第47話 母校

 直史による母校白富東の選手たちへのコーチは、ボランティアである。

 利益がなければ全く動かないということと、金銭を受け取らなくても動くということは矛盾しない。

 直史は金銭以外の利益を受け取れば、動くということであるのだ。

 アメリカの芸能人などにある、ボランティア活動。

 単に時間単価だけを考えるなら、稼いだ金を寄付した方がいい。

 それをわざわざ慈善活動に参加するのは、それを名誉や名声といった感じの利益で受け取るため。

 また世間一般にも、あんな有名人が参加しているのだから、という印象を与えて慈善活動の正しさを担保する。


 もっとも昨今のアメリカのポリティカル・コレクトネスやLGBTQ運動などは、明らかに頭の悪い有名人を、何かいいことをやっているような気分にさせる宗教以外の何者でもないが。

 直史もそうだが大介も、そのあたりの直感的な正しさを見抜く、頭の良さは持っている。

 武史は持っていないが、その分他に、誰を信用すればいいのか、ということを考えるだけの頭の良さは持っている。

 ツインズなどは正しさなどどうでもよく、自分と自分が大切と思った人間のためだけにしか働かない。

 樋口などは完全に、上杉と国益のためにしか動かない。


 ただ直史は弁護士であり、基本的に弁護士はリベラルな価値観の人間が多い。

 本質的には権力から法律でもって、国民を守るという意識が強いからだ。

 直史などのように、保守的な弁護士というのは、実のところ珍しい。

 また現在の日本の法制度は、弁護士がその依頼数に対して多くなりすぎたため、悪党だろうがなんだろうが、弁護はするという弁護士が多い。

 元々悪党であっても、それこそ無差別殺人犯であっても、裁判を受けて弁護してもらうという権利は持っているのだが。

 弁護士は正義の味方ではなく、依頼者の味方であり、法に従う者ではなく、法を扱う者なのだ。




 さて、直史が弁護士であるということは、この場においては全く関係がない。

 入学式の以前から、既に練習に参加している新一年生もいる。

 この入学式の日から参加というのも許可されているし、一年生たちは野球部が活動することを知らされている。

 そしてこの日、直史が来ることも。

「キャプテン、色々と策を弄するようになりましたね」

「高校野球の監督は、ある程度性格が悪くないと務まらないからなあ」

 苦笑する北村である。


 今年15歳で入学してくる、一年生たち。

 彼らは当然、去年までの直史の活躍を、ニュースなどで知っている。

 この数年はほぼ毎年のように、MLBで繰り広げられた直史と大介の対決。

 それは全国のニュースで報道されていたのだ。

 海の彼方で、最高と最強の対決が行われている。

 現在進行形の伝説であった、と親の世代も知っているだろう。


 そんな直史の引退試合は、東京ドームで行われて、日本中の視聴率を集めた。

 それからまだわずか二ヶ月と少しで、テレビに出ていたような有名人が、直接コーチとしてやってきている。

 高校で野球をするか迷っている生徒であっても、その姿ぐらいは見たいと思っているだろう。

 客寄せパンダ、という言葉を直史は知っている。

 だが毎日はおろか毎週でさえ、コーチになど来れるはずもない。


 最初のきっかけとして、足を向けてくれればいい。

 その程度の存在でいいのだ。

 自分がいなくなっても、まだ大介がいて、上杉がいて、武史もいる。

 多くのスタープレイヤーは、どんどんと出てくるのだ。

 もちろんさすがに、自分ほどの絶対的ピッチャーが出てくるのは、相当に先になるだろうというぐらいの客観視は、直史も出来ているが。


 野球は楽しいものなのだ。

 とりあえずは、それだけでプレイしてくれればいい。




 現在の白富東の部員は、二学年で28名とマネージャーが四人。 

 そして春休みから練習に参加していた一年生が、七人グラウンドにいる。

 北村は今年が、白富東は二度目の赴任の三年目となる。

 つまり今の三年生は、一年の頃から北村の指導を受けていたのだ。

 それ以前もおおよそ、白富東は指導者の質は高い。

 とは言っても外部からの監督は受け入れていない。教員が監督までやっているというのが続いている。

 セイバーが全力でバックアップしていた頃のような、圧倒的なコーチ陣の質を揃えることは無理なのだ。


 ただ北村以前から、白富東の指導方針は一貫している。

 それは単純なフィジカル向上と、基礎プレイの重視。

 あとは戦術である。


 基本的に白富東の選手は、頭はいいのが入ってくる。

 特待生は別にしても、体育科ですらそれなりに偏差値は高い。

