第40話 弁護士のお仕事

 直史は弁護士として働き出した。

 そして弁護士としては、街の弁護士さん、という範囲からは逸脱している。

 彼が地元の千葉で弁護士として活動するにあたって、最初に働きかけたのは、当然ながら瑞希の父から引き継いだものであった。

 しかしそれ以前に、武史の契約などにおいては、アドバイスを何度もしている。


 今回の引退によって、直史はプロ野球界から選手としては去った。

 だが彼の頭脳や見識、コネクションなどは、一般的な弁護士のそれを超えている。

 まずは鬼塚が、自分の代理人になってくれないか、と言い出した。

 もっとも実際に働くのは、今年のオフからになるであろうが。


 プロ野球の代理人制度というのは、古くはベーブ・ルースの時代から存在する。

 その目的は球団との煩雑な契約については信頼できる人物に任せ、オフを充実したものとすることだ。

 リフレッシュしたり、休養したり、あるいは黙々とトレーニングをしたり。

 一時期の日本のプロ野球界などは、男なら一発契約更改、などとふざけたことを言われていることもあった。

 だが本来は、その働きに見合った金額を、次年度としては提示するべきなのである。


 一時期などはNPBとMLBで、ほとんど年俸が変わらないという時代もあったのだ。

 だが今のNPBとMLBでは、そんなことはありえない。

 そりゃあNPBで活躍した選手は、MLBに行くだろうな、というぐらいの格差がある。

 直史がNPBで稼いだ金額に比べて、MLBで稼いだ金額は、圧倒的に多い。

 もっとも契約自体の煩雑さは、MLBの方がそれこそ圧倒的であるが。


 代理人制度は長らく、弁護士に限った上に、一人の弁護士が受け持てる選手は一人まで、というのがNPBではあった。

 MLBでは複数人の選手を担当するというのは、代理人としては当然のこととなっている。

 ただこれは直史も現場を見ていて思ったのだが、一人の代理人が受け持てる人数には、制限を設けた方がいいのでは、とずっと思っていた。

 なぜなら一人のスーパースターを抱えていれば、それに合わせて他の選手の移籍などを有利に進めることが出来る。

 実際にアメリカなどでは、MLBに限らず四大スポーツでは、代理人の権力が大きくなりすぎている、という批判もあるのだ。

 選手がそれに見合った金を手に入れて、何が悪いのだ、という言い分もあるが。




 直史が本格的に代理人として働くのは、今年のオフからになるだろう。

 これが地元の千葉であったからいいが、東京などであれば断っていった可能性は高い。

 また直史の元には、臨時コーチ以外にも、テレビからも露出の要望があったりした。

 ただこういう時に日本のテレビ局は、本当に傲慢である。


 ネットによる環境によって、もはや視聴率がネットを含まなければ意味がない時代。

 それなのにテレビに出られるというだけで、平気で無料で交渉してきたりするのだ。

 お前それ、弁護士相手に本気か? と直史は言いたいというか、言ってしまった。

 どのみち直史は選べる立場なのである。


 直史の根本的な強さは、最盛期に引退してしまったことだ。

 しかもその理由は、あくまでも故障によるもの。

 衰えるところは見せず、むしろ最後の試合こそが、最高のパフォーマンスであったかもしれない。

