れた。

 あとはベンチ入りしていない上級生から、もう一人ピックアップするべきだろう。

「キャプ、じゃなかった北村監督、とりあえず使えそうなのは一人いました」

 直史でもこういう時、いい間違いはしてしまうものだ。

「いたのか」

「サウスポーのアンダースローです。力で抑えられないときは、使ってみるのもいいかと」

 しかもストレートだけじゃなく、シンカーも使えるのだ。

 

 春のブロック大会は、間もなく開催する。

 それまでに戦力化するのは、北村にとっても大変なことだろう。

 だが教師になって10年以上経過しても、まだ北村の中には、指導者の情熱が全く衰えずに燃えているのであった。




 野球において一番重要なポジションは、間違いなくピッチャーである。

 そして現在においては、夏の酷暑化と球数制限により、エース一人で甲子園の決勝まで投げぬくことはほぼ不可能である。

 そもそも直史からして、岩崎に武史、アレクに鬼塚に淳と、イニングを分け合って甲子園を勝ち抜いていった。

 エースを温存して、ここぞという場面に使う。

 あるいは決勝にこそ、エースを投入する。

「だが現実的な話をすると、どんなすごいピッチャーでも真夏の甲子園の決勝で、完投して勝つというのは現実的ではない」


(あんたが言うな)(あんたが言うな)(あんたが言うな)(あんたが言うな)

(あんたが言うな)(あんたが言うな)(あんたが言うな)(あんたが言うな)

(あんたが言うな)(あんたが言うな)(あんたが言うな)(あんたが言うな)

(あんたが言うな)(あんたが言うな)(あんたが言うな)(あんたが言うな)

(あんたが言うな)(あんたが言うな)(あんたが言うな)(あんたが言うな)