 そしてマネージャーというのも単なる雑用係ではなく、野球研究班も揃っている。

 伸びやすいところをしっかりと伸ばし、基礎的なところを補強した上で、あとは一発勝負に強くする。

 高校野球が一発勝負ということを考えれば、その方針自体は全く間違っていない。


 事前にある程度のデータは、北村から渡されている。

 そして直史はこれまた事前に、今後のチーム強化の方法について話している。

 フィジカルの強化は確かに行うべきである。

 だが直史はあの引退試合で、思い知ったことがある。

 Aチームの打線は確かにBチームほどではなかったが、それでも一点も取れなかった。

 あの事実から、MLBでは不可能になっているが、日本の野球では、特に高校野球では可能になっていること。

 ピッチャーの運用が、これからの高校野球の鍵となる。

 今までもずっとそうだったという意見もあるだろうが。




 北村が到着する前から、既に着替えてアップを開始している。

 このあたりの初動の早さは、やはり白富東、という感じである。

 大学野球や、さらにはNPBと比べてさえも、白富東の時間の使い方は、シビアなものとなっている。

 わずかに二年と四ヶ月。

 この間にどれだけ能力や技術を伸ばせるかが、今後の野球人生にも関わってくる。


「いっそのことユニフォームに着替える時間も減らしますか?」

「朝錬はそうしていることも多いな」

 直史の冗談のような言葉に、北村はそう応じる。

 白富東はあくまで進学校である。

 そして体育科だからといって、特別にクラスが分けられているわけではない。

 最低限の学力は、必ず必要になるのが今の野球部だ。


 コーチの人数が減ったこともあるが、北村の目が全てに届くわけではない。

 なのである程度は選手自身に、自分たちで指摘し合ってもらう必要もある。

 座学の日もあり、そして完全休養日が存在する。

 そのあたりだけは、直史がやっていなかったことだ。

「プロの感覚でやるとなあ。お前も現役時代は、高校でかなり無茶してたしな」

「それはまあ、そうですね」

 直史の球速がほぼ最速に上がったのは、大学に入ってからである。

 そしてその間、ウエイトを重視してやったため、コントロールが乱れた。

 ただそのウエイトにしても、高校時代の方が多くやっていたとは思う。

 今思えば、休養の時間が少なかったのでは、と思わなくもない。




 思い思いにアップから柔軟、キャッチボールなどにバラバラの練習をしていた選手が、北村の吹いたホイッスルで集合する。

 その集合速度は、まさにダッシュと言えるスピードであった。

「速いだろ」

 これは北村の指導の効果だろうか。

 思えば直史の頃は、ここまで時間の管理は徹底していなかった。


 野球に限ったことではないが、全てはリソースをどう振るか、が人生においては重要になってくる。

 もっともコスパが悪いと思えることが、本当に悪いとは限らないので、そこが難しいところであるのだが。

 かつての白富東は、セイバーの多大な資金投入で、リソースのパイ自体が大きくなっていた。

 今はそんな贅沢は出来ないので、時間をいかに質良く使うかが重要になっている。


 強度の高い練習やトレーニングを、集中して行う。

 だらだらと毎日、三時間も四時間も練習はしない。

 そもそも高校野球はスピーディーなことが多いので、およそ三時間もすればほぼ終わる。

 集中力を持続させることと、そのオンオフが重要なのだ。


 整列というわけでもなく、それでもずらっと並んだ部員一同。

「皆も知っていると思うが、俺の後輩で元MLB選手の佐藤直史。今後臨時コーチとして不定期だが、指導をしてくれることになった」

「佐藤です。ポジションはピッチャーでしたが内野守備やバッティングなど、教えられることはあるので、質問は受け付けます」

「一応はピッチング指導をしてもらう予定だが、世界最高峰の舞台でプレイしたいた人間だから、どんどんと教えてもらえよ」

 きらきらとした目で直史を見てくるが、中身を知ったら果たしてどうなるのだろうか。


 北村の懸念は、即座に現実のものとなる。

「あの、引退試合の終盤なんかは、何を考えて投げていたのでしょうか?」

 普通に誰もが気になることだが、直史は少し考え込む。

「答えてあげてもいいが、それは君の技術向上に寄与しないと思う」

 まあ、そうも言うであろうな、と北村は思った。

「時間は有限だ。この限られた時間で、私を上手く利用して、本当に自分の必要な情報を得てほしい。幸いと言ってはなんだが、今日は妻から許可をもらっているので、練習後に関係のない質問を受け付ける時間は作る」