 そしてSNSなどの情報発信はしない。

 そういったものは瑞希に任せているからだ。


 マスコミ対策という点では、瑞希が既にテレビ局ではなく、出版社と関係を持っているのが強い。

 現在の日本のテレビに対する信頼度は、年々減少していっている。

 また直史はアメリカに行ったことによって、海外からの情報発信が、日本では効果的だということも分かっている。

 外圧がなければ変わらない国。

 上杉ぐらいのカリスマがなければ、導けるものではないだろう。




 直史は他に、色々なところから連絡をもらっている。

 その中には大学卒業後、所属していたクラブチームなども存在する。

 少し見てもらいたいピッチャーがいる、などと言われても、直史には困るのだが。

 直史のコーチング技術は、自分でも自信がないもの、あるいは普遍化が出来ないものであるのだから。


 そんな中で受けた連絡の中には、大京レックスのスカウト大田鉄也、つまりかつての相棒であるジンの父親からのものもあった。

 それはシニアチームのピッチャーについて、ちょっと見てくれないか、というものであったりする。

 いや、それは元はプロから指名される可能性もあった、あんたが見れば充分だろう、と直史などは思ったものである。

 だが鉄也はどうしてもと言うし、直史は鉄也に対しても身内意識がある。

 そのため瑞希と共に、真琴を連れて鷺北シニアの練習グラウンドを訪れたりした。


 真琴は一緒におでかけであるが、子供にこんなものが楽しいのかな、と直史は疑問である。

 基本的に真琴は、直史と一緒ならなんでも楽しいらしいが。

 やはりこれまでは、子供たちにも我慢をさせていたんだな、と思う直史。

 そして瑞希としては、休日でも結局は野球なのかなとも思うが、選手の評価をするならば、直史は自分より瑞希の方が、客観的ではないかとも思っている。


 瑞希は確かに、多くの選手を見てきた。

 記事を書くために情報収集をして、その中からバッターへの対策なども考えたことがある。

 明史だけはお留守番であるが、親子三人でのお出かけ。

 なんとも平和な日曜日であった。




 千葉県中西部に存在する鷺北シニアは、昔から強豪チームとして有名である。

 プロ野球選手も輩出しているので、実績としても確かだ。

 特にジンの世代は岩崎に豊田と、二人のピッチャーをプロに送っていた。

 その後も何人かプロの選手を輩出しているので、間違いなく名門のシニアチームと言えるだろう。

 もっとも一番の当たりは、史上初の甲子園女子選手となったシーナを出したことだろうが。


 もしも将来真琴が野球をやりたいとでも言うなら、ここに預けてもいいかな、と思える程度には設備なども揃っている。

 もっとも真に重要なのは、指導者がどういうものであるかだ。

「よお」

 指定された駐車スペースに車を停めると、グラウンドの方から鉄也がやってきた。

「どうも」

 直史的には鉄也もまた、それなりに身内の枠に入れる人間だ。

 プロ入りと契約時に色々とあったし、それ以前にはセイバーを紹介してくれたことが、一番の重要事項であろう。


 鉄也は瑞希が共に来ているのを見て、少しいぶかしむ。

「奥さんも一緒か」

「選手を見るというだけなら、俺よりもよほど見てきましたから」

「それもそう……なのか?