「お前が言うな」

 部員たちの心の声を代弁したのは、さすがに北村であった。

 直史は15回をパーフェクトに抑えた翌日、九回を完封している。

 以降、こんな無茶をしたピッチャーは、一人も現れていない。

「このことから多くの強豪校は、エースクラスが二枚は必要と、勘違いしている」

 それは勘違いなのか、という視線が向けられる。

「必要なのはエースじゃない。短いイニングなら最小失点で抑えられるピッチャーだ」

 それをエースと言うのではないか、という視線が向けられる。


 実際のところ夏の高校野球を戦っていけば、千葉などはまず県大会からしてかなりの労力が必要となる。

 ここで疲労していると、甲子園までには回復しない。

 出来れば県大会においてさえ、エースが投げる場面は少ない方がいい。

 それでも後半になれば、試合日程は詰まってくる。

 どうやってこれを乗り越えるかが、まず地方大会での課題となる。




 直史はプロで活動していたので、色々な戦術を知っている。

 その中の一つに、オープナーというものがある。

 これは本来リリーフなどの、短いイニングを全力で抑えるピッチャーを、あえて初回の先発として出すというものである。

 どちらかというとこれは短期決戦向けであり、つまりは高校野球に向いている。

 初回と、出来れば二回までの、相手のバッターの強いところをまず抑える。

 その間にこちらが先取点を取っておいたら、それだけで高校野球レベルでは、精神的な優位に立つことが出来る。

 先取点は正義なのだ。


 このピッチャーは状況と相手によるが、最初の相手の攻撃を防いだら、ベンチに下げるなりポジションを代えるなりして、長いイニングを投げるピッチャーを持ってくる。

 ここからどう安定して投げて試合を作るか、この二番手ピッチャーには試合をコントロールするメンタルが必要になる。

 おおよそピッチャーのスタミナが切れるのが、六回前後とする。

 そこからはどんどんと継投で、それこそバッター一人ずつでもいいから、アウトを重ねて終盤に持っていく。

 この時、クローザーをフィールドに残していたなら、最後の1イニングか2イニングを、また任せてしまってもいい。

 直史の考える戦術の一つが、このピッチャーの運用である。


「ピッチャーは確かに一番大事なポジションだが、それを一人で背負う必要はないんだ」

 直史がある種の理想とするピッチャーは、星である。

 球速はそれほどでもなく、変化球はそれなりに多いが際立ったものはなく、それでいながらプロでそれなりの成績を収めて、勝ち星やホールドをかなり上げた。

 先発のローテにもわずかに入ったことはあるが、基本的には先発が早々に崩れた時や、七回までもたなかった場面で使われることが多かった。

 また敗戦処理で投げて、粘り強く追加の失点を防いだため、逆転し勝ち投手になったこともある。

 本来のリリーフが調子の悪い時には、リリーフもやっていた。


 星のようなメンタルを持つピッチャーが三人ほどほしい。

 もっともそれは、星のようなテクニックを持っているピッチャーを三人と言うより、よほど贅沢なことであろうが。

 あとはとにかく、メンタルの揺らがないピッチャーが一人はほしい。

 メンタルもまたトレーニングである程度は鍛えられるが、それでも生来のエースとも言えるメンタルの持ち主はいるのだ。

「タイプの違うピッチャーや、タイプが似ているようで実は違うピッチャーで、相手の打線を混乱させる」

 そう、これは戦術の中でも、心理戦と言っていいだろう。

「野球は、特に高校野球は、メンタルのスポーツなんだ」

 その点でだけは、明らかに不合理な根性論も、確かに効果はある。


 これだけやったのだから負けるはずがないという、根拠を根性として選手たちに与えるのだ。

 直史などは必要なかったが、結局負けてもチャレンジが数度許されるプロと、一試合に負ければ終わってしまうことが多い高校野球では、ある意味こちらの方が厳しい。

 特に三年の夏などは、どうやってこのプレッシャーと戦うか。

 甲子園などまるで狙うことなく、最後まで楽しんでいけるなら、それはそれでいいのである。

 だがそんなものはさすがに理想論だと、直史は理解している。

 思えばセイバーは、そのあたり見事に選手のプレッシャーを抜いていた。




 白富東の選手は、それなりには鍛えられている。

 特に守備に関しては、これは反復練習と想定練習で、かなりの上達となる。

 高校野球は守備がしっかりしていれば、それなりの試合にはなる。

 もっとも全盛期の白富東のような、ホームランを打てるバッターがゴロゴロしているようなチーム相手では、守備力も無意味になるが。


 守備の想定練習は、メンタルの強化にも役立つ。

 ピンチを想定していたとして、どう判断すればいいのか、正解を知っているということは強い。

 ただ直史の見るところ、北村の指揮では、甲子園には届かないのでは、とも思う。

 それは北村が、悪い意味で善人だからだ。


 元々選手の頃からそうであったが、甲子園に対する本当の執着がない。

 それゆえにジンは、救われたとも言えるだろうが。