 直史としては珍しいことである。


 人の一生において、最も有限であるものは時間である。

 貴重なものは他に、若さや健康といったあたりになるが、時間ばかりは本当にどうにもならない。

 時間を娯楽に使える人間を豊かであると言うならば、直史を豊かと言うのはかなり難しいであろう。

 彼が仕事などさえ娯楽にしてしまえる精神構造であれば、話は別だが。


 とりあえずコーチを受けるにおいて、直史が考えていたチーム編成案が一つある。

 ベンチ入りメンバーに10人は、ピッチャーの出来る人間を作りたい、というものである。

 そんな無茶な、と言われるかもしれない。

 ピッチャーは専門職であり、単に球が速ければいいというわけではない。

 だがそれこそが、固定観念であるのだ。

 ピッチャーが出来る選手であることが重要で、専業ピッチャーである必要はない。

 むしろ現在の白富東の戦力を考えれば、1イニングごとにピッチャーを代えていってしまってもいい。

 ただこの場合、メンタルコントロールが問題となるが。


 MLBの現在のルールでは、一度ピッチャーが代わったら、三人以上に投げるか、イニングが終わらなければ、交代が出来ない。

 しかし日本の高校野球には、そんなルールはない。

 突出した絶対的なエースがいない公立校においては、とにかく失点を少なくし、得点を増やすことが、当たり前で重要であるのだ。

 やってもいいと言われたら、やりたいことを試してしまおう。

 けっきょくのところやはり、直史が野球というスポーツが好きなことに、間違いはないのであった。




 白富東の伝統、というものがある。

 別にそれは当初は、伝統などというものでもなかったのだが。

 単純にあの時代は、部員数が少なかった。

 だが部員が充分に増えてからも基本的に行っていること。

 それはいきなり春の大会で、一年生にも公式戦出場のチャンスを与えるということだ。


 都道府県によって、春の大会の開催時期は違う。

 千葉の場合は四月、高校の入学が終わってから、ちゃんと開始するのだ。

 県によっては三月に始まるため、出場することが不可能であったりもする。

 もっとも県大会本戦からなら、出場することが出来る都道府県は多いだろう。


 白富東は既に、ベンチメンバー20人のうち、18人は決まっている。

 残りの二人を、一年生から選ぶのだ。

 もちろん一年に相応しい者がいなければ、上級生から選ばれる。

 そして北村から事前に直史は、条件を聞いている。

 ピッチャーか、ピッチャー経験者である。


 今日一日だけのコーチで、何かが爆発的に上達するのか。

 普通ならばそれは、まずありえないことである。

 しかしありえるとしたら、中学時代にきちんとした指導を受けてきていない一年生ピッチャー。

 これが効果的である理由は、主に二つある。

 今までまともにピッチング指導を受けていなかったがゆえに、わずかな指摘で一気にメカニックが向上する。

 あるいは今までまともにピッチング指導を受けていなかったがゆえに、通常のピッチャーの範囲から逸脱したボールを投げる。

 このどちらかだ。




 春休みから既に練習に参加していた、七人の一年生。

 そのうちの四人が、ピッチャー経験者かピッチャーである。

 これに加えて、まだ見学期間の今日から、既に入部届を持ってきたのが五人。

 その中にもピッチャーが三人いた。


 この七人の中から、二人を選ぶ。

 あるいは選ばずに、上級生から選ぶということもある。

 ブルペン一枠を使って、直史は彼らをひそかにテストする。