 否定はしきれない鉄也である。


 鷺北シニアのグラウンドは、直史は高校時代には数度訪れたことがあるが、大学以降はほとんどそんな機会はなかった。

 だが以前に比べると、人数は増えているかもしれない。

「規模が大きくなりましたか?」

「そうだな。まあいい選手がいれば、帝都一が持っていくし」

「なるほど」

 ジンが東京の超名門帝都一の監督になってから数年、しっかりと成果は出している。

 全国制覇も果たしたし、東東京ではまず第一の名門強豪として通じている。

 その内情までは、直史は知らない。


 高校野球は大阪光陰の覇権には、やや陰りが見えたと言ってもいい。

 元々一時期の連覇が当然という時代が、異常であったのだ。

 今でも数年に一度は、全国の頂点に立っている。

 だが連覇は白富東が初出場した、春のセンバツを最後にない。

 それでも充分強いチームではあるのだが。

 毎年優勝候補に上がるのに、それでも確実に勝てないところが、高校野球なのだと言っていいだろう。




 直史は念のためのいった感じで、サングラスなどをかけていた。

 だがプロのスカウトである鉄也の隣にいては、あまり意味はないだろうが。

「今はどれぐらい強いんですか?」

「だいたい全国のベスト16までは目指せるか、といったところかな」

 それが安定して狙えるなら、確かに強いのだろう。

 高校野球と違って、野球留学などはさすがにないのだし。


 直史が見ている中では、守備の動きも打撃も、確かにそれなりに良さそうだ。

 もちろんMLBの基準からしたら、比べるのもおこがましいのだが。

 そして気になったのは、ピッチャーである。

 ブルペンで投げているが、球速はあってもコントロールが悪い。

「どう思う?」

「そうですね。中に入っても?」

「話はつけてある」

 ボールが飛んでくると危ないので、瑞希はここで待機である。


 直史と鉄也は、投げ込んでいるピッチャーの背後に立つ。

 鉄也に関しては、もう誰もが知っているだろう。

 だが直史はこういう時、サングラスをしただけでかなり気づかれなくなる。

 元々スポーツ選手としては、かなり線が細いということもある。

 あとは服装のファッション感覚が、スポーツ選手っぽくないのだ。

 完全に弁護士用の、スーツをしっかりと着込んでいるわけだし。


「どう思う?」

「単純にまだ体幹が弱いですね」

「あとはもっとフォーム固めを意識した方が……いや、まだ身長は伸びてますよね?」

「そうだな。まだ成長中だ」

「甲子園で終わるならともかく、その上のステージを狙うなら、この時点でフォームを固めるよりフィジカルを鍛えた方がいいでしょう」

「それはそうなんだが、シニアの全国でも行けるとこまでは行きたくてな」


 直史はそして、監督とコーチのところに移動する。

「……本物だ」

 以前にいた監督やコーチは、年齢もあって引退したらしい。

 そもそもシニアチームの監督など、ほとんどボランティアに近いところがあるらしいが。

 直史と握手するその目は、キラキラとした少年のものである。

 年齢的にはむしろ向こうが年上であるのだが。




 直史はそこで、現在のシニアチームのことについて話を聞くこととなった。

 むしろこういった諸事情は、瑞希の方が詳しいのでは、とも思ったが。

 全国から選手を集めてくる高校野球と違い、シニアはさすがに地元の選手だけで構成される。

 そのため人口密集地で、同時に広いスペースや優秀なコーチを集められるチームが、自然と強くなっていく。

 また親のサポートの問題も大きい。


 基本的に送り迎えはともかく、試合の時などは親の援助が必要となる。

 遠征などの費用も、チームにかかる費用とはまったく別のもの。

 そのあたり直史は、部活軟式出身なので知らなかった。

 そもそも高校時代なども、資金はセイバーが持ち出しでやっていたわけであるし。


 そういったサポートを前提として、それでも野球をやるからには、素質に優れた選手が集まっているのは当然だ。

 この時期に既に、進学先が決まっている選手もいる。

 主に関東圏か、東北圏のチームが多い。

 関東ならともかく、東北地方に行ってまで、甲子園を目指していくのか。

 それはちょっとやりすぎじゃないのかな、などと直史は思うのだが、これに関しては直史の方が例外なのである。

「女の子はいないんですね」

「ああ、今はもう入れていませんね。近くにガールズのチームもありますし」

 それはちょっとショックな話ではあった。

 シーナを輩出したチームが、今ではもう男子選手しか入れていないというのは。


 ただ時代は直史たちの頃からは変わっている。

 かつては女子野球は、甲子園とはまったく別のものであった。

 それが決勝戦だけは甲子園で試合が出来るようになり、今ではベスト8以上が試合をすることとなっている。

 女の子でも甲子園が目指せるのだ。

(真琴はどう考えるのかな)