 以前に会った時、監督としても全国制覇を果たしたにも関わらず、ジンは言っていたものだ。

 今でも時々、あの試合の夢を見ると。

 そんなジンはいい意味で悪党である。


 あの敗北によって、北村は選手として甲子園の土を踏むことが出来なかった。

 ジンにとってはそれが、かなりの負い目であったことは間違いない。

 ただ同じく後逸するようなボールを投げた直史は、決勝で打点を記録できなかった大介と共に、それほどの責任は感じなかった。

 二人がいなければ、そもそも決勝まで進むことは出来なかったろうと考えていたであろうからだ。

 直史は根本的な部分では、傲慢なエゴイストである。




 守備に関しては、基礎を徹底する。

 グラブでしっかりと回転を止めて受け止め、それを正しく握ってストライク送球。

 守備範囲を広くすることは望ましいが、それよりも確実にアウトに出来る打球を、確実にアウトにする。

 フライボール革命とまではいかなくても、フィジカル強化でバッターのスイングスピードは年々上がっているが、それでも本当に長打ばかりを狙えるスラッガーは少ない。

 高校生レベルのパワーでは、ミートが精一杯というバッターも多くいる。

 間を運よく抜けていく打球は、もう仕方がないと諦めて切り替える。

 しかし内野安打は防ぎたい。


 ショートとサードの選手は、控えのピッチャーでもある。

 内野ゴロによる内野安打は、プロと比べると高校野球では、圧倒的に多い。

 ショートとサードの肩が、弱いからである。

 よってこのポジションには、地肩の強い選手を配置する。

 特にショートなどは守備機会の多いポジションなだけに、一番センスのある野手が守っていることが多い。


 あとは外野だ。

 それこそ肩の強さは、外野の選手に必要なことに思える。

 だがこれも肩が強ければ、ピッチャーもやらせてしまう。

 とりあえずライトも、控えのピッチャーではある。


 直史はピッチャーが10人と言ったが、そこまで極端でないにしても、北村も多くのピッチャーは鍛えている。

 専門職とは言え、ある程度のセンスがある選手には、全部ピッチャーをやらせてしまっていいのだ。

 そもそも今の白富東だと、背番号1はいてもエースはいない。

 エースの条件は主に二つに分けられる。

 こいつならなんとかしてくれる、と、こいつでだめなら仕方がない、だ。

 つまりチームの信頼を一身に集めるということである。


 今の白富東には、そこまで強力なピッチャーはいない。

 実力的にも、メンタル的にもだ。

 正直なところ、単に肩が一番強いのは、キャッチャーである。

 だが球速は出ても、変化球が投げられるわけでもない。

 それにここだけは、控えのキャッチャーとかなりの実力差がある。




 ベンチ入りする20人の中で、ピッチャーをそれなりにこなせるのが七人。

 充分に多いと思えるかもしれないが、最低限の技術があるピッチャーである。

 そして専業ピッチャーであるのは、一年生の内田を入れて四人となる。

 ただそのうちの一人は、打撃もいいためファーストなどに入ることがある。

 彼が実質的なエースであり、背番号も1をつけている。


 MAXで140km/hオーバーを投げられて、平均的にも130km/h台の半ばのストレートを投げる。

 変化球はスライダーにチェンジアップに、スプリットをほんの少し。

 緩急も付けられて、長打を浴びることは少ない。

 ただしあまり三振は取れない。


 基本的にピッチャーは、三振を取れることがいいピッチャーの条件となる。

 だがこの変化球の構成で三振が取れないなら、その理由はおおよそ分かっている。

 実際に投げているところを見てみれば、純粋に伸びがない、標準の範疇に入ってしまうボールだからだ。

 むしろここからさらに伸びを減らして、ベースの手前でお辞儀するようなボールにしてみたい。

 そうすれば内野ゴロを量産することが出来るだろう。


 元々のストレートが、かなり天然のチェンジアップになっている。

 回転数を上げるか、回転軸を調整して回転効率を上げて、いわゆる良いストレートにしてみたい。

 そして二種類のストレートを投げ分けられれば、充分に大黒柱のピッチャーになれる。

 これまた白富東ではなく、三里を思い出す。

 星と古谷の二人を柱としながらも、継投でピッチャーの消耗を防いでいた。

 あの白富東の全盛期、唯一他に甲子園に行ったチーム。

 あの姿を今の白富東は、目指すべきなのだ。




 直史は完全にピッチングに極振りの選手である、と思われている。

 確かに大学以降の実績を見れば、そうとしか思えないであろう。

 しかし理論だけを言うならば、バッティングの方にまで充分な知識はある。

 バッティングを理解するからこそ、バッターに打たれずない方法を考えるからだ。


 フライボール革命により、今や高校野球でも、強豪校ではクリーンナップには長打を求める。

 そして実際に高校生でも、フライボール革命に適したフィジカルを身につけることは可能なのだ。

 極端な話、体重を増やせばホームランは打てる。