 出来るだけさっさと決めてしまって、上級生の指導にも回りたいものであるが。

 この半日で、どれだけのことが出来るのか。


 その中でも一人、完全に周囲から浮いているように見えるピッチャーが一人いる。

 なぜ浮いて見えるのかというと、まずはユニフォームではなくジャージであるからだ。

 そしてもう一つの要素は、その身長にある。

 おそらく190cmはあるであろう、その長身。

 もっとも筋骨隆々というものではなく、針金のように細い。

(細田さんに似てるな)

 直史の感想は、完全に正しい。

「細川です。中学時代はバスケをやっていて、小学校の頃にはクラブチームで野球のピッチャーをしていました」

 名前まで似ていた。


 この身長であればそれこそ、バスケットボールでも勧誘は多かったろう。

 実際に中学時代はバスケをしていて、そしてまた野球に戻ってきた。

 なぜ戻ってきたかなどの理由は、特に聞く必要もない。

 他に直史が気になったピッチャーは一人いた。

 細川とは逆に、小柄なピッチャーである。

「内田です」

 ただ、サウスポーであった。




 一年生ピッチャーたちには20球ずつボールを投げさせていく。

 直史は審判の位置からそれを確認するが、もちろん自分の目だけを信用するはずもないのが直史だ。

 トラックマンを使って、そのピッチングの解析も行う。

 本当ならこれは、SBCの最新設備を使った方が確実なのだが、さすがに白富東にも、そういった機器を更新していく余裕はない。


 NPBのチームであれば普通に、これはもう使っている。

 トラックマンだけではなく、ホークアイまで使っていて、スタットキャストで正確に計測しているのだ。

 おそらく私立のチームでも、外部委託などでピッチャーについては調べてあるだろう。

 だが、ピッチャーしか調べないのであれば、そこに隙がある。


 春までにはさすがに無理だろう。

 だが夏の大会までには、少しでもピッチャー経験がある選手は、その力を引き出してみせる。

 突出したプレイヤーは、現在の白富東にはいない。

 だがそれはフィジカルに限ったことである。

 技術と戦術によって、ある程度までの戦力差は埋めることが出来る。

 そして現在の千葉県における強豪私立との戦力差は、そこまで絶望的なものではないと思う。


 中学時代はエースであった、という一年生もいる。

 だがこの時期ではまだ、120km/hも出れば、球速ならば充分であろう。

 中学生の体格で、そこまで筋肉をつけるのは早い。

 成長期に無理にウエイトなどをするのは、むしろ故障の原因になったりもする。

 日々の運動によって、自然としなやかな筋肉がつくのは、それはいいことだ。

 たとえば高校一年生の頃の、武史やアレクのような。

 鬼塚はあれでもまだ、線が細かったものである。


 順番に投げていってもらうが、その中で特に直史の目を引くピッチャーはいない。

 そして回ってきたのが、サウスポーの内田。

「お願いします!」

 セットポジションから、その体が沈んだ。

(アンダースローか)

 サウスポーのアンダースロー。それはまさに、全国的にも珍しい存在である。

 実際にプロにさえ、淳以外は見たことがない。


 内田はその背が低いこともあり、純粋な球威は目指せなかったのだろう。

 だがそこから発想を転換したのか、それとも誰かに勧められたのか、アンダースローへと転向した。

(とりあえず一人は決まったな)

 ボールの軌道を確認して、直史はそう判断した。

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