 女子野球というものの、未来も考える直史であった。




 元々女子の参加が許可されたのは、高校野球ではなくプロ野球の方が先であった。

 もっとも実際の女子プロ野球選手は、いまだに登場していない。

 大学野球には性別の枠はなく、以前から時々登場してはいた。

 その中でもっとも活躍したのが、権藤明日美とツインズであろう。


 高校野球に女子選手が許されたのは、主にシーナの存在が理由である。

 一時的に監督不在となった白富東は、シーナとジンの二人がチームを指導する体制で、春のセンバツを制したのだ。

 女子高校生監督が登場したことで、選手としてのハードルが下がったということは間違いないだろう。

 ただシーナ以降、甲子園に出場するレベルの女子選手は出ていない。

 地方大会だとそこそこ弱いチームにはいるのだが、基本的に女子が男子に混じってスポーツをするのは難しい。

 単純にフィジカルが違いすぎるので、危険であるのだ。

 それでもまだ、野球は比較的、接触の少ないスポーツではあるのだが。


 少し前、主に北米を中心に、頭のおかしなことがあった。

 トランスジェンダーの女子、つまり身体的には男性を、心は女性ということで、女子枠でスポーツ競技に参加させたのだ。

 すると当然ながら、陸上や水泳競技では、男子ならば平凡なタイムでも、女子なら優勝出来る。

 また球技などにおいても、圧倒的なフィジカル差を武器にして、完全に無双していた。

 体格的には、大人が中学生に混じるぐらいであるのだ。

 それもある程度は経験のある大人が。


 この問題は当初、トランスジェンダー女性も女性扱いせよという、訳の分からない理屈が北米を中心に通っていた。

 またトイレに侵入する、女性化手術すら受けていない男性が、心は女だと言い張って、その理屈が通ってしまったりもした。

 区別するのは差別であると。

 さすがに数年で、アメリカの保守層の大反発などがあり、女性への被害が頻発したため、ほとんどの不公平は是正された。

 ただ女性が男性向けスポーツに参加することは、ずっと許容されたのだ。

 だからといって、本当に男に混じる女性は、ほぼいなかったが。

 女性のチャンピオンが男性と戦えばどうなるか、そういったことを考えて参加し、おおよそは全く相手にならなかった。


 ちなみに男女の区別がほぼないというか、ほぼ同条件で成立する競技自体は存在する。

 日本であれば有名なのは、公営ギャンブルの類であろう。

 競艇、競馬、オートレースがそれに当たり、競艇とオートレースはそれなりに競技者が多い。

 競馬に関しては少ないが、競馬界はそもそも乗る馬が、性能差のようなものである。

 ただし競馬の場合は、女性騎手が乗る場合、重量負担がわずかに軽くなるという制度もあったりする。

 競艇とオートレースは機械操作であるが、女性選手のみのレースがあったりもする。




 日本の女子野球は、中学生までならまだ、それなりに男子相手でも通用するのだ。

 実際のところ、大学レベルでもまだ通用していた明日美などは、さすがに例外とするにしても。

 高校野球も女子の野球部は増えていて、現在では日本に150校ほどが存在している。

 特に都市圏は多く、そのため甲子園も使われることになったというわけだ。

 ただかつてシーナを輩出した鷺北シニアが、もう女子を入れていないというのは、かなり意外なことではある。


 真琴は生まれつき、心臓が奇形であった。

 しかし難しい手術が成功し、今では体格も平均の子供より大きく、運動量も多い。

 インドア派の瑞希などは、遊び相手が大変であったりするのだ。

 もちろん直史としては、真琴に絶対に野球をやれ、などというつもりはない。

 だがこのままならおそらく、野球をやり始めるのではないか、とも思っている。


 その時にいったい、どういう舞台で戦うことになるのか。

 正直なところ、中学軟式でやるならば、それが一番だとは思うのだ。

 男子に混じっていても、中学まではおそらく、それほどのフィジカル差はない。

 ただ高校生にでもなれば、年々フィジカル差は増大していく。

 巨体の男子と一緒に、同じルールでプレイするというのは、かなり心配な直史である。

 普通に女子野球をしてくれれば、そんな心配はいらないのだが。


 子供の将来について、直史は色々と考える。

 子供たちが成長するにつれ、自分の少年期を追憶するような、不思議な感覚になってくるのは、他の人間も同じなのだろうか。

 少なくとも親は、親になってみないと親の気持ちは分からない、などと言っていたが。


 直史は結局この日は、さほどのアドバイスなどもすることはなかった。

 指導資格を回復せずに指導をするのは、シニアならば問題はないはずなのだが、念のため避けた、ということが大きい。

 学生野球憲章など、直史はおかしなものだと思っているが、既に決まっていることを、わざわざ破るということはない。

 ただ、変えようとは思ったりするが。


 アドバイスなどはしなかったが、散々に握手とサインは求められた。

 それはまあ仕方がないな、と直史としても応じたが。

 あまりファンサービスをしたり、マスコミに対して協力的ではない直史だが、子供たちへの当たりは強くはない。

 そしてこの日は、鉄也からもらったデータだけを手にして、ちょっと投球分析などをしようかな、と夕食後に瑞希とパソコンに向かったのである。

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