 だが昔であればともかく現代野球においては、ただ体重を増やせばいいだけではない。

 スイングスピードを高めるのが、そもそもは重要なのだ。


 それに極端な例であるが、直史はフライボール革命に反した、強打者を知っている。

 大介のバッティングは、フライボール革命とはかなり違う理屈で成り立っている。

 世界最強のバッターが、フライボール革命を無視しているのだ。

 そもそも大介の体重は、70kgほどしかない。

 身長が低いからということもあるが、その程度の筋量でホームランを打てるのか。

 ホームランどころか、場外ホームランさえ打っている。


 高校時代、金属バットを使っていた頃だが、甲子園での場外弾。

 いまだにあの飛距離を超えたバッターは出ていない。

 そんな大介が重視しているのは、フライではなくライナーを打つこと。

 そのライナーの飛距離を伸ばすことで、ホームランにしているのだ。


 現代の常識では、確かにスイングスピードは大事だが、バレルゾーンでボールを捉えるのが、ホームランを打つための常識である。

 一応大介もバレルゾーンの角度では打っているのだが、かなりその角度が浅いのだ。

 にもかかわらず、スタンドには放り込んでいる。

 当て勘がとんでもないわけで、動体視力や反射神経が、人間の平均からはもちろん、MLBの平均からさえ大きく逸脱している。


 おそらく大介が、他のスポーツで天下を獲れたとしたら、それはボクシングであると言われている。

 デッドボールを回避する能力が高い上に、動いているボールにバットを当てるのが上手い。

 言われてみればそうだろうな、とは誰もが思うところだ。

 ただこの際、あの化物は例外としておこう。




 バッティングの基本は、ダウンスイングで入って、フォロースイングはアッパースイングになっていることだ。

 直史はこれを、バッターによってはレベルスイング寄りにする。

 点ではなく線で当てるという意識で、ミートしていくのだ。

 フルスイングしろ、というのは今の新しいトレンドである。

 だがトレンドに対しては、違うトレンドで対決することが出来る。


 白富東のすべきは、スモールベースボールである。

 去年までは、あまりにも大味なMLBで戦ってきた直史であるが、スモールベースボールの価値はちゃんと分かっている。

 選手の能力は統計で判断すべきであるが、作戦は統計で立ててはいけない。

 統計をいかに欺くかが、重要となってくる。もっとも高校野球レベルでは、対戦相手の統計など、そうそう取れるものではないが。


 統計は味方のデータを取っていくのだ。

 バッターなら打てた場面、ピッチャーなら投げたボール、出来るだけ全てを記録していく。

 そして自分の力を正しく把握するのだ。

 得意なコース、苦手なコース、それを意識しすぎてもよくないが、何を狙えばいいのかを自分で考える。

 一打席に一度ぐらいは、ヒットを狙えるボールが来てもおかしくない。


 野球は確率のスポーツである。

 だが下手に頭がいいと、それで敵を分析してしまう。

 もちろんそれも重要ではあるが、第一には自分たちの力を知ることだ。

 バッターで言うならば、自分が今はどういうバッターで、将来的にはどうなることを目指していくのか。

 また高校だけではなく、大学に入ってからも野球をやるのか。

「まあこれは遠くを見すぎているかもしれないが」

 そして直史は、マウンドに立ったのであった。




 つい先日、それこそ二ヶ月ちょっと前に、メジャーリーガーをことごとく抑え続けていたピッチャー。

 そんなピッチャーが、バッティングピッチャーをやってくれる。

 この時白富東の選手は、間違いなく世界で一番ラッキーな選手であった。

「一人五球」

 それでもベンチ入りメンバー全員に投げるとしたら、100球になる。


 故障で引退したピッチャーが、投げるような球数ではないだろう。

 だが守備陣もポジションについて、シートバッティングの体勢となる。

 ランナー役も用意して、本格的なバッティング練習となる。

「本当に大丈夫なのか?」

「全力で投げなければ、問題はないですから」

 実際のところ直史も、七割程度しか力を入れるつもりはない。


 七割も力を入れていたら、高校生に打てるわけがない。

 なので直史は、投げるボールを宣告する。

「初球はアウトローに、速めのボールを投げるから」

 そして投げたボールは、打てなくもないと思えるスピード。

 だが外れると思えたボールは、ほんの少し変化して、ゾーン内に入った。


 まさにボール一つ分の出し入れ。

 高校生でこんなことが出来れば、それだけで充分なエースである。

 球速は130km/h程度であったが、コントロールがあればそれで充分なのだ。

「次は対角線。また速いボールを投げるぞ」

 軽く投げられたようなストレートであったが、差し込まれてしまう。

 キャッチャーフライで、これで二球目。

「あと三球」

 豪勢なバッティング練習が、ずっと続いていく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る